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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

女神キャロラインの降臨

前記事で書いたように、戦後日本のマゾヒズム文学で、祖国を支配する女帝として「降臨」を切望されたジャクリーン・ケネディ・オナシスですが、今になって、その長女であるキャロライン・ケネディが駐日米国大使に赴任しました。

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沼や、天野や、白野が生きていたら…いったいどのような感慨を抱いたでしょうか。
あれほど切望し実現しなかったジャクリーンの「降臨」が、長女によって実現されたことに、歓喜の涙を流し、赤坂の米国大使公邸の前に平伏して迎えたかもしれません。

彼らの遺志を継ぐ者の一人として、キャロライン・ケネディの赴任を祝して、彼らの描いた平行世界パラレルワールドを下敷きに、小品を書いてみました。

キャロライン・ケネディの手記、という設定でお読みください。


みなさんは、ご自分が「神」になったことを想像することができるでしょうか。
私は日本において、一つの民族に「神」として臨むことになった体験をお伝えしたいと思います。

私が大統領から駐日大使に非公式に打診された頃には、すでに日本では私の大使就任への期待感で大変な騒ぎになっていたと聞きます。
大統領が私のポストを検討しているという噂の中に、駐日大使という案も含まれていることはその前から耳に入っていましたが、日本では大統領選の最中から私の大使就任を待望(渇望と表現する人もいます)する声が上がっていた、というのはその頃までまったく知りませんでした。
ご存知のとおり、日本は日米保護条約により米国の保護国となっており、国家主権のうち外交、国防、司法、財務、通商などの決定権を合衆国政府に委ねています。
このうち駐日合衆国大使は合衆国政府の方針に従ってを日本国政府に直接下命する立場にあり、また同時に日本民生高等弁務官を兼ね、日本の国会が可決した法律案および予算案の拒否権、国会で指名された各行政長官の任命権および罷免権、検察・警察指揮権など、内政に対して絶大な権力を有しています。
事実上植民地総督にあたる立場です。
日本では各都市で私の大使就任を求める大規模なデモや署名運動が巻き起こったそうです。
私の父、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディおよび母、ジャクリーン・リー・ブーヴィエ・ケネディ・オナシスは、日本統治に多大な尽力をなしたことから、今や日本では「神」として崇拝され、天皇の発案によって両親を祭神とする神社が建立されていたことも知りませんでした。
正直に言うと、日本という国について、ほとんど関心がなかったのです。
しかし、「神の娘による統治」による国家の安寧を待望した日本国民が、私が大使就任を受諾した報に触れて、国を挙げて祝賀ムード一色になった様子を見た頃からようやく、私も一億人の人民の統治者になる自覚がわいてきました。

日本の憲法では天皇が行うべき国事行為の筆頭に「外国の大使及び公使を接受すること」が挙げられています。
東京には合衆国との協定により自国民に係る領事裁判権および租界地の統治権を行使するEU諸国およびロシアの大使館が並んでいますが、ここを足繁く訪問し、各国の代表である大使を、国民の代表として公私にわたり接待奉仕することが、天皇の最も重要な仕事であるとされています。
例えば、英国大使夫妻に対する天皇皇后夫妻の礼儀作法を見て、国民は駐留イギリス人に対する礼儀を心得るのです。
とりわけ最も重要なのは当然、宗主国である合衆国大使(兼日本民生高等弁務官)に対する接待奉仕であることは言うまでもありません。
私が大使就任を受諾してから日本国内では、すぐにでも天皇が米国に飛んで私の私邸を表敬訪問し、受諾感謝を申し述べるべきだという主張が大勢を占めたようです。
天皇自身も渡米を希望したようですが、私に話が伝わる前に国務省が却下してしまったようです。
もし許可されていれば、今は私の日常生活の一部となっている、朝玄関のドアを開けると足下に天皇が平伏している、あの光景をニューヨークの私の私邸でも見られたことでしょう。

今は見慣れてしまっていて、ほとんど気にも留めない光景ですが、はじめてみたときは私も少し驚きました。
はじめてみたときというのは、私を乗せた政府専用機が空港に降り立ったときでした。
屋根つきのタラップでしたので、タラップを降りていくまでは周りの様子はわからなかったのですが、降りきってしまう前に目に入ったのは、タラップの下でぴったりと地面に顔をつけて平伏している、燕尾服を着た一人の老人でした。
彼が項を差し出している位置は、ちょうどタラップが降りるときに足を接地しなければならない所でしたので、私はとまどいながらも、左足でその項を踏みつけてタラップを降り、そのまま彼の背中の上に立ちました。
すると、一気に視界が開け、あたりの光景に驚きました。
タラップから迎えの馬車に至るまでのまでの20mほどの間には周りよりも一段高くなった道が作られ、そこに敷かれた絨毯の上には、ピンク色、黄色、白、赤の鮮やかなの花弁がうずたかく敷き詰められています。
そして、(文字通りの)花道の左右には、びっしりと隙間なく、絨毯に向かって平伏した男女が、まるで折りの寿司ように並んでいたのです。
彼らの上にも、こぼれかかるように花弁がかけられ、平伏した人々は半分花弁に埋もれていたのでした。
私は老人の背中を降り、同行した夫と子供たちにも、老人の項をステップにするように促して、ともに花道を歩きながら、自分の思い違いに気づかされました。
私は「神の娘」としてこの民族の統治者になったのではなく、私自身、この民族の神になったのだ、ということです。
好むと好まざるとにかかわらず、これからは一人のアメリカ市民であると同時に一民族の神として振舞うことになるのだ、ということを、花の香りに包まれた30歩ほどの歩み間に悟ったのでした。

しかし、そのときは私はこの光景の意味するところを本当に部分的にしか理解していませんでした。
まず、最初に私が踏みつけた老人、おわかりでしょう、彼が天皇でした。
敷き詰められていたピンク色の花弁は桜、日本の象徴であり、黄色いは菊、天皇家の象徴です。そして白と赤の花弁に見えたのは、2cm四方に切り刻んだ日章旗と呼ばれる日本の国旗だったのです。
これは、日本の地を踏む前に日本の象徴を踏みつけてもらうことで、宗主国である米国の元首の代理人に対する恭順の意を示す意図で、駐日大使を迎えるにあって、前任者以前の代にも行われていた慣例でした。
ところが、「神の娘」である私の就任にあたっては、そのような記号的な象徴を踏んでもらうだけでは不十分ではないかという議論がおき、「国土だけではなく、国民の精神と肉体をお靴の下に踏みつけていただくという国民の総意を示す本来の趣旨」をかなえるには、国民を代表して天皇の肉体の上に、「日本での第一歩」を踏んでもらうべきだということになったのだそうです。

花道の両脇にひれ伏していた人々は、皇族および国会議員でした。
花見を歩いているときには気がつかなかったのですが、実は顔面を接地して平伏した彼らは、両手は、掌を上に向けて、花道の木製の土台の足の下に差し出されて、その下敷きになっていたのです。
花道の土台が接地しないように、左右合わせて100名ほどの「国民の代表」が掌で支えていたわけです。
彼らは天皇と違い、私に直接踏まれるのは畏れ多い。
しかし、国民を代表して間接的に踏まれる方法として、このような形がとられたのでした。
私の靴が直接踏みつけるのは天皇の体と花弁。
その下に絨毯が敷かれ、その下に木製の土台。
さらにその下に敷かれるのであれば、つまり、花道の土台の一部をなすのであれば、僭越に当たらないと判断されたのでした。
つまり私は、天皇の体(踏み台)と皇族・国会議員の体(土台)が部品として使われた花道を歩いていたのです。
花道の上を私と家族、秘書、国務省の随行員、それに私と家族の荷物が通ったので、その重量は相当なものだったでしょう。
当然、ほとんどの人は木製の土台の足と滑走路のアスファルトにはさまれる形で両掌骨を粉砕骨折したようですが、彼らはそれを誇らしげに「聖跡」と呼んで、「患部がこのまま回復しないでほしい」などと言う人も多くいたようです。

さて、花道を歩いて馬車に近づくと、先ほどタラップを降りるときに踏み台にした老人が、いつの間にか先回りして、馬車のドアを開け、ひざまずいて待っていました。
老人は左膝を着いて右膝を立て、その上に白い布を乗せて、顔を伏せています。私は花道の端から彼の膝をステップにして馬車に乗り込みました。
夫も、やや慎重にそれに続きましたが、老人の膝は少しぐらついてしまい、夫は老人の頭に手をかける格好になって馬車に乗り込みました。
馬車の中から見ていても、老人の緊張と狼狽が伝わってきました。
このとき同行していた次女のタチアナはそれを見て、英語でこんなことを言いました。
「そっちのステップを使ってもいいかしら?」
馬車にはもともと鉄製のステップがついていたので、不安定な老人の膝ではなく、そちらを使おうとしたのです。
老人は一瞬呆然となった後、あわててステップの前に正座し、両手のひらに白い布をかけ、そのまま手のひらをステップの上に乗せてたのです。
タチアナはあきれたように肩をそびやかした後、右足で老人の手のひらを踏んで馬車に乗り込みました。

馬車は大使館に向けて走り出しました。
私たちの乗った馬車が通る道路には、例の、日本と皇室を象徴する花弁が一面に敷き詰められていました。
そして両脇の街頭には、出迎えた夥しい数の日本人が道に向かって静かに平伏していました。
馬車の中では、私も夫もタチアナも、互いにとまどいをあえて出さないようにしていました。
そこで私は、幼少の頃の思い出話をしました。
ホワイトハウスで育った私が、リンドン・ジョンソン副大統領から送られたポニー“マカロニ”に乗っていたことは多くのアメリカ市民がご存知だと思いますが、実は副大統領からは、マカロニといっしょにマカロニの世話をする専属の黒人馬丁をプレゼントされていたんです。
私は絵本で見た黒人奴隷になぞらえてその馬丁を“サム”と名づけました。
9歳だった私には、黒人馬丁にももともと名前があるという発想がなかったんですね。
マカロニや他の動物たちと同じように名前をつけてやらなければならない存在でした。
サムはマカロニとともに寝起きして世話をしてくれ、私がマカロニに乗るときは、左膝を着いて右膝を立てて、その上にいつも真っ白な布をかけて踏み台になってくれたんです。
先ほどの老人と同じように。
私は夫とタチアナにサムの話をしました。
このとき夫は、あの老人が天皇ではないかという疑いをすでに抱いていたようですが、口にはしませんでした。
私はというと、まったくそのような思いには至らず、老人が、日本政府が私にプレゼントした専属の執事のような、まさにサムのような存在なのだろうな、となんとなく考えていました。
タチアナは、「あんなジェントルな人、初めて見たわ」なんて呑気に言っています。
馬車が大使公邸に着きました。
駐日米国大使公邸は、東京のど真ん中、かつての江戸城、そして皇居があった場所にあります。
敷地約200haは大使公邸としては大きいと思われるかもしれませんね。
しかし日本にとって米国大使公邸は「神殿」なのです。
そして日本の最高の神官は、天皇です。
天皇一家は、公邸の一隅に小屋を与えられて住んでいます。
米国大使一家の日常生活に仕えることが、彼らの存在意義なのです。
しかしこのときは、私たちはそのようなことは何も知りませんでした。
私たちが馬車を降りるとき、老人はドアを開けると、さきほどタチアナが乗るときにしたように、白い布をかけた両手のひらを鉄製のステップに乗せました。
いったい何の意味があるのかとお思いでしょうか。
布だけ敷けばいい。
しかし彼は、日本の国土と国民の象徴であって、私たちは彼の象徴的な意味を重視しなければなりません。
私の靴で日本の国土を直接踏むということは、日本人と同じ位置に立つということになる。
これは日本人にとっては大変に畏れ多いことなんですね。
額を地に付けても、私の靴と同じ高さになってしまう。
彼らは私の靴を頭上に仰ぐような位置にいなければ安心して額を地面から離すことができない。
そのためには、私の靴は、日本の国土を直接踏んではいけないし、絨毯や花弁などを敷いても心許ない。
私が日本の国土と国民よりも一段高い位置にいるのものの上に靴を置けば、国民は不敬の罪をまぬかれると思う。
それが天皇の体なんです。
だから天皇は私たちの靴に踏まれなければいけないし、私たちは天皇の体を踏み台にし、絨毯にし、足置きにする生活をしなければならないのです。
タチアナは彼の手を踏んで馬車から降りる前に、ふざけて「ありがとうテンキュ、サム」と声をかけていました。
彼はこのときタチアナに名前をつけてもらったのがたまらなくうれしかったらしく、すぐさま持ち物や衣服のネームをすべて「明仁」から「サム」に書き換えたそうです。
その後も私たち家族は彼を「サム」と呼んでいますが、それが許されるのは私たちだけです。
日本人にとっても、在留外国人にとっても彼は相変わらず「天皇明仁」ですが、私たち家族にとっては「サム」。
しかし、彼は神官として私たちに使えるために存在するのですから、彼にとっては、タチアナが名づけ、私が彼を呼ぶときに使う「サム」が彼の本当の名なのです。

私は一日に、何度サムを踏みつけるでしょうか。
朝、大使館に出勤するために公邸を出ると、彼は玄関を出て階段を下りきったところにぴったりと体全体を地面につけて平伏しています。
私が何時に家を出るか知らせるわけではないので、早朝からずっとこの姿勢で待っているわけです。
私は初めて日本の地を踏んだときと同じように、彼の項を踏みつけ、背中を踏み越えるようにして出て行くのです。
最初は驚きとまどい、一月ほどでこの行為の意味を理解し、次第に慣れ、半年が過ぎたころには、自分が毎朝人を踏みつけているのだということも、ほとんど意識しなくなりました。
彼はまさに私にとって、踏み台や絨毯や足置きと同じ存在になったのです。
これこそまさに、彼が神官として国民から負託された役割であり、彼が最も望んだことなのです。

みなさん、これが、絶対君主や奴隷主と、「神」との決定的な違いです。
人の信仰の対象となる、ということは、相手の「心」を「支配する」ということではありません。
「支配する」ということは、こちらが相手のことを必要とする、だからこちらでコントロールすることですね。
そのためには相手のことを理解し、知らなければならない。
しかし、「神」となって人の信仰の対象になるというのは、相手のことを理解することも、知ることも必要ありません。
静かに相手の「心」の上に足を置く、これだけなのです。
その後は足の下の存在を意識する必要もありませんし、忘れてもかまいません。
相手は常にこちらを必要としていて、こちらを求めている。
彼らの「心」の大部分はこちらのことで占められています。
そこにそっと足を置いてやればいいのです。

現に、忘れていました。
今この瞬間も、私の足の下にはサムがひれ伏していることを。

3月11日

3月11日
私は今陶酔している。
美しい。
美しすぎる。
地上に舞い降りた神々の宴を天上から見下ろしている気分だ。

平野を悠然と闊歩するポセイドン。
堤防はさながら框のよう。
そこは街だったのか。
漆黒の褥で睦みあうアポロンとアルテミス。

宴よ、3月11日。
私は今陶酔している。

摂氏1500度
「ねえみてキレー。」
「いいのかよ。旦那と息子が中にいるかも知れないんだろ。」
「いーの。あなたといるときに家のこと考えたくない。そうだ、ねぇ、乾杯しよ。ルームサービスでワイン頼んでさ。」
「いいね。なんか思い出すなー。学生の頃のキャンプ。」
「くすっ。夫と息子が私への最後のご奉仕として、あなたを喜ばせるキャンプファイアーの燃料になってくれたのかしら。」

焦土
いいの。テレビ消さないで。日本が滅茶苦茶になるの見ながらあなたに犯されたい。

巨人と囚人
大方の神々が去った。
すると、昂ぶった神々の前になすすべもなく蹂躙されていた灰色の巨人が、早くものろのろと動き出した。
知っていたさ。
彼は不死身だ。
巨人は生傷を残したまま、また囚人たちを睨みつける。
彼の支配から自由になったかのように錯覚し、うかれていた囚人たちを。
まだ去ろうとしないウラノスとハデスにわずかな期待をかけている囚人たちを。
しかたなく私もまた彼の後をついていく。
日常という灰色の巨人。

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【詩集ノート】

母娘
母親を下女のように引き連れて歩く美少女。
母も、娘自身もその美しさを誇り、陶酔している。
長身にポニーテール。
白地に花柄のミニスカートからみずみずと伸びる脚。
白肌と黒髪を夕陽がただただ黄金色に輝かせる。
美しい。
この日このときこの場所に居合わせるために、私の人生はあったのではないか。

ドトールコーヒーにいたカップル
「ねぇ、さっき見てたでしょぉ私たちのキス」

少女はただ
少女はただ
そこに居合わせただけ
美しく生まれついてしまった体を
清楚な制服でさりげなく着飾っただけ
しかしそれが
見るものをどれだけ昂ぶらせ
またどれだけ傷つけるのかを
少女は知っているのか

Wilson
制服の少女たちが行く
ポニーテール
うなじまで焼けて
夕暮れまで汗をかき
まだ元気をもてあましているのか

1メートルほど後ろを
明らかに知的障害を抱えたとわかる
太った少年が
4人分のラケットバッグを下げてついていく

少年よ
夕暮れまで汗をかき
Wilsonと記されたラケットバッグを抱きかかえるようにして
少女たちのラケットバッグにつつまれているような
心地を私も味わった
Wilsonと記されたラケットバッグ
少女たちのラケットバッグ

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