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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

『ある夢想家の手帖から』全章ミニレビュー 第6巻「黒女皇」

沼正三の長大なエッセイ集『ある夢想家の手帖から』につき、全章をミニレビューをつけて紹介していきます。
入手できた挿画、関連する画像を合わせて掲載します。




第一三七章
ドミナの類型学―その肉体的・精神的条件
マゾヒストは、理想イデア世界に住む女神に憧れ、夢見る存在である、という、第一章冒頭の説を再度説きます。
しかし、「現実世界の女性をまったく離れては、そもそも女神の姿態すがた顔貌かおかたちを思い浮かべることができない。」としています。

これはまったく、谷崎のイデア論そのものです。

以下四章は、現実・フィクション両世界の理想のドミナを類型別に列挙していきます。
そして、それらの女性たちを、その女性に対してどういう関係を持ちたいと空想するかという一種の「内省テスト」によって序列化しています。
すなわち、

第一段階 奴隷
第二段階 家畜
第三段階 便器

の三段階のいずれにまで空想が進むかによって傾倒度を測るもので、第三段階まで空想が進む女性は第一級のドミナとなるわけです。

第一三八章
和洋ドミナ曼荼羅まんだら
ドミナ諸仏が配置された沼の両界曼荼羅から、胎蔵界=現実世界の女性を類型毎に列挙しています。
あきれるほどたくさんの女性の名が出てきます。
この方は相当なミーハーですね。
一部を列記します。

英王室
エリザベス女王
マーガレット・ローズ王妹
アン・オブ・エディンバラ王女(後のプリンセス・ロイヤル)

ヨーロッパ王室
スウェーデン王室の四人姉妹(ビルギッタ、マルガレータ、デジレ、クリスティーナ)
オランダのユリアナ女王
デンマークのマルグレーテ女王
モナコ公妃グラチア(グレース・ケリー)
カロリーヌ・ド・モナコ
イランのソラヤ王妃

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スウェーデン王女ビルギッタ、マルガレータ、デジレ         パトリシア・グラチア。女優・グレースケリーとしての最後の作品「白鳥」より。

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ソラヤー・エスファンディヤーリー・バフティヤーリー。イラン貴族の娘でドイツ人とのハーフ。シャー・パフラヴィーを夢中にさせた「イスファハーンの薔薇」。オイルマネーの上に華麗な王室生活を送り絶世の美女として世界から脚光を浴びるが、不妊症であることが発覚し、帝位継承の安定のため1958年にやむなく離婚。その後は女優として活動した。

西欧社交界
ジャクリーン・オナシス
キャロライン・ケネディ
インディラ・ガンディ
イメルダ・マルコス
デヴィ・スカルノ

ハリウッド女優
オードリー・ヘップバーン
ミレーヌ・ドモンジュ
カトリーヌ・ドヌーヴ
ラクエル・ウェルチ
アーシュラ・アンドレス
ジェーン・フォンダ
ジーナ・ロロブリジーダ
キャンディス・バーゲン
エルザ・マルチネリ

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ミレーヌ・ドモンジュ。フランス女優。特に日本にファンが多い。  オードリー・ヘップバーン。母はオランダ貴族。

学者
中根千枝(社会人類学者、女性初の東大教授)

スポーツ選手
チャスラフスカ(体操、チェコスロバキア)
ジャネット・リン(フィギュアスケート、米国)
クリス・エバート(テニス、米国)
アンネマリー・モザー=プレル(アルペンスキー、オーストリア)
ペギー・フレミング(フィギュアスケート、米国)
沢松和子(テニス)
木原光知子(水泳、引退後モデル、実業家)

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クリス・エバート。四大大会優勝18回。

女性運動家
榎美沙子

テロリスト
ライラ・カリド(パレスチナ解放人民戦線)
重信房子(日本赤軍)

皇族
美智子妃
島津貴子(清宮)
近衛甯子

名家
酒井美意子
村山未知(朝日新聞社主令嬢)
鹿島三枝子(三島由紀夫が贈った恋文が残る)
千登美子(茶道裏千家)

才女
森英恵
山口洋子
戸川昌子
オノ・ヨーコ
渡辺美佐(ナベプロ社長)
中丸薫
兼高かおる(TBS「兼高かおる世界の旅」レポーター)
滝田あゆち(日本航空広報課長)

作家
曽野綾子
犬養道子

音楽家
巖本真理(ヴァイオリニスト、米国人とのハーフ)
中村紘子(ピアノ)
成田絵智子(オペラ歌手)

女優・モデル
入江美樹(白系ロシア人貴族とのハーフ、小澤征爾の妻)
鰐淵晴子(オーストリア人とのハーフ)
安田道代(1967年版「痴人の愛」のナオミ役、「恐怖時代」を翻案した「おんな極悪帖」のお銀の方役)
岩下志麻
梶芽衣子
司葉子

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鰐淵晴子。「天才少女バイオリニスト」から銀幕のスターに。オーストリア人である母の先祖を遡るとハプスブルク家に辿り着く。

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左:入江美樹、右:鰐淵晴子。ハーフモデルの競演。

歌手・タレント
和田アキ子
山本リンダ(米国人とのハーフ)
ロザンナ(イタリア人)
アン・ルイス

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ロザンナ。沼にとって「司令官夫人」を偲ばせる容貌で、顔を見ただけで前に跪きたくなったという。

なお、沼の尋常ならぬ曽野綾子崇拝については、こちら↓をご参照ください。

『手帖』第一三八章「和洋ドミナ曼陀羅」~ドミナを選ばば曽野綾子

第一三九章
大日如来アン王女
エリザベス英女王の長女アン王女について。

戦後、天皇の神格否定により、多くの日本人が喪失感の代替を求めた中、沼はそれを英王室に求めました。
英国の植民地としてアン王女の化粧料(譲渡・処分可能な女子の個人資産)とされることを夢想しています。
また、多くのマゾヒストが美智子妃と皇太子(明仁)との女性上位結合を夢想する中、沼はその根拠を美智子妃に英国皇族の血が入っている可能性に求めています。

第一四〇章
女侠ナンバーワン
男性の精神と力量を持つドミナの理想型として、ピーター・オドンネルの連作スパイ小説に登場する国際犯罪結社の女首領モデスティ・ブレーズを紹介。

附録

A
『毛皮を着たヴェヌス』に邦訳について
本作を「マゾヒストの共通財というべき古典」としたうえで、邦訳本を紹介しています。
最初の邦訳本は大正末期に刊行された青木繁訳の「性の受難者」ですが、これは削除部分や誤訳が多いとしています。
沼が(この時点で)推薦するのは戦後刊行された治州嘉明「毛皮を着たヴィナス」です。
その後、文豪・佐藤春夫による訳本が出され、奇譚クラブの中でも絶賛されますが、沼はこれを「治州訳に劣る」と評しています。
そもそも「名前を貸したものであろう」と佐藤の関与を疑い、いくつかの誤訳を例示した上で、ワンダのグレゴール(奴隷誓約したセヴェリン)に対する言葉使いが日本語の目下に対する言葉になっておらず、原作の意図を誤っていることを決定的な欠点としています。
これに対し佐藤訳を支持する麻生保が反論し、例によってかなり感情的な議論が展開されています。

おそらく、原作の意図としては、ワンダがグレゴールに対してdu(お前)という二人称を使っていることを根拠としている沼が正しいのでしょう。
現在出回っている種村季弘訳も、治州訳に近い言葉遣いになっています。
ただ、どちらが趣があり、読者の昂奮を惹起するかというのは、また別問題な気がします。

(治州訳)「お前は直ぐに、名前や住所や、その他伯爵の事をいろいろ調べておいで。解ったかい」
(佐藤訳)「あなたは、すぐにあの王子の名前と、住まいと、境遇を調べてきて頂戴、分かって?」
((種村訳)「すぐにあの公爵の名前とお住居と身辺のご様子を調べておいで、いいね?」)

みなさんはどちらのワンダにより魅力を感じますか?
私は佐藤訳のワンダのほうに高貴性を感じ、猛烈に昂奮します。
いずれにしても佐藤訳は読んでみなければならないし、セヴェリンの四行詩を

愛らしき魔性を帯びた神話の乙女
なが奴隷を踏み敷き給え
其の大理石の如きうつしみは
天人花ミルテ竜舌蘭アガペの下に休らめて

とした治州訳も読んでみたいですね。

なお、森鴎外について、東大図書館に残る鴎外旧蔵の文庫中に自筆と思われる漢文による読後感の書込みのあるマゾッホの作品があり、関心はあったようである、としています。

B
神の酒ネクタールを手に入れる方法
芳野眉美の飲尿に対する並々ならぬ憧憬の吐露に対して、沼が実体験に基づき入手方法を教唆したもの。
実体験とは大学時代、下宿先のS子という夫人に惚れ、試行錯誤の末、ブリキ製の容器とセルロイド製の下敷きを使った仕掛けで常習的にS子の尿を入手したというものです。
美しく支配的で「甚だしく魅力を感ずる」夫人に「全く下男扱いされた」うえに、さらに「隷属の意識を高めるべく」夫人の汚れ物をあさったうえに仕掛けの発明によって「毎日自由自在にS子のネクタールを満喫」し、「日によってはS子の排出した全水分を飲んだ」という理想的な青春(おそらく終戦直後)は、谷崎の「神童」を思わせます。
司令官夫人との日々と並んで沼のマゾヒズムに大きく寄与した日々かもしれませんね。

C
狂言 内沙汰
中世農村を舞台にした夫婦ものの狂言を紹介。
若く美しく怜悧な妻が臆病で愚鈍な夫を徹底的に打ち負かし、玩弄します。
妻は夫の仇である富農と密通しているのですが、作品はあくまで夫(コキュ)を嘲笑する喜劇として作られています。

D
人か馬か
ジュール・シュペルヴィエルの短編を訳出。
ある貴族の男が死なせてしまった馬の呪いで馬に変わってしまいます。
男は完全に馬に変わる前に婚約者のアメリカ婦人に顛末を告げ、婦人の乗用馬車用の馬になりますが、やがて婦人の馬車には若い男が同伴するようになります。

E
マゾヒスト協会
フランスの風俗小説の訳出。
貴族の家庭内で母と娘(ヒロイン)が父と娘婿を奴隷化していて、家事奉仕、鞭撻、足舐めなどが展開されます。
ヒロインは同様の関係にある男女を募って「マゾヒスト協会」を結社します。

なお、この訳出が沼の奇譚クラブへの初投稿。

F
公妃の復讐
ザッヘル・マゾッホの短編の抄訳。
舞台は中世キエフ大公国。
近隣部族の首長に夫の大公を殺された公妃が、その美貌に魅せられて結婚を申し込んできた首長を陥れ、部族ごと全滅させたうえに、首長の手足を切り落として畜生として自分の食卓の下で生涯をすごすという酷刑に処します。

G
黒女皇
舞台は中世、キエフ公国編入前のガリツィア(ウクライナ南西部)。
皇帝ウラジミールの寵を受けた女奴隷ナルダが、皇帝を性的に隷属させたうえで一日だけ自分に帝位を譲る事を約束させます。女皇となったナルダは一日のうちに策略をめぐらせ廷臣や貴族を皆殺しにし、一日の最後に皇帝を処刑してガリツィアを恒久的に支配します。
刑を宣告されたウラジミールにナルダが「慈悲として」、足へのキスを許し、ウラジミールが夢中でこれに応えるシーンがクライマックスです。
ナルダは貴族を誅殺して農民の支持を得たため、農民階級を象徴する「黒」を冠して「黒女皇」とよばれます。

解説で沼は「公妃の復讐」を応用して、ナルダがウラジミールを処刑せず、手足を切断して犬として寝室に飼い、ついには愛人となった美青年将軍との共有の便器にまで堕とされる展開を妄想しています。

H
雑報
夥しい数の資料が数行ずつの解説で紹介されています。

ひとつだけ特筆すると、富田英三の「ボクは犬じゃない」という風刺漫画。
日本や朝鮮といった植民地的国家を「リベラル家」の飼犬として描きます。
リベラル家の夫人は米国、亭主は欧州。
日本犬は夫人の入浴に侍ったりして重宝されますが、夜は夫婦のベッドの下に「オイテケボリ」にされる切なさを吐露しています。
スクビズム、トリオリズム、アルビニズムの見事なミックスですね。

占領期の「植民地的な」ニュースに対する反応もあり、白人観光客が投げた小銭を日本人の子供が這って拾い一興を提供した屈辱を喜んだり、日比谷公園で薄着でテニスに興じる白人少女たちに魅せられて練習の終わるまで金網にへばりついていたりしています。
楽しそうですね。
1957年(主権回復後)のジラード事件では、空薬莢を這い回って拾う日本人主婦の卑しさを「コソ泥と罵られたって仕様がないではないか」と非難し、白人二等兵の裁判権を日本が得るという理不尽に、白人崇拝者として「無条件降伏した時に、白人に対する裁判権を日本から永久に奪ってしまえばよかったのに」と切歯扼腕しています。

I
沼正三便り
奇譚クラブの執筆者に当てた公開の便り。

『ある夢想家の手帖から』全章ミニレビュー 第5巻「女性上位願望」

沼正三の長大なエッセイ集『ある夢想家の手帖から』につき、全章をミニレビューをつけて紹介していきます。
入手できた挿画、関連する画像を合わせて掲載します。




第一二〇章
白痴を使って
以下五章は、「手段化法則」の例として、古代ローマの奴隷制を紹介。
古代ローマの諷刺詩人マルチアリスの詩から、白痴モリオ(貴族に愛玩用として飼われた後天性の身体・知的障害者)の描写を紹介。
貴婦人が夫の前で情夫と間接キスをするのに、モリオを介して行ったという場面。

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ジャック・オレック「メッサリーナ」の表紙画

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ペーパーバック版の表紙                  マール・オベロン扮するメッサリーナ

付記では大和勇「黄色いかなしみ」を紹介。

金髪女優ハニイの奴隷となった小男の日本人が、夫婦の寝室の性具や人間ビデとまで蔑んだ扱いをされながら、女主人の肉体を犬のように慕いこがれ、最後には鼻の穴の隔壁の軟骨に鼻輪を通すための孔を穿たれる。
(ハニイはその鼻輪を自分のハイヒールの踵に短い鎖で繋いで歩きまわり、彼を否応なく四這わせ、犬同様にお伴させようともくろんでいるのだろう)
ハニイと夫のジルが男を性具として使う場面の描写です。
「フフ……この格好、こいつの黄色い親が見たら、なんて思うかしらね」
 実際、親に見せられる格好ではなかった。私の首根っこは、うしろからハニイの股に喰わえ込まれ、口腔はジルに押し込まれて物も言えない状態だった。要するに、私の頭蓋骨を間にして、二人は愛し合っていたのだ…



第一二一章
チベリウス帝の小魚たち
ローマ皇帝ティベリウスが幼児の奴隷を性具として扱ったことを紹介。

第一二二章
便器奴隷
古代の便器奴隷の実例を紹介。
便器奴隷とは、主人の排泄にかかわる処理を専門に行う奴隷。
(自ら便器となる人間便器とは異なる。)
汚物愛好の核心を突く記述があります。
マゾヒストは、崇拝対象を排泄物と排泄動作から遠ざけることで、その高貴性を維持しようとし、これが進むと、崇拝対象の排泄物を口にすることで、「崇拝対象の体から出たものは普通の排泄物ではない、食べられる」という理論で合理化をすることになる、というものです。

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オーブリー・ビアズリー「丘の下で」

付記では「家畜人ヤプー」の肉便器セッチンについて、「ローマ世界の貴人達の到達し得た贅沢をイースの貴族達に味わせぬのでは申し訳ない」と思って、便器奴隷を源に構想したもの、としています。

第一二三章
ドミナの朝
ユウェナリスの詩から、ローマの貴婦人の、なんの咎もない女奴隷への暴虐な鞭撻について。

第一二四章
奴隷は人間なの?
引き続きユウェナリスの詩から、ローマの貴婦人の奴隷に対する扱いについて。
奴隷の処刑に慎重を期す夫に対する貴婦人の魅惑的な一句です。
あれが何もしてなくたって、命令は実行エストさせるわ。あたしはそう望むから、そう命令してるの。理由ラチオなんか要らない。妾の意志ウォルンタンスがその代わりをするわ」

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第一二五章
世紀の魔女
ナチス・ドイツのブーヘンヴァルト強制収容所の初代所長カール・コッホの妻で、「ブーヘンヴァルトの魔女」と呼ばれた悪名高い看守イルゼ・コッホについて。
戦犯裁判の法廷記録から、数々の残虐行為を紹介。
「手段化」の極北として、囚人の皮膚をなめして作った手袋、ブックカバー、ランプ・シェードが登場します。

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映画「愛を読む人」より、ケイト・ウィンスレット扮するヒロイン:ハンナ・シュミッツ。モデルはイルゼ・コッホとも。愛人の青年にプレゼントした本のカバーは…

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イルマ・グレーゼ。「ベルゼンの獣」としてイルゼ・コッホと並び称されたアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所およびベルゲン・ベルゼン強制収容所の女性看守。

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ラーフェンスブリュック強制収容所の看守ドロテア・ビンツの残虐行為を批判した風刺画。

第一二六章
ある貴婦人の道楽
ある欧州貴族の嗜虐女性サディスティンの症例報告を紹介。
夫に隠れて保養地で男性を手玉に取り、乗馬鞭で調教して「あたしの後を犬みたいに追っかけまわすようになる」まで馴致し、性的満足を得る、というもの。

第一二七章
サド女性とレスボス愛
女性のサディズムに関する精神医学者ヴィルヘルム・シュテーケルの説を紹介。
女性のサディズムの根源は、同性愛者の女性が、自分の中の男性的傾向を抑圧した結果、男性に対して嗜虐的になったものである、とするものです。
沼は奇譚クラブに寄稿していた皆川のぶ子という作家を例に、この説に賛同しています。

追記で三原寛の作品を紹介。

「嬲る」
イサベル・サマリヤ「虐待トゥルマンテ」(Tourmenter)の訳出。ヒロインのイサベルはフランス人と見違える容姿を備えたブロンドの白人混血児で、ベトナム(?)の大地主の娘。彼女が日本の某商社の現地支配人マツオの秘書になり、やがて彼を征服して奴隷化し、会社を私物化して大儲けをし、本社に発覚して彼が解任された発狂するまで二年間絞りぬく。「白人の女に対して絶対的な劣等感コンプレックス・ダンフェリオリテ・アブソリュー」をもつマツオは、イサベルに恩恵として乗馬鞭クラヴァシュで叩いてもらう(鞭の儀式)ために、何でもサインしてしまう。
沼は本作に①白人崇拝、②地位逆転、③女神と畜生との距離、④ドミナへの男性付与、⑤下部願望スクビズム、⑥鞭の種類といったモチーフが見られると賞賛しています。
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「愛人/ラマン」(1992年、英仏合作映画)より



第一二八章
鞭を揮う女賊
谷崎潤一郎が「恋愛及び色情」で取り上げた「今昔物語集」収録の説話を紹介。
男を鞭撻する強盗団の女首領の話。

第一二九章
女性の乗馬
女性が乗馬をすると、サディスティックになると説きます。
「乗馬とは支配の技術である。感情と意思と判断とを有する本来独立した高等動物の一匹を自分の意志に隷属させる技術である。轡と手綱によって馬の自発的意志を奪ってしまうのであり、鞭と拍車とによって乗馬の意志を強制的に加えるのである。全生物界を通じて生物が一個体の他の一個体に対する支配にしてこれほど徹底的に完璧なものはあるまい」
…畜化願望のなかでも「犬」とならんで「馬」がなぜこれほどマゾヒストに愛されるのかがよくわかる一節です。

付記では、「さらばアフリカアフリカ・アディオ」という記録映画を紹介。

独立後の黒人支配により荒廃していくアフリカの状況のルポで、白人支配当時の映像を用いて当時の繁栄安逸をシンボライズする場面が紹介されています。
黒人馬丁の頭上を踏み越して乗馬する白人令嬢、黒人に狐の尾を持たせて走らせ、犬と馬で狐狩り同様に追う白人騎手。
革命後、白人邸宅を略奪した黒人が、トイレの便座を取り外して首飾りにして得意になっている場面など。

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「Africa Addio」(1966年、イタリア映画)より、該当場面


第一三一〇
乗馬専門女主人に
女性乗馬を扱った短編小説として、池上信一「馬狂いの女たち」を紹介。
「調教のため」ではなく、「鬱散なため」に馬を鞭打つ女性たちが登場します。

第一三一章
乗馬専門女主人アマゾン
性科学書に掲載されている症例から、マゾヒストが職業的ドミナに送った手紙を紹介する「マゾヒストの手紙」シリーズその七。
乗り賃を(「払う」のではなく)「貰う」乗馬専門のドミナが登場。
人間便器への言及もあり、沼は次のように解釈しています。
「待ちこがれつつ口を開いて近づいてくる女主人の体臭を吸うというのは、特に神酒ネクタルに対する渇望とも読めるけれども、私はかつての体験などに微して、一般的な水分欠乏による渇きとしてここを読んでいる。つまり、便器にされて部屋の一隅に繋縛されたまま水分を与えられぬので渇き切っている。そこへようやく女主人が放尿しに近づいてくる。待ちこがれた男はもう口を開いて期待に震える…そういう場面だと思う。」
非常に臨場感のある描写ですね。

本筋ではありませんが、付記に日本の風俗史について、「幕末には開いていた異常性愛文化の頽廃の華が、維新と共にしぼんでしまい、西欧の世紀末の頽廃のムードが入って来たのはやっと昭和初年になってであったし、それも不十分なものだった」との見解があります。

第一三二章
跨がる女たち
女性乗馬の浸透と、女性上位の世相について。

第一三三章
スクビズム
スクビズムについて。
付記を含めると36ページにおよぶ、最重要章のひとつ。
こちら↓をご参照ください。

スクビズム総論

本章ではスクビズムの各類型およびその複合の仕方について、谷崎潤一郎を大量に引用して説明しています。沼の称する「正当マゾヒズム」とは、要するに谷崎潤一郎のことである、ということが本章を読めばよくわかります。
こちら↓をご参照ください。

沼正三の谷崎潤一郎論

付記では、ジョージ秋山の「ゴミムシくん」というとんでもない漫画が紹介されています。
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第一三四章
クーデンホーフ伯爵夫人
明治時代、駐日オーストリア大使グーデンホーフ伯爵と結婚して渡欧した青山光子について。
江戸町人の娘だった光子が西洋貴婦人マリア・テクラ・クーデンホーフ・カレルギ伯爵夫人に転身メタモルフォーゼするシンデレラ・ストーリー。

付記では「美しき東洋の真珠」デヴィ・スカルノ夫人にも言及。
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第一三五章
黄色い肌の犬(『肉林願望』)
宇能鴻一郎「肉林願望」を紹介。

主人公田丸は三十五歳で独身の助教授。田丸の人種としての日本人の肉体の醜さへの歎息と、白人の圧倒的に美しい肉体への賛美がつづく。日本人は白人の召使いの地位に甘んじるのが身分相応なのではないと考えることで「気持ちも安まり、悲しみのうちにも一種の甘さに似た、なつかしい感情に浸れる」という心境に至る。田丸は横浜の繁華街でプラチナ・ブロンドの白人女性:ポーラと出会う。田丸が有頂天になって話す「日本人下僕論」を聞いたポーラは、田丸を乱交パーティに招待する。パーティで田丸は全裸に首輪をつけられ、白人男女の嘲笑の中、ボルゾイ犬との犬芸を披露させられる。


このあと、沼の二次創作が続きます。

ポーラはタマルを部屋の真中に曳いて来ると、ミニ・スカートのパンティを脱いで、それをタマルの頭にかぶせて言うのだ。
「さァ、これが花嫁のヴェールの代りよ」
そう聞かされても、タマルは何のことか分からず、ポーラの大サービスを喜び、かぐわしい香りに恍惚となりながら、命令されるまま床につけた膝を曲げつつ両脚を閉じ、上半身を下げながらお尻を上げて、パンティをかぶったままの顔を絨毯に押しつける。上背部にポーラが腰を掛け、ヒップの重量でタマルの上半身を固定する。視界を奪われたタマルは、感触と四方から降る嘲笑で自分が雄犬に肛門を犯されていることを悟る。ポーラが男に誘われて去り、背中の圧迫がなくなる。皆は彼を忘れた。しかしタマルは動かない。動けない。呪縛されたように。あきらめの快感に全身が虚脱されてゆく…


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映画「嘆きの天使ザ・ブルー・エンジェル」より、メイ・ブリット。スウェーデン出身、身長一七〇センチ、髪プラチナブロンド、瞳ブルー・グレイ。

さらに付記では、南村蘭の連作「金髪美少女クララさま」「金髪パーティ」を紹介。

大学助教授の田丸は、米国留学中不良少女クララに夢中になる。少女は彼の白人女性崇拝という弱点を見抜いて彼に金を貢がせて男女の友人を呼び集め、彼を共同のメイドにして家事奉仕させ、余興をさせる。唯一の報酬は彼女の穿き脱ぎのパンティである。乱交パーティでは男と交わった後のクララから、「お前、あたしを犬の代わりにお舐め」と命令される。



第一三六章
魔女が島(『ユリシーズ』)
ジェームス・ジョイスをマゾヒストであると断定し、二十世紀文学の金字塔と言われる「ユリシ-ズ」の第十五挿話「キルケ」から、スクビズムに関する場面を紹介しています。
沼はこの第十五挿話をマゾ文学としても最高の作品である、と評価していますが、訳文を読んでもやはり相当に難解です。
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マリー・ケンドル扮するマーヴィン・トールボイズ夫人

『ある夢想家の手帖から』全章ミニレビュー 第4巻「奴隷の歓喜」

沼正三の長大なエッセイ集『ある夢想家の手帖から』につき、全章をミニレビューをつけて紹介していきます。
入手できた挿画、関連する画像を合わせて掲載します。




第九六章
マゾッホのピカチズム
マゾッホ、そして谷崎の汚物愛好ピカチズムについて。
どちらも、正統派マゾヒストであり、その当然の帰結として汚物愛好者であったと断定します。
谷崎の場合は検閲が比較的寛容であったため、随所にその痕跡が残されているが、マゾッホの場合は検閲が厳しく、作品中にはその痕跡が見られない。
しかし、私書の中には「人間ビデ」とみられる記述もあることを紹介。
ここから類推して、「毛皮を着たヴェヌス」のクライマックスで、ワンダとギリシア人がセヴェリンを縛って鞭打って笑いこけた後、縄が解かれるまでの空白の時間、何が行われていたか、妄想を広げています。
縛られたセヴェリンの目前で二人は寝台で睦み合い、その後はさらに「悪魔的」な行為が行われたに違いないと…

第六九章
三者関係

三者関係=トリオリズムについて。
こちら↓をご参照ください。

トリオリズム総論

付記で紹介されている作品を抜粋します。

田沼醜男「赤い恐喝かつあげ
不良処女サリーは、アンドレ老人をたぶらかし、風呂場で奉仕させているところへ、ひものデレックを踏み込ませ、老人を叩きのめさせておいて、二人で楽しむのであるが、ベッドの前に畏まっている老人に向かって、「どう?あたしたちの恐いことが分かった?」というヒロインのことばは、「痴人の愛」のナオミの、「どう?あたしの恐ろしいことが分かった?」の見事な拡張である。


シャーリー・ジャクソン「おふくろの味」
料理と家事の名人ディビッド・ターナーはアパートの隣室のマーシャに惚れている。ある日ターナーがマーシャを自室に招き、自慢の料理で饗しようとしていると、マーシャの勤め先の男ジェームス・ハリス(ターナーとは初対面)がマーシャ部屋と信じて入ってくる。マーシャは自分の料理のような顔をしてハリスをもてなす。二人の交歓。ターナーはマーシャの暗黙の意思に従って隣室の男を演じ、二人を残して辞去させられる。マーシャの部屋の鍵を渡されたターナーは、自分のベッドで二人が寝る姿を想像しながら、マーシャの部屋の掃除を始める。


伏虎久作「Mモデルとその妻」
M夫婦が隣室のS夫婦に夫婦ぐるみで征服され酷使される。M夫婦の居室がS夫婦の便所になる。すなわち、M夫婦はS夫婦専用の便器を用意させられ、S夫婦は催すと、M家が食事中でも構わずやって来て用を足し、拭わせて帰る。


宇能鴻一郎「蜜に濡れた階段」
混血男性に魅せられて夫婦で前後から舌と口で奉仕する。


付記第六では、「変型的三者関係」として、優位の男女に劣位の女が奉仕する場合を考察。
占領期、駐留軍将校の日本妻として同棲し、口淫奉仕を仕込まれたあと、本国から白人妻が来日したために捨てられそうになると、白人妻への忠誠を誓って、メイドとして残してもらうよう哀願する日本女性が稀ではなかったと紹介。白人妻への口淫奉仕をもためらわず夫婦に奉仕する日本女性の心理には、白人種を一段高く見る気持ちと大和撫子らしい献身があり、日本人女性の奉仕を受け、その顔の前に平然と股を開く白人妻の心理には、ライバルとはなりえない存在であることの確認と、有色人種への蔑視がある、と見ています。

第九八章
人間ビデ
上位者カップルが愛し合ったあと、避妊のため、上位者男性の体液がたっぷりと注がれた女性器を啜って、舐めて洗浄する、すなわちビデ(女性用局部洗浄器)の代わりなるという願望。
人間便器が二者関係の下降の極限とすれば、人間ビデは三者関係の下降の極限である、とします。

沼自身は、「白人の夫婦の睦んでいるのを見ると、反射的に人間ビデ奉仕を連想せずにおられない」と告白しています。

追記にて、夏木青嵐の作品から二場面を紹介。

「係長エレジー」
「オレはさっきからもう長いこと、視覚も聴覚も全くふさがれた、温かいふかふかした暗黒の世界にいた。オレは、生まれたままの、一糸まとわぬ姿にされ、胴を四本の他人の脚で、前後から息も止まりそうなほど、がっしりと絡まれていた。」抱き合ったカップルの下半身に挟まれ、前戯として女性器に奉仕している場面。


「若奥様と男奴隷」
「河原は、開かれたままの啓子の下肢の間におのれの裸身を縮め、カエルのように這った。…河原は、ぶざまな裸の姿で、夫婦のむつみ合いの跡を生ぬるくすすり込んだ…」



第九九章
準三者関係
ドミナがマゾヒストをドミナの友人(あるいは恋人)の女性に譲り渡す、というもの。
忠誠が裏切られ、取引・処分の対象になることにマゾ的味わいを見出します。

付記ではマゾッホの未完原稿を紹介

「売られた夫」
オーストリア貴婦人の回想。金持ちで贅沢をさせてくれた夫リボスを裏切って、若く美しいトルコのパシャの恋人になり、共謀してリボスを奴隷制の残るトルコへ送る。ダマスカスのパシャの宮殿で奴隷として購入したリボスを鞭で嬲った上に、リボスをパシャへのプレゼントにしてしまう。



第一〇〇章
ドミナの女友達
「女主人の返事」シリーズ その三。
準三者関係と人間便器のマッチについて。
ドミナが催した客人に自分の便器を貸す。
自分と同格の友人や恋人に便器の共同使用を許す。
差し支えないはずです。
便器がドミナ専用であることを望んでいようが、関係ありません。
便器自らに使用主の選択権はまさかありえないのですから。
「便器らしく扱われた」ことによる幸福感は、このとき極まる、としています。

第一〇一章
米国兵の日本女性狩猟
白人男性によって日本女性を陵辱されることによって感じる特殊なトリオリズムM第二形式。
特に占領期の米国兵による日本人女性への陵辱に、強い性的興奮を示しています。
陵辱にはまず、RAA(国際親善慰安協会)と言う大規模な慰安施設を中心にした政策的なものがありました。
戦災でよるべを失った無垢の少女たちを、「自分の肉親や恋人を焼き殺し、家を焼き、国土を壊滅させた」米兵に愛玩品として差し出すという国策を政府・国民一丸となって推し進めたといいます。
さらには特権と圧倒的な武力を盾にした公然たる強姦。
しかし、これらにもまして喜ばしかったのは、日本人女性がその内心に潜む白人崇拝心理を目覚めさせ、自ら進んで米兵に身を委ね、精神的にも白人男性の魅力に心酔していったことであった…とします。

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横須賀に設置された慰安施設

第一〇二章
黄色はコキュの色
前章の心理を、トリオリズムM第三形式に拡張。
白人男性に陵辱された結果、白人男性の与える恍惚感を覚えてしまい、精神的にも白人男性に従属するようになった日本人女性と、日本人男性の関係はどうなるか。
白人崇拝に陥っている日本人女性は、白人の娼婦であることに誇りを持っているから、日本人男性を男性として評価しない。
このため関係を継続するためには、必然的に日本人男性は日本人女性に隷属しなければならない…というもの。
日本人男性にとっては「宝石箱」のような最高級の日本人女性の肉体が、白人男性にとっては性欲処理のための「便器」となってしまったら…それは、その女性に対する崇拝感情を少しも傷つけない、むしろ「便器」として扱われたことで、白人男性によってより高い、手の届かないところまで引き上げられたと感じる。
沼の白人に対する崇拝がいかに強く絶対的なものであるかを感じさせられます。

第一〇三章
日本人にふさわしいテクニック
日本人の白人崇拝を裏打ちする、白人の有色人種に対する蔑視について。
米兵が日本女性に性交よりも口淫奉仕を求めたことにもこの真理を見出します。

付記では、ドイツ人の家に食事に招かれたとき、「本当は、日本人には、椅子はないほうがふさわしいのだけど…」と言われて興奮した経験を告白。正座のほうが座りやすいと思い込んでいた夫人の発言なのですが、「お前は私たちの食事するテーブルの横で、床に正座しているのが本当なの。それが日本人にふさわしい坐り方なのよ」と言われたように聞こえたそうです。

さらに三原寛の作品を紹介。

「シチュエーション・ウォンテッド」
Situation Wantedは「求職広告」であるが、英会話個人教授の米人女子学生のStoolになるという主人公の「望みの地位」という意味もかねている。英会話を習うとき、「日本の風俗では先生の前ではキチンと坐ることになっているから」と申し出て、相手が椅子に腰掛けた前に正坐して教わる。やがて女子学生は主人公に便器奉仕をさせて自我の昂揚を得るまでになる。



第一〇四章
白人女性と有色人男性
白人女性と有色人男性が関係する場合も、性器への口淫奉仕がふさわしい、とします。

追記では、植民地における人種差別と性をめぐるを心理を暴いた西インド諸島出身の心理学者フランツ・ファノンを紹介。植民地における黒人の白人に対する絶望的な劣等感を報告し、白人女性が黒人男性と関係を持つことは「贈与」であり「恩恵」であるとしたファノン。彼は白人女性を妻にしており、自身の性生活はどんなであったろうか…と邪推しています。

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カミーユ・アラフィリプ作「サルを連れた婦人」

第一〇五章
わがドミナの便り
森下高茂を介して数回手紙を交わした英伊混血女性について。
この女性の存在が、「家畜人ヤプー」の執筆にも大きなインスピレーションを与えたが、結局直接会うことはかなわなかったんだとか。
でもこの手紙…全部森下高茂が書いてたとしたら…笑えますね。

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プリンセス・アレクサンドラ・オブ・ケント(英王室) この女性を偲ばせるとのこと。

第一〇六章
奴隷の喜び
もはや「神話」ともいうべき非常に有名なエピソード。
「白人崇拝」「汚物愛好」「犬願望」など、沼のマゾヒストとしての嗜好関心を決定付けたという「最初にして最大のドミナ」について。
従軍していた沼は南方で終戦を迎え、英軍の捕虜になります。
そこで、英軍司令官の若き夫人の召使を命じられ、夫人による鞭を用いたサディスティックな調教を受けます。
排泄物を口にしたり、人間ビデ奉仕もした…と。

沼はこの話は断じて創作ではなく、それは実録と創作を峻別して書いている「手帖」を読んできた人には信じてもらえると期待する、としていますが…
正直に言って私には到底信じられません。
終戦直後の状況は私の想像を絶するのでしょうが、この話は都合がよすぎる。
エピソ-ドのほとんどは創作だと思います。
そもそもこの「手帖」という書物全体が、虚実を織り交ぜた壮大な創作物だと思っています。
沼の頭の中にある広大な妄想世界。
それを小説にしたのが「家畜人ヤプー」で、エッセイの形式にしたのが「手帖」。
それだけの違いなんだと思います。

第一〇七章
熱帯性背徳
白人が熱帯地方の植民地において、現地民や輸入奴隷に対して発揮する性的快感を伴う特殊な残酷性(「熱帯性凶暴症トローペンコレル」)について。

付記では、白人の体臭について。司令官夫人はほとんど汗をかかず、その代わりにからだが匂うのだが、「白い体から放たれる香気」に陶酔し、恍惚となりながらその匂いを貪るように嗅いだ、と告白。

第一〇八章
白人天国・黒人地獄
司令官夫人の出身地・南アフリカ共和国の徹底的な人種差別政策について。

第一〇九章
奴隷貿易
奴隷貿易における黒人奴隷に対する家畜的な扱いについて。

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第一一〇章
白人の黒奴観(『黒い象牙』)
白人の書いた奴隷貿易を扱った小説を紹介し、白人の内心に潜む黒人蔑視を考察。

第一一一章
今でも黒奴は売られている
二〇世紀初頭および一九五〇年代の奴隷売買について。


第一一二章
植民地生まれの女性
植民地に生まれ、周りの現地民や黒人たちを玩具にして育った白人女性=クレオリンの驕慢と残虐性について。

「女教師ブラジル日記」
一九世紀後半のブラジルの農場に赴任したドイツ人女性家庭教師の報告。
黒人奴隷による人間馬が登場。
「ここに到着した日、出迎えた黒人(男)と現地人(女)が彼女附きの召使となった挨拶に、床に這って左右から彼女の靴に接吻したので驚いた時、奥様が「靴墨は彼らにとってはミッテルなお」と言い放った」



付記では、日本がスペイン、ポルトガルの植民地となった歴史妄想。南米同様人間馬などの植民地的風俗の上に日本生まれのクレオリンが君臨する有様を描きます。

さらに、司令官宅勤務の折、客人の白人の四つか五つの男の子の馬として乗り回された体験を回想。

この時のは、「馬になった」のではなく「馬にされた」のであり、子守りとはいっても乗り手の子供が保護の対象というより、途中からはむしろ支配者と意識された(向うの子供にもその意識があったと思う。)…私が…属領妄想に際し、白人成年への犬奉仕と並んで児童への馬奉仕を欠かさぬようになったのは、この時の体験からであろうと思う。私は今でも、四、五歳から七、八歳までの青い目の少年少女を見ると、日本人児童よりずっと可愛く、美しく感じ、彼らに子守りとして奉仕し、お馬になって喜ばせたい衝動を覚える。
無題



また、「靴墨は薬よ」という言葉について。

白人にとってはアフリカの故郷で自由に暮らしていた黒人の心身は、奥様にとっては病的状態なのであり、隷従に慣らされた卑屈な心理こそ黒人にふさわしい健全なあるべき姿なのである。さこにショック療法として、新入りの黒奴に靴を舐めさせる治療法が成立する。



第一一三章
有色人種の白人観
一九世紀後半におけるアフリカの一部族による人間馬の風習の報告のなかに、人間馬を使用していた女王が白人混血ムラッティンであったことに注目。
黒人は内心において白人の優位を承認しており、畏怖し、尊敬していると指摘します。
混血の女王の人間馬は、白人女性―たとえデパートの売り子でも―を肩に跨らせる使役には、よりいっそうの光栄を感じなっかっただろうか、と。

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黒人ばかりでなく、インディオも、東洋人も、白人を優越視している。
植民地化されていない日本や中国やタイにおいても。
なぜか。

日本においては、有史以前に日本が丈高く肌白く鼻の隆い北方騎馬民族の植民地だったのではないか。
だから奴隷化された有色人種の本能として、白い肉体の持ち主に対する崇敬の感情を持っているのではあるまいか。
ユーラシア全体においては、ヤスパースの「枢軸時代」以来の印欧系騎馬民族の波状的征服によって、より肌の白い北方種族の肉体への憧憬が成立していったのではないか…と。

いやはや、さらに超科学的な説明が続きます。
過去でないとしたら、未来のある時点において、白人種による日本人の征服(家畜化)が完成する。
だから、民族的な未来の予見として、昔から今に至るまで肌白き肉体にコンプレックスを抱き続けているのではないか…など。

第一一四章
黄色人虐待ショウ(『美国横断鉄路』)
米国における中国人鉄道敷設労働者に対する虐待。
残虐極まりない虐待がショーとして白人の酒興に供されます。

第一一五章
グックへの烙印
太平洋戦争、日本占領、朝鮮戦争、ベトナム戦争に共通する米国・米兵の黄色人種(グック)に対する蔑視とそれに基づく残虐行為について。
ナパーム弾により「全身の皮膚がただれてベロベロに剥けた姿の実写は、私の胸をうずかせた」とあります。
おそらく焼夷弾や原爆により逃げ惑う同胞が焼き殺された姿にはより強く、胸をときめかせていたことでしょう。

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ナパーム弾の被害。1972年サイゴン郊外。ピューリツア賞受賞写真

第一一六章
生体実験
米軍が朝鮮において行ったと報告された生体実験について。

第一一七章
羞恥心の剥奪
ナチスの強制収容所における残虐行為について。

第一一八章
苦痛より陵辱を
狭義のマゾヒズム=真性マゾヒズムとは、精神的な陵辱に快感を覚えるものであり、肉体的受苦に重点を置くアルゴグラニアとは区別すべきである、とします。

第一一九章
手段化法則
では、精神的陵辱とはどのようなものかを考察。
憎悪の対象として虐待されるのは、精神的陵辱にはならないとします。
より強いマゾ的昂奮を惹起するのは、対象に、何かの目的のための手段として扱われることだとします。
カントが説いた「人格を持った人間を、常に目的として取り扱い、手段としてのみ取り扱わないようにしろ」という原理の真逆に扱われる、これによってまさに人格を否定され、「物」として一方的に利用される、それがマゾヒストの感興を惹く、とします。
そして、「手段化を受けたいと望む者のみが、狭義のマゾヒストの名に値するのである」としています。

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