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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

家畜人ヤプー図鑑(2)―ピートル

沼正三の小説「家畜人ヤプー」に登場する各種ヤプーを紹介していきます。


黄金虫ピートル
登場:「続編」第三九章「ジャンセン家のアルバム」
旧世界で相当する存在:自動車のエンジン、燃料
マゾ的属性:スクビズム第1類型、第2類型、第4類型、アテナ型ドミナ崇拝、手段化法則、三者関係
系統:サイ・ヤプー
形態:
フォルクスワーゲンの自動車「甲虫ケーファー」(英名「甲虫ビートル」)に似た車体のシャーシーの下の箱に動力(サイ・エンジン)として搭載される。箱の内部に一匹がボートを漕ぐような格好で両脚を伸ばして横になって両手にオールを握っている。
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使用方法:
黄金虫ピートルに搭載される畜体動力であり生体燃料。乗用のほか、ルマン星等で開催される黄金虫ピートルラリーで使用される。アクセルを踏むとボートを漕ぐように上半身を屈折させてオールを漕ぐ。すると意識波センサーが作動し周囲にサイ空間を作り出して車体を浮かせ、サイ波動ウェーブで推進させる。
意識を集中させた全力漕ぜんりょくそうでないとサイ波動ウェーブが出ないので常に全力漕ぜんりょくそうをさせるために呼吸を制限される。面帽付きの気密ヘルメットを被っており、オールの回転で意識センサーが作動するのと連動して少しずつ空気が入り息ができる。漕ぎ止めると息が詰まる仕掛けなので、必然的に全力で漕ぐ。こうして黄金虫ピートルを高速で走らせることをサイ能力を「絞る」という。
サイ能力を絞り上げて棄てる前の畜体はからからで皺だらけになっているのが、神々への奉仕に対する満足感を味わって恍惚エクスタシーの表情の死に顔をしている。
黄金虫ピートルに動力として搭載されたサイ・ヤプーには、乗手による栄養補給、すなわち「給油」が行われる。黄金虫ピートルには外の乗り物と違ってセッチンがついておらず乗手は運転席や助手席に坐ったまま用を足す。乗手の排泄したものはすべてパイプで車の底のヤプーの被っているヘルメットに蓄えられる。ヘルメットが小型の便壺ポットにもなっているのだ。ミキサーで大は粉砕され小に混ぜてパイプに送り込まれ空気と同様オールの回転で意識センサーが作動するのと連動して少しずつヤプーの口に供給される。白人の体の残り糟である便液はヤプーにとっては天の恵みでありハイ・カロリーの特別食であるから、サイ・ヤプーのパワーは増強され耐用時間も延びる。
給油して畜体動力を使用すると乗用の場合三年は耐用する。しかし黄金虫ピートルラリーに使用されると時速500マイル近くまで絞り付けるので短期間で消費するので冷凍予備畜を三匹くらいトランクに積み込むのが通常である。


「続編」に登場し詳細に語られているヤプーですが、第8章にウィリアム・ドレイパアが黄金虫ピートルラリーのA級ライセンスを持っていると紹介されているので、元々沼正三の構想にあったヤプーではないかと思われます。
このヤプーのアイデアの元になったのは間違いなく「ある夢想家の手帖から」第74章に掲載されたこのイラストです。
無題
「えろちか」という風俗雑誌に掲載された沢布沙という女性イラストレーターの筆によるものということで沼はこれを高く評価し黄金虫ピートルとほぼ同様の構造説明とともに「敵へのリンチなのか、奴隷への恩恵なのか、それとも外国の企業スパイに狙われた社員が企業秘密をしゃべるようになるまで調教されているのだろうか」と妄想を膨らませています。
このイラストでは単に付属の便器となっているヤプーに動力・燃料という手段化の要素を加えたのが黄金虫ピートルのアイデアでしょう。
「サイ」というのは一種の超能力のようですが、よくわかりません。
私は数あるヤプーの種類の中でも最も感情移入したものの一つです。
私から見れば間違いなく最も幸福なヤプーが黄金虫ピートルに動力として搭載されるサイ・ヤプーではないかと思いますね。
白い乗手の坐るシートの下のシャーシの下に搭載される(第1類型)、白い足で操作するアクセルとブレーキによって呼吸を含む全身全霊をコントロールされる(第2類型)、白い体から出されたまだ温もりの残るであろう便液に頭部を埋め摂取する(第4類型)、白い男女の楽しみのために消耗品として使い棄てられる(第5類型、手段化法則)と、第3類型を除くスクビズムの各類型が見事に一つに集約されたスクビズムの究極形ではないでしょうか。
上位者の股倉に奉仕する第3類型は、対象を異性として見る奴隷願望者セルヴェリスト向けで、対象を神としてみる侍童願望者パジストにとっては本来不要なもので、黄金虫ピートル侍童願望者パジストの理想の体現ともいえます。
黄金虫ピートルでサイ・ヤプーはシャーシの下に固定されていて直接乗手の体重がかかっているわけでもなく、アクセルとブレーキを通じて足で操作されているものの直接踏まれているのではなく、「給油」もパイプを通じて行われ直接白い排泄器官から大小便を下賜されるわけでもありません。この上位者との「隔絶」が侍童願望パジスト向けなんですね。
自分の上にはシャーシがありその上にシートがあって白い尻が坐る。自分の全身全霊をアクセルとブレーキが支配しているがそれを白い足が操作している、パイプから流れてくる天の恵みの先に白い体がある。すべてが遥かな高みにある白い乗手のとの「隔絶と結合」を感じさせてくれます。
黄金虫ピートルには運転席と助手席、後部座席がありますが、セッチンが付いていない以上すべての乗手の排泄した大小便はすべてヤプーのヘルメットである便壺ポットに収まることになります。
イース白人の排便回数は1日3回ほど。小用はもっと頻繁です。
4人家族が乗車した場合かなり頻繁に乗手の体温の残る大小便がパイプから供給されて便壺ポットたるヘルメットを満たし、頭上に坐る白い家族の賜るミックス・ジュースとなって口に流入することになります。
白人崇拝者ホワイト・ワーシッパーとしてこれ以上の光栄があるでしょうか。
呼吸の制限などなくても恍惚エクスタシーの表情で全身全霊で死ぬまで全力漕ぜんりょくそうするのは当然ではないですか。
この幸福なヤプーが乗用で3年も使用して頂けるというのは畏れ多すぎる感じがします。
例えば現代の自動車の1回の給油で走行できる数百キロ程度で使い捨てられても幸福に過ぎるくらいではないでしょうか。
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ルマン星で開催される黄金虫ピートルラリーでは後部座席に食糧が搭載されるため、運転者とナビゲイターの二人乗り(交代可)で行われます。
女性二人での参加が通常で、ウィリアムの参加は異例のことです。
ウィリアムが最初に参加したルマン・ラリーではナビゲイターとして義妹のドリス・ジャンセンが搭乗しました。
その芳紀16歳…
まさにアポロンとアルテミスそのものの義兄妹神の晴れのラリー用黄金虫ピートルに搭載され使い捨てられる光栄…
胸をときめかすことすら畏れ多くて震えが止まらなくなります。
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スポーツウーマンであるクララ・フォン・コトヴィッツも黄金虫ピートルに興味を示し、将来クララとウィリアムの二人で出場することが約束されます。
その際、クララの所有するヤプーのリン(瀬部麟一郎)の意識転移体をサイ・ヤプーとして搭載することが示唆されます。
麟一郎の方でもクララの思念をテレパシーで受け取り、クララとウィリアムがルマン・ラリーに参加すると知ったときは一ヶ月半もの間「除け者か」と諦めていたのが、「サイ・ヤプーとやらになれば、乗せてもらえる、クララと一緒にいられる」と喜び、早速「ダッシュボードの前で抱き合う二人と車体の底に横たわって座席から降下するパイプを咥える自分の姿」を夢想しています。
まだウィリアムの排泄物を受けることに抵抗感があるようですが、ルマン・ラリーが行われる1年後までにはクララからのプレゼントとしてウィリアム専用の肉便器セッチンとなる経験も経て白人夫婦の体から賜る便液のありがたみを理解していることでしょう。
かように、黄金虫ピートル三者関係トリオリズムとの親和性が非常に強いヤプーの形態です。
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さらに言えば、麟一郎の独白にあるように上位者のドライブに「乗せてもらえる」、連れていってもらえるという感覚が蕩けるような陶酔感を伴う形態です。
これは「除け者」にされ、置いてけぼりを食らう快楽と表裏一体のものです。
上位者が単独であれ、カップルであれ、家族であれ、上位者の作る光と暖かさと芳香に満ちた繭に対する一方的な憧憬は、包み込まれたいという希望と排除される絶望を自在にコントロールされる快楽を生みます。
上位者の旅行に(従者として、あるいは携行品として)連れていってもらえる、あるいは逆に置いてけぼりを食らう、その判断を上位者に仰ぐ快楽です。
上位者カップルの旅行に従者として随行するシチュエーションは谷崎潤一郎作品では「少年の脅迫」「蘆刈」に描かれ、「お國と五平」にもそれに近い味わいがあります。
ネット小説では「元彼女の奴隷に…」の伝説的なデート随行場面や、ポラベアさんの「スキー場にて」などの秀逸な作品があり、トリオリストに大変好まれるシチュエーションであることがわかります。
私は青春時代に「家畜人ヤプー」を読んで本格的な重度の白人崇拝者ホワイト・ワーシッパーとなり日夜様々な妄想をめぐらせたのですが、特に街で、映画で、CMで白人のカップルを見かけたときは黄金虫ピートルのサイヤプーとなって「ダッシュボードの前で抱き合う二人と車体の底に横たわって座席から降下するパイプを咥える自分の姿」を夢想することが多かったです。
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モータースポーツで活躍する華麗な白人男性ドライバーを見たときもこの妄想が頭を支配しました。
一昔前はF1も白人ドライバーばかりでしたので、十数台のマシンそれぞれにサイヤプーが搭載され見事なドライビングテクニックでサイパワーをしぼられてピットインのたびに使い捨てられていることを想像しながらうっとりとレースを見ていました。
たまに出てくる日本人のドライバーは邪魔で仕方なかったので妄想の中でチームメイトの白人ドライバーのサイヤプーになってもらいました。
やっぱりテニスとモータースポーツとウィンタースポーツは白人専用でいいんじゃないかなぁ。
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ミカ・ライコネン、ニック・ハイドフェルド、ジェンソン・バトン
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