2ntブログ

マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

スクビズム総論


「スクビズム」について、まとめておきます。

スクビズムとは

099.jpg

マゾヒズムとは、性愛の対象である女性の美しさを讃え、その他のあらゆる価値、とりわけ男性としてプライド、人間としての尊厳を女性美への憧れの前に跪かせ、踏み躙り陵辱することに快楽を求める異常性愛であると私は考えています。
具体的には、対象女性に跪いたり、足や靴を舐める。
あるいは身に着けていたもの、排泄したものを口にする。下僕や奴隷となって命令に従い、働く。
はたまた犬、馬、家具といった人間以下の物に変身し、対象女性に使用される。多種多様なこれらの願望に共通するのは、対象女性を上位に、自らを下位に置こうと志向している点です。

そもそも、「優位」を「上位」、「劣位」を「下位」とも言うように、優劣を物理的位置関係を意味する「上下」という言葉を使って表現するのはなぜでしょうか。
どうも人類一般に、優越者は「上」に、劣等者は「下」にあるべきものという共通した心理があるようです。
これを前提とすれば、対象女性が(その美しさゆえに)自己に優越していることを表現発露することは、様々な意味で対象女性を「上」に、自己を「下」に置こうとする衝動と同義、ということになります。
これは人間の自然な心理に任せたマゾヒズムの基本衝動です。

沼正三は、『ある夢想家の手帖から』において、この「下への衝動」を総称して「スクビズム(succubism)」と呼び、この概念をもって、正統マゾヒズムの諸相(三者関係は除く)をすべて説明できるとまで言い切っています。
(命名者は精神医学者のヒルシェフェルト。語源はラテン語の「succuba」=「下に寝る」より。「サキュバス」「スキューバ・ダイビング」と同じ語源。)

スクビズムの五類型

沼は、『手帖』第一三三章「スクビズム」で、スクビズムを次のような五類型に分けて説明しています。

第一類型 肉体的下位
 対象女性の体を自らの体で下から支持するという願望。
第二類型 肉体的下部
 足への執着。
第三類型 観念的下部A
 女性器や肛門への奉仕。
第四類型 観念的下部B
 分泌物、排泄物への執着。
第五類型 観念的下位
 人間と人間との関係としての下位、あるいは文化的・知能的に劣った存在への志向。



各類型を簡単に説明します。

第一類型 肉体的下位

167.jpg

対象女性が上になり、自らが下になる物理的な位置関係、体勢を望むもの。
背に腰掛けられる、頭を踏まれる(第二類型との複合)といった願望が典型的なものです。

第二類型 肉体的下部

070527_18420001.jpg

人は、身体の各部位について、尊卑を意識しています。
例えば、食べ物を足で扱ったり尻の下に敷いたりすることを避けるのは、口や手よりも足や尻が穢れたものだという意識があるからです。
基本的に、身体の上部は尊い、下部は卑しいという意識があります。
なかでも人間の肉体の中で最も下部に位置し、最も卑しいと認識されている部位が、です。
対象女性の肉体的最下部である足に執着し、口、顔面、頭部といった自己の身体の上部、あるいは尊厳の象徴である男性器を接触させ、互いの身体の尊卑の「落差」を実感するという願望が第二類型です。
能動的に発露すれば舐める、キスするといった奉仕、受動的に発露すれば蹴られたい、踏まれたいといった願望になります。

第三類型 観念的下部A

889.jpg

足と並んで、人間の肉体の中で卑しいと認識されているのは性器と排泄器官を備える股間部です。
対象女性の股間部に執着し、口、顔面といった自己の身体の上部を接触させ、互いの身体の尊卑の「落差」を実感するという願望が第二類型です。
能動的に発露すれば舐める、キスするといった奉仕(クンニリングス)、受動的に発露すれば顔面騎乗願望(第一類型との複合)になります。

第四類型 観念的下部B

111.jpg

汚物愛好(コプログラニア、ピカチズム)。
汗、唾液、鼻汁、糞尿などの分泌物・排泄物は、分泌・排泄される直前までは身体の一部ですから、身体の延長として捉えることができますが、身体に不要な残り滓ですし不衛生ですから、尊卑の意識としては身体のどの部分よりも卑しいものとなります。
マゾヒストとしてはこれを尊ぶことで、対象の身体は自らの身体とはるかに隔絶して尊いものと意識することができます。
このため、汚物愛好は、対象神格化、貴婦人崇拝、待童願望パジズムと容易に結びつきます。
また、対象の足や股間部はいくら尊んでも舐めるまでです。
分泌物・排泄物は口にして、自らの身体に取り込むことができます。
対象の身体の残り滓が自らの身体を造っているという意識は、対象と自身の身体を隔絶をさせたまま結合させるというマゾヒストの矛盾した願望を達成してくれます。
なお、下着や履物への執着も、この類型に含みます。

第五類型 観念的下位

1090947_370x520.jpg

観念的・抽象的な下位概念。
人間と人間との関係としての階級的下位、あるいは文化的・知能的に劣った存在への志向です。
「ドレイになりたい…」
マゾヒストであれば誰でも通ったであろう入門的願望、奴隷願望セルヴェリズムが典型的なものです。
畜下願望、白人崇拝アルビニズムもこの類型に含まれます。

変身願望の五類型

『手帖』第二一章「召使い願望と侍童願望」では、性科学者ヒルシェフェルトの説として、マゾヒズトが「何になりたいと欲するか」について、五類型が紹介されています。
この「変身願望」の五類型は、「成熟した社会人たる男性」がそれぞれ、「地位」、「年齢」、「男性」、「人間性」、「生命」といった属性を捨て去り、今とは違った存在になることを望む願望です。

(イ)セルヴェリズム(奴隷願望)地位の剥奪
(ロ)小児化倒錯年齢の剥奪
(ハ)変装(女性化)倒錯男性の剥奪
(ニ)畜化倒錯人間性の剥奪
(ホ)物化倒錯生命の剥奪



いずれも、崇拝する女性よりも劣位でありたいという「下への衝動」の発露と言えますので、スクビズムの五類型のうち、第五類型「観念的下位」をさらに分類したものといえそうです。
一方、少し視点を変えると、これらの変身願望は、「成熟した社会人たる男性」として生きていくことに疲れた心が望んだ、現実逃避願望とも言えそうです。

各類型を簡単に説明します。

(イ)セルヴェリズム(奴隷願望)
自由人は、その自由と引き換えに、自分の行動をを自分で決める重荷を課せられています。この「決断」する重圧から逃れたくなった者は、自らの意思ではなく、頭上から下される「命令」にのみ従って生きる奴隷を志向します。
対象女性に所有される奴隷となり、跪き、命令され、奉仕することを望む非常にポピュラーな願望です。

(ロ)小児化倒錯
欲望を抑えて秩序に従うことに嫌気が差した者は、欲望のままに生きていた子供に戻ることを志向します。
対象女性に子ども扱いされることを望む願望です。
「しつけ」「お仕置き」といった懲罰願望と容易に結びつきます。

(ハ)変装(女性化)倒錯
男性としての「強さ」を求められることに耐えられなくなった者は、むしろ(特に前時代においては)「か弱さ」を売りにできる女性に転じることを志向します。
対象女性と自己の性を倒錯させ、女性として扱われることを望む願望です。
自ら女装するだけではあきたらず、対象女性に男装を求める場合もあります。
自らの口腔や肛門を女性器に見立て、対象女性に棒状の擬似男性器で陵辱される去勢願望と、容易に結びつきます。

(ニ)畜化倒錯
人間としての尊厳すら疎ましくなった者は畜化(家畜への変身)を志向します。
家畜・ペットとして対象女性に飼育される願望です。
「犬派」「馬派」という言葉があるくらい、マゾヒストにはポピュラーな願望です。
「人間以下」の存在に変身するという意味で、観念的スクビズムの極地と言えます。
「対象神格化」と「畜化倒錯」は相似形です。
対象と自己との絶望的に絶対的な隔絶を志向するものですが、「対象神格化」が自己を人間のままに対象女性を女神とするのに対し、「畜化倒錯」は対象女性を人間のままにおいて、自らが人間以下の存在になろうとするものです。

(ホ)物化倒錯
生きることさえ放棄したくなった者は、物化(家具・道具への変身)を志向します。
対象女性に「モノ」として使用・消費されるという願望です。
人間としてではなくとも、なお「愛玩される」余地が残る畜化倒錯に比べ、物化倒錯は対象から存在意義を否定される感覚が非常に強い願望です。
家具・道具の存在意義は、それのもたらす効用のみにあって、それそのものはなくなっても、代わりがあれば持ち主はなんとも思いません。
対象女性から「手段」として利用される、存在を無視・軽視される、放置されるといた「感情の一方通行」を志向する願望と容易に結びつきます。

0444.jpg

複合的発露

具体的な願望は、これらの各類型が組み合わさって発露することもあります。

例えば、「馬になって対象女性に乗られたい」という願望は、女体を下から支えるスクビズム第一類型と、畜化願望(変身願望の(ロ))が組み合わさったものです。

犬になりたい」という願望は、畜化願望に加え、「舐める動物」として、スクビズム第二類型(足を舐める)、第三類型(股間部を舐める)、第四類型(排泄物を舐める)と強く結びついています。

物化倒錯(変身願望の(ホ))の場合、スクビズム第一類型と結びつけば女体を支持する椅子や縁台、第四類型と結びつけば女体から分泌・排泄されたものを受ける痰壺や便器となります。足置きや絨毯となれば第一類型と第二類型、サドルとなれば第一類型と第三類型と結びついているということになりましょう。

人間ビデ願望」というものもあります。昨今ネット上では「寝室奴隷」とも表現されています。カップルが愛し合った後、上位男性の体液がたっぷりと注がれた女性器を舐めて清めるという、トリオリストにとって究極ともいうべき願望です。これはトリオリズムとスクビズム第三類型、第四類型が結びついたものです。

最後に、スクビズムの五類型と変身願望の五類型を図にまとめてみました。
はたしてこの図で、沼のいわく「正統マゾヒズム願望の諸相」が網羅できているかについては異論がある方もいらっしゃるかと思います。
それについてはまた、別記事で論じたいと思います。

chart_convert_20100702063958.jpg
関連記事

« 『ある夢想家の手帖から』に紹介されている文献|Top|谷崎潤一郎全集全作品ミニレビュー 第四巻 »

コメント

私はどちらかと言うと、肉体的受苦よりスクビズムを求めます。

どちらも最終的には合流するのだと思いますが、崇拝する女性がストレス発散の場とするのなら甘んじて肉体的苦痛に耐えます。

所謂、女性様が望まれることを奴隷としての喜びとして受け止めたいのです。

崇拝対象の「手段」になりたい、それがマゾヒズムの本質だと思います。
それを実感できるのが、スクビズムであり、肉体的苦痛ではないかと思っています。

日本人のマゾヒズム

こんにちは、
日本人のマゾヒズムに、スクビズムとトリオニズムとアルピニズムがある、という考え方。興味深いと思いました。目から鱗のようなすっきりした考え方で、驚いております。
この場合、「日本人の男性のマゾヒズム」ということでしょうか。女性は除外しているということでしょうか。

なお、マゾヒズムの要素としての「アルビニズム」を持つのは、日本人だけなのでしょうか。他のアジア人(中国人、韓国人、また、タイ人。そしてインド人、アラブ人)では、また、別ということなんだろうか、と思いました。中国人も韓国人も、タイ人も黄色人種ですし、インド人はアーリア系かもしれませんが、白人に比べて肌は褐色です。ということで、アルビニズムを持ってもおかしくないと、表面的に考えると思ってしまいます。

Re: 日本人のマゾヒズム

探索者さん

コメントありがとうございます!

当ブログは主に日本人の男性マゾヒズムについて考察しています。

tumblrというSNSをやってみて知ったのですが、中国人、インド人、アラブ人、黒人、ヒスパニック等、ほとんどあらゆる非白人の中に白人崇拝マゾヒストがいるようです。
しかし、それが文学としてここまで確立したのは日本だけではないでしょうか。

日本人のマゾヒズム

私の浅い理解について、コメントを頂きありがとうございました。白人崇拝が含まれているということ、とてもよくわかりました。他方、白人の人には、白人崇拝は含まれていないということだろうとも思いました。日本人のマゾヒズムの方が複雑なのだと思います。ただ、残念ながら、欧米のSMクラブに行くほどの英語力のある男性は少ないと思いました。

ポルノビデオでは、CrossRaceというジャンルもあるようです。M系の白人男性を対象とするM系ビデオで、女性が黒人の場合もあります。CrossRaceではありますが、スクビズムとは別のCrossRaceなものだと思いますが、いかがでしょう。Netで紹介されているチェコにあるOKWには、顧客は白人男性だと思いますが、そこには、白人ドミナだけでなく、黒人ドミナがいらっしゃるようです(現在は、中国系・日本系のドミナは現在はいらっしゃらないようで、少し残念な気がします)。

改めて投稿いたします。とても、このように理知整然は他にみませんので。
白人世界でもマゾヒズムは盛んのようですね。イングランドとドイツがサイトがサイトでよく見ます。ボヘミアもありますが、ここは、ドイツ圏と考えればよいと思ってます。スペインやフランスやイタリアはあまり多くないようです。なにか訳があるのでしょうか。カトリックではないから。また、地中海的な男性マッチ文化が薄いからでしょうか。

アメリカのビデオを見ると、クロス人種として、黒人ドミナというジャンルがあります。また、ボヘミアの女権帝国にも、黒人ドミナが居ます。黒人ドミナは、クロス人種として、白人に対し、魅力を照射するのだと思いました。
白人ドミナが、アジア人男性に魅力を照射して、奴隷になるように誘うのと似ているように思います。

Re: タイトルなし

探索者さん

コメントありがとうございます!
なるほど…ドイツのマゾヒズム文化は「ある夢想家の手帖から」にもよく出てきますね。
白人崇拝に限らず、異人種間のSMというのはやはり格別の味わいがあるようですね。
日本では最近韓国に対する複雑なコンプレックスを背景にしたマゾヒズム文化が並々ならぬ勢いで隆盛していますね。

クロス人種

日本のM男性の中に、韓国女性をドミナとして崇める人達も居るということでしょうか。韓国女性はテレビでしかみないのですが、美しい人が結構いるようです。整形も盛んなようですが。中国女性をドミナとして崇めるという嗜好もあるのかもしれないと思いました。

日本人M男性からみて、白人(イングランド、ドイツ。それからフランス)は、見た目もずいぶん違いますから。そしておそらく、身長もだいぶ違います(特にイングランドやドイツ。日本人M男性より身長があるかもしれません)。このことも、M嗜好のひとつのジャンルとなりうる要素のひとつであると思います。
韓国人や中国人は、日本人と見た目は近いと思いますが、それでも、一つのM嗜好のカテゴリーを形成できるかもしれないのですね。「複雑なコンプレックス」とは、反日的な雰囲気(実際にどうなのかわかりませんが)で、支配していただくということで、特別な感覚を得るということなのでしょうか。強い被虐感を感じることができる、屈折した感覚を感じることができる、などです。
これに対し、白人女性からの支配ですと、どうなのでしょうか。まったく見た目が違うことを考えると、白人女性から支配されることについて、当然のことである、という形の感覚かもしれないと思います。
白人ドミナに仕える場合と、東洋人ドミナ(韓国人、中国人)に仕える場合の、M男性としての受け止め方がだいぶ違うかもしれないから、別々の嗜好と言えるかもしれないと思います。
(ただいま、「白人ドミナに仕える、東洋人ドミナに仕える」と書きましたが、ドミナが、M男性に対して、「ドミナにお仕えすること」をお許し下さるか、それは、ドミナのお気持ち次第です。仕えることが許されなければ、お傍で、崇め奉るだけかもしれませんし、便器か何かという無機物として使用されるだけかもしれませんが)。

探索者さん

いつもコメントありがとうございます!
おっしゃる通りです。
「韓国人は反日である」という日本人の妄想、異常なコンプレックスが性衝動と結びついたのが韓国崇拝マゾヒズムだと思います。
実際には韓国人は日本を単なる隣国としか考えていないようですが。
詳細は当ブログの「韓国崇拝論」という記事をご参照ください。
victoryofwhite.blog114.fc2.com/blog-entry-119.html

白人崇拝と韓国崇拝、どちらも違った味わいがあり、今は私はどちらも好きです。

韓国人ドミナ崇拝の件について(中国人ドミナの話ではなく)

ご教示ありがとうございます。ご紹介頂いたページを拝読いたしました。
>そういう抵抗感が強いものほど、マゾヒストとしては
>「快楽の扉」を開けてしまいたくなるものかもしれません
という説明が非常によくわかりました。

比較として乱暴かもしれませんが、
年下である女子中高生のドミナにお仕えするとか、でしょうか。
また、容姿が自分と特に変わるわけでもない、同級生の女性にお仕えすることになってしまうとか、そのような感じでしょうか。
もちろん、その女子高生が天使のような美少女であるとか、
同級生女性が、学年全員の憧れの女性であるとか、
そのような、若干、ひねったパターンもあるとは思いました。
韓国女性が美人女優の場合は、このひねったパターンになると思います。

先日は年下女性に仕えるとか、知人女性(かつての同級生女子)に仕えるとか、つまらぬ対比をして失礼いたしました。白野様の嗜好には全く合わないものであったようですね。
この年下女子に仕えるというのは、年齢の剥奪に似ているかもしれないと思いました。エム男性の実年齢が無視されているという意味で、年齢を剥奪されたものと同視できるように思いました。

性科学者ヒルシェフェルトさまの洞察について、まず思ったのですが、S女性の変身願望については述べていないのでしょうか。ちょうとM男性の変身願望と相性がうまくあうケースがあれば、好ましいSMカップル、SMパートナーとなりそうなので、思ったのです。パートナーを探している人にとっては参考になるかもしれないと思いました。
しかし、S女性は、特に変身願望を持っていないのかもしれない、その可能性もあります。これは、女性に確認、できれば、S傾向の女性に確認するよりほかありません。

また、M女性の変身願望については述べていないのでしょうか。M男性が変身願望を持つなら、M女性も変身願望をもっていそうな気がします。M男性とM女性は、似て非なるものなのかもしれません。本格的なMの人達にとっては常識かもしれないところ、単に私が気付いていないだけかもしれないですね。

とにかく、ヒルシェフェルトさまの話がM男性だけなので、不思議に思いました。たまたま、調査対象がM男性であっただけかもしれませんが。
(ヒルシャフェルト氏の著作でお奨めのものがありますか)

変身願望の5類型のこと(5タイプと言い換えます)

  >スクビズムの五類型のうち、
  >第五類型「観念的下位」をさらに分類したもの
としての5類型のことですが、

  >一方、少し視点を変えると、
  >これらの変身願望は、
  >「成熟した社会人たる男性」として生きていくことに
  >疲れた心が望んだ、現実逃避願望とも言えそうです。

 性的嗜好がエム傾向を強めて、その中で、第五類型を選ぶ、たどり着くのではなくて、
 世の中に疲れてしまい、その結果、変身願望の5つの類型へ逃げ込んでしまう。それが、エム的なものである、というのですか。すると、必ずしも、性的嗜好ではないのかもしれないですね。性的なものがない、純粋な?、下位への願望かもしれない。

 性的なエム志向から、変身願望(5類型=5タイプのどれか)に至った人と、
 世の中からの逃避から、変身願望(5類型=5タイプのどれか)に至った人、
どちらが多いのでしょうか。

後者が最近増えているとすれば、日本は男性にとり住みにくい、病んだ社会ということですね。
女性が後者の道を辿ることはあるのでしょうか。現在、辿る女性が増えているのでしょうか。増えているならば、日本は女性にとっても、病んだ社会へ向かっているのでしょうね。
もしも、それらの傾向が分かれば、日本が、男性にとり、また、女性にとり、どんな社会なのか、知ることができそうです。

ジョージ秋山氏の訃報

ジョージ秋山氏が亡くなりました。残念です。もちろん、不死の人間はいませんから、仕方ありませんが。
浮浪雲や銭ゲバという作品について、新聞で触れられていますが、ゴミムシくんは触れている新聞は、私は見てないです。どうしてか、と思いました。

 これは、糞尿系マンガだからか。。。 幼児や小学低学年向けマンガに糞尿系がよく描かれますが(昔はそうだったと思います。実は、現代のマンガは見ていません)。糞尿といっても、リアルではなく、ギャグマンガ風のタッチで描かれています。もちろん、マンガですから匂いもないし、描き方がリアルでないので条件反射的に匂いを思い出すことはないと思います。
 それとも、女性が男性を家畜(家畜以下?)にしてるからか。ギャグだと思いますけれど。、SMに通じるからなのでしょうか。このマンガに性的意味、性的嗜好としてのSMを感じるからなのか。このマンガを見て、SMを思った人は相当早熟というか、稀だと思います。
 逆に、男性が女性を家畜や奴隷として扱っていたらどうでしょう。一種の社会派マンガになってしまうかもしれず、ストーリーによっては、反社会派マンガ(反道徳マンガ)になってしまう可能性もあると思いました。ゴミムシくんはあくまでギャグだと思います(私はそう理解しています。ギャグの定義の件は、とりあえず、逃げておきますが、、)。
 ギャグですが、暴力的な場面が多いです。しかし、ギャグとして書かれていますからね。劇画調なら相当、インパクトあることでも、ギャグ風タッチで描かれていますから。


 マンガでは、ゴミムシくんは、便器として生活しています。便器であることが不幸ではなく、当たり前として生きています。また、便所に固定されているわけではなくて、町を歩くこともできます。
 便器といっても、女性の排泄物を食べることになっています。大便と、たぶん、小便もだと思います。子供マンガだからか、陰部の分泌液だとか、マンカスだとか、生理月経とかそんなことはでてきません。暗くてジメジメしたところのない、明るいマンガです。

 ということで、「人間便器」について気になってしまいました。
ジョージ秋山氏の訃報記事で、ゴミムシ君に触れていない理由を考えて、人間便器が相当にタブーだから、新聞が、ゴミムシくんに触れていないのかな、と勘繰ってしまったからです。
 私としては、「新聞記事がなにを自己抑制、自己規制しているのか、そんなことは無用のこと」と思っており、ふつうに言及すればよいと思います(しかし、読者がなんだろうと、ググってしまうと不都合ということかもしれないですね)。浮浪雲や銭ゲバにくらべれば、読者へのインパクトや読者数で劣る、ただ、それだけの理由かもしれませんが。

考えすぎかもしれません。新聞記事を書いている人は、ゴミムシくんなど読まない、良家のご出身かもしれないですね。というか、ゴミムシくんが連載されていたころは、まだ生まれていなかっただけかもしれません。物心ついた年代になり、過去のマンガを観ようとおもっても、浮浪雲や銭ゲバは、中学生から大人まで読んでみようとする可能性は高いですが、ゴミムシくんは、中高生や大人が読み直してみようとジャンルではないかもしれません。


 なお、新聞記事が自己規制することも、必要な場合もあると思います。治安が悪化したり、人権侵害を招くとか、弊害があれば、自己規制することも必要かもわかりません。しかし、私はそういうことは専門的に考えたことはありません。

ゴミムシくんは、人間便器賛歌みたいなところがあります。

さきほど、ゴミムシくんは明るいマンガと書きました。人間賛歌ではなくて、人間便器賛歌みたいな。しかし、明るいように見えて、実は暗いのかも、暗い闇があるのかもしれません。
私は鈍いので、気が付かないだけかもしれません。作品自体は明るくても、表面的にはギャグでも、それを生み出した作家の側には暗い部分があるのかもしれません。

スクビズムの5類型で、人間便器を考えると、第五類型だというのが、ふつうの考えではないかと思いますが、いかがでしょうか。スクビズムという考え方の紹介者でいらっしゃる白乃さまのお考えでは、果たしていかがでしょう。

  ~          ~          ~

ただ、人間便器 ⇒第五類型 を考える前に、
第三類型と第四類型の混合体かもしれないということも、
考えてみました。洋式便器(腰掛型)ならが、第一類型の要素もありますが、基本的には、第三類型と第四類型で、と考えてみます。

(1)第三類型 観念的下部A
  性器や排泄器官への執着です。
  性器や排泄器官のお役に立ちたいと考えても、
  うまく馴染みます。
  人間は排泄が必要であり、
  排泄の場合に役立ちたいというのであれば、
  その願望とも両立します。

(2)第四類型 観念的下部B 
   対象物としては、愛液や月経、尿や糞便への執着を
  想定すればとりあえずはよいと思います。
  他にもあるかもしれません。教えてもらえると幸甚です。
   また、執着といっても、
  想像だけで実際は無理である人も、
  飲食も可能な人もあるようです。
  また、無理矢理が良い人もいると思います。
 
   対象物の話に戻しますと、大便は絶対ダメ、大便は、
  そもそも、想像することも困るとかが多いと思いますが、
  大便は想像だけならよい、
  想像だけなら、むしろ望ましい、など、いろいろな
  人も居ると思います。
   また、大便は平気だが、月経はダメという人も多い
  らしいです。
  以上は、ネットでの観察を軽くしてみた結果です。

     ~  ~  ~

そのうえで、第五類型の変身願望を考えると・・・

 第五類型(観念的下位)のカテゴリーで考えると、
それは、便器への変身願望という話になってくると思います。
白乃様の細分類に沿って考えると、奴隷願望、畜化願望、物化願望に親和性があると思います。
 小児化願望も親和性があるという指摘もあるかもしれません。小児化願望ですと、母乳、女性の匂い(体臭、そのほか(汗、脇、足指、股間))に繋げやすいと思います。オシッコ飲みたい変態への、女性による授乳ならぬ、授尿もあると思います。排尿ではなくて、授尿になります。

 さて、奴隷願望、畜化願望、物化願望と、人間便器ですが、
人間便器とは、
 奴隷なのか?
  (最下等の奴隷ということが多いですね。
  もちろん、最上等ということもありえます。)、
 家畜なのか?
  (私たちは排泄物処理をさせる家畜は飼ってませんが、
  そういう家畜は居ます。知識としては知っています)
 トイレ(モノ)なのか?
  (意思を持ったトイレという考え方もありますが、
  意思はあるけど、
  使用者は、トイレが意思を持つことを認めていない
  という設定が多いですね。
  もちろん、使用者が、トイレを優しく扱うということも
  あってもよいですね。)

マゾヒスト男性で人間便器志向といっても、奴隷か、家畜か、
モノかで違います。どの要素がどれだけを占めるか、によると思います。奴隷と家畜の混合体が畜奴かもしれません。

 望んで変身したのか(その役割になったのか)、無理矢理なのか、という設定もあります。
 また、使用者の意思でそうなったのか、使用者は、エム側に同情しているのか、軽蔑しているのか、無視しているのか、虐待するのか、あります。
  モノなら、
  無視に繋がりやすい、不良品なら廃棄でしょうか。
  奴隷なら、
  同情や憐憫もあれば、軽蔑も、虐待もあります。廃棄も。
  家畜なら、
  同情もあれば、虐待もあります。廃棄も。

エムな男性がどの要素を強く求めているのか、によると思います。

ゴミムシくんは、こういう面倒な話はなく、おおらかなところがあると思われます。単に、男性⇒女性という点でも単純でおおらかです。
性的嗜好としてのマゾヒズム(成人男性でのマゾヒズム)、そのうち、人間便器というものでは、いろいろと嗜好があると思います。まず、使用者を特定すると思います。単に女性であるだけでははダメと思います。ある崇拝対象の女性、ある層の女性、不特定多数の女性(ある種の好みによる限定はあると思います)。
第五類型のうちの再分類のどれであるにしても、おそらく、第三類型や第四類型とつながっていてと思います。
ゴミムシくんの話は、ニヤミスなので、よいのだと思います。一種のチラリズムだと思います。

このニヤミスという考え方ですが、いかがでしょう。
谷崎作品は、マゾヒズム文学であるが、多く人はそれに気が付かずに、評価しているという、以前の白乃様のご意見に、
少し似ていると思います。

先日は失礼しました。ジョージ秋山氏の作品である
「ゴミムシくん」は、コプロフィリアの種類であるか、
子供の特徴であるか、ということであって、
性的嗜好であるSMとはあまり関係がないかもしれません。
ジョージ秋山氏は、その後は、SM系のマンガ作家として、
歩まれたわけではありませんので。

ゴミムシくんの生活を見ると、父親とゴミムシくんは、
便所で生活しており、母親と妹は人間として生活しています。
 ① 白人女性が人間で、日本人男性が家畜というのを一つのパターンに置くと、
 ② 日本人女性が人間で、日本人男性が家畜というのを、次のパターンになり、
 ③ 同じ家族で、女性が人間で、男性が家畜というのは、3番目のパターンとして、
並べることができると思います。③はギャグであるか、或いは異様な印象です。異様な家庭というべきでしょう。①番目のパターンが素直な結論かと思います。支配民族と被支配民族というのが見た目からも明らかになります。逆にいうと、①番目は、被虐感は薄いかもしれません。不条理性も薄いと思います。
②は、不条理性が残ります。背徳性が残るかもしれません。③では、不条理性、背徳性を感じる人、感じない人に分かれると思います。
①は、不条理性もなく、道理にかなっており、背徳性もなく、道徳にかなっているという、ことに、もっともなじみやすいと思います。


 この派生形として、
美しい白人女性(いわゆる美人美女)と日本人男性、
美しい日本人女性(いわゆる美人美女)と日本人男性、
というのが加わると思います。
美しいというものには、好みがあるかもしれません。

白人の肌ということは前提としても、
スレンダーであることがよいのか、豊満であるのがよいのか。
また、白人の肌といっても、
透き通るような白い肌の白人からやや褐色を帯びた白人まで、おられます。
髪もブロンドであっても、ブロンドからライトブロンドまで、また、シルバーやブラウンやレッドもあれば、黒髪、つまりブルネットなど、さまざまです。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://victoryofwhite.blog.2nt.com/tb.php/58-ba58b7a5

Top

HOME

このブログをリンクに追加する