Fetish★Fairyさん新作の感想
今回は、同人漫画・イラストサークル:Fetish★Fairyさんの新作、『ちんぽ大好き!! 痴女学園2』~保健室でしぼっちゃおう~をご紹介します。
※残念ながら、18歳未満の方は購入できません。
私がインターネットを見始めたのは2002年~03年くらいからなのですが、そのころにはFetish★Fairyのサイトはあって、よく見ていました。
主筆のひひるさんの描くふんわりとした優しい世界にすぐに夢中になり、それからずっと大好きです。
Fetish★Fairyのイラストでは、人形のようなかわいらしい美少女が、おもちゃで遊ぶかのように無邪気に少年を陵辱しています。
その際、必ず少年は裸に剥かれてしまうんですが、少女のほうは服を脱がない、というのが特徴です。
今回の新作でも、少女たちは乱れのない清楚な制服のまま、少年を丸裸に剥いて玩弄します。
「痴女」とはいうものの、少女たちにがつがつしたところがなく、無邪気に遊んでいる感じがいいですね。
一方の少年たちは、基本的に薄い反応なので、少年の気持ちは完全に「セルフサービス」でお好みに妄想する余地があります。
「な…中杉さんが、こんなことするなんて…。ん!」とか、「今日は苛めてくれないのかな…中杉さん…目に付くところをうろうろしてたら、声かけてくれるかな…」とか、「みずほ様…僕の…は、もうみずほ様のものです!」とか。
なお、本シリーズの次回作は、金髪碧眼のエリカ様が主役だそうです。ヤッター!
※残念ながら、18歳未満の方は購入できません。
私がインターネットを見始めたのは2002年~03年くらいからなのですが、そのころにはFetish★Fairyのサイトはあって、よく見ていました。
主筆のひひるさんの描くふんわりとした優しい世界にすぐに夢中になり、それからずっと大好きです。
Fetish★Fairyのイラストでは、人形のようなかわいらしい美少女が、おもちゃで遊ぶかのように無邪気に少年を陵辱しています。
その際、必ず少年は裸に剥かれてしまうんですが、少女のほうは服を脱がない、というのが特徴です。
今回の新作でも、少女たちは乱れのない清楚な制服のまま、少年を丸裸に剥いて玩弄します。
「痴女」とはいうものの、少女たちにがつがつしたところがなく、無邪気に遊んでいる感じがいいですね。
一方の少年たちは、基本的に薄い反応なので、少年の気持ちは完全に「セルフサービス」でお好みに妄想する余地があります。
「な…中杉さんが、こんなことするなんて…。ん!」とか、「今日は苛めてくれないのかな…中杉さん…目に付くところをうろうろしてたら、声かけてくれるかな…」とか、「みずほ様…僕の…は、もうみずほ様のものです!」とか。
なお、本シリーズの次回作は、金髪碧眼のエリカ様が主役だそうです。ヤッター!
タグ : Fetish★Fairy
私のマゾ遍歴
このあたりで、私のマゾ遍歴を披露させていただきます。
・最初の記憶
まず、いつからマゾなのかというと、生まれたときからですね。
物心ついたときにはすでにマゾ妄想をしていた記憶があります。
一番古い記憶は、特撮ヒーローものの子供番組を見ていて、ヒーローが悪役の美女にボコボコにやられるシーンを見て昂奮したというものです。
どういうわけか、戦隊もの、ロボット刑事ものをとわず、こういう特撮ヒーロー作品には必ずといっていいほど悪役に美女がいて、これがまためちゃめちゃ強い。
一番記憶に残っているのは『機動刑事ジバン』という作品にでてきた「クイーンコスモ」というキャラクターですね。
「地球に女だけの帝国を作る」という野望をもっていて、悪の軍団に属せずむしろそれを利用して行動していました。
とにかく理不尽なほどに異次元の強さで、ジバンとの対決は、戦っているというより嬲っているという感じで、魔法を使ってエレガントに、余裕しゃくしゃくに、楽しそうに、ジバンをボコボコにしていました。
ジバンは強化改造を繰り返しても、クイーンコスモには最後までほとんど歯が立ちませんでした。
私は今でも、「エレガントに、余裕しゃくしゃくに、楽しそうに」攻めるタイプのドミナに強烈に憧れます。
これはもしかしたらクイーンコスモの影響かもしれません。
・マザー・コンプレックス
私のマゾヒズムに、私のマザー・コンプレックスが与えた影響は確実に大きいです。
直接母に陵辱されることを妄想したことはありませんが、心のドミナには常に母の俤を感じます。
幼児期、母が弟を可愛がっているのを見ると、いつもなんとなく切なくなりました。
これが私の最初の「寝取られ」体験と言っていいでしょう。
私の異常な甘えん坊ぶりを理解していた母は、そんな私を見て、よく
「ちょっと待っててね」
と言ってくれたんです。
このときの甘い甘い快感が、私の最初の「放置プレイ」体験かもしれません。
弟は母似で美しく、私は父似で醜いので、姉などは露骨に私を嫌い、弟ばかりをかわいがりましたが、母は平等にかわいがってくれました。
ただいつもそれが、弟に対する「本物の愛情」と違い、「同情」や親としての「義務感」に近いものではないかという強迫観念があり、母の歓心を繋ぎとめようと、母の言うことをよく守り、手伝いもよくしました。
そうして母が
「まぁ、お兄ちゃんはいい子ね。」
といってくれるのが、うれしくて仕方なかったのです。
成長していろいろな性的刺激を知った今でも、この言葉に勝る快感はいまだに知りません。
・オナニー
私の性の歴史、というより私の半生そのものが、オナニーの歴史といっていいです。
上記で「物心ついたときにはすでにマゾ妄想をしていた」と書きましたが、当然そのときにはオナニーをしていました。
三歳くらいのことですので、もちろん精通はしていませんが、絶頂はちゃんとあります。
オナニーのやり方はどんどん進化していきましたが、最大の革命は肛門の開発です。
これは精通など問題にならないくらいの快楽の大革命でした。
私の感覚としては、「放尿:肛門を使わないオナニー:肛門を使ったオナニー」の快楽比は、「1:10:10000」くらいです。
まだ肛門を使ったオナニーの快楽を知らないという人、ぜひ今日からでも始めてくみてださい。
・文豪との出会いと白人崇拝
谷崎潤一郎と出会ったのは中学生のとき、沼正三と出会ったのは高校生のときです。
『少年』を最初に読んだときは手の汗で文庫本がぐしゃぐしゃになったのをおぼえています。
『家畜人ヤプー』を最初に読んだときは、昂奮するとともに、抵抗感もかなり強かったですね。
しかし、妄想は次第に白人崇拝へと傾斜していき、高校、大学時代、私の青春はこれ一色に染まりました。
白人女性の写真が掲載されている雑誌や白人女性を女神として描いた絵画の画集を集めまくり、白い女神たちに家畜として奉仕する妄想で昼夜を問わず猿のように自慰にふけりました。
あまたの同胞とともに女神に虫けらのように使い捨てにされる「ファンタジー型」の妄想もいいですが、例えば「白人モデルがこんなに日本の雑誌に掲載されているのはなぜか?」などと考える「微視型」でも、めくるめくような昂奮を覚えました。
一番好きだったのは「世界が白人に支配される世界が実現するには、世界史にどんな条件がそろえばよかったのか?」と考えることでしたね。
・トリオリズム
トリオリズムに本格的にはまったのはネット小説の影響が大きいです。
「2ちゃんねる」に投稿されていた『元彼女の奴隷に…』『妻が浮気相手に…』『ブサ彦物語』といった小説に魅了され、禁断の快楽の扉を一気に開けてしまいました。
最初に触れたときには「いや、それはない!それは邪道!」と思ったものですが、そういう心理的抵抗が強いほど、はまってしまったときの快楽も強いものがあります。
トリオリズムに関しては、普通の恋愛とSEXを経験し、それが上手くいかなかったことも、もしかしたら影響しているかもしれません。
・実践経験
実践経験は、ゼロです。
個人的な体験としても、マゾ的なものは残念ながらありません。
SMクラブやマゾ系の風俗にもいったことはありません。
正直怖い、とういのはあります。
今行くと、なんだか幻滅を味わうような気がして…自然に行きたくなったら行こうかな、と思っています。
(貧乏でお金がない、というのも大きいですが。)
・ブログ開始
当ブログの最初の記事の日付は2007年7月22日になっていますね。
私という人間の構成要素のこれほど多くを占めているマゾヒズムを、なんとか同士の人達に表現したいという思いが昔からありました。
しかし、漫画やイラストや小説が書けたらいいのですが、書けない。
一方、マゾヒズム文学、特に谷崎潤一郎については、私以上にその本質を理解している人はいないのではないかという位の自負があり、そしてそれは、マゾヒストであれば、多くの人に理解されるのではないかという思いがありました。
そこで、マゾヒズム文学を扱ったウェブサイトを作ろう、と着想したのは、ブログを実際に立ち上げるかなり前のことです。
ブログという簡単な手段が普及したことにより、ようやくそれが実現しました。
ブログ開設直後、真っ先にコメントを下さったのが「女性上位時代」の馬仙人でした。
このときのうれしさは一生忘れないと思います。
最初に言葉を交わした同士が、ずっと大好きだったサイトの尊敬する管理人で、マゾヒズム文学研究の偉大な先輩である馬仙人だったことは、本当に幸せに思います。
…にもかかわらず、私はその後、読者の方の期待に背き、多忙にかまけて長期間ブログを放置してしまいました。
本当に申し訳ありませんでした。
このたび、ある程度自由な時間ができましたので、再開に至りました。
妄想のほうも、絶好調に広がっていますので、いろいろな記事をどんどん書いていこうと思います。
今、「本当にマゾヒストでよかった」と思っています。
いつも読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。
これからも、ご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします。
・最初の記憶
まず、いつからマゾなのかというと、生まれたときからですね。
物心ついたときにはすでにマゾ妄想をしていた記憶があります。
一番古い記憶は、特撮ヒーローものの子供番組を見ていて、ヒーローが悪役の美女にボコボコにやられるシーンを見て昂奮したというものです。
どういうわけか、戦隊もの、ロボット刑事ものをとわず、こういう特撮ヒーロー作品には必ずといっていいほど悪役に美女がいて、これがまためちゃめちゃ強い。
一番記憶に残っているのは『機動刑事ジバン』という作品にでてきた「クイーンコスモ」というキャラクターですね。
「地球に女だけの帝国を作る」という野望をもっていて、悪の軍団に属せずむしろそれを利用して行動していました。
とにかく理不尽なほどに異次元の強さで、ジバンとの対決は、戦っているというより嬲っているという感じで、魔法を使ってエレガントに、余裕しゃくしゃくに、楽しそうに、ジバンをボコボコにしていました。
ジバンは強化改造を繰り返しても、クイーンコスモには最後までほとんど歯が立ちませんでした。
私は今でも、「エレガントに、余裕しゃくしゃくに、楽しそうに」攻めるタイプのドミナに強烈に憧れます。
これはもしかしたらクイーンコスモの影響かもしれません。
・マザー・コンプレックス
私のマゾヒズムに、私のマザー・コンプレックスが与えた影響は確実に大きいです。
直接母に陵辱されることを妄想したことはありませんが、心のドミナには常に母の俤を感じます。
幼児期、母が弟を可愛がっているのを見ると、いつもなんとなく切なくなりました。
これが私の最初の「寝取られ」体験と言っていいでしょう。
私の異常な甘えん坊ぶりを理解していた母は、そんな私を見て、よく
「ちょっと待っててね」
と言ってくれたんです。
このときの甘い甘い快感が、私の最初の「放置プレイ」体験かもしれません。
弟は母似で美しく、私は父似で醜いので、姉などは露骨に私を嫌い、弟ばかりをかわいがりましたが、母は平等にかわいがってくれました。
ただいつもそれが、弟に対する「本物の愛情」と違い、「同情」や親としての「義務感」に近いものではないかという強迫観念があり、母の歓心を繋ぎとめようと、母の言うことをよく守り、手伝いもよくしました。
そうして母が
「まぁ、お兄ちゃんはいい子ね。」
といってくれるのが、うれしくて仕方なかったのです。
成長していろいろな性的刺激を知った今でも、この言葉に勝る快感はいまだに知りません。
・オナニー
私の性の歴史、というより私の半生そのものが、オナニーの歴史といっていいです。
上記で「物心ついたときにはすでにマゾ妄想をしていた」と書きましたが、当然そのときにはオナニーをしていました。
三歳くらいのことですので、もちろん精通はしていませんが、絶頂はちゃんとあります。
オナニーのやり方はどんどん進化していきましたが、最大の革命は肛門の開発です。
これは精通など問題にならないくらいの快楽の大革命でした。
私の感覚としては、「放尿:肛門を使わないオナニー:肛門を使ったオナニー」の快楽比は、「1:10:10000」くらいです。
まだ肛門を使ったオナニーの快楽を知らないという人、ぜひ今日からでも始めてくみてださい。
・文豪との出会いと白人崇拝
谷崎潤一郎と出会ったのは中学生のとき、沼正三と出会ったのは高校生のときです。
『少年』を最初に読んだときは手の汗で文庫本がぐしゃぐしゃになったのをおぼえています。
『家畜人ヤプー』を最初に読んだときは、昂奮するとともに、抵抗感もかなり強かったですね。
しかし、妄想は次第に白人崇拝へと傾斜していき、高校、大学時代、私の青春はこれ一色に染まりました。
白人女性の写真が掲載されている雑誌や白人女性を女神として描いた絵画の画集を集めまくり、白い女神たちに家畜として奉仕する妄想で昼夜を問わず猿のように自慰にふけりました。
あまたの同胞とともに女神に虫けらのように使い捨てにされる「ファンタジー型」の妄想もいいですが、例えば「白人モデルがこんなに日本の雑誌に掲載されているのはなぜか?」などと考える「微視型」でも、めくるめくような昂奮を覚えました。
一番好きだったのは「世界が白人に支配される世界が実現するには、世界史にどんな条件がそろえばよかったのか?」と考えることでしたね。
・トリオリズム
トリオリズムに本格的にはまったのはネット小説の影響が大きいです。
「2ちゃんねる」に投稿されていた『元彼女の奴隷に…』『妻が浮気相手に…』『ブサ彦物語』といった小説に魅了され、禁断の快楽の扉を一気に開けてしまいました。
最初に触れたときには「いや、それはない!それは邪道!」と思ったものですが、そういう心理的抵抗が強いほど、はまってしまったときの快楽も強いものがあります。
トリオリズムに関しては、普通の恋愛とSEXを経験し、それが上手くいかなかったことも、もしかしたら影響しているかもしれません。
・実践経験
実践経験は、ゼロです。
個人的な体験としても、マゾ的なものは残念ながらありません。
SMクラブやマゾ系の風俗にもいったことはありません。
正直怖い、とういのはあります。
今行くと、なんだか幻滅を味わうような気がして…自然に行きたくなったら行こうかな、と思っています。
(貧乏でお金がない、というのも大きいですが。)
・ブログ開始
当ブログの最初の記事の日付は2007年7月22日になっていますね。
私という人間の構成要素のこれほど多くを占めているマゾヒズムを、なんとか同士の人達に表現したいという思いが昔からありました。
しかし、漫画やイラストや小説が書けたらいいのですが、書けない。
一方、マゾヒズム文学、特に谷崎潤一郎については、私以上にその本質を理解している人はいないのではないかという位の自負があり、そしてそれは、マゾヒストであれば、多くの人に理解されるのではないかという思いがありました。
そこで、マゾヒズム文学を扱ったウェブサイトを作ろう、と着想したのは、ブログを実際に立ち上げるかなり前のことです。
ブログという簡単な手段が普及したことにより、ようやくそれが実現しました。
ブログ開設直後、真っ先にコメントを下さったのが「女性上位時代」の馬仙人でした。
このときのうれしさは一生忘れないと思います。
最初に言葉を交わした同士が、ずっと大好きだったサイトの尊敬する管理人で、マゾヒズム文学研究の偉大な先輩である馬仙人だったことは、本当に幸せに思います。
…にもかかわらず、私はその後、読者の方の期待に背き、多忙にかまけて長期間ブログを放置してしまいました。
本当に申し訳ありませんでした。
このたび、ある程度自由な時間ができましたので、再開に至りました。
妄想のほうも、絶好調に広がっていますので、いろいろな記事をどんどん書いていこうと思います。
今、「本当にマゾヒストでよかった」と思っています。
いつも読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。
これからも、ご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします。
HNの由来と作家:白野勝利氏
私のハンドルネームにつきまして、今まで「白野勝利」(しろの かつとし)と名乗っていましたが、以後、「白乃勝利」(読み方同じ)に改名させていただきます。
「白野勝利」というハンドルネームは、沼正三の『ある夢想家の手帖から』に二編の小説が紹介されている作家:白野勝利氏から勝手に頂戴したものです。
『手帖』に紹介されているのは、『現代の魔女』(第52章「吠え出した夫」で論評)、および、『ジャクリーンの厩』(第66章「日の丸ズロース」で論評)です。 第52章の論評で沼は、白野氏のペンネームに込められた寓意を解き明かしています。
白野勝利=白の勝利=Victory of the White
Victory of the White !
なんと甘美 な響きなんでしょう。
世界が人種平等・植民地解放へ邁進する中、白人崇拝者 として、白人種が再び世界を支配し、他人種を足下に繋いで永遠に繁栄することを望む。
自らは劣等人種として喜んで敗北することを望む。
そんな奇怪な願望を、小説にするだけでなく、ペンネームにしてしまうという徹底ぶり。
私は『手帖』でこれを読んだとき、これこそ本当のマゾヒズム作家であるな、と感動したの覚えています。
当ブログを始める際、私が書きたいことを表す氏名として真っ先に「白野勝利」が思い当たり、深く考えることなく、ハンドルネームとして採用しました。
しかしこのたび、全く同じ氏名を頂戴するのは少し問題があると考え、「白乃勝利」に改名いたします。
白野氏の作品については、一つも読んだことがありません。『手帖』に紹介されている二作品は、《SSS》という雑誌に掲載されていたそうですが、もはや読める可能性はほとんどないといっていいでしょう。しかし、『手帖』で紹介されているその内容は、両作品とも、「読まなきゃ死に切れない」と思えるほど素晴らしくマゾヒスティックなものです。簡単にご紹介します。
現代の魔女
白人のカップルが、留学生の日本人(資産家の子息)を騙し、精神を崩壊させて犬に馴致し、偽装結婚によって資産を手に入れるというもの。
スクビズム、トリオリズム、アルビニズムの完璧な三位一体ですね。
まさに「Victory of the White」です。
ジャクリーンの厩
戦後日本が国家として崩壊し、国土と国民が欧米女性の個人資産として分割されていくというもの。
富士山は英国女王のものに、島嶼群はことごとく欧米女優のものに、そして皇居は、グレース・モナコ大公妃との競争の結果ジャクリーン・ケネディのものになり、退位した両陛下は、乗馬好きのジャクリーンの厩の馬丁になります。
すごすぎます。まさに「Victory of the White」です。
両陛下が毎日ジャクリーンの愛馬の世話をしたり、ジャクリーンが騎乗した馬を曳いたりしている姿を想像してみてください。
恐らく、二人は馬一頭分の厩よりもずっと小さな住居で寝泊りしてるんでしょう。
例えば、ケネディ夫妻で乗馬を楽しむときは、馬丁にも乗馬鞭を使う夫人の馬は元天皇が曳くんでしょうね。優しい大統領の馬は元皇后が曳く。夫人があまりにも馬丁を乱暴に扱うんで、大統領が気遣う。馬丁は涙を流して大統領に感謝するんだけれども、癪に障った夫人は「だめよ、あなたの馬丁だけならともかく、私のまで甘やかさないで」なんていって、かえってひどく鞭を使ったり…きりがないのでこの辺にしておきます。
若き日のエリザベス英女王陛下
米大統領夫人ジャクリーン・ケネディ
グレース・モナコ大公妃
昭和天皇・香淳皇后
「白野勝利」というハンドルネームは、沼正三の『ある夢想家の手帖から』に二編の小説が紹介されている作家:白野勝利氏から勝手に頂戴したものです。
『手帖』に紹介されているのは、『現代の魔女』(第52章「吠え出した夫」で論評)、および、『ジャクリーンの厩』(第66章「日の丸ズロース」で論評)です。 第52章の論評で沼は、白野氏のペンネームに込められた寓意を解き明かしています。
白野勝利=白の勝利=Victory of the White
なんと
世界が人種平等・植民地解放へ邁進する中、
自らは劣等人種として喜んで敗北することを望む。
そんな奇怪な願望を、小説にするだけでなく、ペンネームにしてしまうという徹底ぶり。
私は『手帖』でこれを読んだとき、これこそ本当のマゾヒズム作家であるな、と感動したの覚えています。
当ブログを始める際、私が書きたいことを表す氏名として真っ先に「白野勝利」が思い当たり、深く考えることなく、ハンドルネームとして採用しました。
しかしこのたび、全く同じ氏名を頂戴するのは少し問題があると考え、「白乃勝利」に改名いたします。
白野氏の作品については、一つも読んだことがありません。『手帖』に紹介されている二作品は、《SSS》という雑誌に掲載されていたそうですが、もはや読める可能性はほとんどないといっていいでしょう。しかし、『手帖』で紹介されているその内容は、両作品とも、「読まなきゃ死に切れない」と思えるほど素晴らしくマゾヒスティックなものです。簡単にご紹介します。
現代の魔女
白人のカップルが、留学生の日本人(資産家の子息)を騙し、精神を崩壊させて犬に馴致し、偽装結婚によって資産を手に入れるというもの。
スクビズム、トリオリズム、アルビニズムの完璧な三位一体ですね。
まさに「Victory of the White」です。
ジャクリーンの厩
戦後日本が国家として崩壊し、国土と国民が欧米女性の個人資産として分割されていくというもの。
富士山は英国女王のものに、島嶼群はことごとく欧米女優のものに、そして皇居は、グレース・モナコ大公妃との競争の結果ジャクリーン・ケネディのものになり、退位した両陛下は、乗馬好きのジャクリーンの厩の馬丁になります。
すごすぎます。まさに「Victory of the White」です。
両陛下が毎日ジャクリーンの愛馬の世話をしたり、ジャクリーンが騎乗した馬を曳いたりしている姿を想像してみてください。
恐らく、二人は馬一頭分の厩よりもずっと小さな住居で寝泊りしてるんでしょう。
例えば、ケネディ夫妻で乗馬を楽しむときは、馬丁にも乗馬鞭を使う夫人の馬は元天皇が曳くんでしょうね。優しい大統領の馬は元皇后が曳く。夫人があまりにも馬丁を乱暴に扱うんで、大統領が気遣う。馬丁は涙を流して大統領に感謝するんだけれども、癪に障った夫人は「だめよ、あなたの馬丁だけならともかく、私のまで甘やかさないで」なんていって、かえってひどく鞭を使ったり…きりがないのでこの辺にしておきます。
若き日のエリザベス英女王陛下
米大統領夫人ジャクリーン・ケネディ
グレース・モナコ大公妃
昭和天皇・香淳皇后
タグ : マゾヒズム谷崎潤一郎沼正三家畜人ヤプーある夢想家の手帖から寝取られ三者関係白人崇拝美男美女崇拝ジャクリーン・ケネディ