父の車で 1/3
私は父の運転する車の助手席に乗っていた。
カーラジオは昼のニュースを伝えている。
内閣総理大臣は衆議院の解散を決断し、まもなく総選挙が行われるという。
が、総理大臣の名前になんとなく違和感を覚える。
ニュースはその後、今日のジャイアンツの先発予想は斎藤で、ドラゴンズは小松か今中だろうと伝えた。
これを聞いて私は、さてはこれは夢なのではないかと疑った。
しかし、私の胸は、まもなく訪れる陶酔への期待に、張り裂けそうになっていて、これが夢でもかまわないと思っていた。
おそらくそれは父も同じであったろう。
父はとある公園の前で車を停めた。
この公園のことはよく知っていた。
斜面に立地していて段差や階段が多く、全体が緑に覆われていて、かくれんぼをするのには絶好の公園だ。
そこそこの大きさのある市民公園である。
平日のためか、人気は少ない。
父と私は軍手をはめてゴミ袋を持ち、箒と塵取りを使ってせっせと公園の一角の掃除を始めた。
ちょうど段差の踊り場のようになっていて、藤棚とベンチと植栽がある、30㎡くらいのエリアである。
特段汚くはなかったが、それでも念入りに掃除をすれば、けっこう吸殻やゴミはあるものである。
ベンチは丁寧に拭いた。
母は綺麗好きで、掃除は念入りにするよう厳しく躾られた。
掃除の後は「綺麗にした証」として床を舐めることを習慣付けられていたので、最後にベンチや飛び石をペロペロ舐めた。
すっかり掃除を終えると、父と私は生い茂る植栽の影で服を全部脱いで全裸になり、藤棚の下のベンチの前に土下座して母を待った。
両手と顔面をしっかりと地面につけ、鼻で地面を掘るようにして顔面全体を土に埋め、強く押し付けた。
約束の時間の一時間以上前には、相手を迎える体勢で待機するというのが、母が教えてくれた礼儀だった。
「相手の見てる前でだけ土下座しようなんて、そんなの形だけの土下座じゃない?」という母の一言で、眼から鱗が落ちた父と私は、母がいない場所でも、母がいる方角に向かって土下座するのが習慣になってしまった。
離れた場所で、母は食事をしているだろうか、デートの最中だろうか、ぐっすり眠っているのだろうか、そう思うとき、母が目の前にいる時と同じように土下座すると、不思議と頭上に母を感じられた。
母が父と私をまったく忘れ去っている時間も、私と父は耐えず母を思慕し、母の足下に平伏しているときと同じ緊張を保つ。
これが本物の礼儀であり、たった一言で母は、父と私にそれを教えてくれたのだ。
母に会えなくなった今でも、私と父は一日に数回はいっしょに母が住む街の方に向かって土下座している。
母は父と私に土下座のやり方を細かくしつけたりはしなかった。
ただ、「形だけの土下座」を許さなかった。
母の前に土下座したとき、後頭部を踏んでくれたら土下座のまま待機、頭頂部を蹴ってくれたら手はついたまま、数㎝顔をあげ、命令を聞く姿勢の合図である。そこからさらに顔面を蹴ってもらえれば、立ち上がってよいという合図だ。
命じる用があるときにはすぐにこの合図(答礼)をかけてくれるのだが、そうでもないときにはなかなかいずれの合図もかけてくれない。
土下座が「不合格」ということだ。
母は単に答礼を忘れているのかもしれないし、気まぐれに省略したのかもしれないが、それは父と私が問題にすべきことではなかった。
あるとき母が「土下座がなってないときは何もしないから」と言ったこと(母は言ったことも忘れたかもしれないが)がすべてであり、答礼がない限りは礼を失した「形だけの土下座」をしているんだと猛烈に反省した。
父と私は母に対して相応しい土下座の仕方を追求した。
まず、母に答礼をしてもらおうとするのをやめた。
答礼をするかしないかは「母の世界」に属することで、父と私が考えたり望んだりしてはいけないことである。
そうではなくて、自分たちなりに母の恩義に対する感謝を土下座の形で精一杯示そうとおもった。
そう考えると、母が足を動かして自分の後頭部を踏んでくれない限り、どうやっても母の穿いているスリッパやサンダルよりも、自分の頭を下に置けないというのがどうにも無礼な感じがした。
本来なら自ら頭を相手の履き物の下に差し出すべきなのは明白だった。
そこで、せめて顔面をとにかく床や地面に強く押し付けることで、無礼を侘びようとおもった。
フローリングの床や舗装された地面の場合は、額と鼻骨がしっかり接地するまで顔を押し付けた。
絨毯や土の場合は、可能な限り顔面をめり込ませた。
父と私はその姿勢のまま母を待った。
あまりの期待感に動悸は高まりっぱなしだった。
このまま母がこなくても、一日中父とこうして母を思いながら土下座しているのも悪くないとおもった。
やがて人の足音が聞こえた。
懐かしい、母のサンダルの足音だ。
若い男性と楽しげに談笑する母の声は、何も変わっていなかった。
ペタペタという犬の足音も聞こえた。
どうしようもなく胸が高まった。
「そうそうそれでねー」
談笑したまま、父と私の頭頂部をサンダルの固い爪先で無造作に蹴ってくれた。
母のロングスカートの裾の、夏花のような、高貴な匂いとともに、懐かしい甘美な快感が頭頂部から脊髄に走った。
父と私は全裸だから、土下座の姿勢でも、その瞬間に二人が射精してしまったことは、上から見下ろして者からはまるわかりだったろう。
しかし、頭頂部を蹴ってくれたのはサーヴィスではなく、顔をあげろという合図である。
ただし、仰ぎ見ていいのは相手の膝から下までだ。
相手は全裸の自分たちの体を上から見下ろして、考えていることまで手に取るような分かるであろうに、自分たちは相手の体を畏れ多くて見上げることができない。
このスタンスも、「私は別にあなたたちが何を考えてるのか知りたくもないけど、知ってほしいんだったら、一目で分かるように、私の前では裸におなりなさいな。」
「私が何をしているか、何を考えてるかをあなたたちが知る必要があるかしら?それってすっごく不躾じゃない?あなたたちが知る必要があるのは私があなたたちに何をさせたいかだけでしょう?」
という言葉で母が父と私に教えてくれたものだ。
父と私は手をついたまま、ゆっくりと顔をあげた。
ストラップの白いサンダルを穿いた彫像のように美しい足、肌は白磁のように白く、これまた白地に淡い花柄のスカートの裾がふんわりと揺れて、懐かしい母の高貴な匂いが父と私の顔に降った。
母は自分が今なお、父と私を以前と同様に扱う権利を有する存在であることを父と私に思い知らせるには、足下を見せてやるだけで十分だということを心得ていた。
母の左には若い男性のシューズがあり、二人はベンチには腰かけず立っていた。
母の右には中型の犬が首輪をつけて座っていた。
父と私は改めて母の恋人に向かって地面に顔をめり込ませるあいさつをした。
「ねーしてあげてよ」
と、母が恋人に答礼を促してくれたが、母の恋人は父と私の頭を蹴るのをためらっているようだった。
「じゃーしてくれたら、(コショコショコショ)」
という囁きが聞こえた後、ゴム底のシューズの爪先が、父と私の頭頂部を蹴ってくれた。
「じゃー次はジョン」
という母の声によって、父と私は犬の方に向かって土下座した。
さすがに答礼はないかと思ったが、犬は父と私の頭の上を歩いてくれた。
「私の彼と友達には私にするのと同じ礼儀で接すること」というのは母がもっとも厳しく父と私にしつけた教えだったし、母の持ち物や身につけていた物に向かって土下座することもあったので、父と私にとっては、母の犬に土下座するのも踏まれるのも、まったく躊躇はなかった。
母は父より5歳若い。結婚前はモデルをしていたそうだが、結婚後もその美しさを保ち私を生んでしばらくしてからモデルに復帰した。
小さい頃から母は私に愛情を注がず、幼い私の世話はほとんどすべて父がしてくれた。
父は祖父の会社の役員として働きながら、母にはほとんど家事をさせず、すべて自分で引き受けた。
私も小さい頃から家事を手伝った。
父と私は朝早く起きて出来る限りの家事を済ませ、母のために朝食を作ってから眠っている母にあいさつをして会社と学校に行った。
母は朝食にはほとんど手をつけなかったが、たまーに一口二口食べてくれるのがうれしくて、毎朝作った。
母は昼頃に起き出して出かけ、だいたい夜遅くまで帰ってこなかった。
父と私は家事を済ませ、夕食を作ってどんなにおそくなっても先には食べず、風呂も絶対に母より先には入らなかった。
10時くらいになると二人で玄関に座って母を待った。
母が帰った気配がすると父と私はもううれしくてうれしくて、泣きそうになるのを我慢して母にあいさつをした。
家に帰ると母はだいたいすぐ風呂に入って寝室に行ってしまい、夕食もほとんどたべてくれなかったがたまにほんの少し食べてくれると、父も私もうれしくて、母の食べかけをデジカメにとったりした。
それを見た母は呆れて、歯磨きの泡をわざと床にたらして、「これも撮っておけば、残飯父子。」なんて言った。
続き
カーラジオは昼のニュースを伝えている。
内閣総理大臣は衆議院の解散を決断し、まもなく総選挙が行われるという。
が、総理大臣の名前になんとなく違和感を覚える。
ニュースはその後、今日のジャイアンツの先発予想は斎藤で、ドラゴンズは小松か今中だろうと伝えた。
これを聞いて私は、さてはこれは夢なのではないかと疑った。
しかし、私の胸は、まもなく訪れる陶酔への期待に、張り裂けそうになっていて、これが夢でもかまわないと思っていた。
おそらくそれは父も同じであったろう。
父はとある公園の前で車を停めた。
この公園のことはよく知っていた。
斜面に立地していて段差や階段が多く、全体が緑に覆われていて、かくれんぼをするのには絶好の公園だ。
そこそこの大きさのある市民公園である。
平日のためか、人気は少ない。
父と私は軍手をはめてゴミ袋を持ち、箒と塵取りを使ってせっせと公園の一角の掃除を始めた。
ちょうど段差の踊り場のようになっていて、藤棚とベンチと植栽がある、30㎡くらいのエリアである。
特段汚くはなかったが、それでも念入りに掃除をすれば、けっこう吸殻やゴミはあるものである。
ベンチは丁寧に拭いた。
母は綺麗好きで、掃除は念入りにするよう厳しく躾られた。
掃除の後は「綺麗にした証」として床を舐めることを習慣付けられていたので、最後にベンチや飛び石をペロペロ舐めた。
すっかり掃除を終えると、父と私は生い茂る植栽の影で服を全部脱いで全裸になり、藤棚の下のベンチの前に土下座して母を待った。
両手と顔面をしっかりと地面につけ、鼻で地面を掘るようにして顔面全体を土に埋め、強く押し付けた。
約束の時間の一時間以上前には、相手を迎える体勢で待機するというのが、母が教えてくれた礼儀だった。
「相手の見てる前でだけ土下座しようなんて、そんなの形だけの土下座じゃない?」という母の一言で、眼から鱗が落ちた父と私は、母がいない場所でも、母がいる方角に向かって土下座するのが習慣になってしまった。
離れた場所で、母は食事をしているだろうか、デートの最中だろうか、ぐっすり眠っているのだろうか、そう思うとき、母が目の前にいる時と同じように土下座すると、不思議と頭上に母を感じられた。
母が父と私をまったく忘れ去っている時間も、私と父は耐えず母を思慕し、母の足下に平伏しているときと同じ緊張を保つ。
これが本物の礼儀であり、たった一言で母は、父と私にそれを教えてくれたのだ。
母に会えなくなった今でも、私と父は一日に数回はいっしょに母が住む街の方に向かって土下座している。
母は父と私に土下座のやり方を細かくしつけたりはしなかった。
ただ、「形だけの土下座」を許さなかった。
母の前に土下座したとき、後頭部を踏んでくれたら土下座のまま待機、頭頂部を蹴ってくれたら手はついたまま、数㎝顔をあげ、命令を聞く姿勢の合図である。そこからさらに顔面を蹴ってもらえれば、立ち上がってよいという合図だ。
命じる用があるときにはすぐにこの合図(答礼)をかけてくれるのだが、そうでもないときにはなかなかいずれの合図もかけてくれない。
土下座が「不合格」ということだ。
母は単に答礼を忘れているのかもしれないし、気まぐれに省略したのかもしれないが、それは父と私が問題にすべきことではなかった。
あるとき母が「土下座がなってないときは何もしないから」と言ったこと(母は言ったことも忘れたかもしれないが)がすべてであり、答礼がない限りは礼を失した「形だけの土下座」をしているんだと猛烈に反省した。
父と私は母に対して相応しい土下座の仕方を追求した。
まず、母に答礼をしてもらおうとするのをやめた。
答礼をするかしないかは「母の世界」に属することで、父と私が考えたり望んだりしてはいけないことである。
そうではなくて、自分たちなりに母の恩義に対する感謝を土下座の形で精一杯示そうとおもった。
そう考えると、母が足を動かして自分の後頭部を踏んでくれない限り、どうやっても母の穿いているスリッパやサンダルよりも、自分の頭を下に置けないというのがどうにも無礼な感じがした。
本来なら自ら頭を相手の履き物の下に差し出すべきなのは明白だった。
そこで、せめて顔面をとにかく床や地面に強く押し付けることで、無礼を侘びようとおもった。
フローリングの床や舗装された地面の場合は、額と鼻骨がしっかり接地するまで顔を押し付けた。
絨毯や土の場合は、可能な限り顔面をめり込ませた。
父と私はその姿勢のまま母を待った。
あまりの期待感に動悸は高まりっぱなしだった。
このまま母がこなくても、一日中父とこうして母を思いながら土下座しているのも悪くないとおもった。
やがて人の足音が聞こえた。
懐かしい、母のサンダルの足音だ。
若い男性と楽しげに談笑する母の声は、何も変わっていなかった。
ペタペタという犬の足音も聞こえた。
どうしようもなく胸が高まった。
「そうそうそれでねー」
談笑したまま、父と私の頭頂部をサンダルの固い爪先で無造作に蹴ってくれた。
母のロングスカートの裾の、夏花のような、高貴な匂いとともに、懐かしい甘美な快感が頭頂部から脊髄に走った。
父と私は全裸だから、土下座の姿勢でも、その瞬間に二人が射精してしまったことは、上から見下ろして者からはまるわかりだったろう。
しかし、頭頂部を蹴ってくれたのはサーヴィスではなく、顔をあげろという合図である。
ただし、仰ぎ見ていいのは相手の膝から下までだ。
相手は全裸の自分たちの体を上から見下ろして、考えていることまで手に取るような分かるであろうに、自分たちは相手の体を畏れ多くて見上げることができない。
このスタンスも、「私は別にあなたたちが何を考えてるのか知りたくもないけど、知ってほしいんだったら、一目で分かるように、私の前では裸におなりなさいな。」
「私が何をしているか、何を考えてるかをあなたたちが知る必要があるかしら?それってすっごく不躾じゃない?あなたたちが知る必要があるのは私があなたたちに何をさせたいかだけでしょう?」
という言葉で母が父と私に教えてくれたものだ。
父と私は手をついたまま、ゆっくりと顔をあげた。
ストラップの白いサンダルを穿いた彫像のように美しい足、肌は白磁のように白く、これまた白地に淡い花柄のスカートの裾がふんわりと揺れて、懐かしい母の高貴な匂いが父と私の顔に降った。
母は自分が今なお、父と私を以前と同様に扱う権利を有する存在であることを父と私に思い知らせるには、足下を見せてやるだけで十分だということを心得ていた。
母の左には若い男性のシューズがあり、二人はベンチには腰かけず立っていた。
母の右には中型の犬が首輪をつけて座っていた。
父と私は改めて母の恋人に向かって地面に顔をめり込ませるあいさつをした。
「ねーしてあげてよ」
と、母が恋人に答礼を促してくれたが、母の恋人は父と私の頭を蹴るのをためらっているようだった。
「じゃーしてくれたら、(コショコショコショ)」
という囁きが聞こえた後、ゴム底のシューズの爪先が、父と私の頭頂部を蹴ってくれた。
「じゃー次はジョン」
という母の声によって、父と私は犬の方に向かって土下座した。
さすがに答礼はないかと思ったが、犬は父と私の頭の上を歩いてくれた。
「私の彼と友達には私にするのと同じ礼儀で接すること」というのは母がもっとも厳しく父と私にしつけた教えだったし、母の持ち物や身につけていた物に向かって土下座することもあったので、父と私にとっては、母の犬に土下座するのも踏まれるのも、まったく躊躇はなかった。
母は父より5歳若い。結婚前はモデルをしていたそうだが、結婚後もその美しさを保ち私を生んでしばらくしてからモデルに復帰した。
小さい頃から母は私に愛情を注がず、幼い私の世話はほとんどすべて父がしてくれた。
父は祖父の会社の役員として働きながら、母にはほとんど家事をさせず、すべて自分で引き受けた。
私も小さい頃から家事を手伝った。
父と私は朝早く起きて出来る限りの家事を済ませ、母のために朝食を作ってから眠っている母にあいさつをして会社と学校に行った。
母は朝食にはほとんど手をつけなかったが、たまーに一口二口食べてくれるのがうれしくて、毎朝作った。
母は昼頃に起き出して出かけ、だいたい夜遅くまで帰ってこなかった。
父と私は家事を済ませ、夕食を作ってどんなにおそくなっても先には食べず、風呂も絶対に母より先には入らなかった。
10時くらいになると二人で玄関に座って母を待った。
母が帰った気配がすると父と私はもううれしくてうれしくて、泣きそうになるのを我慢して母にあいさつをした。
家に帰ると母はだいたいすぐ風呂に入って寝室に行ってしまい、夕食もほとんどたべてくれなかったがたまにほんの少し食べてくれると、父も私もうれしくて、母の食べかけをデジカメにとったりした。
それを見た母は呆れて、歯磨きの泡をわざと床にたらして、「これも撮っておけば、残飯父子。」なんて言った。
続き
父の車で 2/3
前を読む
母は次第に外泊が多くなり、たまに若い男性を家に連れてくるようになった。
父は母を車で恋人の家に送っていったり、母の恋人を車で迎えに行ったり、母と恋人のデートに父が運転手としてついていったりしていた。
一人家に残された私は、美しい母と素敵な恋人との華やかでロマンティックなデートに同行できる父がうらやましくてしかたなかった。
事実、父は母を送って帰ってくると、のぼせたような陶酔しきった顔をしていて、「母さん綺麗だったなぁ、彼氏もかっこよくて、夢みたいだった」なんて言ってまるで自分がデートしたかのようだった。
ある日母は、リビングのソファーに腰かけて、父と私を正座させた。
母は数時間そのまま、テレビを見たり雑誌に目を通したり、コーヒーを飲んだりしていた。
父と私は改めて母の美しさを見せつけられる思いだった。
その後母は雑誌に目を落としたまま言った。
「あなたたち、私が自由に恋愛すること、どう思う?」
父が答えた。
「もちろん全面的に協力するよ」
私も負けじと答えた。
「僕も母さんが若い男の人とデートしてるとうれしい」
「ふん、でもね、やっぱり私にとってはあなたたちがいること自体が私の恋愛の妨げになるの。男の人はどうしても既婚で子持ちだと敬遠するから」
「あなたたちがいなければ私はもっとモテるし、もっと自由にいろんなことができるし、例えばデートしてるときに、私はあなたたちのことなんか忘れて楽しんでいるけど、相手が「ご主人やお子さんはいいんですか」って、なんか気を使わせて悪いなーって」
「だから私、もう一回完全に自由になってやり直したいの。」
父と私はガクガク震え、むせび泣いた。
なんで泣いているのか、母に疎まれる悲しみ、捨てられる恐怖、そんなことよりも、自分たちが母の幸福の妨げになっていたことに対する申し訳なさがあふれでて、「ごめんなさい」とも「すいません」とも「許してください」とも言えずにただ泣きながら、母の足下の床に手と顔をつけた。
母はまた雑誌を見たり、友達と電話で話したりしてた後どこかへ言ってしまったが、父と私はその姿勢のまま泣き続けた。
そして気づくと、私はそのとき生まれて初めて性器に触れずに射精していた。
これが、父と私が初めて母の足下に土下座したときだったが、その後は、次の日の朝のあいさつから、土下座が父と私の、母に対する「基本姿勢」になった。
父と私の存在が、母の「完全な自由」の妨げになっている、これを父と私は「原罪」と名づけた。
母が父と私を捨てれば、原罪は将来に向かって贖われる。
母がそれをしないでくれていることは母の慈悲であり、恩寵である。
父と私が母の足下にまとわりつく限り、父と私は母に対して原罪の赦しを乞い続けなければならない。
これを姿勢で表すのが土下座であり、行動で表すのが母への服従・奉仕である。
原罪を意識すると、そこから父と私の母に対するたくさんの「罪」が見つかった。
土下座しても父と私の頭部を母の履物よりも下に、本来の位置にもっていくことができないのは「非礼」、本来はすべて母のために使われるべき父の給与や配当の一部を、父と私が生活費として使ってしまうのは「横領」ととらえた。
とてもとても贖いきれない原罪は、いずれ父と私が母に捨てられることで贖われなければならないことはわかっていながら、その日を一日でも延期しようと、母の慈悲にすがった。
父と私は母の命令には即座に完全に服従すること、全身全霊をもって母の生活と行動に奉仕することを誓った。
それからの日々は本当に夢のようだった。
母は父と私に話しかけずに用を命じた。
右の掌を踏みつけたら買い物、左の側頭部を蹴ったら送迎、といった具合に。
こうして母が父と私を完全にモノとして扱うことで、母の恋人や友達のなかには、父と私が部屋に平伏して侍っていても、気兼ねしない人がでてきた。
父と私が下に裸で平伏しているソファーやベッドで母が恋人と愛を営むこともあった。
一番楽しかったのはお使いゲームだ。
母は近所の一人暮らしの美大生と仲良くなった。
すごくさわやかでおしゃれでかっこいい人だった。
母の恋人はモデルや派手なお金持ちが多かったが、その彼は気まぐれでかわいがっていたみたいだった。
彼のほうは母に夢中で、ファンみたいな感じだった。
母はその彼に週に2、3回会っていたが、父と私は母の命令で毎日彼の部屋に行き、家事をした。
彼の部屋の合鍵をもらい、留守中でも入って食事を届け、丁寧に掃除をし、家で洗濯した衣類やシーツを届けて、汚れ物を持って帰った。
彼の工房は別にあったが、部屋の中も美大生らしく、いろんな画材が几帳面に整理しておいてあった。
そして、母が載った雑誌の切り抜きや、彼自身が描いた母の絵が貼ってあった。
母の恋人や友達に対する礼儀は母に対するものと同じだ。
彼の靴を磨く前には彼の靴に向かって、ベッドルームに入る前にはベッドに向かって、汚れ物を籠に入れる前には脱ぎ捨てられた一つ一つの下着類に向かって土下座をしたし、便器を磨く前にも同様だ。
その日の家事を丹念にできたかどうか、母に報告するために、彼に"サイン"をもらう必要があった。
"サイン"はタバコの火を押し付けた火傷の痕だった。
家事の出来栄えに対する満足度に応じて痕をつけてもらえた。
彼は父と私に用を言いつけては、チップを支払うような感覚でタバコを裸の体の適当なところに押し付け、"サイン"をしてくれた。
彼がタバコをポンポンとするのは、用を言いつける合図だった。
父と私にとっては、体中に"サイン"が増えていくのを母に見られるのが、何よりも嬉しいのだと彼も分かっていた。
父と私はそれぞれポケットベルをもって、そこには母からも、母の恋人や友達からも命令が入った。
ポケットベルに命令が入ったときはもう飛び上がるくらいうれしかったが、一番頻繁に命令をくれたのもその大学生の彼だった。
母と彼がたまに気まぐれに、電話やポケベルを使わずに私を使ってやりとりをしてくれるのがお使いゲームだった。
私が彼の部屋に食事や品物を届けると、彼がルーズリーフに1行か2行、母へのメッセージを書き、私はそれをダッシュで母の元に届け、母はそのルーズリーフに2、3行返事を書き、私はまたダッシュで彼の部屋に届ける…これを5往復くらいしたのが最初だった。
電話やポケベルをつかっても済むような話を、わざわざ私をつかってくれたのが本当にうれしかった。
もちろん、恋文の内容を読むなんて畏れ多いことができるはずもないが、自分が母の恋愛の「手段」になっていることが嬉しくてたまらなかった。
グラスに入ったワインを、母と彼が交互に一口づつ飲むのを、往復して届けたときもあったが、そのときはトレイに乗せたグラスからワインがこぼれないようにするのに必死だった。
あるとき、私を使った母と彼の恋文のやり取りが盛り上がって、母の番になってルーズリーフがいっぱいになったようだった。
私が届けたルーズリーフを受けとると、彼はしばらく考えている様子で黙っていたが、やがて足下に裸で平伏している私の頭頂部をポンと蹴り、「頼むわ」と言って、ハンガーに掛かったワイシャツを指差した。
私は慌ててアイロンを用意し、丁寧にワイシャツのしわを延ばす作業にかかった。
全裸なので、アイロンの温度を生々しく感じる。
彼は机に向かい、しばらくは壁に貼った母の写真や絵を眺めたり、時折視線を私の方へ向けているようだったが、やがてなにやら余念なく作業を始めた。
ペンを走らせる音に続いてチキチキチキとカッターの刃をずらす音。
しばらくして彼は独り言のように呟いた。
「俺さ、親いないんだ」
これから行われることがなんとなくわかった私は、ワイシャツをハンガーに掛けたあと、アイロンの温度を210℃にしたままスタンドに戻してテーブルの上に載せ、そのテーブルの下に平伏した。
やがて私の背中にボール紙のようなものが置かれ、続いて、タバコの"サイン"をもらっているときとは比べ物にならない激痛に襲われた。
ルーズリーフの最後に書かれた母のメッセージは、「続きはこの子に書きましょう」といった類のものだったのだろう。
私をルーズリーフの代わりにするのだが、その方法は彼に委ねた。
母を喜ばせるロマンティックなサプライズを考えるのが彼の役割だ。
タバコを押し付けた火傷をたくさん作って「点描」にすることも考えられたろうが、工房で作ったメッセージ入りのアクセサリーを母にプレゼントしていたりしていた彼が考えたのは、台紙に書いたメッセージを切り抜いて型をつくり、型の上からアイロンを押し付けて、メッセージの焼き印をする方法だった。
作業が終わると、彼は厚紙の端に何か走り書きをして私に渡した。
私はそれを抱えて猛ダッシュで家に帰って母に渡し、ソファーに腰かけた母の足下に裸で平伏した。
母は彼のサプライズに満足したことだろう、上機嫌で私の後頭部をスリッパでグリグリと踏みつけながら、厚紙にペンを走らせた。
書き終えると母は私の頭頂部をポンと蹴って、台紙をまた彼の元へ届けさせた。
彼は厚紙を受けとると机に向かって作業を始めたので、私はアイロンを加熱しようとすると、彼は「いやいや」と言って笑った。
彼は型を作り終えると私に渡し、また家に走らせた。
母の書いたメッセージは、母が焼くのだ。
期待で心臓が破裂しそうだった。
型を受けとると母は念のため、まず父の背中使って2回「試し焼き」をした。
(あるいはこれも、父の祈るような願望を感じとった母の慈悲なのかもしれない。)
その後私に「本番」の焼き印をした。
数日後、彼の誕生日に彼の部屋で、母と彼の共同作業によって私の背中に「仕上げ」の焼き印が押された。
母と彼は食後のコーヒーを楽しみながら、テーブルの下に平伏した私の背中と、彼が厚紙に書いた下書きを見比べて、あれこれデザインしているようだった。
背中に台紙の上からアイロンが押し付けられている数秒間、頭上に母と彼が唇を吸い合う甘酸っぱい音が聞こえ、激痛を忘れる思いがした。
例え自分の体に刻まれたものであっても、それは母と彼の交わしたメッセージであり、ルーズリーフの代わりである私が読むことなど畏れ多くて出来なかったが、父の背中に試し焼きされた母からのメッセージはどうしても目に入った。
「You're My Boy」
これを見て胸はキューンとときめいた。
この「Boy」が自分のことであったらどんなにかうれしいのに、自分の体に刻まれている「Boy」は、あの美しい青年なのだ。
ずーと後になって、鏡を合わせて背中のメッセージの全貌を見た。
彼からのメッセージは、
「I'm Your Boy」
それぞれメッセージの横に彼と母のイニシャルがあり、2つのイニシャルをかっこよく歪んだハートマークのリングが繋いでいた。
イニシャルとハートのデザインは、仕上げに押されたものだろう。
母にとっては、2つの「Boy」はもちろんどちらも、彼のことだ。
私は彼との記念を刻んだルーズリーフの代わりに過ぎない。
しかし、今では彼のメッセージの「I'm Your Boy」には、彼の芸術家らしいお洒落でアイロニックなダブルミーニングが込められているのではないかと思っている。
続き
母は次第に外泊が多くなり、たまに若い男性を家に連れてくるようになった。
父は母を車で恋人の家に送っていったり、母の恋人を車で迎えに行ったり、母と恋人のデートに父が運転手としてついていったりしていた。
一人家に残された私は、美しい母と素敵な恋人との華やかでロマンティックなデートに同行できる父がうらやましくてしかたなかった。
事実、父は母を送って帰ってくると、のぼせたような陶酔しきった顔をしていて、「母さん綺麗だったなぁ、彼氏もかっこよくて、夢みたいだった」なんて言ってまるで自分がデートしたかのようだった。
ある日母は、リビングのソファーに腰かけて、父と私を正座させた。
母は数時間そのまま、テレビを見たり雑誌に目を通したり、コーヒーを飲んだりしていた。
父と私は改めて母の美しさを見せつけられる思いだった。
その後母は雑誌に目を落としたまま言った。
「あなたたち、私が自由に恋愛すること、どう思う?」
父が答えた。
「もちろん全面的に協力するよ」
私も負けじと答えた。
「僕も母さんが若い男の人とデートしてるとうれしい」
「ふん、でもね、やっぱり私にとってはあなたたちがいること自体が私の恋愛の妨げになるの。男の人はどうしても既婚で子持ちだと敬遠するから」
「あなたたちがいなければ私はもっとモテるし、もっと自由にいろんなことができるし、例えばデートしてるときに、私はあなたたちのことなんか忘れて楽しんでいるけど、相手が「ご主人やお子さんはいいんですか」って、なんか気を使わせて悪いなーって」
「だから私、もう一回完全に自由になってやり直したいの。」
父と私はガクガク震え、むせび泣いた。
なんで泣いているのか、母に疎まれる悲しみ、捨てられる恐怖、そんなことよりも、自分たちが母の幸福の妨げになっていたことに対する申し訳なさがあふれでて、「ごめんなさい」とも「すいません」とも「許してください」とも言えずにただ泣きながら、母の足下の床に手と顔をつけた。
母はまた雑誌を見たり、友達と電話で話したりしてた後どこかへ言ってしまったが、父と私はその姿勢のまま泣き続けた。
そして気づくと、私はそのとき生まれて初めて性器に触れずに射精していた。
これが、父と私が初めて母の足下に土下座したときだったが、その後は、次の日の朝のあいさつから、土下座が父と私の、母に対する「基本姿勢」になった。
父と私の存在が、母の「完全な自由」の妨げになっている、これを父と私は「原罪」と名づけた。
母が父と私を捨てれば、原罪は将来に向かって贖われる。
母がそれをしないでくれていることは母の慈悲であり、恩寵である。
父と私が母の足下にまとわりつく限り、父と私は母に対して原罪の赦しを乞い続けなければならない。
これを姿勢で表すのが土下座であり、行動で表すのが母への服従・奉仕である。
原罪を意識すると、そこから父と私の母に対するたくさんの「罪」が見つかった。
土下座しても父と私の頭部を母の履物よりも下に、本来の位置にもっていくことができないのは「非礼」、本来はすべて母のために使われるべき父の給与や配当の一部を、父と私が生活費として使ってしまうのは「横領」ととらえた。
とてもとても贖いきれない原罪は、いずれ父と私が母に捨てられることで贖われなければならないことはわかっていながら、その日を一日でも延期しようと、母の慈悲にすがった。
父と私は母の命令には即座に完全に服従すること、全身全霊をもって母の生活と行動に奉仕することを誓った。
それからの日々は本当に夢のようだった。
母は父と私に話しかけずに用を命じた。
右の掌を踏みつけたら買い物、左の側頭部を蹴ったら送迎、といった具合に。
こうして母が父と私を完全にモノとして扱うことで、母の恋人や友達のなかには、父と私が部屋に平伏して侍っていても、気兼ねしない人がでてきた。
父と私が下に裸で平伏しているソファーやベッドで母が恋人と愛を営むこともあった。
一番楽しかったのはお使いゲームだ。
母は近所の一人暮らしの美大生と仲良くなった。
すごくさわやかでおしゃれでかっこいい人だった。
母の恋人はモデルや派手なお金持ちが多かったが、その彼は気まぐれでかわいがっていたみたいだった。
彼のほうは母に夢中で、ファンみたいな感じだった。
母はその彼に週に2、3回会っていたが、父と私は母の命令で毎日彼の部屋に行き、家事をした。
彼の部屋の合鍵をもらい、留守中でも入って食事を届け、丁寧に掃除をし、家で洗濯した衣類やシーツを届けて、汚れ物を持って帰った。
彼の工房は別にあったが、部屋の中も美大生らしく、いろんな画材が几帳面に整理しておいてあった。
そして、母が載った雑誌の切り抜きや、彼自身が描いた母の絵が貼ってあった。
母の恋人や友達に対する礼儀は母に対するものと同じだ。
彼の靴を磨く前には彼の靴に向かって、ベッドルームに入る前にはベッドに向かって、汚れ物を籠に入れる前には脱ぎ捨てられた一つ一つの下着類に向かって土下座をしたし、便器を磨く前にも同様だ。
その日の家事を丹念にできたかどうか、母に報告するために、彼に"サイン"をもらう必要があった。
"サイン"はタバコの火を押し付けた火傷の痕だった。
家事の出来栄えに対する満足度に応じて痕をつけてもらえた。
彼は父と私に用を言いつけては、チップを支払うような感覚でタバコを裸の体の適当なところに押し付け、"サイン"をしてくれた。
彼がタバコをポンポンとするのは、用を言いつける合図だった。
父と私にとっては、体中に"サイン"が増えていくのを母に見られるのが、何よりも嬉しいのだと彼も分かっていた。
父と私はそれぞれポケットベルをもって、そこには母からも、母の恋人や友達からも命令が入った。
ポケットベルに命令が入ったときはもう飛び上がるくらいうれしかったが、一番頻繁に命令をくれたのもその大学生の彼だった。
母と彼がたまに気まぐれに、電話やポケベルを使わずに私を使ってやりとりをしてくれるのがお使いゲームだった。
私が彼の部屋に食事や品物を届けると、彼がルーズリーフに1行か2行、母へのメッセージを書き、私はそれをダッシュで母の元に届け、母はそのルーズリーフに2、3行返事を書き、私はまたダッシュで彼の部屋に届ける…これを5往復くらいしたのが最初だった。
電話やポケベルをつかっても済むような話を、わざわざ私をつかってくれたのが本当にうれしかった。
もちろん、恋文の内容を読むなんて畏れ多いことができるはずもないが、自分が母の恋愛の「手段」になっていることが嬉しくてたまらなかった。
グラスに入ったワインを、母と彼が交互に一口づつ飲むのを、往復して届けたときもあったが、そのときはトレイに乗せたグラスからワインがこぼれないようにするのに必死だった。
あるとき、私を使った母と彼の恋文のやり取りが盛り上がって、母の番になってルーズリーフがいっぱいになったようだった。
私が届けたルーズリーフを受けとると、彼はしばらく考えている様子で黙っていたが、やがて足下に裸で平伏している私の頭頂部をポンと蹴り、「頼むわ」と言って、ハンガーに掛かったワイシャツを指差した。
私は慌ててアイロンを用意し、丁寧にワイシャツのしわを延ばす作業にかかった。
全裸なので、アイロンの温度を生々しく感じる。
彼は机に向かい、しばらくは壁に貼った母の写真や絵を眺めたり、時折視線を私の方へ向けているようだったが、やがてなにやら余念なく作業を始めた。
ペンを走らせる音に続いてチキチキチキとカッターの刃をずらす音。
しばらくして彼は独り言のように呟いた。
「俺さ、親いないんだ」
これから行われることがなんとなくわかった私は、ワイシャツをハンガーに掛けたあと、アイロンの温度を210℃にしたままスタンドに戻してテーブルの上に載せ、そのテーブルの下に平伏した。
やがて私の背中にボール紙のようなものが置かれ、続いて、タバコの"サイン"をもらっているときとは比べ物にならない激痛に襲われた。
ルーズリーフの最後に書かれた母のメッセージは、「続きはこの子に書きましょう」といった類のものだったのだろう。
私をルーズリーフの代わりにするのだが、その方法は彼に委ねた。
母を喜ばせるロマンティックなサプライズを考えるのが彼の役割だ。
タバコを押し付けた火傷をたくさん作って「点描」にすることも考えられたろうが、工房で作ったメッセージ入りのアクセサリーを母にプレゼントしていたりしていた彼が考えたのは、台紙に書いたメッセージを切り抜いて型をつくり、型の上からアイロンを押し付けて、メッセージの焼き印をする方法だった。
作業が終わると、彼は厚紙の端に何か走り書きをして私に渡した。
私はそれを抱えて猛ダッシュで家に帰って母に渡し、ソファーに腰かけた母の足下に裸で平伏した。
母は彼のサプライズに満足したことだろう、上機嫌で私の後頭部をスリッパでグリグリと踏みつけながら、厚紙にペンを走らせた。
書き終えると母は私の頭頂部をポンと蹴って、台紙をまた彼の元へ届けさせた。
彼は厚紙を受けとると机に向かって作業を始めたので、私はアイロンを加熱しようとすると、彼は「いやいや」と言って笑った。
彼は型を作り終えると私に渡し、また家に走らせた。
母の書いたメッセージは、母が焼くのだ。
期待で心臓が破裂しそうだった。
型を受けとると母は念のため、まず父の背中使って2回「試し焼き」をした。
(あるいはこれも、父の祈るような願望を感じとった母の慈悲なのかもしれない。)
その後私に「本番」の焼き印をした。
数日後、彼の誕生日に彼の部屋で、母と彼の共同作業によって私の背中に「仕上げ」の焼き印が押された。
母と彼は食後のコーヒーを楽しみながら、テーブルの下に平伏した私の背中と、彼が厚紙に書いた下書きを見比べて、あれこれデザインしているようだった。
背中に台紙の上からアイロンが押し付けられている数秒間、頭上に母と彼が唇を吸い合う甘酸っぱい音が聞こえ、激痛を忘れる思いがした。
例え自分の体に刻まれたものであっても、それは母と彼の交わしたメッセージであり、ルーズリーフの代わりである私が読むことなど畏れ多くて出来なかったが、父の背中に試し焼きされた母からのメッセージはどうしても目に入った。
「You're My Boy」
これを見て胸はキューンとときめいた。
この「Boy」が自分のことであったらどんなにかうれしいのに、自分の体に刻まれている「Boy」は、あの美しい青年なのだ。
ずーと後になって、鏡を合わせて背中のメッセージの全貌を見た。
彼からのメッセージは、
「I'm Your Boy」
それぞれメッセージの横に彼と母のイニシャルがあり、2つのイニシャルをかっこよく歪んだハートマークのリングが繋いでいた。
イニシャルとハートのデザインは、仕上げに押されたものだろう。
母にとっては、2つの「Boy」はもちろんどちらも、彼のことだ。
私は彼との記念を刻んだルーズリーフの代わりに過ぎない。
しかし、今では彼のメッセージの「I'm Your Boy」には、彼の芸術家らしいお洒落でアイロニックなダブルミーニングが込められているのではないかと思っている。
続き
父の車で 3/3
前を読む
あるとき、ついに母が父と私を棄てる日が来てしまった。
母はあるベンチャー企業の社長と婚約し、婚約者の高級マンションに同居するようになった。
これで父と私は原罪から将来に向かって解き放たれることになる、はずであった。
それでもなお父は、母が父を足下に侍らせてくれていた時間を可能な限り贖おうとしていた。
母は、美大生の彼とは別れていたが、まだ婚約者の他に何人か若いモデルの恋人がいたし、その後も絶えることがなかった。
母は婚約者の財産を自由に出来るので金には困らないが、さすがに他の恋人に融通するわけにはいかない。
これまでも父は母の命ずるまま、母の恋人に金銭を融通していたが、父は母に棄てられてからもそれを続けた。
あるとき、母の新しい恋人にマンションと高級車を買い与えることになった父は、自宅を売却してなんとか購入資金を捻出できるぎりぎりの物件を見つけて、彼は気に入ってくれたのだが、新しい生活で金銭感覚が変わってしまった母は承知しなかった。
「ダーメ。あなた、彼のこと馬鹿にしてない?わかった、あなたにも彼のスゴさを教えてあげるから、わかったらちゃんと彼にふさわしい物件を用意してよ」と言って、高級ホテルで彼と愛し合う姿を父に拝ませた。
父はその後数週間かけて探した高級マンションを母と彼に見せ、承諾をもらった。
父は自宅の売却益に加え、父が3割保有していた祖父の会社の株式を大手の同業者に売却して資金を調達して自分の名義でマンションと高級車を購入して鍵を彼に渡し、残った数千万の金も残らず彼に貢いでしまった。
その後、母は父に金がなくなったのを知ってからか、父に声をかけなくなった。
家と職と貯金を失った父は、日雇い労働をしながらわずかに残った父の車で車上生活をして私を育ててくれた。
父と車で生活した日々も、また夢のように楽しかった。
毎日ラジオで野球中継を聞いた。
ニュースを聞いて政治家の悪口を言った。
風呂は銭湯へ行った。
毎週母がモデルをしている雑誌を買ってきて、車の中で2人で狂ったように自慰をした。
父は高級ホテルで見た母と彼のsexのことを何度も話してくれた。
「綺麗な2つの体が交わって、まるでスポーツみたいなさわやかなsexだっなあ、それにすごくいい匂いがした」
「母さんはいつもいい匂いじゃない」
「ああ、でももっとねっとりと気が遠くなるような高貴な匂いだった」
「薬は使ってた?」
「たぶんな、快感が増幅されるんだろう」
「それで…父さん、彼の精液舐めさせてもらえた?」
「ああ、コンドームにたっぷり入ったやつを投げてもらった。私も一晩中2人のフェロモンを浴びて感覚がおかしくなってたんだろうが、もうその時には母さんをあそこまで喜ばせる精液はどんなだろうと思って、舐めたくて舐めたくてしかたなくなっていて、口に入れた瞬間、ねっとりと苦くて、芳ばしくて、とろけるようにうまかったんだ。母さんの言ってた「彼のスゴさ」を心底わからせられてしまったよ。それからしばらく、彼のために物件を探しているときも、費用を工面しているときも、何度も口の中にその味の記憶がよみがえってきて、あの一口の精液のお礼ができればって気持ちでいっぱいで、そのためならなんにも惜しくなくなってたんだ」
その夜、sexとdrugで昂ぶった母は父に彼の精液のたっぷり入ったコンドームを投げ与えて、父にこんな"誘導尋問"をしたのだそうだ。
「彼の精液はどう?」
「はい、とってもおいしいです」
「彼のスゴさがわかった?」
「はい」
「彼の子種がつまった一滴の精液と、あなたのあの息子の命、どっちが価値がある?」
「はい、もちろん彼の精液です。比べることも畏れ多いことです」
「ここまでしてもらわないと彼のスゴさがわからなかったことを反省する?」
「はい、反省します」
「彼にショボい物件をあてがおうとしたこと反省する?」
「はい、反省します」
「朝になったら彼にふさわしい物件を探しに行かないとね」
「はい、もちろんです」
「どうしてあなたが彼のマンションを探しに行くの?」
「はい、本物のsexを見せていいただいて、精子を舐めさせていただいたお礼です」
「じゃあ私たちは、朝まで後半戦を楽しむから、よーく味わいながら見て反省してね」
それを聞いて、私も彼の精液の味を想像して、生クリームをコンドームにつけて舐めたりした。
楽しかった車上生活も私が中学3年になったある日終止符が打たれた。
父はいつものように車をでて仕事に行き、そのまま帰らなかった。
私は新聞配達をしながら高校に通い、今はなんとか大人として暮らしている。
そうだ、父はもういない。
ということはつまり、やはりこれは夢だ。
遠い日の記憶だ。
公園のベンチの前に平伏した父と私の上を、中型犬が歩いている。
母と若い恋人は、すぐに立ち去るつもりだったようだが、犬が遊びたそうなので、しばらく留まることにしたらしく、ベンチに腰かけた。
目の前に腰かけている若者は、父がマンションを貢いだモデルでもなく、また新しい母の恋人らしかった。
睦まじい会話が聞こえ、やがて会話が途切れ合間に静かに唇を重ねる音がした。
父も私も、懐かしい気持ちに包まれた。
父は私の前からいなくなる直前、私を連れて母に会いにいったのだ。
このとき父が母の恋人に何を供与し、その金をどう工面したのかは今でもわからない。
確かなのは、父はその命と引き換えにその金を工面した、ということだ。
彼が答礼してくれる前に母が彼に小声で耳打ちしていたのが、父が彼に貢いだプレゼントの内容だったのかもしれない。
「犬の散歩コースの途中、彼といっしょに公園で答礼してあげる。夢みたいでしょ?」
新しい彼に対するプレゼントをしようと思った母が、忘れ去っていた父を思い出してそう持ちかけたのかもしれない。
確かに、このときの父と私にとってはまさに夢のような誘いだった。
現に父も私も一撃で射精してしまった。
夢みたいなのは、散歩の途中に人の頭を蹴る、たったそれだけの行為で多額の利益を得ることができる母と彼のほうではないか、と思われるかもしれないが、それは違う。
人には、他人に幸福を与えられる人と与えられない人がいる。
前者をA群、後者ををB群とすると、A群に属する人達は、A群に属する人達同士で互いを幸福にしながら睦ましく生きていくことができる。
一方B群に属する人達は、互いに幸せを与えることができないから、どうしてもA群に属する人達を求めてしまう。
A群に属する人達は簡単にB群に属する人達を幸せにしてあげることができるが、A群の人々にはB群の人達に関わるメリットは本来ない。
ここで、B群の人達がA群に属する人達に対する礼儀を尽くして、なんらかのメリットを供与することができれば、A群の人達に幸せにしてもらえる可能性が生まれる。
B群の人達が幸せになるためにはこの方法しかないのだということを、B群に属する父はよく知っていたし、A群に属する母もまた、それをよく理解していた。
母と父の関係は、そういう理解に基づいた関係だった。
犬のジョンは遊びに飽きたらしく、母の足下にじゃれついた。
「いきましょ」
母と彼はベンチから立ち上がった。
本当にこれが最後の別れだ。
もういちど答礼してくれることを祈ったが、コツコツとサンダルの音を立てて、あっさりと2人と1匹は立ち去ってしまった。
母と彼はすでに義理を果たしたのだ。
母はもう、父と私のことを思い出すこともなくなるだろう。
父と私はそのまま一時間ほど平伏していた。
やがて顔をあげ、ベンチににじり寄り、母と彼が座っていた部分に顔をうずめた。
もう温もりも匂いも残っていなかった。
父と私は泣きながら自分の手で性器をいじり、狂ったように自慰に耽った。
思うさま精液を吐き出した後、しばらくして父と私はのろのろと起き上がって服を着て、公園を後にした。
銭湯に行って、安い小さなラーメン屋でラーメンとチャーハンを貪り食い、上機嫌に酔っていた隣の席のおじさんにタバコを2本もらって1本ずつ吸った。
おじさんはジャイアンツファンらしい。
ブラウン管の小さなテレビの中では、斎藤がオレンジのぬいぐるみを抱えて今日の完封劇を振り返っていた。
あるとき、ついに母が父と私を棄てる日が来てしまった。
母はあるベンチャー企業の社長と婚約し、婚約者の高級マンションに同居するようになった。
これで父と私は原罪から将来に向かって解き放たれることになる、はずであった。
それでもなお父は、母が父を足下に侍らせてくれていた時間を可能な限り贖おうとしていた。
母は、美大生の彼とは別れていたが、まだ婚約者の他に何人か若いモデルの恋人がいたし、その後も絶えることがなかった。
母は婚約者の財産を自由に出来るので金には困らないが、さすがに他の恋人に融通するわけにはいかない。
これまでも父は母の命ずるまま、母の恋人に金銭を融通していたが、父は母に棄てられてからもそれを続けた。
あるとき、母の新しい恋人にマンションと高級車を買い与えることになった父は、自宅を売却してなんとか購入資金を捻出できるぎりぎりの物件を見つけて、彼は気に入ってくれたのだが、新しい生活で金銭感覚が変わってしまった母は承知しなかった。
「ダーメ。あなた、彼のこと馬鹿にしてない?わかった、あなたにも彼のスゴさを教えてあげるから、わかったらちゃんと彼にふさわしい物件を用意してよ」と言って、高級ホテルで彼と愛し合う姿を父に拝ませた。
父はその後数週間かけて探した高級マンションを母と彼に見せ、承諾をもらった。
父は自宅の売却益に加え、父が3割保有していた祖父の会社の株式を大手の同業者に売却して資金を調達して自分の名義でマンションと高級車を購入して鍵を彼に渡し、残った数千万の金も残らず彼に貢いでしまった。
その後、母は父に金がなくなったのを知ってからか、父に声をかけなくなった。
家と職と貯金を失った父は、日雇い労働をしながらわずかに残った父の車で車上生活をして私を育ててくれた。
父と車で生活した日々も、また夢のように楽しかった。
毎日ラジオで野球中継を聞いた。
ニュースを聞いて政治家の悪口を言った。
風呂は銭湯へ行った。
毎週母がモデルをしている雑誌を買ってきて、車の中で2人で狂ったように自慰をした。
父は高級ホテルで見た母と彼のsexのことを何度も話してくれた。
「綺麗な2つの体が交わって、まるでスポーツみたいなさわやかなsexだっなあ、それにすごくいい匂いがした」
「母さんはいつもいい匂いじゃない」
「ああ、でももっとねっとりと気が遠くなるような高貴な匂いだった」
「薬は使ってた?」
「たぶんな、快感が増幅されるんだろう」
「それで…父さん、彼の精液舐めさせてもらえた?」
「ああ、コンドームにたっぷり入ったやつを投げてもらった。私も一晩中2人のフェロモンを浴びて感覚がおかしくなってたんだろうが、もうその時には母さんをあそこまで喜ばせる精液はどんなだろうと思って、舐めたくて舐めたくてしかたなくなっていて、口に入れた瞬間、ねっとりと苦くて、芳ばしくて、とろけるようにうまかったんだ。母さんの言ってた「彼のスゴさ」を心底わからせられてしまったよ。それからしばらく、彼のために物件を探しているときも、費用を工面しているときも、何度も口の中にその味の記憶がよみがえってきて、あの一口の精液のお礼ができればって気持ちでいっぱいで、そのためならなんにも惜しくなくなってたんだ」
その夜、sexとdrugで昂ぶった母は父に彼の精液のたっぷり入ったコンドームを投げ与えて、父にこんな"誘導尋問"をしたのだそうだ。
「彼の精液はどう?」
「はい、とってもおいしいです」
「彼のスゴさがわかった?」
「はい」
「彼の子種がつまった一滴の精液と、あなたのあの息子の命、どっちが価値がある?」
「はい、もちろん彼の精液です。比べることも畏れ多いことです」
「ここまでしてもらわないと彼のスゴさがわからなかったことを反省する?」
「はい、反省します」
「彼にショボい物件をあてがおうとしたこと反省する?」
「はい、反省します」
「朝になったら彼にふさわしい物件を探しに行かないとね」
「はい、もちろんです」
「どうしてあなたが彼のマンションを探しに行くの?」
「はい、本物のsexを見せていいただいて、精子を舐めさせていただいたお礼です」
「じゃあ私たちは、朝まで後半戦を楽しむから、よーく味わいながら見て反省してね」
それを聞いて、私も彼の精液の味を想像して、生クリームをコンドームにつけて舐めたりした。
楽しかった車上生活も私が中学3年になったある日終止符が打たれた。
父はいつものように車をでて仕事に行き、そのまま帰らなかった。
私は新聞配達をしながら高校に通い、今はなんとか大人として暮らしている。
そうだ、父はもういない。
ということはつまり、やはりこれは夢だ。
遠い日の記憶だ。
公園のベンチの前に平伏した父と私の上を、中型犬が歩いている。
母と若い恋人は、すぐに立ち去るつもりだったようだが、犬が遊びたそうなので、しばらく留まることにしたらしく、ベンチに腰かけた。
目の前に腰かけている若者は、父がマンションを貢いだモデルでもなく、また新しい母の恋人らしかった。
睦まじい会話が聞こえ、やがて会話が途切れ合間に静かに唇を重ねる音がした。
父も私も、懐かしい気持ちに包まれた。
父は私の前からいなくなる直前、私を連れて母に会いにいったのだ。
このとき父が母の恋人に何を供与し、その金をどう工面したのかは今でもわからない。
確かなのは、父はその命と引き換えにその金を工面した、ということだ。
彼が答礼してくれる前に母が彼に小声で耳打ちしていたのが、父が彼に貢いだプレゼントの内容だったのかもしれない。
「犬の散歩コースの途中、彼といっしょに公園で答礼してあげる。夢みたいでしょ?」
新しい彼に対するプレゼントをしようと思った母が、忘れ去っていた父を思い出してそう持ちかけたのかもしれない。
確かに、このときの父と私にとってはまさに夢のような誘いだった。
現に父も私も一撃で射精してしまった。
夢みたいなのは、散歩の途中に人の頭を蹴る、たったそれだけの行為で多額の利益を得ることができる母と彼のほうではないか、と思われるかもしれないが、それは違う。
人には、他人に幸福を与えられる人と与えられない人がいる。
前者をA群、後者ををB群とすると、A群に属する人達は、A群に属する人達同士で互いを幸福にしながら睦ましく生きていくことができる。
一方B群に属する人達は、互いに幸せを与えることができないから、どうしてもA群に属する人達を求めてしまう。
A群に属する人達は簡単にB群に属する人達を幸せにしてあげることができるが、A群の人々にはB群の人達に関わるメリットは本来ない。
ここで、B群の人達がA群に属する人達に対する礼儀を尽くして、なんらかのメリットを供与することができれば、A群の人達に幸せにしてもらえる可能性が生まれる。
B群の人達が幸せになるためにはこの方法しかないのだということを、B群に属する父はよく知っていたし、A群に属する母もまた、それをよく理解していた。
母と父の関係は、そういう理解に基づいた関係だった。
犬のジョンは遊びに飽きたらしく、母の足下にじゃれついた。
「いきましょ」
母と彼はベンチから立ち上がった。
本当にこれが最後の別れだ。
もういちど答礼してくれることを祈ったが、コツコツとサンダルの音を立てて、あっさりと2人と1匹は立ち去ってしまった。
母と彼はすでに義理を果たしたのだ。
母はもう、父と私のことを思い出すこともなくなるだろう。
父と私はそのまま一時間ほど平伏していた。
やがて顔をあげ、ベンチににじり寄り、母と彼が座っていた部分に顔をうずめた。
もう温もりも匂いも残っていなかった。
父と私は泣きながら自分の手で性器をいじり、狂ったように自慰に耽った。
思うさま精液を吐き出した後、しばらくして父と私はのろのろと起き上がって服を着て、公園を後にした。
銭湯に行って、安い小さなラーメン屋でラーメンとチャーハンを貪り食い、上機嫌に酔っていた隣の席のおじさんにタバコを2本もらって1本ずつ吸った。
おじさんはジャイアンツファンらしい。
ブラウン管の小さなテレビの中では、斎藤がオレンジのぬいぐるみを抱えて今日の完封劇を振り返っていた。