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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

谷崎潤一郎全集全作品ミニレビュー 第七巻

谷崎潤一郎全集の全作品につき、ミニレビューをつけてご紹介しています。
使用している全集は、中央公論社昭和五十六年初版発行のものです。

マゾヒストにとって特に性的な刺激の強い作品については、チャートを設け、①スクビズム(下への願望)、②トリオリズム(三者関係)、③アルビニズム(白人崇拝)の三大要素につき、3点満点で、どれだけ刺激が強いかを表示します。また、その作品にどのような嗜好のマゾヒズムが登場するのかを、「属性」として表示します。

三大要素についてはこちらをご参照ください。



途上
初出:大正九年一月号「改造」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
東京・新橋、日本橋
登場人物
湯川勝太郎
安藤一郎(探偵)
久満子(湯川の妻)
筆子(湯川の先妻)

江戸川乱歩が日本の探偵小説の濫觴と称賛した作品。
病弱な妻の死亡リスクを少しずつ高めて、死に追い込んでいく湯川の陰湿な手口を、新橋から日本橋までの途上を歩きながら探偵:安藤が暴いていきます。

前年に発表した「呪われた戯曲」「或る少年の怯れ」と同じく、新しい女のために妻を殺す男の物語。
「呪われた戯曲」のレビューでも書きましたが、本作も紛れもなく、谷崎の、妻:千代に対する露骨な「殺意」を臆面もなく堂々と表明した作品です。
千代の妹:せい子に夢中になった谷崎は、とにかく千代が殺したいほど邪魔邪魔でしかたない。
でも、いくら小説家でも離縁の前にそれを作品にはしないですよね、なかなか。
谷崎は読者にとってはいい意味で、しかし周囲の人にとっては非常に悪い意味で異常なサイコパスで、特にこの時期はその傾向が顕著で、本巻にはその自覚をテーマにしている作品も複数収録されています。


検閲官
初出:大正九年一月号「大正日日新聞」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
登場人物
検閲官
K(作家)

大正8年、邦枝完二を舞台監督とする「創作劇場」が「恋を知る頃」の上演を考えますが、警視庁保安課から上演許可が下りず、上演は断念されました。
本作はその出来事に対する怒りを込めた反論。
検閲官と作家が上演禁止をめぐって論争するという形で展開します。
作品内では問題になっている脚本のタイトルが「初恋」、おきんがお才、伸太郎が信太郎に変わっています。
本作は反論の形でありながら、谷崎が自らの作品の意図を解説するという貴重な資料となりました。

「色情も芸術の材料にはなります。さうして其れが材料となつた場合には、その作品が与へる芸術的感興と云ふものも、色情を通しての感興でなければなりません。」
「私の方では、此の信太郎と云ふ少年が、恋する女の為に甘んじて殺されるところが主眼なのです。」
「僕の云ふのは、殺されて始めて此の少年の命は救はれる、――と云ふんです。此の少年は善人ですから、懲されるよりは救われなければなりません」
「信太郎と云う主人公が、十一二歳の子供でありながら召し使ひの女に恋する、その女には別に思い合つた男があつて、その男とぐるになつて信太郎を殺して家の財産を横領しようと企てゝ居る、それを知りつゝその女の手に甘んじて殺される、――殺されるのが何よりも嬉しい、――此の少年の心の中に燃えて居るものは、此の世の中の理屈では解釈の出来ないものです。(中略)一途に或る物に憧れて居る心持ち、死んでも猶なお憧れて已やまない心持ち」
「国家の為めや人類の為めに命を捨てられるほどえらい人はめつたにありません。(中略)若し凡人に、永遠の命――不朽の魂が存在することを刹那的にでも知らせるものがあるとすれば、それはたゞ恋愛の力だけです。」
「一度でもほんたうの恋を経験したことがある者は、誰しも人間の心の奥には肉欲以外の精神の快楽があることを、無窮の生命の泉があることを疑ふものはないからです。淫欲が激しく起これば起こるほど、その淫欲の蔭に却つて高潔なインスピレーションが湧き上がるのを覚えるからです。」




鮫人こうじん
初出:大正九年一月号‐十月号「中央公論」
形式:長編小説
時代設定:現代
舞台設定
服部の下宿(松葉町;現在の台東区松が谷)
浅草公園六区
梧桐の家(浅草諏訪町の河岸通り;現在の台東区駒形)
上海
登場人物
服部

南の父
林真珠
まゆずみかおる
梧桐ごとう寛治
総子ふさこ(梧桐夫人)
水木金之助(金公、パックさん)
井口昌吉
垂水清六
汪氏
林瑤娟
瑤娟の父

スクビズム★☆☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性美少女崇拝、悪女


前編のみで未完に終わったミステリーの大作。
鮫人こうじんとは、中国の人魚です。

1914年(大正3年)からはじまった第一次世界大戦が長期化し、その影響で日本は好景気に沸き、本格的な産業革命が進行しました。
東京にも近代的インフラが整備され、景観も大きくかわったようです。
まだまだ江戸時代の景観が残る明治19年に日本橋に生まれた谷崎には、この景観変化に我慢がならなかったようです。
そんななか、谷崎が東京のなかに辛うじて「美」を見いだした場所が浅草公園六区の歓楽街でした。
乱雑と混沌の街:浅草に谷崎は、大正7年に旅行した中国と共通するものを見いだします。
本作はその浅草の景観・風俗をふんだんに盛り込んだ意欲的なミステリー。

老若男女を問わず人を夢中にさせてしまう魔性の美少女:林真珠を中心に、浅草と上海で生まれた二つの「謎」に、魅力的なキャラクターたちが巻き込まれていきます。

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大正時代の浅草公園六区
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映画「浅草の灯」より、笠智衆と高峰三枝子


蘇東坡―或は「湖上の詩人」―
初出:大正九年八月号「改造」
形式:戯曲
時代設定:宋代(十一世紀)
舞台設定
杭州
登場人物
蘇東坡
毛澤民
朝雲
群芳

宋代の大文人:蘇軾の風流と仁徳を称賛する人情劇。


月の囁き
初出:大正十年一月号‐四月号「現代」
形式:映画劇
時代設定:現代
舞台設定
お茶の水
塩原温泉郷
山内家(麹町)
登場人物
野本章吉
山内綾子
池田輝男
綾子の母
藤子(綾子の姉)
原田

スクビズム★☆☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性女に殺される


谷崎は映画愛が高じてついにこの年、大正活映という映画会社の脚本部顧問となり、「アマチュア倶楽部」という映画の制作に関ります。
本作も大正活映で製作される予定でしたが、実現しませんでした。
心中するつもりで許婚を絞殺してしまい、心を病んだヒロイン:綾子の妖しい魅力を、映画的に映し出します。



初出:大正十年三月号「改造」
形式:短編小説
舞台:一高の寄宿舎

一人称語りでありながら、なんと「私」自身が犯人であるという内省的なミステリー。


不幸な母の話
初出:大正十年三月号「中央公論」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
自宅(新橋?)
小田原市国府津
登場人物



藤子(兄の妻)

船の座礁事故に際して生まれた母子の不信がテーマ。
後述するように、この時期に多数書かれた「善悪」の問題に取り組んだ作品のひとつ。


鶴悷かくれい
初出:大正十年七月号「中央公論」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
その町(小田原?)
登場人物


靖之助
しず子
照子
支那の女

「覗き見」から始まるミステリー。
中国に憧れ、中国に魅せられた男の異常な行動に、谷崎の中国文明崇拝が冷めやらぬことがうかがえます。


AとBの話
初出:大正十年八月号「改造」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
不明
登場人物
A
B
Aの母
S子(Aの妻)

同じ家で兄弟のようにして育った従兄弟の善人「A」と悪人「B」。
Aは、Bを溺愛した母のためにBを善の道に導こうとし、BはAの偽善を暴こうとします。

明治43年(1910年)、武者小路実篤、志賀直哉らが「白樺」を創刊し、ヒューマニズムが大正時代の文学を席巻します。
それに呼応するかのように、谷崎はこの時期、「私」「不幸な母の話」そして本作と、「善悪」をテーマにした作品をたてつづけに発表します。
共通するのは、「悪」をしないではいられない人間がいて、よって「善」は「悪」を救えない、だから「善」はすべて「偽善」である、という非常に捻くれた理論です。
その根底には(特にこの時期の)谷崎が「自分は「悪」をしないではいられない人間」である、という認識があるようです。
「異端者の悲しみ」にも書かれたように、この「悪」とは、「自分の欲望を満たすこと」以外の事象に一切まったく価値を見いだせない、ということです。
価値を見いだせない事象の中には道徳や愛国心や規範意識だけではなく、友情、家族愛、同情、恩義、罪悪感といった感情も含みます。
サイコパスなんですね。
白樺派のヒューマニズムは、そのような意識・感情が、誰の心にも眠っている、という前提に立っている。
谷崎はそこに強い違和感を抱いたのが感じられます。


廬山日記
初出:大正十年九月号「中央公論」
原題:「廬山日誌」
形式:紀行文
中国旅行中の大正7年10月10日から12日にかけて、江西省の名山:廬山を見物した際の日記。


生まれた家
初出:大正十年九月号「改造」
形式:随筆
舞台:日本橋蠣殻町の生家

幼少期の思い出。
祖父がキリスト教に帰依したため、離れ座敷にあったマリア像(絵画)の思い出が記されています。

天を仰いで合掌して居る神々しい聖女の眸は、頑是ない当時の私にも不思議な威厳と畏れとを感じさせた。私はその像を見に行くのが好きでもあり気味悪くもあった




或る調書の一節
初出:大正十年十一月号「中央公論」
形式:短編小説
登場人物
A(取調官)
B
菊栄
お杉
Bの女房

本作も悪事をしないでいられない生来の悪人の物語。
虐待されても健気に夫を改心させようとするBの女房は、谷崎の妻:千代を想起させます。
千代もこの頃になると、北原白秋の妻の示唆もあって谷崎とせい子の関係に気づいていますが、それでも夫に従順な千代が、谷崎にはいまいましくて仕方なかったんでしょうね。
実際佐藤春夫はこの時期、谷崎が千代をステッキで打っているところを目撃しています。

タグ : 谷崎潤一郎マゾヒズム小説マゾヒズム白人崇拝

谷崎潤一郎全集全作品ミニレビュー 第六巻

谷崎潤一郎全集の全作品につき、ミニレビューをつけてご紹介しています。
使用している全集は、中央公論社昭和五十六年初版発行のものです。

マゾヒストにとって特に性的な刺激の強い作品については、チャートを儲け、①スクビズム(下への願望)、②トリオリズム(三者関係)、③アルビニズム(白人崇拝)の三大要素につき、3点満点で、どれだけ刺激が強いかを表示します。また、その作品にどのような嗜好のマゾヒズムが登場するのかを、「属性」として表示します。

三大要素についてはこちらをご参照ください。



小さな王国
初出:大正七年八月号「中外」
原題:「ちひさな王国」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
D小学校(G縣M市;群馬県前橋市か)
登場人物
貝島昌吉
貝島の細君
啓太郎(貝島の長男)
沼倉庄吉
生徒一同

同級生を支配する魔性の力を持った少年:沼倉庄吉。
巧みな相互監視を使った「力による支配」と独自の紙幣を使った「経済による支配」によってやがてすべての同級生が喜んで沼倉に絶対服従する「心の支配」を確立します。
そしてついには教師の貝島までも沼倉に屈服します。

先生は今日から、此処に居る沼倉さんの家来になるんだ。みんなと同じやうに沼倉さんの手下になつたんだ。


貧困をしのぎながら沼倉と対峙する孤独な戦いを捨て、沼倉に膝を屈した瞬間の解放感。
いつもとは少し違う形の「支配される喜び」が描かれています。

「鶯姫」のような女学校、あるいは戦後の男女共学の学校に置き換えて妄想を広げるのもお勧めです。


魚の李太白
初出:大正七年九月号「新小説」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
春江のお邸(麹町)
桃子のお邸(富士見町)
登場人物
春江
桃子
伯爵のお母様


上品な世界観のおとぎ話。
緋縮緬という布地で作られた鯛が、所有者である華族の若奥様の着物の裏地にされそうになり…。


嘆きの門
初出:大正七年九月号十一月号「中央公論」
形式:中編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
カフェエ、ド、パリ(銀座通り)
岡田の別宅(越前堀;現在の中央区新川あたりか)
岡田の本宅(本郷元町)
登場人物
菊村
少女
紳士(岡田)
書生
岡田の夫人

スクビズム★★☆
トリオリズム★★☆
アルビニズム★☆☆
属性美少年崇拝、美少女崇拝、美尊醜卑論、身体障害(聾唖)、西洋崇拝


本作については作品論を書きましたので、ぜひお読みください。

谷崎潤一郎序論(3)―『嘆きの門』論~華族様の恋


柳湯の事件
初出:大正七年十月号「中外」
形式:短編小説
時代設定:現代
舞台設定
S博士の弁護士事務所(上野山下)
青年の長屋(車坂町の正念時の境内)
柳湯(車坂町)
登場人物
「私」
S博士
青年
瑠璃子

怪奇犯罪小説の中に、異常な「ぬらぬらフェチ」を伺わせます。

こゝで僕は、僕の異常な性癖の一端を白状しなければなりませんが、どう云ふ訳か僕は生来ぬらぬらした物質に触られることが大好きなのです。


僕の画いた生物を見ればお分かりになるだらうと思ひますが、何でも溝泥のやうにどろどろした物体や、飴のやうにぬらぬらした物体を画く事だけが非常に上手で、その為めに友達からヌラヌラ派と云う名釈をさへ貰って居るくらゐなんです。


私を圧さへつけて置いて、ゴムのスポンジへシヤボンをとつぷりと含ませて、それで私の目鼻の上をぬるぬると擦つたり、体中へどろどろした布海苔を打つかけて足蹴にしたり、鼻の孔へ油絵具をぺつとりと押し込んだり、始終そんな真似をしては私をいぢめました。




美食倶楽部
初出:大正八年一月―二月「大阪朝日新聞」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
美食倶楽部の本部(G伯爵の邸の楼上)
浙江省の支那人の倶楽部(牛ヶ淵)
登場人物
G伯爵
美食倶楽部の会員一同
支那人の倶楽部の一同

後述する中国旅行で体験した中華料理と中国人の食に対する執着に、大きな影響を受けたものと思われる作品。

このブログを読んでくださっている方ですら、読んだことを後悔する可能性がある超過激作。
こういう作品が検閲にかからなかったのは、そもそも検閲が想定していた範疇を超えていて、検閲官の理解も超えていたからなんだろうな。
美食を愛したことで知られる谷崎ですが、それも結局は性欲に直結し、汚物愛好ともつながりがあることがはっきりとわかる作品。
人肉食こそないものの、生きた女体を「美食」として貪る浅ましい豚共の姿には戦慄を覚えます。


母を恋ふる記
初出:大正八年一月―二月「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」
形式:短編小説
時代設定:不明
舞台設定:不明
登場人物

お媼さん


不思議な夢を描いた幻想的な短編。
幼少期に見た若く美しい母の記憶(女)と、成長してから見た年老いた母の記憶(お媼さん)との不整合を、後者を他人としてしまうことで合理化しています。


蘇州紀行
初出:大正八年二月号、三月号「中央公論」
原題:「畫舫記」
形式:随筆
舞台:中国・蘇州

谷崎は大正七年(1918年)の十月から十二月にかけて、朝鮮、中国を旅行します。
朝鮮はすでに日本に併合されており、中国は列強の半植民地状態となっていた時代。
日本の「対華21ヶ条要求」を機に五四運動が起こるのは翌年のこと。

帰国後は旅行の体験を基にした作品を多く発表しました。
本作は、畫舫ぐわぼうという観光船で蘇州の観光地を巡った体験を記したもの。
在留邦人の「支那人を犬猫の如く取り扱ふ」態度に不快感を示しています。


秦准しんわいの夜
初出:大正八年二月号「中外」、三月号「新小説」
原題:「南京奇望街」
舞台:中国・南京秦准区

一夜を共にする娼婦を求めて南京秦准区で右往左往した思い出を記したもの。
結局買ったのは「十六七」(数え年)という少女。


呪われた戯曲
初出:大正八年五月号「中央公論」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
上州・赤城山(群馬県)

登場人物
「私」
佐々木
玉子
襟子
(作中戯曲)
井上
春子

この頃から、谷崎は妻:千代の妹:せい子に夢中になります。
千代に対しては不満を抱き、虐待と言っていいほど冷酷な態度をとり、谷崎の親友である佐藤春夫が千代に同情を寄せていく、という逸話はすでによく知られている通りです。
本作は、いわばその虐待の一環として執筆・発表したと言っていいでしょう。

作家:佐々木は恋仲になった襟子と結ばれるために、妻:玉子を殺害を計画します。
まずは計画を戯曲として書き上げ、それを基にして赤城山で実際に玉子を殺害し、さらにその体験を基に戯曲を演出して上演し、大成功を収めます。

佐々木のモデルが谷崎である以上、玉子のモデルが千代であることは、当時の読者にも明らかだったでしょう。
これ以上の侮辱がありえるでしょうか。
佐々木が玉子を(作中戯曲内で井上が春子を)罵る言葉も酷い。

あの女は馬鹿な女だ、自分とは全然頭の程度の違ふ女だ、三文の価値もない人間の屑だ。あんな愚鈍な、あんな無智な女の魂なんか、存在を認める必要もないくらゐなんだ。


あの味もそつけもない、驢馬のやうな愚鈍な表情をした顔つきを見ろ。活き活きとした魔力に充ちて居る襟子の容貌とはまるで比較にならないぢやないか


お前が初めから此の世に生れて来なければよかつたのだ。(中略)だが、それが到底望まれない事だとすれば、やつぱり死んで貰ふのが一番いゝ。それでも飽き足りないのだけれどそれで我慢するより外に仕方がない。


公然と妻を侮辱し、殺意すら抱いていることを発表してしまう。
谷崎は千代自身が、本作が谷崎の自分に対する本心を綴ったものであることを承知して読むことを当然意図していたことでしょう。
あるいは教養に乏しい千代が本作を読んでこの意図に気づくかどうか、試したのかもしれません。

谷崎の哲学は女性一般を崇拝する「フェミニズム」ではなく、美しい者だけを崇拝する「美男美女崇拝」ですから、女でもあっても醜い者は徹底的に虐待されるのですが、それは作品内だけではなく、実生活においても忠実に実践されていたわけです。


西湖の月
初出:大正八年六月号「改造」
原題:「青磁色の女」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
上海から杭州行きの列車
西湖(杭州)
登場人物
「私」
令嬢

中国旅行の体験を基にした作品の一つ。
現在世界遺産となっている西湖を舞台に、一人の美少女の入水自殺を恐ろしく芸術的に描いています。
西湖にて入水したという伝説によってその語源となった春秋戦国時代の絶世の美女:西施を題材にしたものと思われますが、西洋において幾多の水死体の画題となった「ハムレット」のオフィーリアをも想起させます。

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左:徳珍「西施」、右は詳細不明
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アレクサンドル・カバネル「オフィーリア」

富美子の足
初出:大正八年六月号「雄弁」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
塚越家(日本橋村松町)
別荘(鎌倉・七里ヶ浜)
登場人物
「僕」(野田宇之吉)
富美子
「隠居」(塚越)

スクビズム★★★
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性足、顔踏み、犬、複数支配、老人虐待、幼少退行、財産搾取


本作については作品論を書きましたので、ぜひお読みください。

谷崎潤一郎のスクビズム(2)―『富美子の足』論~やっぱり足が好き!


真夏の夜の恋
初出:大正八年八月号「新小説」(未完)
形式:戯曲
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
病院(浅草)
登場人物
山内滋
松本文造

歌劇女優:黛夢子を医師の息子と書生が争うという導入のみが発表されています。


或る少年の怯れ
初出:大正八年八月号「新小説」(未完)
形式:中編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
田島家(本郷・弥生町)
田島医院(銀座裏通り)
新居(小石川の原町)
登場人物
田島芳雄
芳雄の長兄(幹蔵)
禄次郎
柳子
喜多子
瑞江

スクビズム☆☆☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性悪女、年少の少年と年上の少女、カップルの幸せの犠牲になる


「恋を知る頃」に描かれた、憧れの少女とその恋人のためにその犠牲となって殺されることを受け入れる少年の心。
あれを少しソフトに、現実的にしたような小説。
谷崎の「幼少退行して年上の女性に陵辱されたい」という願望が滲み出でています。
芳雄は、医師である兄が後妻の瑞江のために前妻の喜多子を毒殺したのではないかと疑い、さらには自分を殺害しようとしているのではないかと怖れるようになります。
兄や瑞江のために死を受け入れていく無力でいじらしい芳雄、苦悩する兄:幹蔵に対して、自分は一切手を汚さずに無邪気に優しく振舞いつつ、幹蔵に非道を行わせる瑞江の陰湿な魔性に戦慄します。


或る漂泊者の面影
初出:大正八年十一月号「新小説」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
天津のフランス租界
登場人物
「私」
「男」

中国旅行の体験を基にした作品の一つ。
天津のフランス租界で見かけた老人の様子を描写したもの。


秋風
初出:大正八年十一月号「新潮」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
栃木県・塩原温泉郷
登場人物
「私」

A子(娘)
S子(妻の妹)
T

スクビズム☆☆☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性デートの共をする


この年の九月に塩原温泉郷に滞在した実体験を基にした私小説。
S子のモデルはせい子、S子の恋人Tのモデルは谷崎の弟子:今東光です。
妻子とすごしている前半は、台風の影響で雨天が続き、妻子が帰宅しS子とTとすごす後半のになると、天気は晴れ渡ります。
この天候が、妻子を疎み、せい子に夢中になっている当時の谷崎の心境をそのまま象徴しています。
秋の塩原に無邪気にはしゃぐ若くさわやかなカップルの華やかさの描写が非常に美しい作品。

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塩原温泉郷

天鵞絨びろうどの夢
初出:大正八年十一月号「新潮」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
温夫婦の家(西湖(杭州) )
登場人物
「私」
S
温秀
温の夫人
第一の奴隷(少年)
第二の奴隷(少女)
第三の奴隷(ユダヤ婦人)
K

スクビズム★★☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性貴族崇拝、奴隷願望、侍童願望、手段化、知的障害、拷問


中国旅行の体験を基にした作品の一つ。
奴隷を徹底的に歓楽の手段として扱い、それを悪徳・退廃としてではなく、典雅で上品な芸術として評価する中国の貴族文化への憧れが結晶した作品。
導入部分を読むと、十人の奴隷の告白によってある貴族夫妻の生活実態が暴露される構成になるはずなのですが、三人の奴隷の告白が終わったたところで唐突に打ち切られています。
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杭州・西湖のほとりに立つ雷峰塔

タグ : 谷崎潤一郎マゾヒズム小説三者関係白人崇拝

谷崎潤一郎全集全作品ミニレビュー 第五巻

谷崎潤一郎全集の全作品につき、ミニレビューをつけてご紹介しています。
使用している全集は、中央公論社昭和五十六年初版発行のものです。

マゾヒストにとって特に性的な刺激の強い作品については、チャートを儲け、①スクビズム(下への願望)、②トリオリズム(三者関係)、③アルビニズム(白人崇拝)の三大要素につき、3点満点で、どれだけ刺激が強いかを表示します。また、その作品にどのような嗜好のマゾヒズムが登場するのかを、「属性」として表示します。

三大要素についてはこちらをご参照ください。



女人神聖
初出:大正六年九月号―大正七年六月号「婦人公論」
形式:長篇小説
時代設定:現代(明治末期―大正初期)
舞台設定
澤崎家(竈河岸、現在の中央区日本橋人形町二丁目あたり)
澤崎家新居(植木店、現在の中央区日本橋茅場町あたりか)
河田家(三田の四国町、現在の港区芝)
由太郎の中学校(神田、尋常中学共立学校か)
濱村の家(麹町)
巴の家(植木店)
日比谷公園
品川の停車場
修養舎(本郷の森川町)
小よしの新居(芝浦)
登場人物
澤崎由太郎
澤崎光子


濱村
巴(小よし)
河田の伯父
河田の伯母
河田啓太郎
河田雪子

スクビズム★★☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性美少女崇拝、美少年崇拝、令嬢崇拝、階級格差、家事奉仕、美尊醜卑


本作については、作品論を書きましたので、ぜひお読みください。

谷崎潤一郎序論(2)―『女人神聖』論~貴族の兄妹、奴隷の兄妹

光子が初めて河田家を訪問した際、啓太郎はもちろんですが、河田の主人も明らかに光子に一目ぼれしていますね。
もともと居候である光子が河田家の令嬢のような扱いを受けられたのは、長男の啓太郎の力だけではないはず。
これ見よがしに強調される少なからぬ金品も、河田の主人が陰に陽に光子に与えていたのでしょう。
啓太郎と結婚し、河田家の令夫人となった光子と河田の主人は、どのような関係になっていくのでしょうか。
「瘋癲老人日記」を参考に妄想するのも楽しいです。



仮装会の後
初出:大正七年一月号「大阪朝日新聞」
形式:戯曲
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
クラブの喫煙室(銀座)
未亡人の邸(番町)
登場人物
A、B、C(美貌の青年紳士)
S伯爵の未亡人
D(クラブの給仕)

スクビズム☆☆☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性美女を逞しい男に寝取られる


仮装パーティーで、御殿女中や、辰巳芸妓や、平安朝の朝臣の仮装をした女性的で美しい貴公子が主役の未亡人を口説き落とそうとしますが、好色な未亡人は、青鬼に扮した逞しい給仕ウェイターの男に夢中になってしまいます。



襤褸らんるの光
初出:大正七年一月「週」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
浅草公園
登場人物
「私」
乞食の少女
A(青年画家)

華族の青年と乞食の少女の純愛ストーリー。



兄弟
初出:大正七年二月号「中央公論」
形式:短編小説
時代設定:平安時代(10世紀後半)
舞台設定
平安京
登場人物
姫君(藤原超子、冷泉上皇の女御)
乳人
東三条の中将(藤原兼家)
堀川の大臣(藤原兼通)

平安時代後期の藤原兼通・兼家兄弟(ともに関白・太政大臣)の暗闘と、兼家の娘・藤原超子の生涯。



少年の脅迫
初出:大正七年二月「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
Bの家
赤坂の葵館
日比谷公園
登場人物
「私」
己(B君)
小僧
少年
少女

スクビズム★★★
トリオリズム★★★
アルビニズム★☆☆
属性美少年崇拝、年下のカップル崇拝、召使願望、愚弄、脅迫、集団による陵辱、野外での陵辱、犬


戦慄を伴うような強烈な快楽へといざなうトリオリズムの傑作短編。

主人公の作家は「公園の夜」という小説を空想で書いたところ、その登場人物とそっくりな不良少年少女が現れ、自分たちを作品のモデルにしたのだろうと言って作家を脅迫し、最後には、夜の日比谷公園(「公園の夜」)で作家を陵辱します。
空想が作品になり、作品が現実になる、という一種のパラドクスになっています。
究極の「実践派」である谷崎ですが、本当の理想的状況シチュエーションは妄想であって、それをさまざまな制約の下で作品にし、さらに制約の多い現実の中で実践してる、という思いがあったのではないでしょうか。
作品に書いた理想的な状況シチュエーションを現実に実践したい、作品に描いた理想のヒロインが現実に現れてくれないか、という切なる願いが表れた作品構成になっています。
作品冒頭には、

正直を云ふと、私は一種の好奇心を持つて、彼等の脅迫を期待しつゝ、此の物語を発表する。


という言葉もあります。

美少年美少女のカップルが作家に突き付けた要求は、二人が華族の若夫婦に化けて、作家は三太夫(執事)に扮して関西方面への旅行に付き従え、というもの。
(なぜそんなことを要求するのかは「或る悪事を遂行する為め」とされ、詳らかではありません。つまりそれはどうでもいいんです。)
トリオリストにとってはHoney Moonともいうべき夢のような状況シチュエーションですね。
「毛皮を着たヴィーナス」のイタリア旅行が想起されます。
美少女の誘い文句もすごいですよ。

先生のやうなマゾヒストは、私どものお父様にさせられるより三太夫になってペコペコする方を、きつとお喜びになるでせう。多分先生は、わたしどもの此の計画を、一も二もなく御賛成下さるだらうと存じます。先生が不断から憧れて居らつしやる望みを充たすのに、こんなよい折は、二度と再びない筈でございますから。


これを聞いた作家の驚きです。

マゾヒストさる己の性癖を、彼女は殆ど掌を指すやうに看破して居る。


「実践派」として、自分の性癖を理解し、それを利用してくれるドミナを切望した谷崎の願いが表れたヒロインです。

結局作家は二の足を踏んで少年少女の要求を断ってしまいます。
すると、少年少女は手下をともなって夜の日比谷公園で作家に凌辱を加えます。
これがまたすごいですよ。

己があの晩、淋しい公園の池のほとりで、どんな惨たらしい、穢らしい、浅ましい役目を負はせられたか、それを知って居るものは、願わくは永久に、己と彼らとだけであつてほしい。
「あたしたちの事を小説になさるなら、先生がこんな真似をして居る所を、書き洩らしてはいけませんよ。」
犬にも劣つた、卑しい業をさせられて居る己の様子を、快げに眺めながら少女は云つた。彼等は、己の性癖をよく呑み込んで居なければ加えることの出来ないやうな、奇怪な侮辱を己に加えた。兎に角、その侮辱は、己が一生の間、それを思い出す度毎に、冷汗を掻き嘔吐を催すやうな、同時に、未だに己を蠱惑するやうな侮辱であつた。


あたしたちの事を小説になさるなら、先生がこんな真似をして居る所を、書き洩らしてはいけませんよ。


この言葉は、なんとなく、谷崎作品のすべてのヒロインを代表して語っている言葉のように思えます。



前科者
初出:大正七年二月―三月「読売新聞」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定:不明
登場人物
「己」
村上
K伯爵
モデル女

スクビズム★☆☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性金銭的搾取


詐欺罪によって投獄された画家の独白。
「異端者の悲しみ」にも描かれた、谷崎の自覚する「道徳的欠陥」が吐露されています。

変態性欲者を分類する方法は、いろいろありますが、以下のような二つのタイプに分けることもできると思います。
一人の人間の中で、欲望を剥き出しにした「変態性欲者である自分」と、家族を愛し、仕事を通じて社会に奉仕して普通に生活している「市民としての自分」が葛藤しているタイプ。
どちらが「本当の自分」とも判断がつかない。
ジャン=ジャック・ルソーのようなタイプ、こちらが多数派でしょう。
沼正三も、おそらくこのタイプです。

一方、谷崎潤一郎のように、「変態性欲者である自分」が、確固たる本当の自分であることがはっきりしているタイプもいます。
このタイプももちろん市民生活・家庭生活は営んでいますが、それはすべて「変態性欲者である自分」が、いたしかたなしに演じているものであり、こちらには何らの価値も置いていません。
ですから、「道徳」「義理」「友情」「同情」「家族愛」といった、集団(社会)の中で生きる人間としての基本的な感情が欠けている、というよりもそれがどんなものなのかも理解できない、という障害を抱えています。
私もこのタイプです。
だから谷崎の書いていることが、自分のことのように理解できるのです。

本作でも、主人公の画家の「ヰ゛タ・セクスアリス」は「マゾヒスムの傾向を持つて」いると明確に書かれています。
そして、金を与えて画家の欲望をかなえてくれる「モデル女」が登場します。
このヒロインのモデルはおそらく「饒太郎」のお縫、「異端者の悲しみ」の「娼婦」、「少年の脅迫」の「少女」と共通の女性であろうと思われます。
娼婦だったのか、女優だったのか、不良少女だったのか、マゾヒズムという性癖が認知されていない時代にあって、探し求めてついに見つけた、望みをかなえてくれるドミナ。
しかし、このドミナを得て、長く望んでいた行為を「実践」したところ、谷崎は大きな幻滅を味わったようです。

彼女は、マゾヒズムの傾向を持つて生まれて来た己に、始めて十分な満足を与えてくれた異性であつた。それまで。己の奇怪なる性欲の要求を、僅かに補填して居たさまざまな空想。(中略)然し不思議な事には、頭の中に幻影が実現されると同時に、空想に特有なる美しさは忽ち消滅して、現実の醜悪のみが遺憾なく暴露された。
「己の頭の中に描いて居た光景は、こんな浅ましい、こんなあつけない、こんな穢らしいものだつたらうか」
(中略)美しかるべき彼女の肉体と、その肉体の下に虐げられて居る己自身の肉体とは、己の空想が永遠の美しさを以て輝いて居るのと反対に、だんだん生き生きとした光を鈍らせて、遂には鉛のやうに陰鬱な重苦しい雲を帯びる。それは己にとつて意外な悲しい発見であつた。



この葛藤はこの時期の作品にたびたび現れます。


人面疽じんめんそ
初出:大正七年三月号「新小説」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定:日東写真会社の事務所(日暮里)
登場人物
歌川百合枝
H
スクビズム★☆☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム★☆☆
属性白人男性に日本人女性を寝取られる


怪奇小説。
谷崎の映画愛好が最も現れた作品のひとつ。

作品の中に現れる映画の中で、港町で美しい花魁が白人男性と共謀して崇拝者の乞食を無慈悲に騙して密航の協力をさせます。


二人の稚児
初出:大正七年四月号「中央公論」
形式:短編小説
時代設定:不明(中世?)
舞台設定:比叡山延暦寺
登場人物
千手丸
瑠璃光丸
上人

延暦寺で育てられた二人の稚児が、煩悩に目覚めて葛藤します。


金と銀
初出:大正七年五月号「黒潮」、大正七年七月号「中央公論」定期増刊「秘密と開放」号
(原題「二人の芸術家の話」)
形式:中編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
根津の停車場
大川の家(田端)
青野の家(目白郊外)

登場人物
青野
大川
栄子

スクビズム★★☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性金銭的搾取、罵倒


①理想が現実に投影され、芸術は現実を介して理想を映し出す、という独特のイデア論
②「道徳的欠陥」とそれによる人間関係の破綻・社会的破滅
③性癖の暴露と実践
④犯罪推理小説
⑤オリエンタリズム、とりわけインド文明への憧れ

というこのころの諸作品に現れる傾向をすべて詰め込んだ、かなり混沌とした作品。

①に関して、非常に分かりやすく表現した終盤の一説を、少し長いですが引用します。

あの美しい栄子の姿は、想像の世界に現れた時より更に完全に、更に荘厳に、さながら美の国の女王の如き威儀を作つて、マアタンギイの閨よりも遙かに怪奇な瑰麗な宮殿の玉座の椅子に腰かけて居た。彼女は、自分の足下に跪いて白衣の裾に接吻をする青野の項を撫でゝやりながら、朝な夕なに優しい慰藉の言葉をかけた。
「お前は定めし、今迄にも度び度び私を見た事があるだらう。お前が浮世に生きて居た時分に、お前を迷はした栄子と云ふ女も、お前の空想に浮かび出たマアタンギイも、みんな私の影像なのだ。私はお前の美に憧れる心を賞でゝ、真実の国から仮そめの国へ、大空の月が其の光を渓川へ落とすやうに、自分の姿を幻にして見せてやつたのだ。真実が影像に優つて居るだけ、それだけ私の彼の女たちに優つて居る。仮りの幻の栄子をさへあれ程熱心に崇拝したお前は、今こそ安らかに私の宮殿に仕へるがいゝ。(略)」



図にするとこんな感じです。
chart_convert_20100725025621_20120331225338.jpg

辟。鬘契convert_20120331225951


白昼鬼語
初出:大正七年五月―七月「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
「私」の家(小石川)
園村の家(芝公園)
纓子の家(人形町の水天宮)
登場人物
「私」
園村
纓子
角刈りの書生

スクビズム★★☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性悪女、絞殺、騙される、金銭的搾取、サディティン


美女に騙され、利用され、不要になったら殺される、という願望を具現化した犯罪推理小説…かと思いきや、最後にどんでん返しが。
最後に「私」の前に纓子が現れた際、3人の男の絞殺に使った?縮緬の扱きをこれ見よがしに持っていたのはなぜなのか。
ただの「ドッキリ」の延長なのか、それとも、「私」をも快楽の世界に誘惑しているのか…


人間が猿になった話
初出:大正七年七月号「雄弁」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
芸者屋(葭町:日本橋人形町)
登場人物
お爺さん
梅千代
お染

猿に惚れられてしまった芸者の話。
初期短編を彷彿とさせるふんわりとしたファンタジー。

タグ : 谷崎潤一郎マゾヒズム小説白人崇拝三者関係

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