倉田卓次元裁判官死去
久々の記事になってしまいました。
今年も少しずつ更新していこうと思っておりますので、同士の皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
さて、去る1月30日、東京高裁部総括判事、佐賀地家裁所長などを歴任され、文筆家としても知られる倉田卓次氏がなくなられたとの報に触れ、大きな衝撃を受けております。
倉田氏の口から、沼正三の真実が語られることはない、とは思っていましたが、その可能性が終に完全になくなってしまいました。
今は、謹んで故人のご冥福をお祈りしたいと思います。
今年も少しずつ更新していこうと思っておりますので、同士の皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
さて、去る1月30日、東京高裁部総括判事、佐賀地家裁所長などを歴任され、文筆家としても知られる倉田卓次氏がなくなられたとの報に触れ、大きな衝撃を受けております。
倉田氏の口から、沼正三の真実が語られることはない、とは思っていましたが、その可能性が終に完全になくなってしまいました。
今は、謹んで故人のご冥福をお祈りしたいと思います。
月蝕歌劇団公演「沼正三/家畜人ヤプー」の感想
劇団「月蝕歌劇団」による演劇「沼正三/家畜人ヤプー」が、2010年9月1日から6日にかけて、「ザムザ阿佐谷」にて上演されました。
私は9月5日の夜の部に、観劇しました。
素晴らしい舞台でした。
陶酔してしまいました。
すごく小さな劇場だったので、最前列で見た私は役者さんとの距離が近く、すごく「生」の臨場感を感じました。
少し遅くなりましたが、私なりの感想を書いてみたいと思います。
交錯する現実と虚構
本作は、マゾヒズム作家・沼正三の半生と、その小説『家畜人ヤプー』のストーリーが平行して進行します。
この意欲的な試み自体に、まず私は衝撃を受けましたね。
現実と虚構が入れ替わるたびに、一方の話が中断するので、その都度わくわく感がつのっていきます。
平行線だった二つ世界は次第に交錯していきます。
『家畜人ヤプー』のなかで、ジャンセン家に敗れる運命にあるイース名門貴族ジャーゲン家が、その運命を転覆すべく、作者である沼正三の前に現れ、誘惑するという驚くべきアクロバティックなパラドクスを用いて。
なんという想像力でしょうか。すごい。
沼正三は誰?
本作で、沼正三は、本名:「沼倉正三」として、少年時代から『家畜人ヤプー』を執筆した中年時代までの半生が描かれています。
沼倉正三の少年時代・青年時代のエピソードには、次のようなものがありました。
・九州の比較的裕福な家庭に育ったが、父が散財した。
・「横光莉絵」という少女がうがいした水を口にした。
・美しい叔母「久美子おばさん」を慕っていた。
・学友と同性愛の関係にあった。
・兄「正博」を慕っていたが、正博は出征した。
・沼倉自身は従軍せず、戦中一時満州に赴いた。
これらは、『禁じられた女性崇拝』『禁じられた青春』などの、天野哲夫の自伝的作品に、天野が自らの体験として書いたエピソードを基にしていると思われます。
どうも本作が描いている『家畜人ヤプー』の作者:沼正三は、天野哲夫のようです。
一方、『家畜人ヤプー』の創作に当たって重要な役割を果たしたとされる人物がもう一人登場します。
Cast表では「X 」とされている法律家です。
Xは自らの体験として、「英軍の捕虜となって司令官夫人の身の回りの世話をさせられ、人間扱いされなかった」と語ります。
これは、沼正三の長大なエッセイ集『ある夢想家の手帖から』第一〇六章「奴隷の喜び」に、沼が自らの体験として書いているエピソードです。
本作は、このXを、『ある夢想家の手帖から』の著者である「もう一人の沼正三」として描いています。
法律家、ということを考えると、倉田卓次元裁判官を想定しているのかもしれません。
そして、このXは、『家畜人ヤプー』の創作に当たって、重要ではあるが補助的な役割を果たしたに過ぎず、あくまで小説の世界を構想したのは天野哲夫と同一人物である「沼正三」である、とされています。
…この理解は、間違っています。
私の「沼正三の正体」に対する理解は次のようなものです。
①『家畜人ヤプー』の世界を構想し、その「正編」(第二八章まで)を執筆したのは、『ある夢想家の手帖から』の著者と同一人物であり、この人が正真正銘の沼正三である。
②この沼正三は、『禁じられた女性崇拝』『禁じられた青春』などの著者である天野哲夫とは別人である。
③沼正三が倉田卓次である可能性は大いにあるが、定かではない。
④天野哲夫が『家畜人ヤプー』の執筆に大きな役割を果たしたのは確かで、恐らく「続編」は天野が主に執筆した。
この理解は、「女性上位時代」を読む限り、馬仙人と全く同じ理解です。
このあたりについては、また改めて論じたいと思いますが、本作はここの理解が間違っていたことは、非常に残念でした。
『少年』と『アデンまで』
本作で私が一番昂奮したのは、谷崎潤一郎の『少年』と、遠藤周作の『アデンまで』が紹介されていたシーンです。
この二作を取り上げた、ということだけでも、本作が沼正三のマゾヒズムの本質を捉えていると評していいと思います。
『少年』に描かれるスクビズムのオンパレード。
セーラー服姿の光子に三人の少年が傅き、椅子にされる姿が目に焼きついています…。
特に汚物愛好については、全編を通じて妥協なく描いていたのがよかったですね。
そして『アデンまで』。
沼の本質である「白人崇拝」をも、しっかりと盛り込んでいました。
また、ついさっき麟一郎とキスをしていたクララが、畜籍登録や尿洗礼を終え、頼もしそうにウィリアムの腕を取り、しどけなく寄り添って、リンの処遇を話題にしているシーン…。
猛烈に昂奮しました。
ちょっとしたシーンなんですが、『家畜人ヤプー』が「寝取られ物語」であることまでも、しっかりと演出している、そんな風に私には感じました。
『ヤプー』や「沼正三」を描くに当たって、、もっとこの部分が描き足りていない!という部分はたくさんありますよ。
そんなことはいくらでも言える。
でも、いちいちそんなことを言っていたら、二次創作なんてなんにもできないんですよね。
少なくとも私が『ヤプー』の、「沼正三」の本質と考える部分は、しっかり描かれていたと思います。
印象に残ったキャスト
特に印象に残ったキャストをご紹介しておきます。
久美子おばさん/クララ役:しのはら実加
いやー美しかった!
はかなげなんだけれど、しなやかで凛とした気品がありました。
1メートルくらいの至近距離でガン見できて、幸せでした。
ドリス/横光莉絵/光子/白の姉:白永歩美
ドリスと光子に共通する「無邪気な残酷さ」を備えた美少女役が見事にはまっていました。
セーラー服にやられた…。
X役:工藤悦仙
すごい存在感。いい感じに渋くて、お芝居を締めていました。
黒川/ミノダ役:ひろ新子
この人も存在感がありました。ジェットコースターのようにドタバタしたお芝居の中で、この人が出てくるとふっと空気が変わっていましたね。
本当に見に行ってよかった!と思えた素晴らしいお芝居でした。
意欲作に挑み、見事な作品を作り上げた演出家:高取英と、月蝕歌劇団に深く敬意を表したいと思います。
私は9月5日の夜の部に、観劇しました。
素晴らしい舞台でした。
陶酔してしまいました。
すごく小さな劇場だったので、最前列で見た私は役者さんとの距離が近く、すごく「生」の臨場感を感じました。
少し遅くなりましたが、私なりの感想を書いてみたいと思います。
交錯する現実と虚構
本作は、マゾヒズム作家・沼正三の半生と、その小説『家畜人ヤプー』のストーリーが平行して進行します。
この意欲的な試み自体に、まず私は衝撃を受けましたね。
現実と虚構が入れ替わるたびに、一方の話が中断するので、その都度わくわく感がつのっていきます。
平行線だった二つ世界は次第に交錯していきます。
『家畜人ヤプー』のなかで、ジャンセン家に敗れる運命にあるイース名門貴族ジャーゲン家が、その運命を転覆すべく、作者である沼正三の前に現れ、誘惑するという驚くべきアクロバティックなパラドクスを用いて。
なんという想像力でしょうか。すごい。
沼正三は誰?
本作で、沼正三は、本名:「沼倉正三」として、少年時代から『家畜人ヤプー』を執筆した中年時代までの半生が描かれています。
沼倉正三の少年時代・青年時代のエピソードには、次のようなものがありました。
・九州の比較的裕福な家庭に育ったが、父が散財した。
・「横光莉絵」という少女がうがいした水を口にした。
・美しい叔母「久美子おばさん」を慕っていた。
・学友と同性愛の関係にあった。
・兄「正博」を慕っていたが、正博は出征した。
・沼倉自身は従軍せず、戦中一時満州に赴いた。
これらは、『禁じられた女性崇拝』『禁じられた青春』などの、天野哲夫の自伝的作品に、天野が自らの体験として書いたエピソードを基にしていると思われます。
どうも本作が描いている『家畜人ヤプー』の作者:沼正三は、天野哲夫のようです。
一方、『家畜人ヤプー』の創作に当たって重要な役割を果たしたとされる人物がもう一人登場します。
Cast表では「
Xは自らの体験として、「英軍の捕虜となって司令官夫人の身の回りの世話をさせられ、人間扱いされなかった」と語ります。
これは、沼正三の長大なエッセイ集『ある夢想家の手帖から』第一〇六章「奴隷の喜び」に、沼が自らの体験として書いているエピソードです。
本作は、このXを、『ある夢想家の手帖から』の著者である「もう一人の沼正三」として描いています。
法律家、ということを考えると、倉田卓次元裁判官を想定しているのかもしれません。
そして、このXは、『家畜人ヤプー』の創作に当たって、重要ではあるが補助的な役割を果たしたに過ぎず、あくまで小説の世界を構想したのは天野哲夫と同一人物である「沼正三」である、とされています。
…この理解は、間違っています。
私の「沼正三の正体」に対する理解は次のようなものです。
①『家畜人ヤプー』の世界を構想し、その「正編」(第二八章まで)を執筆したのは、『ある夢想家の手帖から』の著者と同一人物であり、この人が正真正銘の沼正三である。
②この沼正三は、『禁じられた女性崇拝』『禁じられた青春』などの著者である天野哲夫とは別人である。
③沼正三が倉田卓次である可能性は大いにあるが、定かではない。
④天野哲夫が『家畜人ヤプー』の執筆に大きな役割を果たしたのは確かで、恐らく「続編」は天野が主に執筆した。
この理解は、「女性上位時代」を読む限り、馬仙人と全く同じ理解です。
このあたりについては、また改めて論じたいと思いますが、本作はここの理解が間違っていたことは、非常に残念でした。
『少年』と『アデンまで』
本作で私が一番昂奮したのは、谷崎潤一郎の『少年』と、遠藤周作の『アデンまで』が紹介されていたシーンです。
この二作を取り上げた、ということだけでも、本作が沼正三のマゾヒズムの本質を捉えていると評していいと思います。
『少年』に描かれるスクビズムのオンパレード。
セーラー服姿の光子に三人の少年が傅き、椅子にされる姿が目に焼きついています…。
特に汚物愛好については、全編を通じて妥協なく描いていたのがよかったですね。
そして『アデンまで』。
沼の本質である「白人崇拝」をも、しっかりと盛り込んでいました。
また、ついさっき麟一郎とキスをしていたクララが、畜籍登録や尿洗礼を終え、頼もしそうにウィリアムの腕を取り、しどけなく寄り添って、リンの処遇を話題にしているシーン…。
猛烈に昂奮しました。
ちょっとしたシーンなんですが、『家畜人ヤプー』が「寝取られ物語」であることまでも、しっかりと演出している、そんな風に私には感じました。
『ヤプー』や「沼正三」を描くに当たって、、もっとこの部分が描き足りていない!という部分はたくさんありますよ。
そんなことはいくらでも言える。
でも、いちいちそんなことを言っていたら、二次創作なんてなんにもできないんですよね。
少なくとも私が『ヤプー』の、「沼正三」の本質と考える部分は、しっかり描かれていたと思います。
印象に残ったキャスト
特に印象に残ったキャストをご紹介しておきます。
久美子おばさん/クララ役:しのはら実加
いやー美しかった!
はかなげなんだけれど、しなやかで凛とした気品がありました。
1メートルくらいの至近距離でガン見できて、幸せでした。
ドリス/横光莉絵/光子/白の姉:白永歩美
ドリスと光子に共通する「無邪気な残酷さ」を備えた美少女役が見事にはまっていました。
セーラー服にやられた…。
X役:工藤悦仙
すごい存在感。いい感じに渋くて、お芝居を締めていました。
黒川/ミノダ役:ひろ新子
この人も存在感がありました。ジェットコースターのようにドタバタしたお芝居の中で、この人が出てくるとふっと空気が変わっていましたね。
本当に見に行ってよかった!と思えた素晴らしいお芝居でした。
意欲作に挑み、見事な作品を作り上げた演出家:高取英と、月蝕歌劇団に深く敬意を表したいと思います。
中村佑介表紙画の『谷崎潤一郎 マゾヒズム小説集』
集英社文庫より、『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』が発売されました。
収録作は、
「少年」
「幇間」
「麒麟」
「魔術師」
「一と房の髪」
「日本に於けるクリップン事件」
の六編。
これは看板に偽りなし。
納得の素晴らしいセレクトですね。
まあ私に言わせれば、谷崎全集そのものが「マゾヒズム小説集」なんですが…。
表紙画は、多くの文庫本の表紙を担当しているイラストレーターの中村佑介によるものです。
いや素晴らしい。
中村佑介独特の人形のようなコケティッシュな少女の魅力が、そのままマゾヒズムというテーマにぴったりはまっていますね。
谷崎を象徴したと思われる「筆を持った馬」。
少女に腰掛けられて満足そう。
少女の白い足と黒いローファーに群がる少年たちも幸せそうですね。
「魔術師」にもでてくる虎の毛皮の敷物までも、少女の支配する世界に酔っているかのようです。
谷崎の作り出す「スクビズムの楽園」を見事に視覚的に表現しています。
そして、少女の足が踏んでいるのは「ほたての貝殻」。
谷崎の崇拝対象がヴィーナス(アフロディテ)に象徴される女性の肉体の美であることまでもしっかりと表現されています。
素晴らしい、素晴らしいですぅ!
さて、ここからはちょっとした自慢です。
なんと、中村佑介先生は、今回の表紙画を描くにあたって、参考として当ブログを読んでくださったのです!
うはぁ、光栄すぎる…
今回の素晴らしい表紙画に、ちょっとは寄与できたのかなぁ、と思うと、うれしいですねぇ。
生きててよかった、と思ってしまうぐらいうれしいです。
多くの方に本を手にしてもらって、マゾヒズム文学の魅力に触れるきっかけになってくれれば、さらにうれしいですね。
収録作は、
「少年」
「幇間」
「麒麟」
「魔術師」
「一と房の髪」
「日本に於けるクリップン事件」
の六編。
これは看板に偽りなし。
納得の素晴らしいセレクトですね。
まあ私に言わせれば、谷崎全集そのものが「マゾヒズム小説集」なんですが…。
表紙画は、多くの文庫本の表紙を担当しているイラストレーターの中村佑介によるものです。
谷崎潤一郎マゾヒズム小説集 (集英社文庫) (2010/09/17) 谷崎 潤一郎 商品詳細を見る |
いや素晴らしい。
中村佑介独特の人形のようなコケティッシュな少女の魅力が、そのままマゾヒズムというテーマにぴったりはまっていますね。
谷崎を象徴したと思われる「筆を持った馬」。
少女に腰掛けられて満足そう。
少女の白い足と黒いローファーに群がる少年たちも幸せそうですね。
「魔術師」にもでてくる虎の毛皮の敷物までも、少女の支配する世界に酔っているかのようです。
谷崎の作り出す「スクビズムの楽園」を見事に視覚的に表現しています。
そして、少女の足が踏んでいるのは「ほたての貝殻」。
谷崎の崇拝対象がヴィーナス(アフロディテ)に象徴される女性の肉体の美であることまでもしっかりと表現されています。
素晴らしい、素晴らしいですぅ!
さて、ここからはちょっとした自慢です。
なんと、中村佑介先生は、今回の表紙画を描くにあたって、参考として当ブログを読んでくださったのです!
うはぁ、光栄すぎる…
今回の素晴らしい表紙画に、ちょっとは寄与できたのかなぁ、と思うと、うれしいですねぇ。
生きててよかった、と思ってしまうぐらいうれしいです。
多くの方に本を手にしてもらって、マゾヒズム文学の魅力に触れるきっかけになってくれれば、さらにうれしいですね。