谷崎潤一郎作品のヒロインを演じてほしい女優・アイドル
それぞれ適齢の時期に、とお考えください。
みなさんのご意見・ご批判お聞かせください。
「刺青」の「娘」:小松彩夏
「麒麟」の南子:范 冰冰
「少年」の光子:堀北真希
「幇間」の梅吉:北乃きい
「悪魔」の照子:綾瀬はるか
「恋を知る頃 」のおきん:原幹恵
「熱風に吹かれて」の英子:初音映莉子
「捨てられる迄」の三千子:武井咲
「饒太郎」のお縫:水沢エレナ
「お才と巳之助」のお才:伊東美咲
「鶯姫」の春子:嗣永桃子
「女人神聖」の光子:鈴木愛理
「少年の脅迫」の「少女」:高梨臨
「富美子の足」の富美子:佐々木希
「白狐の湯」のローザ:Teresa Palmer
「無明と愛染」の愛染:常盤貴子
「痴人の愛」のナオミ:藤井美菜
「痴人の愛」のシュレムスカヤ伯爵夫人:Diane Kruger
「卍」の光子:森絵梨佳
「蘆刈」のお遊:森口瑤子
「瘋癲老人日記」の颯子:鶴田真由
敗者のトラウマ~戦後日本のジャクリーン崇拝
マゾヒストにはそれぞれに理想のドミナがいます。
現実に出会った女性の場合もあり、女優や王族の女性などに、媒体を通じて遠く憧れる場合もあり、神話や小説などに登場する架空の存在に理想を求める場合もあるでしょう。
近代以降の日本のマゾヒズトに最も崇拝され、理想のドミナとされた実在の女性は誰でしょうか。
アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディの夫人、ジャクリーン・ケネディ・オナシスはその有力な候補の一人でしょう。
沼正三は「ある夢想家の手帖から」第七七章付記第二においてジャクリーンを次のように賛美しています。
本文で詳述したドミナの諸条件を念頭におきつつ、世界的規模で考えると、(中略)第一に数えられるのは、―英王室の女性は別論として―ジャッキーことジャクリーン・オナシス夫人であろう。彼女は(中略)名門の生れで、幼少から乗馬をたしなむような環境で人となったが、長じて知的な婦人記者となった。その美貌と才気によってケネディを射止め、全世界に号令する米大統領の夫人として文字通りアメリカのファースト・レディとなったが、ダラスの悲劇後、未亡人として終わらず、今度は世界一の富豪オナシスの夫人となって、婚約指輪が四億円とか、結婚後の一年間に七十二億円使ったとか喧伝された。むしろ享楽的なのを崇拝するのだから、この恋の冒険者の再婚はマゾヒストの憧憬をかえって昂めたのである。大統領夫人時代、不倫のラブレターを情人に送っていたという噂も、世間一般にはどうあれ、マゾヒストには少しもマイナスでない(ケネディのほうも、マリリン・モンローとよろしくつきあっていたというではないか)。(中略)しかも彼女は(中略)ジュウドウのレッスンに通っていたというし、現にカラテを使って無礼なカメラマンを路上に顚倒させた武芸の実力の持ち主でもある。美貌・才気・高貴・驕慢・乗馬・武勇……いろいろな条件をこれくらい十二分に揃えた人は他にあるまい。今の世で最もドミナ的特性に富む女性として、狂崇的なジャクリーン崇拝者が出てくるのも無理はない。
本章では貴婦人崇拝者の理想のドミナの要件を「高貴」「財産」「驕慢」の三つとしています。
第一章「夢想のドミナ」に示された類型で言えば、ヘラ型のドミナですね。
それに加えて、「才気」「乗馬」「武勇」の点はアテネ的な要素も兼ね備えている、ということなのでしょう。
これらはザッヘル・マゾッホが好んだドミナ像とも重なります。
ジャクリーンは理想のドミナとして、世界中のマゾヒストの憧れを集めたことでしょう。
しかし、日本人マゾヒストのジャクリーンに対する崇拝の仕方は、なかなか尋常ではないもので、まさに狂崇的と言っていいでしょう。
「手帖」にはジャクリーンへのオマージュとされる作品が紹介されています。
北園二三「カロライン島の家畜人」(「問題SM小説」)
日本人男女がブロンド女性の家畜調教人に、男は馬に、女は犬とにと調教され、地中海の島に連行されてそこで女支配人カロラインの家畜として使役される、というもの。
ドミナのモデルは、名前こそ長女のキャロラインに仮託しているものの、明らかにジャクリーン。
当時彼女はオナシスから贈られた地中海のスコルピオン島を所有していました。
天野哲夫「女帝ジャクリーンの降臨」
単行本化されており、現在でも容易に入手・閲覧できます。
占領下の日本で犬願望の強い低身長のマゾヒストの主人公が、白人女性ドロテア・ビンツの愛犬となっていく過程と、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサー暗殺を機に対日占領政策が転換され、この時点では上院議員の恋人であったジャクリーンが二十二歳で大日本帝国憲法に定める天皇と同等の地位である合衆国特別州総督の地位に着くまでの過程が、同時並行で描かれます。
本作は間違いなく天野の最高傑作であり、本作を読めば、天野がいかに優れたマゾヒズム文学の作家であるかがわかります。天野の犬願望と、白人崇拝が、飢餓の蔓延する占領期の日本のリアルな空気感とともにスリリングに展開していきます。登場する日本人たちの呻くような卑屈さと、虫を観察するかのような目で日本人を検分し、その処遇を決めていく白人たちの尊大さの対比は、この時代を体験した者にしか描けないものでしょう。
「家畜人ヤプー」にも影響するとにかく難解な神話・歴史・文学・人物のパロディも、この作家の空前絶後の個性として考えれば楽しむことができます。
白野勝利「ジャクリーヌの厩」(「SSS」)
この際、手帖から紹介部分全文を転載します。
広島原爆の結果生じた異次元世界に仮託してあるが、その世界での日本は、コラコーラという米国製飲料の麻薬的効果のために経済的に破綻してしまう。国宝的建築や領土の一部を担保に借款するが、結局破産し、国際連合債権者委員会に管理される。日本を世界の別荘地として宣伝し、投資させる政策が決定される。割譲はしないが永久租借権が設定でき、個人租界が作れるので、世界中の王侯富豪が争って別荘地を求める。税の関係で名義はたいてい女性である。ハリウッド女優も負けていない。日本中の名所旧蹟、名勝、島嶼、目ぼしいものは皆、欧米婦人の租借地となる。租借地からは原住日本人は立ちのかなければならないが、立ちのかずに新地主に隷属し、上納金を入れてもいい。たいていはそれを選ぶ。富士山は英女王のものになり、裾野は英王室の狐狩り用の御狩場になる。日本三景はソ連人民の極東観光地になる。瀬戸内海の島々はたいてい米国女性の名義に変わってしまう(なお、作者は外国女優の名をいくつもあげて、これに快感を覚えたらしいことを推測させるが、省略する)。
とうとう宮城が競売されることになる。それを手に入れようと、アメリカのケネディ大統領夫人ジャクリーヌとモナコ王妃グレース・ケリーとが競り合う。ジャクリーヌ夫人は既に琵琶湖を、グレース王妃は既に日光全山を租借しているのだが、さらに張り合う。結局ジャクリーヌは、琵琶湖の半分を王妃に譲って、かつては自ら主権者とその配偶者としてケネディ夫妻をここに迎え、対等に握手で迎えたこともあるやんごとないカップルも、国民に見捨てられて退位するが、亡命しようにも財産をすべて共和新政府に国有財産として押さえられ、今は結局、世の習わしどおり、住居の新所有者の使用人として生活するしかない。乗馬の好きなジャクリーヌは、宮城内の厩舎と馬場を拡張させる。しかし、彼女の温情は、このカップルのために思い出のテニスコートを厩舎の裏の一隅に残すことを許すのだった……
原文は、乗馬するジャクリーヌに奉仕する二人の姿を描き、その国辱感の裏返しとして生じるマゾ価はきわめて高いが、ここでの詳しい紹介は遠慮しよう。
私は手帖の上記引用部分を読んで、猛烈な昂奮を覚え、青春時代はよく日本地図と女優名鑑を広げて、列島が白人女性に分割されていく様を妄想して延々と自慰を繰り返しました。
昭和天皇と香淳皇后が毎日ジャクリーンの愛馬の世話をしたり、ジャクリーンが騎乗した馬を曳いたりしている姿も想像しました。
そこでは二人は馬一頭分の厩よりもずっと小さな住居で寝泊りしています。ケネディ夫妻で乗馬を楽しむときは、馬丁にも乗馬鞭を使う夫人の馬は元天皇が曳き、優しい大統領の馬は元皇后が曳く。夫人があまりにも馬丁を乱暴に扱うんで、大統領が気遣う。馬丁は涙を流して大統領に感謝するんだけれども、癪に障った夫人は「だめよ、あなたの馬丁だけならともかく、私のまで甘やかさないで」なんていって、かえってひどく鞭を使ったり…と、妄想ははかどりました。
注目すべきは、白野をして、スウェーデン出身で美貌に勝るモナコ王妃グレース・ケリーとの争いにジャクリーンを勝たせていることですね。皇居を所有し、天皇皇后を傅かせるには、ジャクリーンの方がふさわしいとした。
ここを見るに、この時期の日本人マゾヒストのジャクリーン崇拝は、ヘラ型・アテネ型のドミナ属性と白人崇拝だけでは説明しきれないものがあると思われてなりません。
やはり、天皇制ファシズムを経て、敗戦、占領体験によって生み出された米国に対するトラウマの深刻さを感じます。国土を焼き払い、同胞を焼き殺した白い肌の占領者に無条件降伏し、飢餓の中で卑屈に媚びて生き延びた記憶が、性衝動と強く結びつき、トラウマの対象である米国のイメージが、ジャクリーンに象徴されたのかもしれません。
終戦を知り皇居前でひざまずく日本国民、横浜空襲の惨状
沼は付記の最後に刺激的な妄想を記しています。ジャクリーンは、日本の作家たちが馬になっって自分に乗られたり、便器になって自分の排泄したものを口にすることを渇望し、果ては万世一系の君主を廃して自分を国家の主権者に迎える様を、競って小説にしていることを知ったらどう思うか。「あたりまえよね」と愛娘のキャロラインと顔を見合わせて笑うのではないかと…。
新和洋ドミナ曼荼羅(3)―ヘブライ神話の美女
第二回目は、ヘブライ神話に登場する美女を取り上げます。
『旧約聖書』『新約聖書』によって世界史に最も強い影響を与えた古代神話です。
リリス
ジョン・コリア『リリス』
人類最初の女性
『旧約聖書』の「創世記」では、最初の人間は男性のアダム、最初の女性はその妻のイヴで、イヴはアダムのあばら骨から造られたとされています。
しかし、イヴが造られる以前に、アダムにはリリスという妻がいたという伝承もあります。
リリスはイヴとは違い、アダムと同じように土で造られました。それだけにイヴのようにアダムによく従う従順な妻ではなく、アダムの支配を受け入れず、性交の際には騎乗位を求めます。
悪魔たちと…
その上リリスはアダムを捨ててエデンの園を去り、紅海沿岸に住みつきました。そこで数多の悪魔と淫蕩に関係を持ち、リリンと呼ばれる悪魔たちを産みます。
アダムはイヴと結ばれた後も美しいリリスを忘れがたく、神にリリスをエデンの園に戻してほしいと懇願します。神は天使を遣わしてリリスを説得しますが、リリスはこれを拒否します。おそらく、悪魔との魅惑的な性交はリリスにとって、アダムとの退屈な性交とは比べ物にならない快楽だったのでしょう。
リリスの産んだリリンはアダムとイヴの子孫たちを誘惑し、破滅させます。リリス自身も悪魔としての能力を身につけ、男児だったら生後八日間、女児だったら生後二十日間、リリスはその運命を好きにすることができ、生かすも殺すも思いのままにできるようになったといいます。
ギュスターヴ・アドルフ・モッサ『彼女』
バテシバ
ギュスターヴ・アドルフ・モッサ『ダビデとバテシバ』
水浴びを見て
最盛期の古代イスラエルを指導した大預言者ダビデ。そのダビデが犯した大きな罪悪が、バテシバとの不倫です。
ある日、ダビデは宮殿の屋上を散策していたところ、眼下にうっとりとするほど美しい女がまばゆい裸体をあらわにして水浴びをしているのが目に入りました。欲情に駆られたダビデは急ぎ美女の素性を調べさせたところ、美女は勇猛な軍人ウリヤの妻バテシバでした。それを知ってもダビデは恋心を抑えることができず、バテシバを宮廷に呼び、想いを遂げてしまいます。
夫を抹殺
さぞかし激しい情事だったのでしょう。バテシバはすぐさま妊娠してしまいます。あせったダビデは様々な計略で姦通の証拠を隠蔽しようとしますが失敗し、追い込まれたダビデは卑劣にも王の権力を悪用し、ウリヤの上官に彼を戦地に一人置き去りにして退却するよう命じました。こうしてウリヤを死に追いやったダビデは、寡婦となったバテシバと盛大な結婚式を挙げ、后としてしまいす。
デリラ
ピーター・ポール・ルーベンス『サムソンとデリラ』
銀貨千枚で愛人を…
デリラは、イスラエルの預言者サムソンを死に至らしめた美女。
サムソンは超人的な怪力の持ち主で、パレスチナ人と抗争中のイスラエルを指導していました。
サムソンがデリラの美貌に夢中になったことを知ったパレスチナ人の指導者は、デリラを銀貨千枚で買収します。デリラはある晩サムソンを寝かしつけると、サムソンの怪力の秘密を巧みに聞き出します。サムソンの怪力の秘密は髪の毛。パレスチナ人はこっそり忍び出してサムソンの髪の毛を切り、サムソンの両目を剣で抉り出してしまいます。サムソンは暗い監獄で石臼を挽くという辱めを受けることになります。
このサムソンとデリラの神話は、ザッヘル・マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』にも引用されています。
ユーディット
カラバッジョ『ユーディットとホルフェルネス』
体を武器に
敵将の首を刈り取った神話で知られる女傑。
アッシリアの将軍ホルフェルネスの軍によって占領されたイスラエルの山岳都市ベトリア。ベトリアの貴族出身の未亡人ユーディットは、祖国を救うために身を投げ出す覚悟で立ち上がります。ユーディットは美しく着飾ってアッシリア軍陣営に赴き、ホルフェルネスに会わせてくれと頼みます。
ホルフェネウスはベトリア最高の美女に心を奪われ、ユーディットを幕舎の寝室に招き、思いのたけ肉欲を満たします。激しい性交に満足したホルフェルネスが深い眠りに落ちた瞬間、機会を窺っていたユーディットは剣を引き抜き、ホルフェルネスの首をひと思いに切り落としてしまいます。動転したアッシリア軍はベトリアを放棄して逃走してしまい、ベトリアには自由と平安が取り戻されました。
ベトリア市民は熱狂的にユーディットを讃え、絶え間ない賛辞が送られました。未亡人が男に体を許したということは、神の戒律に反するはずですが、この際それを問題にする者はいませんでした。
ジョルジョーネ『ユーディット』 ルーカス・クラナッハ『ユーディット』
サロメ
ギュスターブ・モロー『ヘロデ王の前で踊るサロメ』(部分)
義父であるパレスチナ総督ヘロデ・アンティパスをして、イエスに洗礼を施した聖洗礼者ヨハネの首を切らせた魔性の美少女。
舞で王を魅了
西洋絵画で「美女と生首」の組み合わせがモチーフとされている場合、美女が自ら剣を持っている場合はユーディト、美女が盆に生首を載せている場合にはサロメです。
サロメはヘロデの弟の娘でしたが、ヘロデは弟の死後サロメの母ヘロディアをわがものにします。聖洗礼者ヨハネはこれを批判したたため逮捕され、ヘロデの宮殿の牢獄に繋がれます。ヘロディアはヘロデにヨハネを処刑するようにしきりに求めますが、ヘロデはヨハネを預言者として畏れていたため、処刑をためらいます。
ある晩宮殿では宴会が開かれます。サロメの美貌に夢中になっていたヘロデは、サロメに舞を披露するように求めます。サロメは舞う対価としてどんな頼みごとでも聞くかとヘロデに迫ります。魅惑されたヘロデは操られるように「どんなものでもサロメの欲するものを与える」と誓約してしまいます。
なぜ聖洗礼者の首を?
サロメは美しい舞を見せた上で、ヘロデに「聖洗礼者ヨハネの首」を求めます。ヘロデは「他のものなら何でも与えるから、それだけは求めないでくれ」とサロメに懇願しますが、サロメはあっさりと拒絶します。かくしてヨハネは斬首され、血の滴るヨハネの生首が盆に載せられ、サロメのもとに運ばれました。
サロメはなぜヨハネの首を求めたのでしょうか。ヨハネに激しく非難されていた母ヘロディアが、娘を利用してヨハネを殺させたと解されています。
サロメの神話は後世数限りない芸術作品のモチーフになりました。もっとも有名な作品のひとつがオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』です。この戯曲では、サロメはヨハネに恋し、キスを拒絶されたために、サディスティックな欲望を満たすため、ヘロデにヨハネの首を求めたと解されています。
自ら男の首を落とした女傑ユーディットと、美貌によって男たちを操って男の首を手に入れた魔性の美少女サロメ。
あなたはどちらが好みですか?
沼正三なら言下に「ユーディット」と答えるでしょう。
谷崎潤一郎は、どちらも好きですね。
ちなみに私はサロメ派です。
ジャン・ベネール『サロメ』