「家畜人ヤプー」の二次創作
「家畜人ヤプー」といえばなんといっても「続編」(29章~49章)が最大にして最高の二次創作ではないのか、といえるかもしれませんが、それは今回の趣旨から外れるので除外しました。
公式
版権保有者に公認されたと思われる作品から見ていきます。
石森章太郎・シュガー佐藤版「劇画・家畜人ヤプー」
私が読んだのは「悪夢の日本史」編だけですが、一言で言うと「味気ない」ものになっています。
内容は原作に忠実ですが、ビジュアルにリアルさがなく、魅力も感じませんでした。
江川達也版「家畜人ヤプー」
実は江川達也は五本指に入るくらい好きな漫画家ですが、本作に手をつけ始めたころには完全に画力が落ちていて、「東京大学物語」「GOLDEN BOY」の頃の狂気すら感じる魂のこもった絵は期待するべくもありませんでした。
気迫のないペラペラの絵。
ほとんどアシスタントが書いたのでは、と思ってしまうほど。
全盛期に手をつけていたらなーとも思うのですが、オリジナルを作る力がなくなったからこそ受けた企画だったのでしょう。
月蝕歌劇団公演「沼正三/家畜人ヤプー」
2005年の上演を鑑賞。
これは本当に素晴らしかった。
舞台化なんて普通に考えて不可能ですから。
それを可能にしてしまっただけでもすごい。
沼正三の半生と、「家畜人ヤプー」のストーリーが平行して進行し、やがて平行世界が交錯する、というアイデアには脱帽でした。
同じく不可能とされている映画化も、この手法なら可能ではないか、と思わされます。
くわしい感想はこちら。
ライトノベル版「家畜人ヤプー Yapoo, the Human Cattle,Again」
2013年からニコニコ動画で有料配信されています。
当初クレジットに「夢幻廻廊」のシナリオライターである伊藤ヒロの名前があったので期待していたのですが、どうも主導しているのは漫画家の氏賀Y太のようで、ひたすら猟奇的なだけでマゾヒズムとも白人崇拝ともなんの関係もないまあひどいシロモノがヤプーの名前で垂れ流されています。
それにしてもメインターゲットであろうサブカル方面からもまったくと言っていいほど反響が聞こえてこず、「家畜人ヤプー」をここまでポピュラーにした自称版権者:康芳夫氏も堕ちたものだな、と思わざるを得ません。
非公式
知る限りの非公式二次創作を紹介していきます。
真・家畜人ヤプー絵伝
こちらでお読みください。
80年代の少女漫画風の挿絵をふんだんに使った二次創作。
イース人=リリスの子孫
ヤプー=アダムの子孫
と位置づけ、ギリシア神話を基盤とする「家畜人ヤプー」をあえてヘブライ神話を下敷きに編み直す意欲的で壮大な試み。
難解であり、マゾヒズム、白人崇拝の直接的表現は少なくなっていますが、SFを無茶苦茶に使った神話的な構想力はすさまじく、妄想を掻き立てられます。
私がいちばん好きなのは第26話「バルカンの書」ですね。
高い精神文明を築きながら、イースに屈服し星全体が「ジャンセン侯爵家」の領地となり“百姓奴隷”となったバルカン人の話。
バルカン人はジャンセン家に納める米を黙々と作り続け、収穫時には一粒一粒にジャンセン家の家紋を彫り込むのですが、その米はほとんどジャンセン家の食卓に上らず、化学的に“結晶化”という処理が成され、ジャンセン家の敷地内の道路に敷かれる“舗装道路”の材料となる。
バルカン人にとってはジャンセン侯爵家への奉仕がすべてであり、ジャンセン侯爵家にとっては数ある領地の一つで舗装材を提供してるにすぎない限りなく無価値に近い存在。
この非対称性にはぞくぞくしました。
馬仙人「家畜人 (MANIMALS)」
こちらでご覧ください
沼正三研究家の馬仙人によるグラフィックイラスト。
とにかく正統的で忠実なテクスト理解に基づいた作品群。
15年くらい前に初めて見た時には衝撃を受けました。
二次創作者のヴァイアスが薄く、沼の意図を忠実にヴィジュアル化しているのは、村上芳正の挿絵と仙人の作品くらいでしょう。
killhiguchi「Sadistic Narcissus」「Phallic girls」
こちらでご覧ください。
信仰に近い白人種に対する崇拝と、「生理的」とも言える有色人種に対する嫌悪、その「黄色い肉体」に対する破壊衝動に基づく迫力のイラスト。
中性的で超人的な白人少年少女と醜悪な奇形のヤプーの対比が特徴です。
rin「白人の支配する国」
こちらでお読みください。→(1)/(2)
長編ネット小説。
投稿者rinさんの白人少年少女に対する偏執的な崇拝感情と、トリオリズムとスクビズムのMixがこれでもかと描出される素晴しい作品。ヨーロッパのある国で黄色人種を家畜として飼うことが認められ、白人種の家庭には必ず、一匹の家畜が飼われているという設定。
奴隷は自分の全財産をその国に振込んだ末に入国を許された、白人に憧れる東洋人の家畜志願者です。
家畜は、政府の管轄にある奴隷工場で、一日十時間の肉体労働を義務付け、夜だけ白人カップルの下での奉仕の権利を与えられます。
圧巻はラスト。
老いたり障害を負ったりして白人に奉仕することができなくなった家畜が「どうするか」。
「どうなるか」ではなくて「どうするか」なんですね。
本作の家畜の行動はあくまで「志願」、その動機は透き通る白人少年少女に対するどうしようもない憧れなんですね。
家畜は動物園や水族館の動物の餌となるショーを提供することで白人に奉仕しようとします。
家畜たちは、最後まで白人種のお役に立つことを望むのであった。(中略)ピラニアの大群が住む水族館では、家畜が餌として食べられる様子を、白人種の入館者に一般公開されていた。どの家畜も顔に笑みを浮かべながら、喜んで魚の餌食になる様子が伺えた。白人種たちは確信していた。家畜たちは痛みが快感なのである。我々は、家畜が望む快楽を、最後まで提供して与え続けたのだと。
沼正二「ヤプー外伝~限り無く絶望に近い幸福~」
こちらでお読みください。
2chに投稿された長編小説(未完)。
現代日本から美少女がイースに拉致され、家畜になるべく徹底的に調教される様子を生々しく描写するもの。
マゾヒズムよりもサディズム傾向が強いともおもわれますが、調教されるうち、屈伏することに快楽を感じるようになるプロセスの描写には深い部分でマゾヒスティックな要素を感じます。
そして、神としての白人男性の描写は圧巻でした。
クリスは黒人たちの事など眼中に無いらしく、ブーツをツカツカと鳴らしながらそのまま真っ直ぐ進み、部屋の奥で素っ裸のまま大の字に拘束され、息を荒げながらクリスを見つめる美雌畜の正面で立ち止まると、美しいが冷たく無表情な顔をゆっくりと囚われの雌畜の顔に近つ゛ける。
そして、その引き込まれそうなほど透き通った紺碧の瞳で香織の瞳をジッと見つめた。
香織はただその瞳を見つめていた。
ただ見つめていた。
他に何も出来なかったのだ。
それは香織の体が拘束具によって戒められているという状態と無関係に香織を完全に拘束せしめる別次元からの力によるものであった。
心を、魂そのものを見透かされ、虜にする力。
絶対の支配者の力。
それは、まさに 【神の力】 とでも呼ぶべけきものであった。
香織は自分が今、神を前にしていることを理解していない。
しかし、ついさっきまで黒い大男の乱暴に屈辱と怒りの炎を燃え上がらせ、指を食い千切らんと必死の反抗をしていた自分が今、まさに目の前にある男の両眼で見つめられると何故か喋る事も、身じろぐ事も出来なくなってしまった。
香織はこの男に、周りの大男はもちろん18年間のこれまでの「人生」の中で1度として感じたことの無い、言い表すことの出来ない、何か圧倒的なものを感じていた。
浅く荒かった香織の呼吸は、いつの間にか深く、静かな呼吸に変わり柔らかな腹部はゆっくりと膨張と収縮を繰り返していた。
キム・イルケ「韓日ヤプー秘史―国辱マゾヒスティックワンダーランド」
こちらでお読みください。
まさに「あらたなる神話」。
「家畜人ヤプー」が生きている、ということを実感させてくれました。
これが連載中というのが本当にうれしい。
今後が楽しみです。
詳しい感想はこちら。
あらたなる神々の創生―キム・イルケ「韓日ヤプー秘史―国辱マゾヒスティックワンダーランド」感想
今、その「家畜人ヤプー」を下敷きにして、日本人マゾヒストに新たな共通被支配幻想として浮上した韓国崇拝の黎明期にあって、あらたな「日本書紀」となりうる素晴らしい小説がネット上に登場しました。
小説投稿サイトに連載中の「韓日ヤプー秘史―国辱マゾヒスティックワンダーランド」という小説です。
作者のペンエームは「キム・イルケ」で、イルケとは「日犬」の韓国語読みだそうです。
本作は白人崇拝小説「家畜人ヤプー」を見事な設定で韓国崇拝小説に置き換え、またこれまでネット上に現れた様々な「女権帝国」ものの小説、「レイコとシンジ」のような拷問小説などのエッセンスを吸収した圧巻のネット小説です。
私も本作によっていっきに崇韓の扉を開けてしまいました。
設定は次のようなものです。
韓国で優生手術により遺伝的に優位な「優生女性」が誕生する。
美しく有能な優生女性はやがて貴族となり、女権革命を起こして韓国は「大韓女権帝国」としてアジアの大国となる。
日本大公国(君主は天皇ではなく、関ヶ原の戦いで西軍が勝利した結果大公(太閤?)豊臣家となっておる)は、まもなく大韓女権帝国の属国となり、絶望的な抵抗戦争を経て「大韓女権帝国属領小倭列島植民地」となる。
日本人は属領民「倭奴」となり、駐留する大韓女権帝国軍に奴隷、ないし家畜として隷属している。
駐留女権帝国軍は倭奴に徹底的な「奴隷教育」を施し、馴致された倭奴は大韓女権帝国および優生女性からなる大韓女権帝国軍将校たちを生殺与奪権の保持者として恐怖し、天罰を与えてくれたことに感謝し、雲の上の存在として崇拝している。
「家畜人ヤプー」は、数々の女神を創生し、日本人マゾヒストにの前に降臨させ、崇拝させた「神話」です。
ただのマゾ小説か、「神話」になれるかは、女神を創生できるかにかかっていますが、本作はそれを見事に創り出しています。
大韓女権帝国空軍少将・属領小倭列島植民地総督府民生局長パク・ソヨン公爵令嬢(22歳)と大韓女権帝国空軍士官学校高等科少尉パク・ソナ公爵令嬢(17歳)の姉妹神です。
これはもちろん、「家畜人ヤプー」に登場するポーリン・ジャンセン侯爵嗣女とドリス・ジャンセン侯爵令嬢の姉妹神に対応するものです。
とにかく本作はソヨン、ソナの美、全能、無謬、高貴、英傑、無垢、驕慢、峻厳、そして慈愛を波状的に、浴びるように読む者に体感させ、自然と姉妹を神として崇拝させてしまうよな、圧倒的な力を持った小説です。
ソヨンとソナの髪の先から爪先まで、動きの一挙、セリフの一言すべてに神が宿っている、まさにそんな感じです。
ドミナの類型でいえば、姉妹ともまだ無邪気な未婚の乙女という感じで、また、ベルトに拳銃とサーベルを下げている軍服姿が印象的なソヨンは軍神アテネ、高校の制服姿に小型の拳銃と乗馬鞭を吊っているソヨンは処女神アルテミスのイメージでしょうか。
倭奴に対しては、ソヨンのほうは冷淡で完全に「物」扱いです。
今のソヨンにとっては、倭奴どもの忠誠心など、ティッシュペーパーの一枚ほどの重さもない。完全な消耗品、安価な日用品と同等だった。
今、這いつくばって靴を磨く日本人は、ソヨンの総督府での『仕事』―日本人の馴致・精神的な奴隷化―の、絶好のサンプルだった。
それに対し、ソナは倭奴にサディスティックな好奇心と深い慈愛を抱いていています。
「ぷフッ。アハハハハッ。やっぱクズだわ。超ぉーウケる。やっぱり
日本人 って全員クズね。間違いないわ」
「感謝? あんなことされて、『感謝』なの?」
ソナは苦笑しながら、足許に土下座して整列している倭奴どもの後頭部を、一人一人軽く踏み下してやった。最後にリーダー格の倭奴には、顔を上げさせた後、爪先で顎をしゃくりあげて上を向かせて、その泥だらけの顔に唾を吐きかけてやった。
天上から決して降りてこない女神ソヨンに対して、しばしば降りてきて気まぐれな懲罰や褒賞を与える、倭奴にとっては畏れ多くも比較的距離の近い女神がソヨンです。
ソナの好奇心は、同朋を大空襲で殺戮した自分の足下に這い、顔面を地面に擦りつけて支配を、命令を、足蹴を、ありがたがる倭奴の惨めな心理に向かい、やがてそれは自分と姉を神とする信仰によって倭奴を救済に導く慈畜主義につながります。
つまりソナは、「家畜人ヤプー」のドリスの役とともに、太陽神・救済神アンナ・"テラス"・オヒルマン公爵の役も担っているのです。
「そのことをよーく分かってる賢い倭奴クンには、今の私の姿が、それこそ慈悲深い女神様のように見えるでしょうね。そういう子はたっぷり私たちの御靴磨きとか、トイレの床磨きとか、させてあげるわ。たまには靴の裏で頭をナデナデしてあげてもいいわよ」
「一方で、韓国のことをまだ敵だと思ってて、薄っぺらな意地やプライドを大事にヘラヘラしてる倭奴クンは、きっと大変な思いをすると思うよ。死んだほうがマシ、って思っちゃうかも。そういう倭奴クンにとったら、同じ私の顔が、閻魔様みたいに見えることね。
慈悲深い女神様のお足許で幸せに働けるか、閻魔様に地獄を見せられるか、それはお前たちの心の持ち様次第よ」
この表裏一体の二面性が女神ソナの大きな魅力ですね。
倭奴たちの大韓女権帝国および優生女性からなる大韓女権帝国軍将校に対する「熱烈な」崇拝感情も本作の大きな魅力です。
「家畜人ヤプー」(正編)の場合、主人公:瀬部麟一郎は最後まで
これに対し本作では、主人公:丸山をはじめとした倭奴たちが全身をもって熱烈に崇拝感情を表現します。
もっとも特徴的な崇拝感情の表現が、スクビズム第一類型(物理的下位)、第二類型(足崇拝)の典型的な発露である「土下座」と「靴磨き」です。
これは私にとってもドンピシャに好みのシチュエーションで、迫真性があってなおかつ蕩けるようにロマンティックな、見事な描写が波状的に繰り出され、目が回るようです。
最後にソヨンは、足許の丸山の後頭部に、片方ずつ足を載せ、丸山のタワシのように硬く短い髪の毛を足拭きマット代わりにして、靴底の土落としの仕上げをした。
ザサッ・ザサッ・ザサッ。丸山には、このソヨンの靴底と自らの後頭部に生えた頭髪とが擦れ合う音が、まるで頭蓋骨の中まで直接伝わって来るかのごとく、誇張されて大きく聞こえた。
この瞬間が、丸山にとって一番幸福な瞬間だった。それはまるで、彼が心の底から崇拝するご主人様が、自分の心底からの忠誠心をお認めになられて、褒めて頭を撫でて下さっているように感じられるからだ。彼にとっては、靴底で頭を撫でられているこの刹那は、殆ど生き甲斐の証明とさえ言ってよかった。
(あぁ、ソヨン様…このお方にお仕えして、俺は本当に幸せな奴隷だ…)
丸山は嬉しさのあまり思わず綻んでしまう口元を必死に引き締め、「ありがとうございました!」と、頭を靴底で撫でてくださったお礼を言い、床を押す額にさらに力を込めるのだった。
『パク・ソナ』の名前が出た瞬間、足許の倭奴たち全員に、雷に打たれたような衝撃が走った。全ての倭奴が地面を押す自らの額にこれまで以上に力を込めた。(中略)
「あら、私の名前を聞いただけで、顔が地面にのめり込んじゃった(笑)」(中略)
「そうだ、最後にこいつらの頭を踏んであげていただけませんか。倭奴は韓国人・特に韓国の貴族女性に頭を踏まれることを『名誉なこと』として喜ぶんです」
ソナは苦笑しながら、足許に土下座して整列している倭奴どもの後頭部を、一人一人軽く踏み下してやった。
拙作「父の車で」などでも表現しましたが、私自身この、「上位者の靴の下に頭を位置させようとする」「ご褒美としての答礼(頭を蹴るか踏みつける)」というシチュエーションがも本当に大大大好きで、本作はその表現が実に美しく見事でたまらないですね。
本作は波状的なスクビズム表現のオンパレードですが、スクビズムの五類型のうち第三類型(股倉への崇拝)だけは見られません。
これはソヨン、ソナ姉妹をはじめとする貴族女性の処女性を重視する、アテナ、アルテミス崇拝の傾向(
このあたりも私のセクシャリティにドンピシャリとはまります。
このような新たな「神話」が連載中であることがうれしい。
久々に「生きていてよかった」「
今後も楽しみです。
韓国崇拝に興味がない方も、マゾヒストであれば、ぜひ読んでいただきたい名作です。