片瀬海岸物語
もう、だいぶ長いことここに腰掛けている。
波音と雑踏がのどかに響く。
今日も私は独りだ。
大型連休など、「毎日が夏休み」の私にはあまり関係ないのだが、なんとなく出かけなくてはという強迫観念が働いて、久々に湘南海岸などに来てしまった。
辻堂の歩道橋あたりで、仲睦まじい一組のカップルに目を奪われた。
若く、清純そうな二人。
ぎこちなく手を繋ぎ、あどけなく語り合う。
ときおり昂ぶったように走りだし、息を切らしては青年が少女の肩にもたれかかる。
海風が少女の長く黒い髪をなびかせ、白いレースのロングスカートがふんわりと膨らむ。
幸福の絶頂が、少女の持って生まれた美しさに、早めの絶頂をもたらしているように見えた。
私は恋に落ちた。
江ノ島方面へ向かう海岸の遊歩道。
二人の二メートルくらい後ろをつけて歩く。
さりげなく近づいて、少女の横顔を盗み見る。
すらりとした後姿から想像していたとおり、すっきりとした輪郭と鼻筋だった。
さわやかなコロンの匂いもかいだ。
うっとりとしていると、少女と目が合ってしまった。
とっさに海のほうに視線をそらす。
ペットボトルをいじくったりしてごまかす。
おそるおそる二人のほうへ視線を戻すと、なにかこそこそと話をしている。
腹筋の辺りにゾクゾクとした緊張が走る。
しかし、特段私のことを怪しむ様子はない。
二人にとっては今、この世界には二人しかいないのだ。
少女の左側斜め後方の位置を維持して歩いた。
少女は常に青年のほうを向いているが、ときおり髪をかきあげたり、空を見上げたりすると、ちらりと白い横顔がのぞく。
会話も聞こえる。
なんということだ。
少女は中学生ではないか。
青年は大学生か。
鼓動が高鳴る。
今日は来てよかった。
江ノ島が目前に迫る片瀬海岸で、二人は階段状になっている堤防に腰掛けた。
しばらく海を眺めるのだろう。
私も何食わぬ顔をして、やはり少女の斜め後方、二段上の堤防に腰掛ける。
その距離五メートルくらい。
堤防にはたくさんの人が腰掛けているので、それ自体はなんら不自然なことはない。
ただ、私の不躾な視線。
二人とも気がついていないのだろうか。
距離が遠く、波音と雑踏に紛れてもはや会話はろくに聞こえない。
「あの人私のこと見てるよね」
などと話して笑っているのではないかと想像すると、ゾクゾクとしたスリルが腹筋のあたりを走る。
しかし、また、まったく私のことなど目に入っていないのではないか、と思うと、疎外感にキューンと胸が切なくなる。
そうしてもう、だいぶ長いことここに腰掛けている。
波音と雑踏がのどかに響く。
今日も私は独りだ。
ポツンと独りで堤防に腰掛けている。
しかし、心は暖かい幸福感に陶酔している。
斜め前方に座っている爽やかで睦まじいカップル。
二人の作った、白くてやわらかい繭。
本来二人以外は何人も入れないその繭に、私の魂は入れてもらっている。
二人の体温で温まり、二人の匂いで満ちているその繭に、私の魂は安らかに包み込まれている。
そのままどれくらい見惚れていたのか、我にかえったのは、少女が左手首の時計をチラッと見たからだ。
行ってしまうのか。
遊歩道は江ノ島で終わり。
さすがにこれ以上stalkingするのは難しい。
幸い二人はもうしばらく留まるようだが、私はこの蜜月が永遠でないことに気づいたとたん、泣きそうなくらい寂しくなった。
行ってしまったら、二度と再び会えることはないだろう。
私はまた独りになってしまう。
思い切って、二人の前に歩み出て、足元に土下座して、「奴隷にしてください」とお願いしてみようか。
後悔を残さないためにはそれしかないことは確かだ。
十年位前に実行してみたこともある。
しかし、結果は分かっりきっている。
満ち足りた二人には、奴隷なんて要らないのだ。
あんなに近くに感じていた二人の後姿が、遠く感じられた。
日が傾いていくのを感じ、周囲に目を移してみた。
ビーチバレー、フリスビー、ロードレーサー。
そして、首輪にリードを結ばれてうれしそうに散歩する様々な種類の犬が目に付いた。
犬。
私が犬だったら、足元に擦り寄っていけば、二人は珍しがって、撫でてくれるだろうか。
どこまでも後ろを慕っていけば、哀れんで連れて帰ってはくれないだろうか。
想像はあらぬ方へと向かう。
今や私は、全裸に首輪だけをつけ、二人の足元に侍っている。
首輪に繋いだリードを少女が握っている。
飼い主である二人の逢瀬に人犬として付き従っているのだ。
辻堂からの散歩道を、回想しなおす。
二人は先ほどと変わらない。
私だけは少し違う。
二人の少し後ろを歩いていたのが、少し前を歩いている。
そして、二足歩行から四足歩行になっている。
手足は…人間のままだ。
アスファルトやコンクリートやインターロッキングとぶつかり合って手足はボロボロになっている。
が、私は先ほどのような卑屈な目をしていない。
先ほどよりはるかに楽しく、歓喜に満ちた目をしている。
リードがピンと張って、少女が引っ張り返すときに首が絞まるのがうれしくて、どんどん先へと歩いてしまう。
先ほどもすれ違った夫婦と、またすれ違う。
夫婦の様子は先ほどと変わらない。
違うのは、夫婦も私と同じような格好の人犬を連れていることだ。
先程は独りで缶ビールを飲みながら海を見ていた年配者だ。
彼もまた、先程よりも幸福そうな目をしている。
すれ違うときにちらりと私のほうを見たあと、甘えるように夫人の足元に擦り寄った。
それを見て私の飼い主の少女が「かわいい」「ポチ嚇したでしょ」なんて言うので、切なくなってしまったが、青年が「いや見てたけどなんもしてなかったよ」とかばってくれたのがうれしかった。
私の視界からは二人の足元しか見えない。
だから、「見てくれていた」というのがわかってうれしかった。
そこでまた、我に返った。
もう、だいぶ長いことここに腰掛けている。
波音と雑踏がのどかに響く。
小さな子供も目に付く。
無邪気に、父母にじゃれつく子供たち。
子供。
子供だったら。
少女は中学生。
子供のいる年齢ではない。
しかし、二人の小さな子供になって、青年と少女の足元に無邪気にじゃれつき、甘えたい衝動が湧き上がる。
二人の間に手を引かれ、江ノ島大橋を渡る。
食事をして、帰路に着く。
満員の江ノ電では、青年のジーンズと少女のスカートが、私の小さな体を守るように挟む。
電車を乗り継いで家に着く。
青年と、少女と、私の家だ。
「おとうさん、おかあさんきょうはね、すごくたのしかったんだありがとう。ねえ、きょうはいっしょにねていい?」
なんて言って甘えて、青年と少女の体温と匂いに包まれて眠りに着く。
さて、私の同衾はかなわないとして、二人は今夜床を共にするのだろうか。
それならいっそのこと今夜、二人の愛の結晶として、少女の幼い子宮に、小さな小さな新しい命として生まれなおすことができたらどんなにか幸福だろうか。
あの華奢な下腹部にやわらかく包み込まれ、酸素も、水分も、養分も少女の体を通ったものだけを得て生きられたら。
また海風が吹いて、少女の長い黒髪がなびき、白いレースのロングスカートがふんわりと膨らむ。
私の母も髪が長く色白で、背は高かったが華奢で、よくロングスカートを穿いていたのを、ふと思い出した。
辺りが黄金色に染まっていく。
二人が立ち上がった。
江ノ島大橋から夕日を見るのだろうか。
もう、これ以上後を慕おうという気もなかった。
二人は去り際に私を見たようだったが、私は真っ直ぐに海を見ていた。
もう、だいぶ長いことここに腰掛けている。
波音と雑踏がのどかに響く。
今日も私は独りだ。
波音と雑踏がのどかに響く。
今日も私は独りだ。
大型連休など、「毎日が夏休み」の私にはあまり関係ないのだが、なんとなく出かけなくてはという強迫観念が働いて、久々に湘南海岸などに来てしまった。
辻堂の歩道橋あたりで、仲睦まじい一組のカップルに目を奪われた。
若く、清純そうな二人。
ぎこちなく手を繋ぎ、あどけなく語り合う。
ときおり昂ぶったように走りだし、息を切らしては青年が少女の肩にもたれかかる。
海風が少女の長く黒い髪をなびかせ、白いレースのロングスカートがふんわりと膨らむ。
幸福の絶頂が、少女の持って生まれた美しさに、早めの絶頂をもたらしているように見えた。
私は恋に落ちた。
江ノ島方面へ向かう海岸の遊歩道。
二人の二メートルくらい後ろをつけて歩く。
さりげなく近づいて、少女の横顔を盗み見る。
すらりとした後姿から想像していたとおり、すっきりとした輪郭と鼻筋だった。
さわやかなコロンの匂いもかいだ。
うっとりとしていると、少女と目が合ってしまった。
とっさに海のほうに視線をそらす。
ペットボトルをいじくったりしてごまかす。
おそるおそる二人のほうへ視線を戻すと、なにかこそこそと話をしている。
腹筋の辺りにゾクゾクとした緊張が走る。
しかし、特段私のことを怪しむ様子はない。
二人にとっては今、この世界には二人しかいないのだ。
少女の左側斜め後方の位置を維持して歩いた。
少女は常に青年のほうを向いているが、ときおり髪をかきあげたり、空を見上げたりすると、ちらりと白い横顔がのぞく。
会話も聞こえる。
なんということだ。
少女は中学生ではないか。
青年は大学生か。
鼓動が高鳴る。
今日は来てよかった。
江ノ島が目前に迫る片瀬海岸で、二人は階段状になっている堤防に腰掛けた。
しばらく海を眺めるのだろう。
私も何食わぬ顔をして、やはり少女の斜め後方、二段上の堤防に腰掛ける。
その距離五メートルくらい。
堤防にはたくさんの人が腰掛けているので、それ自体はなんら不自然なことはない。
ただ、私の不躾な視線。
二人とも気がついていないのだろうか。
距離が遠く、波音と雑踏に紛れてもはや会話はろくに聞こえない。
「あの人私のこと見てるよね」
などと話して笑っているのではないかと想像すると、ゾクゾクとしたスリルが腹筋のあたりを走る。
しかし、また、まったく私のことなど目に入っていないのではないか、と思うと、疎外感にキューンと胸が切なくなる。
そうしてもう、だいぶ長いことここに腰掛けている。
波音と雑踏がのどかに響く。
今日も私は独りだ。
ポツンと独りで堤防に腰掛けている。
しかし、心は暖かい幸福感に陶酔している。
斜め前方に座っている爽やかで睦まじいカップル。
二人の作った、白くてやわらかい繭。
本来二人以外は何人も入れないその繭に、私の魂は入れてもらっている。
二人の体温で温まり、二人の匂いで満ちているその繭に、私の魂は安らかに包み込まれている。
そのままどれくらい見惚れていたのか、我にかえったのは、少女が左手首の時計をチラッと見たからだ。
行ってしまうのか。
遊歩道は江ノ島で終わり。
さすがにこれ以上stalkingするのは難しい。
幸い二人はもうしばらく留まるようだが、私はこの蜜月が永遠でないことに気づいたとたん、泣きそうなくらい寂しくなった。
行ってしまったら、二度と再び会えることはないだろう。
私はまた独りになってしまう。
思い切って、二人の前に歩み出て、足元に土下座して、「奴隷にしてください」とお願いしてみようか。
後悔を残さないためにはそれしかないことは確かだ。
十年位前に実行してみたこともある。
しかし、結果は分かっりきっている。
満ち足りた二人には、奴隷なんて要らないのだ。
あんなに近くに感じていた二人の後姿が、遠く感じられた。
日が傾いていくのを感じ、周囲に目を移してみた。
ビーチバレー、フリスビー、ロードレーサー。
そして、首輪にリードを結ばれてうれしそうに散歩する様々な種類の犬が目に付いた。
犬。
私が犬だったら、足元に擦り寄っていけば、二人は珍しがって、撫でてくれるだろうか。
どこまでも後ろを慕っていけば、哀れんで連れて帰ってはくれないだろうか。
想像はあらぬ方へと向かう。
今や私は、全裸に首輪だけをつけ、二人の足元に侍っている。
首輪に繋いだリードを少女が握っている。
飼い主である二人の逢瀬に人犬として付き従っているのだ。
辻堂からの散歩道を、回想しなおす。
二人は先ほどと変わらない。
私だけは少し違う。
二人の少し後ろを歩いていたのが、少し前を歩いている。
そして、二足歩行から四足歩行になっている。
手足は…人間のままだ。
アスファルトやコンクリートやインターロッキングとぶつかり合って手足はボロボロになっている。
が、私は先ほどのような卑屈な目をしていない。
先ほどよりはるかに楽しく、歓喜に満ちた目をしている。
リードがピンと張って、少女が引っ張り返すときに首が絞まるのがうれしくて、どんどん先へと歩いてしまう。
先ほどもすれ違った夫婦と、またすれ違う。
夫婦の様子は先ほどと変わらない。
違うのは、夫婦も私と同じような格好の人犬を連れていることだ。
先程は独りで缶ビールを飲みながら海を見ていた年配者だ。
彼もまた、先程よりも幸福そうな目をしている。
すれ違うときにちらりと私のほうを見たあと、甘えるように夫人の足元に擦り寄った。
それを見て私の飼い主の少女が「かわいい」「ポチ嚇したでしょ」なんて言うので、切なくなってしまったが、青年が「いや見てたけどなんもしてなかったよ」とかばってくれたのがうれしかった。
私の視界からは二人の足元しか見えない。
だから、「見てくれていた」というのがわかってうれしかった。
そこでまた、我に返った。
もう、だいぶ長いことここに腰掛けている。
波音と雑踏がのどかに響く。
小さな子供も目に付く。
無邪気に、父母にじゃれつく子供たち。
子供。
子供だったら。
少女は中学生。
子供のいる年齢ではない。
しかし、二人の小さな子供になって、青年と少女の足元に無邪気にじゃれつき、甘えたい衝動が湧き上がる。
二人の間に手を引かれ、江ノ島大橋を渡る。
食事をして、帰路に着く。
満員の江ノ電では、青年のジーンズと少女のスカートが、私の小さな体を守るように挟む。
電車を乗り継いで家に着く。
青年と、少女と、私の家だ。
「おとうさん、おかあさんきょうはね、すごくたのしかったんだありがとう。ねえ、きょうはいっしょにねていい?」
なんて言って甘えて、青年と少女の体温と匂いに包まれて眠りに着く。
さて、私の同衾はかなわないとして、二人は今夜床を共にするのだろうか。
それならいっそのこと今夜、二人の愛の結晶として、少女の幼い子宮に、小さな小さな新しい命として生まれなおすことができたらどんなにか幸福だろうか。
あの華奢な下腹部にやわらかく包み込まれ、酸素も、水分も、養分も少女の体を通ったものだけを得て生きられたら。
また海風が吹いて、少女の長い黒髪がなびき、白いレースのロングスカートがふんわりと膨らむ。
私の母も髪が長く色白で、背は高かったが華奢で、よくロングスカートを穿いていたのを、ふと思い出した。
辺りが黄金色に染まっていく。
二人が立ち上がった。
江ノ島大橋から夕日を見るのだろうか。
もう、これ以上後を慕おうという気もなかった。
二人は去り際に私を見たようだったが、私は真っ直ぐに海を見ていた。
もう、だいぶ長いことここに腰掛けている。
波音と雑踏がのどかに響く。
今日も私は独りだ。
続・美男美女賛美論
前記事「美男美女賛美論」にたくさんの反響を頂ました。
ありがとうございます。
その後もお二人の美しさに酔いしれながら、こんなことを妄想している日々です。
黒木メイサは決して赤西君の妻として不足はないのですが、赤西君の精液を、これからは一人の女性が独占するってのは、ちょっともったいない気がします。
一晩だけ赤西君に抱いてもらって、孕ませてもらって、赤西君の子供を生んで育てたいという女性ファンはたくさんいると思います。
もしそういう願望がかなえられたら、赤西君の血を引いた綺麗で優秀な子供がたくさん生まれるのに。
もちろん、一晩でも赤西君に抱いてもらえるのは、そうとうな美女に限られるでしょうけど。
そうなったら、赤西君の子供を孕んだ美女と結婚して、赤西君の綺麗で優秀な子供を育てたいって男性も出てくるのでは?
あるいは娘を赤西君に孕ませてもらって、一家中で生まれてきた赤西君の子供にかしずいてそだてていきたいって家庭も出てくるかもしれません。
メイサに妊娠出産の苦労を味あわせるのも忍びないし、なにより赤西君が好きなときにメイサの体を味わえないってのはよくないですよね。
代理母として赤西君とメイサの子供を産みたいって女性も結構いるのでは。
こっちは正真正銘赤西君とメイサの愛の結晶だから、ただ、種つけした子供とは「命の格」が違います。
胎児に万が一のことがあった場合の賠償の担保として、代理母は巨額の金銭を赤西夫婦に預ける必要があるでしょう。
足りない場合は現住不動産の譲渡でもいい。
このため、代理母になれるのは資産家の妻(夫が保証金を負担する)か、良家の娘(親が保証金を負担)に限られることになります。
代理母の希望者は、適正試験として赤西夫婦の家でメイサに家事奉仕をします。この試験に期限はありません。
候補者はメイサの子宮の代わりになることを夢見て必死に奉仕します。メイサが妊娠した時点で一人が代理母に選ばれます。
メイサは候補者を使役し教育し躾ながら、奉仕ぶりを審査します。
実際には候補者の数が多いためメイサはほとんどの候補者を家政婦としてしか考えなくなるでしょう。
候補者の方もそれを承知しながらも、メイサの子宮の代わりになれる可能性をちらつかされると、喜んで奉仕に勤しむでしょう。
メイサは候補者を厳しく躾て、家事のレベルを上げて夫に尽くすのが妻の務めだと考えます。
メイサは家の主人である赤西君に対する礼儀や奉仕には特に厳しくします。
たとえばメイサ一人に対しては場合によっては手を着くだけの略式の挨拶を許すが、赤西君に対して、あるいは夫婦二人でいる場合には必ずきっちり額をつけた挨拶をさせるとか、赤西君の汚れ物の洗濯はメイサの下着を洗濯するときの3倍時間をかけてていねいに洗わせる、とか。
掃除や洗濯のできばえや、仕事の取り組みは、候補者同士で三重にチェックします。
厳しく不備を指摘すればするほどメイサは評価し、指摘された方を容赦なく罰するので、互いに監視しあい、奉仕にますます気が抜けなくなります。
たとえばトイレ掃除をする際、一人の候補者が実際に掃除を行い、一人の候補者は横でその監視を行います。
掃除の始めと終わりに主人の便器にしっかり礼をしたかどうか、一心不乱に、隅々まで磨いたかどうかをチェックします。
監視役はその場で不備を指摘せず、後にメイサの前で行われる報告会で報告します。
最低でも3つは不備を報告することが監視役の義務とされるうえ、三重チェックをした候補者が監視役の見落としを厳しく指摘するため、情け容赦ない指摘が行われます。
1日の家事奉仕の中で、作業者と監視役は何度も立場が入れ替わります。
報告会では不備指摘された者に釈明は許されていないので、互いに互いの些細な不備を厳しく指摘するしかないのです。
報告が終わると一人ずつ、メイサに不備の反省と懺悔と懲罰の自己申告を行います。
そこでメイサから訓示と懲罰の言い渡しがあります。
メイサはこうした相互監視を利用して自ら見回ることなく候補者の全ての家事を厳しく監視することができるのです。
この反省会で、不合格者の言い渡しが行われることもありあます。
不合格者はすぐさま家を追い出され新たな候補者が適性試験として家事奉仕に入ります。
候補者が赤西夫婦に譲渡した保証金は、候補者が無事夫婦の子供を出産した場合のみ返還される契約になっているので、不合格者には当然ながら返還されません。
家事奉仕の適性試験に呼ばれなかった者も同様です。
現住不動産を保証として譲渡した場合は、譲渡の時点から不動産は所有者である赤西夫婦の別荘として扱われ、住人(代理母候補者の家族)は賃借人として賃料を所有者である赤西夫婦に収める一方、別荘の管理人として、いつ何時でも赤西夫婦が快適に使用できる状態を維持する義務を負います。
(当然鍵は赤西夫婦が管理権を有し、住人は複製を赤西夫婦から預かる形。住人は鍵を預かりものとして厳重に管理する義務を負い複製も禁じられますが、赤西夫婦が複製つくり知人に渡したりするのに住人にことわる必要はありません。)
トイレやバスルーム、キッチンといった設備も赤西夫婦の許可した範囲でしか利用できず、リビングやベッドルームは掃除の時以外は入室も許されません。
もちろん利用価値が低いと判断されれば、いつでも住人を追い出して売却したり競売にかけることもできます。
別荘は都心部の高級マンションだけでも100を数え、さらに都内各所に300の豪邸が、赤西夫婦の所有物となります。
とうてい使いきれないので、赤西君は男女数十人の友人たちに別荘の合い鍵をバラまき、住居、パーティー会場、喫茶店、バー、ラブホテル代わりに供することにします。
各別荘の住人には友人たち一人一人に直接挨拶に行かせ、紹介した友人の言うことは俺からの命令だと思って、と言いつけます。
友人たちはいつどこにいても最寄りの別荘の住人に連絡して迎えに来させることができます。
赤西君は各別荘に、月に何人友人が来たか、トータル何日滞在したかを報告させ、ノルマを課します。
人気の別荘には、俺もふらっと顔だすかも、と言って煽ります。
住人は必死になって赤西君の友人を勧誘します。
高級な酒やオーディオ、ビリヤード台を競って揃えます。
主人の友人に対して訪問の証拠としてサインを求める不遜な住人もいたため、訪問数や滞在時間ではなく、主人の友人たちが出したゴミを、奉仕に対する恩賞として、ポイント化して競わせることにします。
使用済みティッシュ一枚1ポイント、吸い殻一本2ポイント、使用済みの歯ブラシやスリッパは5ポイント、下着類は10ポイント、コンドームは20ポイント、といった具合に。
これは、主人の友人に対する畏怖と尊敬と感謝を各別荘の住人に植え付け、改めて使用人として馴致する効果があったようです。
ありがとうございます。
その後もお二人の美しさに酔いしれながら、こんなことを妄想している日々です。
黒木メイサは決して赤西君の妻として不足はないのですが、赤西君の精液を、これからは一人の女性が独占するってのは、ちょっともったいない気がします。
一晩だけ赤西君に抱いてもらって、孕ませてもらって、赤西君の子供を生んで育てたいという女性ファンはたくさんいると思います。
もしそういう願望がかなえられたら、赤西君の血を引いた綺麗で優秀な子供がたくさん生まれるのに。
もちろん、一晩でも赤西君に抱いてもらえるのは、そうとうな美女に限られるでしょうけど。
そうなったら、赤西君の子供を孕んだ美女と結婚して、赤西君の綺麗で優秀な子供を育てたいって男性も出てくるのでは?
あるいは娘を赤西君に孕ませてもらって、一家中で生まれてきた赤西君の子供にかしずいてそだてていきたいって家庭も出てくるかもしれません。
メイサに妊娠出産の苦労を味あわせるのも忍びないし、なにより赤西君が好きなときにメイサの体を味わえないってのはよくないですよね。
代理母として赤西君とメイサの子供を産みたいって女性も結構いるのでは。
こっちは正真正銘赤西君とメイサの愛の結晶だから、ただ、種つけした子供とは「命の格」が違います。
胎児に万が一のことがあった場合の賠償の担保として、代理母は巨額の金銭を赤西夫婦に預ける必要があるでしょう。
足りない場合は現住不動産の譲渡でもいい。
このため、代理母になれるのは資産家の妻(夫が保証金を負担する)か、良家の娘(親が保証金を負担)に限られることになります。
代理母の希望者は、適正試験として赤西夫婦の家でメイサに家事奉仕をします。この試験に期限はありません。
候補者はメイサの子宮の代わりになることを夢見て必死に奉仕します。メイサが妊娠した時点で一人が代理母に選ばれます。
メイサは候補者を使役し教育し躾ながら、奉仕ぶりを審査します。
実際には候補者の数が多いためメイサはほとんどの候補者を家政婦としてしか考えなくなるでしょう。
候補者の方もそれを承知しながらも、メイサの子宮の代わりになれる可能性をちらつかされると、喜んで奉仕に勤しむでしょう。
メイサは候補者を厳しく躾て、家事のレベルを上げて夫に尽くすのが妻の務めだと考えます。
メイサは家の主人である赤西君に対する礼儀や奉仕には特に厳しくします。
たとえばメイサ一人に対しては場合によっては手を着くだけの略式の挨拶を許すが、赤西君に対して、あるいは夫婦二人でいる場合には必ずきっちり額をつけた挨拶をさせるとか、赤西君の汚れ物の洗濯はメイサの下着を洗濯するときの3倍時間をかけてていねいに洗わせる、とか。
掃除や洗濯のできばえや、仕事の取り組みは、候補者同士で三重にチェックします。
厳しく不備を指摘すればするほどメイサは評価し、指摘された方を容赦なく罰するので、互いに監視しあい、奉仕にますます気が抜けなくなります。
たとえばトイレ掃除をする際、一人の候補者が実際に掃除を行い、一人の候補者は横でその監視を行います。
掃除の始めと終わりに主人の便器にしっかり礼をしたかどうか、一心不乱に、隅々まで磨いたかどうかをチェックします。
監視役はその場で不備を指摘せず、後にメイサの前で行われる報告会で報告します。
最低でも3つは不備を報告することが監視役の義務とされるうえ、三重チェックをした候補者が監視役の見落としを厳しく指摘するため、情け容赦ない指摘が行われます。
1日の家事奉仕の中で、作業者と監視役は何度も立場が入れ替わります。
報告会では不備指摘された者に釈明は許されていないので、互いに互いの些細な不備を厳しく指摘するしかないのです。
報告が終わると一人ずつ、メイサに不備の反省と懺悔と懲罰の自己申告を行います。
そこでメイサから訓示と懲罰の言い渡しがあります。
メイサはこうした相互監視を利用して自ら見回ることなく候補者の全ての家事を厳しく監視することができるのです。
この反省会で、不合格者の言い渡しが行われることもありあます。
不合格者はすぐさま家を追い出され新たな候補者が適性試験として家事奉仕に入ります。
候補者が赤西夫婦に譲渡した保証金は、候補者が無事夫婦の子供を出産した場合のみ返還される契約になっているので、不合格者には当然ながら返還されません。
家事奉仕の適性試験に呼ばれなかった者も同様です。
現住不動産を保証として譲渡した場合は、譲渡の時点から不動産は所有者である赤西夫婦の別荘として扱われ、住人(代理母候補者の家族)は賃借人として賃料を所有者である赤西夫婦に収める一方、別荘の管理人として、いつ何時でも赤西夫婦が快適に使用できる状態を維持する義務を負います。
(当然鍵は赤西夫婦が管理権を有し、住人は複製を赤西夫婦から預かる形。住人は鍵を預かりものとして厳重に管理する義務を負い複製も禁じられますが、赤西夫婦が複製つくり知人に渡したりするのに住人にことわる必要はありません。)
トイレやバスルーム、キッチンといった設備も赤西夫婦の許可した範囲でしか利用できず、リビングやベッドルームは掃除の時以外は入室も許されません。
もちろん利用価値が低いと判断されれば、いつでも住人を追い出して売却したり競売にかけることもできます。
別荘は都心部の高級マンションだけでも100を数え、さらに都内各所に300の豪邸が、赤西夫婦の所有物となります。
とうてい使いきれないので、赤西君は男女数十人の友人たちに別荘の合い鍵をバラまき、住居、パーティー会場、喫茶店、バー、ラブホテル代わりに供することにします。
各別荘の住人には友人たち一人一人に直接挨拶に行かせ、紹介した友人の言うことは俺からの命令だと思って、と言いつけます。
友人たちはいつどこにいても最寄りの別荘の住人に連絡して迎えに来させることができます。
赤西君は各別荘に、月に何人友人が来たか、トータル何日滞在したかを報告させ、ノルマを課します。
人気の別荘には、俺もふらっと顔だすかも、と言って煽ります。
住人は必死になって赤西君の友人を勧誘します。
高級な酒やオーディオ、ビリヤード台を競って揃えます。
主人の友人に対して訪問の証拠としてサインを求める不遜な住人もいたため、訪問数や滞在時間ではなく、主人の友人たちが出したゴミを、奉仕に対する恩賞として、ポイント化して競わせることにします。
使用済みティッシュ一枚1ポイント、吸い殻一本2ポイント、使用済みの歯ブラシやスリッパは5ポイント、下着類は10ポイント、コンドームは20ポイント、といった具合に。
これは、主人の友人に対する畏怖と尊敬と感謝を各別荘の住人に植え付け、改めて使用人として馴致する効果があったようです。
男性客「あ、そうだ、ねえ今日サインしなくていいの?」
女性客「いいんだよ仁からメール来てたじゃん。うちらの捨ててったゴミとかさ、脱いでった下着とか集めるとポイントになるんだって」
男性客「なんだそれ?」
女性客「なんだそれでしょ。でもさー、それ以来めっちゃサービス良くなったの。昨日泊まったとことかもマジ必死すぎて、なに奴隷?とか思ったし。やっぱさー、ゴミとか、そうティッシュとかー、吸殻とかも集めてんの。そういうのってうちらが生きてて自然に出るものじゃん?そういうのをさ、集めて喜んでるうちに、うちらに対する気持ちが変わってくるみたいな。」
男性客「なるほどね。サインはまあ一応対価になるけど、俺らが自然に出すものを集めるってことは、俺らの体とか、生理現象そのものがありがたくなるってことか。やっぱ天才だな、仁は。」
女性客「仁はねー、生まれたときから人を支配することに慣れちゃってるから、考えなくてもわかるんだよね、そういうことが。」
男性客「抱かれればわかるってか?」
女性客「まーね。仁に曲書いたお礼としてあんたと付き合うことになったけど、今でも私は頭の先から足の指まで仁のものだから。」
男性客「お前それ毎晩言うよな…じゃあ、ご相伴に預かりますか…ん…んちゅ…」
美男美女賛美論
私が日本人で最も崇拝している男性は、アイドルの赤西仁君です。
だって美しいじゃないですか。
これが美しくないって言える人がいますか?
私は美しいものが大好きのなのですが、この世で最も美しいのは、美男美女の肉体美、顔の造形美だと思います。
例えば美術館にいるとき、百貨店で宝石のショウケースを見ているとき、絶景が見られるスポットにいたとき、その場に美人が現れたらどうしますか?
私はその人がその場にいる間は、絵や宝石や景色などそっちのけで、一秒たりともその人から目をそらすまいと一生懸命になってその人に見惚れてしまいます。
綺麗な人を見たときのは感動、快感、憧れは、他の何物にも変えがたいものだと思います。
宗教を信仰している人は「法悦」という体験をすることがあるそうですが、本当に綺麗な人を見たときは、それに近いのではないかという気持ちになるときがあります。
なぜ、綺麗な人を見ると、こんなにも心惹かれるのか。
どうしようもなく憧れるのか。
それは、綺麗な人が、人類種の理想を体現した優秀な個体だからなんだと思います。
優秀な個体の血統は、様々な先天的優越性と一緒に、形質的な美しさも伝えていく。
その優越性を、自己と他の個体に実感を伴って認識させるために。
逆に言えば人類種一般は、優秀な個体が備えている形質的特徴を理想と感じるような審美眼を脳裏に焼き付けられて生まれてくる、ということなんだと思います。
(実際に綺麗な人は社会的にも優秀で、人格的にも人に好かれ、どこにいてもリーダーシップをとっているのは容姿の美しい人という場合が多い気がします)
綺麗な人を無条件に尊敬し、崇拝する理由はこれで十分でしょう。
生物として優れているのですから。
彼らは人類種の至宝であり、他の人とは「人間の格」が違うのです。
社会的に考えても、綺麗な人は存在しているだけで、常に他人にその美しさで快感を与え続けています。
それだけでも社会にとってかけがえのない存在です。
綺麗な人を見たときの憧れ、ときめき、癒し、安らぎ。
くやしいですが、どんなに労力やお金をかけても、綺麗な人でなければ絶対に他人にこんな感動を味合わせることはできないです。
それを、綺麗な人は、立ったり座ったり歩いたり、そこに存在するだけでそれができてしまう。
たとえば雑踏を歩いて、電車に乗って、1時間くらいで100人くらいの人とすれ違ったとしたら、100人に、否応なく「ああ、綺麗だな、美しいな、透き通るようだな、いつまでも眺めていたいな」というせつなく甘酸っぱい感動を与えられる。
こんな人たちを、どうして尊敬し、崇拝しないでいられますか。
この綺麗な人たちにに対するどうしようもない憧れと、自分の容貌の醜さに対する嫌悪感が結びつくとき、激しい感情のジレンマが生じます。
綺麗な人が大好き、もっと見とれていたい、近づきたい、触れたい…そして、この気持ちを、せめて、あの人たちに伝えたい…
しかし、自分の容貌は、肉体は、醜い、卑しい、汚らわしい、あの人たちに不快感を与える…
このジレンマを合理的に解決した心理的手段が、、私のマゾヒスムです。
綺麗な人たちに対する自分の気持ちを、ストレートに表現するとしたら、足下の地面に額をしっかりつけて、蛙のようにお辞儀するのが一番しっくりきます。
これは、「服従」の表明であり、「崇拝」の表現であり、恩(その美しさで幸福を味わわせてもらったこと)への「感謝」の表現でもあり、自分の醜さに対する「謝罪」でもあります。
もしその人が、足下の卑しい項を踏みつけてくれたとしたら、その重みと、地面に顔がしっかりと密着する感覚に、魂は「醜さの罪」からの解放を感じることでしょう。
「醜さの罪」の赦しを求める心理がさらに強く発露した場合、自分の肉体への加虐による「懲罰」を欲望します。
(その人が存在してくれていることに対する)「報恩」をしたいという願望が発露した場合、その人の利便や快楽の「手段」として使用されたいと欲望します。
その場合、その人にとっての自分の存在意義・有用性が小さいほど、その人の偉大さと自分の矮小さの格差が実感できて、ありがたくなります。(愛用されるより、使い捨てられたい)
では私が赤西君に対して具体的にどんな不遜な欲望をいだいているかといいますと。
寝取られるとか、イジメられるとか、パシリになるいう妄想はできないです。
そういう人対人という関係を前提にした妄想というのはもはやできない。
口淫奉仕もおこがましい気がしてしまいます。
赤西君の男性器に口をつけられるのは本当に選ばれた美女だけなはず。
椅子になるか、便器になるか、sex friendの女性器のクローンを顔面に移植させてもらって、玉門畜になるか。
赤西君の体に触れるとしたらこれくらいしかない。
あとは灰皿になるとか、パーティーの余興のロシアンルーレットの的になる(一人だけ死ぬやつじゃなくて、一人だけ助かるやつ)とか、ですね。
そんな赤西君がこのたび女優の黒木メイサと結婚しました。
国際派の赤西君は白人女性と結ばれるのかな、という期待もありましたが、赤西君に相応しい数少ない日本人女性の一人であろうメイサと結ばれ、愛国者として本当にうれしいです。
「現人神」のような美男美女カップルの結婚と、種族の理想を体現する新しい命の誕生。
国民総出で祝うべき慶事ではないでしょうか。
紀元節だかなんだか知りませんが、そんな根拠の薄弱そうな記念日なんて祝ってる場合じゃないでしょう。
畏れ多くもお二人の結婚式で振舞われる、白い杯に注がれた透き通る飴色の御神酒を、国民皆と一緒に三々九度で恭しく拝受したいと願うところですが、物質複製が実現していない以上、国家と国民統合の象徴とされる一族が、国民の代表として拝受に預かるんだろうなぁ。
うらやましい。
だって美しいじゃないですか。
これが美しくないって言える人がいますか?
私は美しいものが大好きのなのですが、この世で最も美しいのは、美男美女の肉体美、顔の造形美だと思います。
例えば美術館にいるとき、百貨店で宝石のショウケースを見ているとき、絶景が見られるスポットにいたとき、その場に美人が現れたらどうしますか?
私はその人がその場にいる間は、絵や宝石や景色などそっちのけで、一秒たりともその人から目をそらすまいと一生懸命になってその人に見惚れてしまいます。
綺麗な人を見たときのは感動、快感、憧れは、他の何物にも変えがたいものだと思います。
宗教を信仰している人は「法悦」という体験をすることがあるそうですが、本当に綺麗な人を見たときは、それに近いのではないかという気持ちになるときがあります。
なぜ、綺麗な人を見ると、こんなにも心惹かれるのか。
どうしようもなく憧れるのか。
それは、綺麗な人が、人類種の理想を体現した優秀な個体だからなんだと思います。
優秀な個体の血統は、様々な先天的優越性と一緒に、形質的な美しさも伝えていく。
その優越性を、自己と他の個体に実感を伴って認識させるために。
逆に言えば人類種一般は、優秀な個体が備えている形質的特徴を理想と感じるような審美眼を脳裏に焼き付けられて生まれてくる、ということなんだと思います。
(実際に綺麗な人は社会的にも優秀で、人格的にも人に好かれ、どこにいてもリーダーシップをとっているのは容姿の美しい人という場合が多い気がします)
綺麗な人を無条件に尊敬し、崇拝する理由はこれで十分でしょう。
生物として優れているのですから。
彼らは人類種の至宝であり、他の人とは「人間の格」が違うのです。
社会的に考えても、綺麗な人は存在しているだけで、常に他人にその美しさで快感を与え続けています。
それだけでも社会にとってかけがえのない存在です。
綺麗な人を見たときの憧れ、ときめき、癒し、安らぎ。
くやしいですが、どんなに労力やお金をかけても、綺麗な人でなければ絶対に他人にこんな感動を味合わせることはできないです。
それを、綺麗な人は、立ったり座ったり歩いたり、そこに存在するだけでそれができてしまう。
たとえば雑踏を歩いて、電車に乗って、1時間くらいで100人くらいの人とすれ違ったとしたら、100人に、否応なく「ああ、綺麗だな、美しいな、透き通るようだな、いつまでも眺めていたいな」というせつなく甘酸っぱい感動を与えられる。
こんな人たちを、どうして尊敬し、崇拝しないでいられますか。
この綺麗な人たちにに対するどうしようもない憧れと、自分の容貌の醜さに対する嫌悪感が結びつくとき、激しい感情のジレンマが生じます。
綺麗な人が大好き、もっと見とれていたい、近づきたい、触れたい…そして、この気持ちを、せめて、あの人たちに伝えたい…
しかし、自分の容貌は、肉体は、醜い、卑しい、汚らわしい、あの人たちに不快感を与える…
このジレンマを合理的に解決した心理的手段が、、私のマゾヒスムです。
綺麗な人たちに対する自分の気持ちを、ストレートに表現するとしたら、足下の地面に額をしっかりつけて、蛙のようにお辞儀するのが一番しっくりきます。
これは、「服従」の表明であり、「崇拝」の表現であり、恩(その美しさで幸福を味わわせてもらったこと)への「感謝」の表現でもあり、自分の醜さに対する「謝罪」でもあります。
もしその人が、足下の卑しい項を踏みつけてくれたとしたら、その重みと、地面に顔がしっかりと密着する感覚に、魂は「醜さの罪」からの解放を感じることでしょう。
「醜さの罪」の赦しを求める心理がさらに強く発露した場合、自分の肉体への加虐による「懲罰」を欲望します。
(その人が存在してくれていることに対する)「報恩」をしたいという願望が発露した場合、その人の利便や快楽の「手段」として使用されたいと欲望します。
その場合、その人にとっての自分の存在意義・有用性が小さいほど、その人の偉大さと自分の矮小さの格差が実感できて、ありがたくなります。(愛用されるより、使い捨てられたい)
では私が赤西君に対して具体的にどんな不遜な欲望をいだいているかといいますと。
寝取られるとか、イジメられるとか、パシリになるいう妄想はできないです。
そういう人対人という関係を前提にした妄想というのはもはやできない。
口淫奉仕もおこがましい気がしてしまいます。
赤西君の男性器に口をつけられるのは本当に選ばれた美女だけなはず。
椅子になるか、便器になるか、sex friendの女性器のクローンを顔面に移植させてもらって、玉門畜になるか。
赤西君の体に触れるとしたらこれくらいしかない。
あとは灰皿になるとか、パーティーの余興のロシアンルーレットの的になる(一人だけ死ぬやつじゃなくて、一人だけ助かるやつ)とか、ですね。
そんな赤西君がこのたび女優の黒木メイサと結婚しました。
国際派の赤西君は白人女性と結ばれるのかな、という期待もありましたが、赤西君に相応しい数少ない日本人女性の一人であろうメイサと結ばれ、愛国者として本当にうれしいです。
「現人神」のような美男美女カップルの結婚と、種族の理想を体現する新しい命の誕生。
国民総出で祝うべき慶事ではないでしょうか。
紀元節だかなんだか知りませんが、そんな根拠の薄弱そうな記念日なんて祝ってる場合じゃないでしょう。
畏れ多くもお二人の結婚式で振舞われる、白い杯に注がれた透き通る飴色の御神酒を、国民皆と一緒に三々九度で恭しく拝受したいと願うところですが、物質複製が実現していない以上、国家と国民統合の象徴とされる一族が、国民の代表として拝受に預かるんだろうなぁ。
うらやましい。