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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

コメントに回答④

引き続き、探索者さんのコメントへの回答です。
探索者さんのコメントは興味深いポイントがたくさん盛り込まれているので、過去のコメント・回答集もご参照いただけると幸いです。


「古来議論の的になった」というその議論という、その箇所はわかりませんが、パリスの審判は関心をそそるテーマであることは変わらないと思います。
ここで、3柱の女神は、西洋絵画によると、裸身を晒しているわけですが、この裸身はなんであろうか、と改めて思いました。古代ギリシャでの解釈は、裸身を現したのかどうか、わからないのですが、とりあえず、裸身を現したということにしたいと思います。すると、女神は、性的な魅力を用いようとしたのか、どうか、というのが気になったところです。もちろん、最後はワイロですが。
ゼウスから審判者に選ばれたのが、パリスという若者(男性)であったわけです。もしも、女性を選んでおれば、性ということから離れた(性欲、情欲から離れた・・・それを公正と呼ぶべきか悩みますが)判断が得られたのではないか、とふと思いました。一般にはどう考えられているのでしょう。
また、パリスが欲情を感じたのかどうかも明らかではありません。
すこしマゾヒズムという話から離れてしまいましたが、申し訳ありません。


アフロディーテは神話が作られた頃から裸身のイメージだと思います。ヘラとアテネの像は着衣のものが多いですね。
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人間の男性が女神を選ぶのですから畏れ多いことではありますが、女性が選んだらどうなのでしょうね。
幸福な家庭生活を望む女性はヘラ、芸事の上達を望む女性はアテネ、美貌を望む女性はアフロディーテを選ぶのでしょうか。

「むしろ崇拝する女性にそのような要素がない方がうれしい」のですね。私の場合ですが、残酷な性向のない女性が好みです。
例えば、飼っているカナリヤや猫、犬を虐待していない方が尊敬の対象としては好ましいです。
マゾヒスト系の男性でも、女性が残酷でない、優しい心根?の方が惹かれると思っている人も結構いらっしゃると予想します。予想に過ぎませんが。
ただ、虐待する姿に萌える、そういうマゾヒスト男性もいると思います。カナリヤ、犬、猫、豚、馬、そして、マゾ男、これらを気まぐれに罰したりすることが、「①女神としての絶対性を示す」かもしれないと思いました。神の絶対性を信仰する社会に生まれると、親和性が高いのではないでしょうか。そして、「②女神の前での、自分の無価値性を徹底的に示してくれる」とも思えました。
私は動物虐待は好みでないのですが、当然、M男虐待も、抵抗があります。しかし、「己れの倫理観を、女神に押し付けるのは、エゴマゾだ」、と言われた場合、反論する為の論理が見つかりませんでした。

「一番望ましいのは自分に対する無関心です。自分をそのものとしては全く無価値な存在と捉え、手段としてのみ有用な存在として利用してほしいのです。」という考え方ですが、論理として理解しやすいと思いました。世間でいる「放置プレイ」とはその意味なのですね。この時、快感のある状態なのでしょうか。性的興奮とか、勃起したとかそういう意味に限定するつもりはありません。それも含みますが。。
A1:勝手に勃起している。A2:勝手に、先走り汁が溢れた。B:いや勃起後に射精した後である。C:いずれでもない。と分類したならば、どれにあたるのでしょう。たぶん、Dだろうと、推察しております。見当違いかもしれません。


男性が美人に虐待される動画は好きですが…なぜその女性がそんなことをしているのか、その動機によって興醒めの要因にも興奮を増す要因にもなりますね。
(興醒め→興奮)
報復→女性自身の性的快楽→懲罰→自白等の強要→男性側から金銭で依頼された(ご褒美)→余興のショー→暇つぶし
といった順でしょうか。
おおむね、女性にとって虐待の必要性が小さければ小さいほど興奮につながる、という法則にかなっているかと思います。
動物に関しては無意味に虐待するよりも、美人が馬を馬として、犬を犬として普通に扱っている姿に興奮しますね。
いわゆる「放置プレイ」は、マゾヒストが自分を無価値な存在として扱われたいという願望がよく現れた形態だと思います。

白人の優越性を事実として認めた場合、自分たちの劣位性を認めることになると思いますが、それがある種の快楽の要素を持つとマゾヒズムになる、と一応考えました。白人男性vs日本人男性、白人男性vs日本人女性、白人女性vs日本人男性、白人女性vs日本人女性と4つの状況を設定して、その状況で、快楽を感じない(自分が劣位であることに不快を感じる)場合と、快感を感じる(自分が劣位であることに快感を感じる)場合とを考えると、8パターンあります。このうち異性間でのマゾヒズムにおいて、性的な快感も伴うということ場合を考えないといけないですね。性的なと言いましたが、セクシャルなものではなくて、プラトニックなものでもありうると思います。
白乃様が、美しい白人の写真を探してこられて掲載されていますが、これは、異性間における十分に、プラトニックな、ロマンチックな、憧憬に繋がると思います。
ただ、ここでいう、マゾヒズムは、性欲に直結したもののように思っています。

美しい白人女性へ、東洋人男性が、マゾヒズム(性欲を催す)を感じるならば、
美しい白人男性へ、東洋人女性が、マゾヒズム(性欲を催す)を感じるということにならないか、この点はあまり話題にならないのはなぜかと思っています。

また、白人側で、日本人へのサディズムを感じる感じないという話はあまり聞きません。白人は、東洋人とは接する機会が少ないと思います。ロシア人は昔から、東洋人と接していたと思われます。
また、白人は、南アジア系と接する機会、アラブ系と接する機会、アフリカ系と接する機会、それぞれあったと思いますが、どうなのだろうか、と思いました。


探索者さんはどうやら性欲(エロス)とプラトン的崇拝(アガペー)をかなりはっきり峻別されるお考えのようですが、私にとっては愛とはすなわち美への崇拝であって、それは性欲でもあり、マゾヒズムに直結するものです。
絵画や写真におさまる美しい白人女性に対するプラトニックな、ロマンティックな憧憬は、私にとって性欲そのもので、マゾヒズムの根源であります。
日本人女性が美しくたくましい白人男性にマゾヒスティックな欲望を抱くというテーマは沼正三の「ある夢想家の手帖から」にも出てきますが、これはあくまで日本人男性マゾヒストが人種的トリオリズムを感じるための妄想です。
また同書には日本人男性マゾヒストとして白人の貴公子に性的な奉仕をする妄想も盛り込まれています。
「白人女性対日本人男性」という「個人対個人」からスタートし、「白人種対有色人種」という「集団対集団」に行き着くのが人種的妄想の帰結であると思っています。
ただし、探索者さんは性別、人種、性的嗜好を超えて様々な視点から考察なさるようですが、私は常に男性、日本人、マゾヒスト、と視点が固定されていて、この視座から考察していることをご留意ください。

日本では、家畜人ヤプーが一定の読者を得ていますけど・・・、

(あ) 家畜人ヤプー(日本人)に対して、イース人が白人です。
 家畜人ヤプー(日本人)に対して、イース人が他の東洋人(モンゴロイド)であったり、他の東洋人(東南アジア人、南アジア人)であったら、これほどの注目は浴びたのだろうか、読者を得られたであろうか、と思います。

(い)想定される読者は、日本人男性であり、作者も日本人男性に違いないとされています。ところで、日本人女性は読者になりえないか、とちょっと考えてみました。
キミーという名前の日本人女性が登場します。もはや知性ある人間ではないみたいでしたが。。、改造されて知性が失われたのなら、もともとどういう素養のある女性であったかに意味はないとおもうのですが、知的な系譜を持つ女性ということになってました。
とにかく、イースの男性(貴族)に対して、奉仕する為に改造されたようです。
日本人女性(M的な女性)は、この部分に惹かれるんでしょうか。日本人男性(M的な男性)は、この部分に惹かれるんでしょうか。

(い:付け加え)キミーがもともと知性の高い(知性=アテネを意味します)、血筋もよい(貴族を意味します=ヘラ)、美しい(ビーナスを意味します)女性で、かつ、誇り高い女性(男性に仕えたりしない=白人男性に仕えたりしない=アルテミスを意味します)であったにもかかわらず。改造されてしまい、白人イースの貴族男性に奉仕する状況というのは、トリオニズムの変形と思われましたが、いかがでしょう。



(う) 余計な話ですが、「家畜人ヤプー」が M男性向きに書かれたのなら、M女性向きに別の本が書かれてもいいのではないか。また、そういう本を待ち望むM女性がいないのだろうか、ということです。
 そもそもこのような奇本の存在はあまり知られていないのかもしれません。であれば、知ってほしいですね。

(え)それから、「家畜人ヤプー」は、外国に翻訳されていないのか、されているなら、どこの国であろうか、とも思います。
ただ、国によっては、発禁処分になりうると思いますけれど。
そこで、どのような読者を得て(いろいろなタイプの読者が想定されますが)、それぞれのタイプの読者からどのような評価を得ているのか、そこに興味が湧きます。

(お)外国において、異人種に対しての、性的な関心(マゾサド以外)で、ジャンルとして成立していると思います。クロスレイスとかいうジャンルかと思います。そして、マゾサドにおいても、異人種間というジャンルが成立しているのではないか、そして成立しておれば、興味深いと思います。


(あ)「家畜人ヤプー」のイース世界では日本人以外の東洋人は死に絶えています。黒人はいます。黒人が白人への奴隷的奉仕を、日本人が白人への家畜的奉仕を独占する世界です(地球外知的生命体の家畜も出てきますが)。もちろん日本人マゾヒスト向けの小説ですから日本人であるヤプーは必要でしょうが、私は何も他の東洋人を滅ぼさなくてもよかったのになーと思っています。日本人だけが白人への家畜的奉仕を独占できる「選民思想」が僭越に思えるんですよね。先日の回答で書いたような、東洋人同士で白人の家畜の座を競い合うような世界、日本人などいつでも淘汰されうる八百万の畜群の一群に過ぎないあやうい立場という設定の方がよかったのになーと思うことがあります。
(い)キミーが(人種平等という擬製によれば)クララに匹敵しうるような高貴な才媛であったが、イース世界ではクララの恋人の性具に過ぎないというのは確かに人種的トリオリズムの変型だと思います。
イース世界に迷い込んだのが、白人女性(クララ)と日本人男性(麟一郎)のカップルではなく、白人女性(クララ)と日本人女性(キミコ)の友人ペアだったら…と妄想することがあります。
また、人種平等の革命思想で意気投合した白人、黒人、日本人の3人の男子大学生がイースに迷い込んで思想の誤りに気づき、白人青年の下半身に「黒い便器」が前から、「黄色い便器」が後ろから奉仕して真の人種的調和を知る、という妄想も大好きでした。
(う)(え)本作は1970年代のベストセラーですが、その後も様々な派生作品が作られているので、多くの人が知っていると思います。外国では確かフランス語に翻訳されていたと思います。
(お)異人種への性的関心はSM以外にもいろいろとあるでしょうが、日本人男性の白人女性に対する性的関心は実に深刻なものがあると思います。「洋物」というジャンルは今でも一定の需要があると思いますが、数十年前は日本の性商品マーケットの一大ジャンルだったようです。白人の映画女優や女性スポーツ選手の人気もかつてはすごかったようですね。

三島由紀夫氏が高く評価したという話があります。真偽はわかりませんが、いささか混乱しております。

この本で想定される読者は、まず、日本人男性です。ただし、マゾヒストであり、白人崇拝である訳です。
マゾヒストという点では、どの程度マゾヒストか(ゼロか、マイナス(つまりサド)か、を含め)、どのようなタイプのマゾヒストか、そして、人種の件への思いがどうであるかですね。

この本では、①ヤプーの中心は男性で、支配人種のイース人は女性が中心です。しかも、登場するイース人女性は貴族ということになってます。平民女性もいるようですが、爵位を持つランクの貴族の女性が中心です。女神でいうヘラの要素を持っているといえましょう。
②ヤプー男性は人体改造され、去勢もされていたり、、、、そして簡単に命を奪われます。すると、イース人(支配者である貴族女性)には、アルテミスの要素もあるのでしょうか。
こう考えると、意外に、西洋の神話世界にも目配りがあるのだと思います。

ストーリーでは、一部のヤプーは、便器に改造され、いとも簡単に飲*尿・食便できるようになっています。
便器になりたいマゾヒストもいますが、なかなか困難なようです。よって、作者がエム男の願望とその矛盾を理解して、その矛盾を小説の中で解決してみせているのだと思われます。

人体改造に興奮する以上、去勢にも興奮するのかもしれません。去勢願望のあるマゾヒスト男性にも、配慮しています。沼氏の願望かどうかは分からないのですが、去勢されるのが義務という思いがあったのかもしれません。というのは主人公男性があっさりと去勢されるからです。去勢は、性欲管理や射精管理の、その先にあるものだと思われます。そのため、沼氏としては、触れざるを得なかったのかもしれません。前近代において身分差のある結婚は不可でしたが、いわんや、奴隷と神の間で、性的な妄想、性的な身体反応は、未然に防止されるべきなのだと思います。
絶対的な身分秩序を構想していると思われます。

また、ヤプーはいとも簡単に殺されています。「崇拝する女性から、死を賜ること」を妄想するマゾヒストも居るようです。あまり詳しく書かれていませんから、沼氏個人は関心は薄かったのかもしれません。

結局、沼氏は、当時としては最大限、様々なエム男性の嗜好に目配りしていると思えます。

三島由紀夫氏は、「家畜人ヤプー」を高く評価したとか言われますが、どう理解すればよいのか、私には皆目わかりませんでした。いまでも混乱しています。


おっしゃる通りですね…
三島由紀夫が「家畜人ヤプー」を「マゾヒズムの極地」として高く評価したのは事実です。
また、三島は谷崎潤一郎を崇拝していました。
しかし三島はマゾヒストではありません。
ですから谷崎や沼の作品をマゾヒズム文学として性的興奮を伴って鑑賞している者としては、なにをどう評価したのか、理解しがたいものがあります。
三島の作品には耽美主義、貴族趣味、自己犠牲などが見受けられますから、三島が谷崎や沼を絶賛したのもまあわかるような気もします。
サド侯爵に惹かれたのとさほど違いはないのでしょう。
しかし、三島であろうが誰であろうが、マゾヒストではない人が谷崎潤一郎や沼正三を本当の意味で鑑賞できるとは思いません。
作品を読んでマゾヒスティックな性的興奮を伴わなければ谷崎や沼を本当の意味で鑑賞したことにはなりません。
「すばらしい、マゾヒズムの極地だ!」って、「じゃーシコったのかよ?射精したのかよ?」ってなりますね。
そういえば佐藤春夫という人はザッヘル・マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」を「思想小説」と言っていましたね。
そんなもんですよ。
しかし、三島らマゾヒストではない文人が「家畜人ヤプー」を高く評価し、多くのマゾヒストではない読者に愛されたことで「家畜人ヤプー」はマゾヒズム文学を高い地位へと引き上げてくれました。
谷崎潤一郎に至っては国語便覧でもトップクラスの文豪として掲載され、多くの外国語に翻訳され海外でも高く評価されています。
ありがたいこととは思いながら、不思議なことだなーと思っています。

沼氏が曽野綾子先生のフアンであったとは知りませんでした。沼氏が、「家畜人ヤプー」の作者だとして(たぶん、作者だと思われますが)、曽野綾子先生は、
   「 家畜人ヤプーの作者が自分のフアンである 」
ということをご存知であったのでしょうか。
あるいは、どこかで知る機会があったのでしょうか。

家畜人ヤプーというタイトルで出版された本には、付録として、著名人の書評か感想か、そういうものが載っていることがあります。そこには、三島由紀夫氏と並んで、曽野綾子氏もありました。曽野綾子氏のコメントは、否定的(少なくとも文面上ですが、大変否定的であった)と思われます。
そもそも、曽野綾子氏が、この本を手に取ったということが不思議ですし、また、読了したのかも疑問です。

曽野綾子氏に、感想を求めた編集者は、「家畜人ヤプー」の作者が、曽野氏のフアンだということを知って、感想を求めたのでしょうか。また、その際、「作者は、曽野氏のフアンであること」をあらかじめ知らせたのでしょうか。それとも、感想のコメント(一文)を得たあとに、初めて、「作者が曽野氏のフアンであること」を知らせたのでしょうか。

とても興味あるところです。


(誤字を訂正しました)
「ある夢想家の手帖から」第一三八章「和洋ドミナ曼陀羅」の付記に顛末が載っていたので、この際転載します。

角川文庫版の「家畜人ヤプー」には曽野さんのあとがき「或るけだるい午後の、二人の会話」を頂戴したが、本章の曽野さん関係の叙述がそれ以後に書かれたわけではなく、むしろ、本章に書いたような心情から、「彼女のあとがきを」と私が代理人の天野君を介して編集部にお願いしたのである。そして、そのゆかりで彼女の原稿ーます目一杯になる男のような字体ですらすらと書かれていたーを目にすることができ、やはり昂奮し、ペンネームの正体秘匿の禁を一度だけ破って、沼正三名義でつたない自筆の礼状を差し出したことであった。それが心のドミナへの私なりの儀礼であった。つまらぬことだが、右を追従の戯文と見られることをおそれ、事情を明らかにしておく。
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コメント

ご教示をありがとうございました。

三島由紀夫先生の件ですが、白乃様も、すっきりしない面があるのですね。安心しました。私のひとりよがりかもしれないと心配しておりました。私は三島氏の作品も曽根氏の作品もあまり読んでおらず、あまり文学に造詣がないので、やや筆を進めるのには躊躇するところです。
以下、敬称略で書きます。向こう側の大家ですから。

三島が、家畜人ヤプーを評価することへの違和感はもっと表面的なこともあります。ヤプーの存在と日本人としての誇りとは両立しません。また、日本神話の扱いが、まさに日本を貶めるような理解(よくぞ思いついたということですが)だからです。ただ、主義思想が違っても、意気投合することがあるようですから、このようなことは、まさに表面的なことにすぎないのかもしれません。
話がそれますが、三島は、盾の会を主催したり、また一方でホモセクシャルの傾向があったのではという見方もあり(それが悪いとはいささかも思いませんが)、また、切腹などに関心(美学でしょうか)をもっていたようです。
切腹は、ひょっとすると、「男の美学」の延長で、切腹にたどり着いたのかもしれないと考えております。三島は大変なインテリであり、自分の知性によって、知性がたどり着いたロジックによって、自分の感性も感情も服すべしと考えていたのではないかと思うからです。盾の会も、日本の独立(「眞の独立」という考え方)も、三島の美学とはなじみ易いと思います。よって、そこから、切腹が導かれるならば、それは「美」と結論つけると思います。
曽根女史ですが、たしかクリスチャンの方だと思います。家畜人ヤプーは、キリスト教徒から見てどうなのだろうと思いました。フランスで翻訳されているということ知りませんでした。ありがとうございます。家畜人ヤプーでは、白人といってもゲルマン系の白人が中心のようですし、フランスは、世俗化しているといっても、カトリックの伝統はあると思います(信心しているか別として)。書店で並んでいるレベルなのか、どういうジャンルに並べてあるのか、とても珍しい本という位置なのか、興味深いと思いました。

①谷崎氏は、マゾヒストということですが、それは、心の中の寸劇で、女性を崇拝していたということかな、と思っています。妻譲り状などありますが、生活全般が SMになっていたとは違うと思います。松子夫人も女王様的気質の女性ではなかったと思います。
②たしかに、春琴抄を読むと、谷崎氏の性癖は普通と違うかもしれないと感じます。それは松子夫人の性格をはるかに超えていると思えました。
③現代は、情報が発達しているためか、SM的なものを、セッションの中ではなく、生活全般に取り入れている夫婦がいるようですね(昔もいたけど、知られていなかっただけかもしれません)。日常から、夫は全裸であったり、貞操帯をしていたり、脚奉仕をしていたり、鞭打たれたり、稀かもしれませんが、便器になっていたり、です。こういう人は、生活がマゾヒストですね。沼氏もすくなくともその願望があったように思います。しかし、ナミオ画伯はそうではなかったように記憶します(仕事で、マゾを顧客とした絵を描いていた)。

    ~~~
谷崎氏のマゾ傾向は、仕事としてそういうものを描いていただけかもしれないと思いました。妻譲り状からみて、本人が、マゾの心の動きを理解していたが、自分自身の嗜好はそうではなかった(あまりそうではなかった)、というような気がしますので。あくまでも、今のところの私見にすぎません。

【エロスとアガペー】
>探索者さんはどうやら性欲(エロス)とプラトン的崇拝(アガペー)を
 かなりはっきり峻別されるお考えのようですが、

 たしかにそうかもしれません。
 わたしはプラトニックラブの存在を信じています。
 むしろ、そちらが好ましいとすらおもいます。

【選民思想】
>「日本人だけが白人への家畜的奉仕を独占できる「選民思想」が
>僭越に思える」
という白乃氏のコメントは印象深く受け止めさせていただきました。

 東洋人というカテゴリーで考えるのか、黄色人種というカテゴリーで
 考えるのか、沼氏は、どう考えていたかわかりません。
 とにかく、白人というカテゴリー、黒人というカテゴリー、
 日本人というカテゴリーで考えていると思いました。

 選民というキーワードですが、
 ドミナから、奴隷として選ばれることを、「選ばれし者」と呼ぶ 
 そういうエム系の言い方があります。この考え方が選民思想です。
 これをタイプ①として、他のマゾヒストへ対し、優越感を感じる
 また、他のマゾヒストは羨望を感じるということです。
 優越感を感じるのは、おそらく快感であり、
 そして、羨望を感じるのもおそらく快感だと思います。

 ただし、白乃様は、「選民思想」に対しては、嗜好が合わない
 ということでした。
 つまり、ドミナから、仕えるように指示される場合、
 「偶然に選ばれる」、「気まぐれに選ばれる」という、不運系。
 或いは、「最も、下層ゆえ選ばれる」「罰として選ばれる」
 というネガティブ系が好みのように見えました。
 これをタイプ②とタイプ③としてみたいと思います。
 エム系の人にも、選民的な考え、
 マゾヒスト界での選民、つまり、
 ドミナへ仕える特権、他のマゾヒストへの優越感、
 というものに憧れる、というマゾ傾向の人達と、
 そのような傾向を拒否するマゾヒストがあるのだと思いました。
 選民系とそれ以外、どちらが多いのかと思いました。

 おそらく、それぞれ、
 自分たちが本流だと思っておられるのでは、と推測します。
 

【選民思想 (続き)】
 実は、この理解の仕方、つまり、マゾ男性の方々の嗜好として、
 このような3つがありえるというのは、それほど、
 間違ってはいないと思うのですが(?)、
 白乃様の考え方はいかがでしょうか。
 白乃様は、奴隷を理不尽に虐待する場面がお好きなようです。
 すると、タイプ①②③は、それほど理不尽ではありません。
 ②がやや理不尽ですが。
  
 理不尽を求める場合は、どう考えたらよいのか、
 試みに次の2パターンを考えてみました。
   ひとつは、
   他のマゾヒストへの優越感というのは、
   マゾヒスト同士の優劣であり、
   はるかに高位のドミナからみれば、
   同じようなレベルに過ぎないという考え方がありえます。
   この考え方を徹底化すれば、
   あるマゾヒストが、他のマゾヒストと区別され、
   特権的に選ばれることはありえないということになりますね。
   ふたつには、
   仮に、自分が選ばれたとしても、
   それが、自分がドミナのお眼鏡にかなったと
   勝手に思うこと自体が身の程しらずであり、
   ドミナのお考えなどは、わかる筈もない、
   そういう考えかもしれないということかと思います。
 いずれにしても、「選民思想」ではありません。
 タイプ②につながるとも思います。
 
 とにかく、自分が仕えることになったら、とにかく
 懸命に仕えることだという結論は、
 タイプ①②③も、こちらの2パターンも同じだと思っております。


 実際のところ、麟太郎が仕えるのは、
 クララという高貴な白人女性であり、
 「平民の白人女性」ではないのですから、
 その意味では幸福であったということだと思います。

【白人女性の話から出発して】 

 沼氏の小説では、白人と黒人と日本人しか出てこないです。
 沼氏にとっては白人女性というのはとても重要です。
 
 白人といっても、北欧系や、ドイツ系、地中海人種や、アルプス人種、
 スラブ系、などありますが、そこは明示的ではなく、
 碧眼金髪で長身を中心として捉えていると思います。
 仮に、カラーの劇画化(二次元)、カラーの映画化(実写版)する
 ということになれば、そこは考えないといけませんが、
 沼氏が、この作品を書いたときは、そういうことまでは
 想定していないと思います。この点は、白乃様も
 同意していただけると思います。
 また、登場する白人は、基本は貴族の白人ということに
 なっていますが、白人の平民の容姿が判らないですね。
 おそらく、平民という設定では崇拝の拝承になりにくいのだと
 思います。ヘラが望ましいのだと思われます。
 平民白人女性でなく、貴族白人女性が登場する
 そういう意味で、イース界で、もっとも、
 上澄みの部分ということになります。貴族の家で、その貴族の
 所有物となっているヤプーは
 恵まれているということになります。
 平民女性、貧民女性に仕えることになるヤプーも居るということは、
 いうまでもないので、
 この本の愛読者にとって、その世界は夢の世界なのか、
 わからないですね。 選民思想系のマゾヒストは、
 この世界では幸せは得られないかもしれません。
 ただ、この小説世界では、ヤプーが選民思想を持たないように、
 最初から洗脳しているようですね。

翻訳

この作品は、フランス語に翻訳されているとの情報をありがとうございました。英語ではどうなのか、と思いました。私は、あまり海外に翻訳されてほしくないと思っています。日本男性の中で一般的な本ではないと考えているので、それが翻訳されて、日本人男性の嗜好の中で一般的であると誤解されたくないからです。ただ、それはこの際、別の話です。
沼氏の小説では、日本神話を改変したところもあり、フランス人は、そこの部分は、あまりよくわからないかもしれないと思います。どうでしょう。

ところで、英語で翻訳されていないのにも関わらず、フランス語になっているのは、興味を引きます。やはり、マゾ侯爵の小説の存在が大きいのかもしれないと思います。翻訳者が、マゾ侯爵の小説の研究者であれば、ますます興味深いと思います。知見のある方のご意見などを伺いたいと思います。
ドイツ語圏では、毛皮を着たビーナスという話もあり、性欲を議論した精神分析学というものもありますから、大変興味深いと思うのですが、まだ翻訳されていないとは少し驚きです。厳密に探索すれば、沼氏のような嗜好は日本人男性に無意識の世界で、実は深く浸透しているのだという結論が出るかもしれませんので。

イタリアやスペインでは、翻訳されても、一般的には、フランス語圏、ドイツ語圏に比べれば、関心をひかないように思います。マッチョ文化、キリスト教文化、父系文化などが根強いと思うからです。
他方、ドイツやフランスやイギリスでは、SMなものが多い、したがってドミナも多いと理解しております。S男やM女のことは存知ません。ロシアはよくわかりません。ロシアやウクライナなどスラブ女性は、色白と思われますから、スラブ系のドミナは人気が出そうな気がしております。S男やM女のことは存知ません。

中国語や韓国語には訳されていないのは、たぶん、発禁になるからだと思います。万一、翻訳されれば、相当に拡散すると思われます。

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