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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

谷崎潤一郎のスクビズム(3)―『捨てられる迄』論~堕ちていく快楽、委ねる快楽

沼正三の長大なエッセイ集『ある夢想家の手帖から』の第二一章「召使い願望と侍童願望」では、性科学者ヒルシェフェルトの説として、マゾヒズトが「何になりたいと欲するか」について、五類型が紹介されています。
さらに、それらは、「成熟した社会人たる男性」から、それぞれ「地位」、「年齢」、「男性」、「人間性」、「生命」等の属性を剥奪したものだとしています。
すなわち下記のとおりです。

(イ)セルヴェリズム(奴隷願望)地位の剥奪
(ロ)小児化倒錯年齢の剥奪
(ハ)変装(女性化)倒錯男性の剥奪
(ニ)畜化倒錯人間性の剥奪
(ホ)物化倒錯生命の剥奪

これらの類型は、第一三三章で示される「スクビズム」の五類型のうち、第五類型である「観念的下位」を、さらに分類したもの、と言えそうです。
いずれの変身願望も、崇拝する女性よりも劣位でありたいという「下への衝動」の発露と言えます。

一方、少し視点を変えると、これらの変身願望は、「成熟した社会人たる男性」として生きていくことに疲れた心が、戦場の最前線のようなストレスから解放されたいと願った、現実逃避願望とも言えそうです。
組織のため、家族のため、金のため、あるいはただただ生きるため、毎日毎日神経をすり減らせて戦う。
そして、戦えば戦うほど、守るべきものが増えて「責任」という重荷を背負わされる。
右へ行くのか左へ行くのか、一分一秒ごとに迫られる煩わしい「決断」。
心には脆くて壊れやすいくせにどんどん肥大化していく「自尊心」。
頭には錆のように蓄積して柔軟性をなくしていく「こだわり」。
視野はどんどん狭くなり、目の前に続くいつ果てるともない道しか見えなくなります。
嫌だ。もう嫌だ。辛い。怖い。全て捨てたい、投げ出したい、逃げたい、行きたくない、寝ていたい、でもどうしよう、決めたくない、考えたくもない、見たくない、聞きたくない、忘れたい。……こう思ってしまったことがない、といえる人は、果たしているのでしょうか。

この現実逃避願望が、各種の変身願望へと発露します。すなわち、
(イ)「決断」する重圧から逃れたくなった者は、自らの意思ではなく、頭上から下される「命令」にのみ従って生きる奴隷を志向します。
(ロ)欲望を抑えて秩序に従うことに嫌気が差した者は、欲望のままに生きていた子供に戻ることを志向します。
(ハ)男性としての「強さ」を求められることに耐えられなくなった者は、むしろ(特に前時代においては)「か弱さ」を売りにできる女性に転じることを志向します。
(ニ)人間としての尊厳すら疎ましくなった者は畜化(愛玩動物への変身)を志向します。
(ホ)そして、生きることさえ放棄したくなった者は、物化(家具への変身)を志向します。

しかし、これらの変身願望も、迷子や、棄て犬や、路傍の石になりたいわけじゃない。
独りぼっちで堕ちていくのはやっぱり寂しいし心細いんですね。
現実の人間関係から逃げ出しているのに、哀しいかな「それでも人しか愛せない」んですね。
いつも心の中で憧れていた、愛しい、美しい女性の足下へと堕ちていく。だからこそ、安心して全てを捨てられるんですね。
ここに、単に性衝動だけでは説明できない、あの全身が脱力していくような、柔らかくて甘い快楽が生まれるんですね。
マゾヒズムは近代人にとっての「究極の癒し」である、と、私は考えます。

さて、谷崎潤一郎作品はというと、見事に全ての類型を網羅しています。
谷崎のスクビズム(1)で扱った『少年』では、(ハ)女性化願望を除き、全ての類型が現れます。(『少年』にはスクビズムの五類型からも第三類型を除く全ての類型が現れます。そういう意味でも本当にすごい作品です。)
スクビズム(2)で扱った『富美子の足』では、(ロ)小児化倒錯と(ハ)畜化倒錯が現れていました。

今回は、(イ)セルヴェリズム(奴隷願望)、(ロ)小児化倒錯、(ハ)女性化倒錯が顕著に現れる、大正三年『捨てられる迄』をご紹介します。

『捨てられる迄』の主人公は、山本幸吉という文筆家です。
もういうまでもなく、谷崎本人の化身です。
ヒロインは、植田三千子。病院を経営する医学士の令嬢で、年齢は幸吉の一つ年下の二十三歳。
三千子の描写を少し引用します。

女は都下の一流の芸妓げいぎと比べてもヒケを取らない程、すつきりした容姿と端正な瓜実うりざね顔とを持って居る。丈が高く、手足が西洋人のやうに長く、筋肉が充分に引き緊まって、見るから健康らしい体格である。○○女学校を卒業して、会話の間に気の利いた英語の名詞を挿むぐらゐの、間に合はせな智識を用意して居る。さうして、中流の家庭の令嬢として、得意のCoquetryを行う間にも相当の品威を保つ事を怠らない。


ことに彼の女のあの魅力あるまなざし―――一体幸吉は、円い眼よりも細い眼の方に余計惹き付けられたが、―――或る時は長い睫毛まつげの陰にぼんやりと眠って居るやうな、或る時は油断のならぬ陰険な計画をめぐらして居るやうな、或る時は人を人とも思はぬ驕慢な睥睨へいげいを湛えて居るやうな、針の如く閃々せんせんと輝く細い眼の光に相到すると、彼は二度と再び此のやうなあつらえ向きの女に出遭ふ機会はあるまいと思われた。


彼の女は火鉢の縁に両手をかざしつゝ、自分の指の、長く美しい、ろうのやうな光澤を喜ぶ如く、幾度も拳を固めたり伸ばしたりした。其の手はしなやかであると同時に、いかにも健康らしい血色を持っ居た。


彼は面と向つて話をしながら、始終彼の女の容貌から来る快感が、泉のやうに頭の中へ湧き出づるのを禁じ得なかつた。彼の舌がいろいろの言葉を喋舌しゃべつて居る間に、彼の視覚はいつも彼の女の唇や、まなじりや、頬の曲線の、刹那せつな刹那の限りなき変化の上にさまよって居た。


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ことごとく美しい谷崎作品のヒロインの中でも、最も怜悧な美しさを感じるのが三千子ですね。
もう最初から全てを見通しているような、相手の心も全て見透かしているような、「全知の女神」の幻想を与えてくれるヒロインです。
この人になら全てを委ねてもいいと思える、「癒しの女神」としても、谷崎作品中ナンバーワンではないでしょうか。(別の意味で全てを委ねたくなるむちゃくちゃ残忍なヒロインは多いですが。)

舞台は東京。季節は冬。
洗練されたひんやりとした雰囲気が、三千子の美しさとよくマッチしています。

物語は一言で言うと、「三千子が幸吉を、恋人から奴隷に馴致していく物語」です、はい。

幸吉は最初、三千子に対していろいろな意地を張るんです。
で、幸吉はこれを恋の駆け引きのようなものだと思ってやってるんですが、(後でわかることなんですが、)既に何人もの男を手玉に取ってきた三千子にとっては、これは滑稽な子供の駄々なんですね。
三千子にはもう幸吉が自分の虜になっている事がよくわかっている。
だから余裕で幸吉に駄々をこねさせておいて、少しづつ、やさしく幸吉の心を剥いていくんですね。

たとえば、物語の冒頭。
銀座でデートするんですが、幸吉は五時半には既に約束の場所で待っているんですね。
約束の時間は六時。ですが、三千子が来たのは八時。年末の寒空の下ですよ。
三千子は一応言い訳をしますが、謝りもしません。
でも、幸吉は怒ることもできずに「僕も差し支へがあつて、あなたより少し前にやつて来たんです。」なんて意地を張って負け惜しみをいうんですね。
もう既に、「大人の男」というよりも、母親を待ちわびた子供、主人を待ち続けた忠犬、という感じですね。
おそらくはこれも、三千子が幸吉の忠誠をテストしたんでしょう。
幸吉の嘘も、三千子は当然見透かしていると思われます。

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幸吉はこのデートの後、早くも三千子に対する卑屈な感情が芽生えます。

「ほんたうの意味に於いて、自分の方が強者である。自分はいつ何時でも、一挙手の労で男を膝下にひざまずかせる事が出来る。」――彼の女はさう信じてしまったに違いない。


三千子はその後さらに十日間ほど幸吉を放置します。幸吉を不安のどん底に突き落としたところで、家に呼びつけます。そこでもまた強がりを言い立てる幸吉をなだめすかし、子ども扱いにします。

気のせゐか、男には女の唇に皮肉な微笑が泛かんで居るように感ぜられた。背中をたヽいてむづがる子供を欺すような慰撫と軽蔑とを、頭から注ぎかけられる心地がした。


「成る程あなたの眼から見れば、幼稚なだゞッ児のやうに見えるかも知れません。けれども来年は二十五になるのだから、満更子供ではない積りですよ。だからあんまり子ども扱いにしてもらいたくないです。」
「あたしがいつ子ども扱ひにして?あたしの方があなたより一つ歳下ぢゃありませんか。」
かう云って、彼の女はにやりと笑った。いかにも得意さうに、「勿論もちろん子ども扱いにして居ます。」と云はんばかりににやりと笑った。


ここで、杉村という医学生が登場します。
この杉村の兄と三千子はかつて同棲していましたが、その後杉村の兄は病死しています。
この杉村の兄と三千子が真実どんな関係だったのか、というのは、今ひとつ明らかにされていません。これを想像するのもすごく面白いのですが、ちょっと今回は省略します。
杉村はその時から、兄と三千子の家に居候していました。三千子は杉村をどう扱っているんでしょうか。

彼の女は其の時分から、あによめの権威を振り廻して、杉村を書生のやうに使役したのかも知れない。兎に角彼の女の杉村に対する我がままな、暴君的タイラニカルな、侮辱し切った態度は、酔つて居る結果とばかりは思はれない。これ程激しくないまでも、恐らく平生から斯う云ふ風な習慣にしつけたものと推せられる。さうして、少くとも彼の女の方では、此の青年の親切を、道徳的観念から割り出された行為とは認めて居ないらしい。多分彼の女の解釈は正当であるかも知れないが、……


三千子は杉村を召使として使役するところを、幸吉に見せ付けます。
案の定、幸吉は召使願望を刺激され、杉村を羨やみ、妬みます。

彼の女は今、明らかに杉村を軽蔑して居る。けれどもそれは冷淡や憎悪から来る軽蔑ではない。寧ろ彼の女は杉村を自己の装飾品として愛用している。彼を傀儡かいらいの如く弄ぶ事に異常な得意と誇りを感じている。彼の女のやうな虚栄心の強い、浮気な、悧巧振った女には、此の装飾品は可なり必要である。杉村よりも更に従順な、更に卑屈な、更に愛すべき青年が出て来ない限り、彼の女は容易に此の装飾品を捨てる事が出来ない。


彼の女はやがて、恋人を作ることを止めて、忠実な奴隷を思ふがまヽに使役する興味を専一にするかも知れない。さうなつた時、杉村と云ふ装飾品は、一転して欠く可からざる日用品となるのである。彼の女は杉村を弄ばずには、一日も生活することが出来なくなるのである。斯くして遂に、此の女王と奴隷はシツカリ結び着いて、二人とも凡人の夢想し難い幸福に生きるであらう。


このゆさぶりによって、幸吉はもはや意地を張り続けることができなくなり、完全に三千子に屈服してしまいます。

「あなたは僕に対してどんなにでもえらくなれます。にも、悪魔にも、暴君にもなれます。あなたと別れると云ふ考へが、僕には既に死ぬよりも悲しい事になつて了つたんです。」
彼は、長い間喋舌つて居るうちに、いつしか口を極めて相手を賛美して居た。彼は己の弱点をさらけ出して、彼の女に対する偽りのない自分の感情を、正直に、寧ろ誇張的に懺悔ざんげし始めた。傲慢ごうまんな罪人が良心の呵責かしゃくに堪へかねて今しも神前に平伏する如く、彼は珍しくも女の膝下に跪いて、始めて哀れな、打ち負けた、嘆願たんがん的な態度を示した。
「三千子さん、僕は今迄あなたに向かつて強い事ばかり云つて居ました。『強者』の仮面を被って居ました。しかしあれはみんなウソです。負け惜しみです。其の実あなたにどんな事をされても、僕は怒る事もどうする事も出来やしないんです。ほんたうの弱者なんです、だから僕を可哀さうだと思って下さい!」
此の言葉と共に、彼は今日までの心の苦痛が快く流れ去るやうに感じた。此の言葉と共に、二人の地位は今日から転倒して、彼は自分に相当する弱者の椅子に就く事を覚悟した。
彼は小さな意地を捨てヽ真実の哀れな姿のまヽに、自分の命を女の掌中しょうちゅうに委ねようとするのであつた。彼はにわかに安心した。同時に女は、無情の権威と崇厳と美容をそなえて彼の眼に映つた。其の指先の一片ひとひらの爪、生え際の一本の毛の貴さにも、自分の肉体のすべてをなげうつ価値を認めた。


彼は自分の身を卑しくすればする程、いよいよ相手の美に打たれる事を知つた。
女は男の言葉を少しも疑わないらしかつた。却つてさうなるのが当然だと云ふ風に、黙って笑ひながら其の男の顔を視詰めて居た。


はぁー…なんという快楽でしょうか…。
大人の男としての意地を捨て、美しい女性の足下に跪き、全てを委ねる…。
今まで築いたいびつに肥大化した「自分」が崩壊していき、子供に還っていく…。
この快楽が見事に描かれた名場面です。

こうして完全に三千子に屈服してしまった幸吉に、眠っていた女性化願望が発露します。

彼は恋人に体現せられた女性の美しさを渇望する余り、いつの間にかその美を模倣するやうに馴らされて来た。


彼の霊魂と肉体とは、彼の女に接近する毎に美しい感化を受けて、だんだん異性的色彩を帯び始めた。性の倒錯とうさく―――そんな現象が、彼の全部を改造して行く様に覚えた。


其の世界に於いて、彼は先ず恋人に女王の宝冠を捧げた。さうして、其の宝冠に適しい絶対の権力と威厳と、勇気と、品位とを具備するやうに彼の女を導いた。


現代人の欲望を束縛して居るいろいろの桎梏しっこく、―――習慣や、常識や、礼法や、儀式や、窮屈な社会の制約を、彼の女は次第に二人の世界から剥ぎ取って行つた。少なくとも幸吉に対する時、ようやく彼の女は柔弱な怯懦きょうだな女性の類型から遠ざかつて自然のまヽの、雄大な素朴な、原始的性格を閃めかすやうになつた。幸吉が女らしくなればなる程、彼の女はだんだん非女性的になった。


なんということでしょう…
谷崎にとっては自然的な秩序とは、「美尊醜卑」の秩序。
美しいものが強い。醜いものは弱い。
だから醜いものは美しいものに跪き、平伏し、従い、庇護を求め、憧れ、畏れ、敬い、崇拝し、模倣する。
これが本来の自然的なあり方なんですね。
男は強く、逞しく、女はか弱く、女に従う、なんていう秩序は、所詮人間社会が作ってしまった不自然な、人工的な秩序なんですね。
必要なものであったとしても、不自然なものは、人間に無理をきたすんですね。
維持していくのは辛い。自然な秩序に身を委ねてしまった方が、断然気持ちいいんですね。

幸吉は三千子の前では、言葉遣いや動作が完全に女性化します。

「―――そんならあたし、もう帰るわ。」
「三千子さん、待つて……」
男はあわてヽ袂を捕らえたが、彼の女は其の手を邪険に振り払って立ち上がつた。それでも幸吉は執念深く追ひすがつて、今度は両手で裾のまはりにからみ着いた。さうして、相手の鼻息をうかがふやうに、おづおづと美しい立ち姿を見上げた。



幸吉を屈服させた三千子は、なお容赦なく幸吉の奴隷化を完成させます。

女は男を完全に絶対に征服して、忠実な自分の奴隷として了しまはなければ承知しなかった。どんな重大な、又どんな軽微な事柄でも、一々自分の言葉通りに動くやうに男をしつけた。何処どこまで男が自分の命令を遵奉じゅんぽうするか、それを試してみたいやうな好奇心に襲われて、たびたび意地の悪いたわむれをした。



この後、三千子は自分に心底惚れている二人の男、幸吉と杉村を、互いに嫉妬させ、自分への忠誠を競わせるというゲームを楽しみます。(ツルゲーネフの『はつ恋』のヒロイン:ジナイーダ嬢もこの遊びが大好きで、彼女はこれを「人間のぶつけ合い」と呼んでいます。)
谷崎は本当に様々なトリオリズムの形態を描きますが、この、「男性二人(あるいはもっと多数)とも劣位」という形態も大好きです。

幸吉の前で殊更杉村と仲良くして、嫉妬に燃ゆる男の泣き顔を眺める事が、彼の女には最も愉快な遊びらしかつた。


「杉村さん、あしたの晩二人で帝劇へ行きませうね。」
彼の女にこんな事を云はれると、「おどかし」とは知りながら、嫂や杉村の前をもはばからず、幸吉はすぐに涙ぐんだ。
「山本さんも、此の頃はすつかり三千ちやんに頭が上がらないのね。」
と、嫂は嘲るやうに云つた。
「あたしは山本さんを泣かすのが名人よ。ほら、ほら御覧なさい。もうそろそろ涙が一杯溜まつて来たわ。」
かう云って彼の女は幸吉の顔を指さしたりした。
男は自分の醜態を意識しながら、其れを制することが出来なかつた。彼の女の為めに自分が此れ程白痴になり、盲目になり得たかと思へば其れが楽しくてならなかつた。



こんなくだりもありますよ。
幸吉が三千子の身に着けているもの預からせてほしいとねだったところ、三千子は幸吉に指輪を預けるんですが、その際、指輪は肌身離さず持ち歩くこと、それは誰にも見せないことを厳命するんですね。
幸吉はもちろんそれを忠実に守るんですが、三千子はそれをも使って幸吉を嬲って遊びます。

或る日の事であった。彼の女は幸吉を前に置いて、そ知らぬ風で二三分杉村と話をした挙句、
「杉村さん、あたし此の頃千里眼になつたのよ。」
と云つた。
「さうですか。そんなら僕の懐に何があるかあてヽ見ませんか。」
と、杉村が云った。
「それが、あたしを何とか思って居る人の物でなくつちゃ中らないの。あなたはあたしを嫌って居るから駄目よ。」
かう云って彼の女はぢろりと幸吉を見ながら、
「山本さんはあたしを思って居てくれるわね。―――あなたの懐にあるものを云ひますから、中つたらどんな物でも此処へ出さなくつちゃいけなくてよ。」
幸吉はギョツとして僅かに頷いた。
「あなたの懐の紙入れの中に、たしか女の指輪が入って居る筈よ。それを此処へ出して頂戴な。」
「そんなものありません。………」
彼は俯向うつむいて、小さな声で云った。
「ない筈はなくつてよ。―――それともほんとにないのなら、あなたは此の間の約束を反故にしたのね。いヽわ、なんあらあたしにも考えがあるから。」
「だつて外の人には誰にも見せるなツて約束なんですもの。」
「何でもいヽから、あたしが出せと云ったら出したら宣かないの。それとも云う事を聞かない積りなの。
「それぢゃ又あとで返して下さいな。」
「まあ兎に角出すのよ。」
彼の女はわなヽく男の掌から、光る物を指先に摘んだ。さうして、
「ちょいと此れをあなたに借して上げませうね。」
かう云つて、杉村の右の中指を捕へて、其れを揉み下ろすようにしたが、大柄な彼の女の指輪は、男の手にも比較的楽にまつた。
「随分あなたの指は太ござんすね。」
「杉村さんに丁度いヽわ。暫く貸して上げませうか。」
「えヽどうぞ願います。」
杉村は冗談のように云つたが、それでも嬉しさうな色が見えた。
ぽたり、と、涙が幸吉の膝に落ちた。見る見る彼の唇は震え、眉根は戦いて恰も子供が泣き出さうとする瞬間のやうな、哀れな、意気地のない表情になつた。その歪んだ顔つきを、彼の女はにこにこ笑いながらつくづくと眺め廻した後、とうたう溜らなくなつて両手を口にあてヽ、ぷツと吹き出して了つた。



どうですか。
三千子の一歩一歩辱めのレベルを上げていく、少しずつ少しずつ心を剥いていく、ゆっくりと気持ちよく堕としていく優美な調教。
完璧だと思いますね。
これ以上の快楽がこの世にあるんだろうか、と思えるくらい、別世界の快楽をもたしてくれる、名作だと思います。
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