渚
「カヲル君」
「うーん?」
「夕日、綺麗だね」
「うん」
「あと、10分くらいかな」
「うーん?なにが?」
「日没」
「うん」
「あっというまだね」
「あっ」
「そう、あっというま」
「ちがうよ、あそこ、女同士でキスしてる」
「うん」
「長いな」
「あのさ、カヲル君」
「うーん?何?」
「足に、砂ついてるね」
「うん、それが、何?」
「いや…」
「舐めたいの?」
「えっ?」
「ふーん、そうなんだ、さっきから私のサンダルチラチラ見てさ」
「いや、そんなんじゃ…」
「今日は君と純粋に文学とか芸術とか歴史の話したいと思って楽しみにして、君が喜ぶと思っておしゃれしてきたのに、君はそんなことが目的だったのか」
「ち、ちがうよ…」
「私が夢中になってグノーシスとかサッフォーとか、加藤清正とかスピッツとか佐倉杏子の話をしている最中に君は上の空で相槌を打って、頭の中は私の足の味でいっぱいで、どうやって舐めさせてもらおうか考えていたというわけか。君ほど熱心に私のマニアックな話を聞いて、君ほど私の気持ち悪い絵をほめてくれる人はいないからうれしかったのに。メンヘラサブカル女なんて適当に話し合わせておだてておけば足くらい舐めさせてくれるだろうと思われていたのか。私は馬鹿だな、まるで道化だな。悪かったね、察しが悪くて興味のない話に延々とつきあわせてしまって」
「ちがうよ、誤解だよ、僕もカヲル君といろんな話がしたくて今日は来たんだから…」
「君は「プラトン的完全に殉じたい」って言ってたよね。君は私がAndrogynosだから私に惹かれたのか?」
「ちがうよ。カヲル君に会う前は、プラトン的完全なんて興味なかったし、ギリシア詩も読んでなかったし、アニメもあんまり見なかったんだ。全部カヲル君のことをもっと知りたくて調べたり勉強したりしたんだよ」
「ふーん」
「カヲル君の絵はすごいよ。でも、本当の美は人が創造 するものじゃなくて、神様が創造 するものだと思うんだ。カヲル君みたいに…」
「君にとっては私はプラトン的完全なの?」
「うん…たぶん…綺麗だし、いい匂いがするし、でも…」
「舐めてみないと確信が持てない?」
「うん…」
「ふーん、で、サンダルは脱いだほうがいいの、そのままでいいの?」
「やっぱり、脱いだほうが…」
「じゃー脱がして」
「うん…」
「ぼやーけた六等星だけど、思い込みのー恋に落ちた♪まだキスしてるよ、あのふたり…」

「うーん?」
「夕日、綺麗だね」
「うん」
「あと、10分くらいかな」
「うーん?なにが?」
「日没」
「うん」
「あっというまだね」
「あっ」
「そう、あっというま」
「ちがうよ、あそこ、女同士でキスしてる」
「うん」
「長いな」
「あのさ、カヲル君」
「うーん?何?」
「足に、砂ついてるね」
「うん、それが、何?」
「いや…」
「舐めたいの?」
「えっ?」
「ふーん、そうなんだ、さっきから私のサンダルチラチラ見てさ」
「いや、そんなんじゃ…」
「今日は君と純粋に文学とか芸術とか歴史の話したいと思って楽しみにして、君が喜ぶと思っておしゃれしてきたのに、君はそんなことが目的だったのか」
「ち、ちがうよ…」
「私が夢中になってグノーシスとかサッフォーとか、加藤清正とかスピッツとか佐倉杏子の話をしている最中に君は上の空で相槌を打って、頭の中は私の足の味でいっぱいで、どうやって舐めさせてもらおうか考えていたというわけか。君ほど熱心に私のマニアックな話を聞いて、君ほど私の気持ち悪い絵をほめてくれる人はいないからうれしかったのに。メンヘラサブカル女なんて適当に話し合わせておだてておけば足くらい舐めさせてくれるだろうと思われていたのか。私は馬鹿だな、まるで道化だな。悪かったね、察しが悪くて興味のない話に延々とつきあわせてしまって」
「ちがうよ、誤解だよ、僕もカヲル君といろんな話がしたくて今日は来たんだから…」
「君は「プラトン的完全に殉じたい」って言ってたよね。君は私がAndrogynosだから私に惹かれたのか?」
「ちがうよ。カヲル君に会う前は、プラトン的完全なんて興味なかったし、ギリシア詩も読んでなかったし、アニメもあんまり見なかったんだ。全部カヲル君のことをもっと知りたくて調べたり勉強したりしたんだよ」
「ふーん」
「カヲル君の絵はすごいよ。でも、本当の美は人が
「君にとっては私はプラトン的完全なの?」
「うん…たぶん…綺麗だし、いい匂いがするし、でも…」
「舐めてみないと確信が持てない?」
「うん…」
「ふーん、で、サンダルは脱いだほうがいいの、そのままでいいの?」
「やっぱり、脱いだほうが…」
「じゃー脱がして」
「うん…」
「ぼやーけた六等星だけど、思い込みのー恋に落ちた♪まだキスしてるよ、あのふたり…」

マゾヒスト・谷崎潤一郎―真に理解しうる人々による真の理解を目指して
男性マゾヒストとしてこの日本に生を受けた同士の皆さん、皆さんは、大変な幸運に恵まれています。
マゾヒストとして、もっとも偉大なマゾヒズムの文豪:谷崎潤一郎の全作品を、母国語で読むことができる。
この幸せを味わえるのは、日本人の中でも男性マゾヒストだけであり、世界のマゾヒストのなかでも日本人だけ、つまり私たちだけなのです。
谷崎潤一郎は、生涯一個のマゾヒストであり、そのほとんどの作品の主題は、男性が美しい女性の前に跪き、陵辱される正統派のマゾヒズムです。
そんな谷崎が、国語便覧でも、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介と並び称される近代日本の大文豪に数えられているというのは驚くべきことです。
谷崎作品は各国語に翻訳されて世界でも愛読され、存命中にはノーベル文学賞の候補にもなっています。
ドイツ・オーストリア文学史においてザッヘル・マゾッホが占めている地位とも、まったく比較にならない高いものです。
しかも、谷崎がこの地位を築いたのは、日本が封建的価値観を残したまま近代化に邁進し、官憲による表現規制も強かった明治・大正時代です。
いったいこの国のどこに、これほどのマゾヒズム文豪を生み、育て、その価値をここまで評価するほどの風俗的土壌があったのかと、不思議に思えるほどです。
谷崎がこれほどの評価を得ているのは、その世界観と文章がマゾヒスト以外の読者を魅了したからにほかなりませんが、谷崎作品を谷崎が意図したとおりに読むことができるのは、マゾヒストの読者だけです。
「谷崎の意図」とは、読んで、性的な興奮を惹起され、自慰行為を伴って性的な満足を得ることです。
谷崎作品を読んでこれができるのはマゾヒストの読者だけです。
谷崎は、第一は自分のため、そして第二には同士であるマゾヒストの読者のために書いたのです。
谷崎の文学の主題がマゾヒズムであるということは、ようやく広く知られるようになって来ましたが、それでもまだまだ谷崎の文学は誤解されてたまま語られていることが多いように感じます。
それは谷崎が、マゾヒストではない読者・研究者によってあまりに多く語られてしまっている一方、本来その文学を真に理解すべきマゾヒストの読者によってはあまり語られていないことに原因があると思います。
過去に男性マゾヒストであると公言した人で谷崎を本格的に論じた人は、沼正三だけです。
マゾヒストにはインテリが多く、読書家も多いのでしょうが、すごく残念なことです。
もっともっとマゾヒストが谷崎を読んで自慰にふけり、語り、論じ合って、谷崎文学の誤解を解いていってほしいと願っています。
当ブログを開設した最も大きな動機は、そこにあります。
マゾヒストとして、もっとも偉大なマゾヒズムの文豪:谷崎潤一郎の全作品を、母国語で読むことができる。
この幸せを味わえるのは、日本人の中でも男性マゾヒストだけであり、世界のマゾヒストのなかでも日本人だけ、つまり私たちだけなのです。
谷崎潤一郎は、生涯一個のマゾヒストであり、そのほとんどの作品の主題は、男性が美しい女性の前に跪き、陵辱される正統派のマゾヒズムです。
そんな谷崎が、国語便覧でも、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介と並び称される近代日本の大文豪に数えられているというのは驚くべきことです。
谷崎作品は各国語に翻訳されて世界でも愛読され、存命中にはノーベル文学賞の候補にもなっています。
ドイツ・オーストリア文学史においてザッヘル・マゾッホが占めている地位とも、まったく比較にならない高いものです。
しかも、谷崎がこの地位を築いたのは、日本が封建的価値観を残したまま近代化に邁進し、官憲による表現規制も強かった明治・大正時代です。
いったいこの国のどこに、これほどのマゾヒズム文豪を生み、育て、その価値をここまで評価するほどの風俗的土壌があったのかと、不思議に思えるほどです。
谷崎がこれほどの評価を得ているのは、その世界観と文章がマゾヒスト以外の読者を魅了したからにほかなりませんが、谷崎作品を谷崎が意図したとおりに読むことができるのは、マゾヒストの読者だけです。
「谷崎の意図」とは、読んで、性的な興奮を惹起され、自慰行為を伴って性的な満足を得ることです。
谷崎作品を読んでこれができるのはマゾヒストの読者だけです。
谷崎は、第一は自分のため、そして第二には同士であるマゾヒストの読者のために書いたのです。
谷崎の文学の主題がマゾヒズムであるということは、ようやく広く知られるようになって来ましたが、それでもまだまだ谷崎の文学は誤解されてたまま語られていることが多いように感じます。
それは谷崎が、マゾヒストではない読者・研究者によってあまりに多く語られてしまっている一方、本来その文学を真に理解すべきマゾヒストの読者によってはあまり語られていないことに原因があると思います。
過去に男性マゾヒストであると公言した人で谷崎を本格的に論じた人は、沼正三だけです。
マゾヒストにはインテリが多く、読書家も多いのでしょうが、すごく残念なことです。
もっともっとマゾヒストが谷崎を読んで自慰にふけり、語り、論じ合って、谷崎文学の誤解を解いていってほしいと願っています。
当ブログを開設した最も大きな動機は、そこにあります。