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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

谷崎潤一郎全集全作品ミニレビュー 第四巻

谷崎潤一郎全集の全作品につき、ミニレビューをつけてご紹介しています。
使用している全集は、中央公論社昭和五十六年初版発行のものです。

マゾヒストにとって特に性的な刺激の強い作品については、チャートを儲け、①スクビズム(下への願望)、②トリオリズム(三者関係)、③アルビニズム(白人崇拝)の三大要素につき、3点満点で、どれだけ刺激が強いかを表示します。また、その作品にどのような嗜好のマゾヒズムが登場するのかを、「属性」として表示します。

三大要素についてはこちらをご参照ください。



恐怖時代
初出:大正五年三月号「中央公論」
形式:戯曲
時代設定:江戸時代
舞台設定
江戸深川(現在の江東区深川):春藤家の屋敷
登場人物
太守→
靱負(家老)→
伊織之介(若い藩士)→
玄澤(侍医)→
珍齋(お茶坊主)→
氏家左衛門(忠臣)→
菅沼八郎(忠臣)→
お銀の方(太守の嬖妾)→
梅野(女中)→
お由良(腰元の少女、珍齋の娘)→

スクビズム★☆☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性悪女、脅迫、暗殺、惨殺、密通

これも「毒婦もの」といわれた歌舞伎講談に影響を受けた戯曲。
その美貌で男を誘惑し、騙し、破滅させることですべてを手に入れていく悪女。
お銀の方もそんな谷崎作品の典型的なヒロインです。
遊女出身で、4人もの登場人物と肉体関係を持つ淫乱かつ狡猾で残忍なヒロインですが、どこか気品がある。
男に体を許しても、それはすべてのし上がるための手段であって、心では愚弄しているんですね。
そんなお銀の方が唯一愛しているのは、美少年剣士の伊織之介。
うっとりするくらい美しい美男美女。
この二人が結ばれる障壁を取り払うためであれば、お家が全滅する血みどろの地獄絵図も許される、という気がしてしまいます。



亡友
初出:大正四年五月号「新小説」
形式:短編小説
時代設定:現代(明治末期)
舞台設定
府立第一中学校(日比谷)
大隅君の実家(二子玉川あたりか)
第一高等学校(本郷)
登場人物
「私」
大隅君
房子
春子(大隅君の妻)
島崎藤村

大正元年に病死した亡き友「大隅君」の思い出。
郊外の豪農の息子で、大らかな性格の「自然児」である一方、7歳の時に初体験を済ませたという「色情狂」でもあり、罪悪感からキリスト教にも傾倒した大隅君。
もしかしたら大隅君は、島崎藤村、田山花袋らを中心に当時の文壇をリードし、谷崎自身も多大な影響を受けた「自然主義文学」の象徴なのかな、という感じもします。
「自然主義文学」に対する「敬愛」と「皮肉」、そして「決別」を、大隅君に託しているのかもしれません。

ツルゲーネフを「私」(谷崎)に教えてくれたのも大隅君で、大隅君が一番好きなのは大自然の中を生きる農奴の姿を描いた「Sportsman's Sketches」(「猟人日記」)ですが、「私」(谷崎)が気に入ったのは、純朴な青年が同じ美少女に2度裏切られる「スモオク」(「煙」)です。

なお、本作は初出時に検閲にかかり、大量の伏字が残っています。


美男
初出:大正五年九月号「新潮」
形式:短編小説
時代設定:現代(明治末期から大正初期)
舞台設定
Kの家(小石川の富坂下、現在の文京区小石川二丁目あたり)
千束町
登場人物
「私」
K
久保村
国太郎
Kの細君
初音の女将

無条件に女を夢中にさせてしまう魔性の美男の話。


病蓐びょうじょくの幻想
初出:大正五年十一月号「中央公論」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
「彼」の家(小石川)
登場人物
「彼」

女中(老婆)

地震に対する異常な恐怖を延々と綴ったもの。
関東大震災まで、あと7年…。


人魚のなげ
初出:大正六年一月号「中央公論」
形式:短編小説
時代設定:清朝最盛期(18世紀前半)
舞台設定:南京
登場人物
貴公子
異人の商人
人魚

スクビズム☆☆☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム★★☆
属性西洋崇拝、白人崇拝

ロマンティックなファンタジー。
豪華絢爛な中国の貴族文化に対する憧れ。
その中国貴族の極みを象徴する「南京の貴公子」を、西洋の美の象徴である「人魚」の前に跪かせることで、谷崎の、中国文明に対する「憧れ」のはるか上位に位置する西洋文明に対する「崇拝」の気持ちを表現しています。

お前の国の男たちが、ことごとくお前(異人の商人)のやうな高尚な輪郭を持ち、お前の国の女たちが、悉く人魚のような白皙の皮膚を持つて居るなら、欧羅巴ヨーロッパは何とう浄い、したわしい天国であらう。


南京の貴公子として世を終るより、お前の国の賎民せんみんとなつて死にたいのだ。


本作で讃えられている人魚の美しさは、白人女性が生まれもって備える天賦の形質的特徴のそのものです。
とりわけその「肌の白さ」に対する賛美は、「心的傾斜」といえるほどに偏執的かつ絶望的なものです。

最も貴公子の心をとろかしたものは、実に彼の女の純白な、一点のにごりもない、皓潔無垢こうけつむくな皮膚の色でした。白いと云う形容詞では、とても説明し難いほど眞白な、肌の光澤でした。白いと云うよりは「照り輝く」と云つた方が適当なくらゐで、全体の皮膚の表面が、瞳のやうに光つて居るのです。


白人崇拝者にとって、白人の肌の白さは、優越人種が劣等人種に、「理屈抜きの実感」として目前に突きつける「明白な優越性の証拠」です。
科学技術や哲学芸術といった西洋文明の圧倒的な優越性と、西洋文明が世界を実際に支配した実績が裏づけにあるのですが、直接的な感覚としては、目前に対峙した白人の透き通る肌が、「美しく穢れなき優越人種」をリアルに実感させてくれるのです。
谷崎はその辺りの実感を本当にリアルに、美しく表現しています。


魔術師
初出:大正六年一月号「新小説」
形式:短編小説
時代設定:不明
舞台設定:浅草公園六区に似た「どこか」
登場人物
「私」
「彼の女」
魔術師

スクビズム★★★
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム★☆☆
属性奴隷、土下座、催眠、孕ませ、畜化願望、物(家具)化願望(敷物、履物、蜀台)

「家畜人ヤプー」にも大きな影響を与えたのではないか、と思われる超過激作品。

かつて、映画館やオペラ座、見世物小屋が立ち並び、混沌とした怪しい賑わいを見せた歓楽街:浅草公園六区。
その浅草公園六区に限りなく近い「世界のどこか」に、魔術師の劇場はあります。

コーカサス種族にも見える両性具有の美しい魔術師は、その美貌と魔術で観客を魅了し、観客は自ら進んで魔術師のショーの犠牲になります。
魔術師の玉座の椅子に敷かれる敷物になることを望むもの、魔術師を照らす蝋燭を支える燭台になることを望むもの、魔術師の履物になることを望む者…そして魔術によってその願望は即座にかなえられます。
ここで重要なのは、物に変身した人は、変身後も、思考や感覚、記憶が残っているんですね。
つまり魔術師への強烈な崇拝と切ない思慕も残っている。その上で、魔術師の体重がかかった時の激痛も感じることができるんですね。
何と理想的な境遇シチュエーションでしょうか。

彼等の胸の中には、あなた方の夢にも知らない、無限の悦楽と歓喜とがあふみなぎって居るのです。


「少年」にも現れた、崇拝者の「所有物」に変わりたいという願望。
奴隷・家畜を通り越して、さらに価値の低い「もの」として扱われるという、崇拝対象からの圧倒的な「存在軽視」。
それに加えて「敷かれる」「履かれる」といった「下への衝動」。
この二重の衝動を満たす願望を、「少年」のような「ごっこ遊び」では飽き足らず、「魔術」というファンタジーを使って具現化したのが本作。

「SF」という魔術を使った「家畜人ヤプー」誕生の約40年前。
その原型はここにあります。


既婚者と離婚者
初出:大正六年一月号「大阪朝日新聞」
形式:戯曲
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定:文学士の家
登場人物
法学士
文学士

スクビズム☆☆☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性離婚、捨てられ

妻と離婚した法学士。
貞淑でつまらない妻に愛想をつかせたゆえに、計画的に、妻が離婚を望むように仕向けた、とを語ります。
妻に遊興や贅沢をさせ、芸者だったころの華やかな生活を思い出させたうえ、西洋の小説や戯曲を読ませて自立心を芽生えさせて、妻を教育していきます。
もともと美人である妻は、教育の効果で、ついにこんな考えを持つようになります。

しまいには彼奴あいつは、亭主よりも自分のほうがズツト利巧な、すべての点においてズツト優越な人間だと思ふやうになつてしまつた。


僕以外にも、自分を愛してくれさうな立派な男が多勢居る事を発見した。彼奴が自分以下の人間だと評価して居る現在の亭主に、必ずしも生涯連れ添ふ必要のない事を発見した。



お分かりですね。
「妻に愛想をつかせたから妻が離婚を望むように仕向けた」というのは方便。
その実は、妻を賢くて遊び好きで淫乱で、男を(特に自分を)見下すような「理想の女性」に教育した上で、妻に「捨てられる」快楽を味わおうとした法学士の壮大な計画の物語です。
最後に法学士は妻がこれから他の男と結ばれるのか、女優になるのか、と、その華やかで幸福な未来を嬉しそうに語ります。

「女性をマゾヒストにとっての理想の女性に教育する」いわは「逆調教」ともいうべきこのモチーフが谷崎は大好きで、「捨てられる迄」「饒太郎」にも登場しますが、これが後に、大傑作長編「痴人の愛」に結実します。


うぐいす
初出:大正六年二月号「中央公論」
形式:戯曲
時代設定:現代(大正初期)―平安時代(10世紀末)
舞台設定:京都―平安京
登場人物
大伴先生
壬生野春子―鶯姫
鈴木道子
木村常子
中川文子
羅生門の鬼
壬生野大臣
阿倍晴明
雷神

スクビズム★★☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性美少女崇拝、令嬢崇拝

美少女崇拝者にはぜひ読んでほしい作品。
京都の女学校の生徒で、名門公家上がりの子爵の令嬢である究極の美少女ヒロイン、壬生野春子。

その時まで、側面の櫻の木陰に縄飛びをしていた四人の生徒等は、次第にヱ゛ランダの前の方へ飛んで来る(中略)最年少者は壬生野春子。四人のうち三人は和服を着、春子だけが純白の清々しい洋装をして居る。中高の瓜實うりざね顔の、際立って眉目びもくの秀麗な十四五歳の少女で、背丈のスラリとした、優雅な体つきの何処どこかか知らに、名門の姫君らしい品位がある。



はあぁ。なんて美しい表現なんでしょう。
私は何度読んでも春子の気品と高潔な清らかさに心酔して全身が痺れたようになります。

そんな春子の美しさに心密かに憧れている国語の老教師:大伴先生が、昼休みの時間だけ平安時代にタイムスリップするというなんともファンタジックで楽しい作品です。

こちらもぜひお読みください。
『鶯姫』の二次創作


る男の半日
初出:大正六年五月号「新小説」
形式:戯曲
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定:間室の家(東京の山の手)
登場人物
間室(小説家)
静子(間室の妻)
鈴木(雑誌記者)
河田(文科大学生)
建具屋

スクビズム☆☆☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム★☆☆
属性白人崇拝

まさに、ある小説家の何気ない半日を描写したもの。
このころの谷崎作品は、「何気ない日常の描写」と「魑魅魍魎が跋扈するファンタジー」の両極端ですね。

ドイツ人の未亡人がドイツ語の個人教授をしている…といったくだりで、白人女性に対する熱烈な感情がチラチラと現れます。


玄奘三蔵げんじょうさんぞう
初出:大正六年四月号「中央公論」
形式:短編小説
時代設定:西暦635年
舞台設定:インド、摩裕羅まゆら
登場人物
玄奘三蔵
仏教徒の女
行者
老人
歌う尼
仙人

玄奘三蔵のインド旅行の一幕を題材に、古代インドの混沌を描いています。


詩人の別れ
初出:大正六年四月号「新小説」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
山谷の電車停留所付近(現在の台東区清川あたりか)
Fの家(千葉県市川市あたりか)
登場人物
A(吉井勇)
B(長田秀雄)
C(谷崎潤一郎)
F(北原白秋)

遊興に明け暮れる江戸っ子文人たちのある一日を描写したもの。
それがラストで突然、インド旅行に憧れているF(北原白秋)の前に「ヰ゛シユヌの神」が現れるという衝撃の展開に。


異端者の悲しみ
初出:大正六年七月号「中央公論」
形式:中編小説
時代設定:現代(明治末期)
舞台設定
章三郎の家(八丁堀)
Nの下宿(本郷森川町)
登場人物
間室章三郎


妹(お富)
鈴木
学友(N、S、O)

少年期から青年期にかけての谷崎の自伝的小説は、「神童」(小学校~中学校)→「鬼の面」(高等学校)→「異端者の悲しみ」(大学生、文壇挑戦期)→「饒太郎じょうたろう」(文壇デビュー直後、住所不定期)の順に読むと、見事につながります。
本作の終盤で、こんな女が登場します。

その頃、Masochistの章三郎は、何でも彼の要求を聴いてくれる一人の娼婦を見つけ出した。その女に会ひたさに、彼はあらゆる手段を講じて町の遊蕩ゆうとう費を調達しては、三日あげず蛎殻かきがら町の曖昧あいまい宿を訪れた。


これは…「饒太郎」のお縫ですね。
マゾヒズムという性癖が認知されていない時代にあって、探し求めてついに見つけた「職業的」ドミナ。
この女性が生涯谷崎に与えた続けたインスピレーションは本当に計り知れません。

谷崎の自伝的作品を読んでいると、マゾヒストとしての性癖もさることながら、それ以外の価値観、考え方、性格まですごく自分と似ていて、共感してしまいます。
「今まで谷崎作品に本格的に触れた人が何万人いたか知らないが、私以上に本当の意味でこの作家を正しく理解した人がいるんだろうか。」
以前にも書きましたが、これは結構本当の本気で思っています。
ネットスラングでいう「お前は俺か」という感覚ですね。
たとえば、家族や友人との人間関係についてはこんな感じ。

人間と人間との間に成り立つ関係のうちで、彼に唯一の重要なものは恋愛だけであつた。の恋愛もる美しい女の肉体を渇仰かっこうするので、美衣をまとひ美食を喰ふのと同様な官能の快楽に過ぎないのであるから、決して相手の人格、相手の精神を愛の標的とするのではない。


したがって彼は親切とか、博愛とか、孝行とか、友情とか云う道徳的センテイメントを全然欠いて居るのみならず、さう云う情操を感じ得る他人の心理をも解する事が出来なかつた。


これは決して偽悪ではありませんよ。
本心です。
例えば、遊興費を捻出するために金を借りていた友人が死んだときは、「ラッキー♪」という感じ。
妹が死んだときも、一片の悲しみも感じていません。

このあたり、すごく共感しますね。
他にも、計画性がなく反省しないところ(つまり「今このとき」のことしか考えない)、他人の評価は気にするが、どこかで自分は天才だと信じて疑わないところ、そのくせ臆病で心配性なところ、いちいち全部共感してしまいます。


晩秋日記
初出:大正六年七月号「黒潮」
形式:日記
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
谷崎の家(小石川)
父母の家(日本橋)

妻と母の病気などの体験を綴った日記。


十五夜物語
初出:大正六年九月号「中央公論」
形式:戯曲
時代設定:江戸時代
舞台設定:谷中村
登場人物
浦部友次郎
お波(友次郎の妻)
お篠(友次郎の妹)
作兵衛(名主)

スクビズム☆☆☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性寝取られ、妻の堕落

将来を誓い合った貞淑な妻が、吉原遊郭に…
信じて待っていた夫の元に戻ってきたのは、変わり果てた妻だった…


ハッサン・カンの妖術
初出:大正六年十一月号「中央公論」
形式:中編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
帝国図書館(現国際子ども図書館)
「いづ栄」(上野・池之端に現存する鰻料理屋)
ミスラ氏の家(大森)
登場人物
予(谷崎潤一郎)
マティラム・ミスラ(インド人留学生)
ハッサン・カン(妖術師)

不思議なインド人留学生との交流。
谷崎の「インド趣味」が頂点に達した作品。


ラホールより
初出:大正六年十一月号「中外新論」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
インド、ラホール
登場人物
吉田覚良

インドへの旅行者からの手紙。


谷崎潤一郎全集全作品ミニレビュー 第三巻

谷崎潤一郎全集の全作品につき、ミニレビューをつけてご紹介しています。
使用している全集は、中央公論社昭和五十六年初版発行のものです。

マゾヒストにとって特に性的な刺激の強い作品については、チャートを儲け、①スクビズム(下への願望)、②トリオリズム(三者関係)、③アルビニズム(白人崇拝)の三大要素につき、3点満点で、どれだけ刺激が強いかを表示します。また、その作品にどのような嗜好のマゾヒズムが登場するのかを、「属性」として表示します。

三大要素についてはこちらをご参照ください。



創造
初出:大正四年四月号「中央公論」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正初期)
登場人物
川端
綾子(川端の妹)
川端の養子の青年
お藍
青年とお藍の子
スクビズム★☆☆
トリオリズム★★☆
アルビニズム★☆☆
属性美男美女崇拝、寝取られ、西洋崇拝


本作について、書きたいことは全て作品論↓に込めましたので、ぜひこちらをお読みください。

谷崎潤一郎序論(1)―『創造』論~美男美女崇拝


華魁おいらん
初出:大正四年五月号「アルス」
形式:短編小説(未完)
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
紀国屋(京橋霊岸島、現在の中央区新川)
登場人物
由之助(丁稚)
優秀で勤勉な丁稚の由之助は、食べ物や女のことばかり考えている周囲の大人を馬鹿にしています。
ある日、由之助は主人の使いで女郎屋へ行くことになります…と、ここで中絶していますが、『神童』を読めば、本作がどんな構想だったかは、大体わかってしまいます。


法成寺ほうじょうじ物語
初出:大正四年六月号「中央公論」
形式:戯曲
時代設定:平安時代、寛仁四年(西暦1020年)、春
舞台設定
洛北法成寺境内
登場人物
定朝じょうちょう(仏師)
定雲じょううん(定朝の弟子の仏師)
宅間為成(絵師)
藤原道長
四の御方(宮廷の貴婦人、道長の愛人)
藤原隆家
院源律師(叡山の僧)
良円(院源の門徒、美しい法師)
スクビズム★★☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性貴婦人崇拝、対象神格化、傾国の美姫、美男美女崇拝

藤原道長によって創建された法成寺(現存せず)。
その建立中の出来事を描いた戯曲。

これはもう…まんまオスカー・ワイルドの『サロメ』ですね。
 サロメ→四の御方
 ヘロデ→藤原道長
 衛兵隊長→定雲
 聖洗礼者ヨハネ→良円
って感じです。
幻想的な雰囲気も、登場人物が皆少しずつ狂気に駆られていく怖さもよく似ています。
ラスト・シーンもそっくりです。

仏師の定雲は藤原道長の命で絶世の美女である四の御方をモデルに菩薩像を彫ります。
定雲にとっては四の御方こそ菩薩そのものなんですね。だからどんどん素晴らしい菩薩像を生み出します。

下賎げせんの女子供ですら、言葉を交わすのを汚らはしいと思うて居る私へ、雲の上人のあなた様から其のやうに仰せ下さるのは、何だか夢のやうでござります。木で彫つた御仏の像が口をきくより、私には余計不思議でござります。


たゞあなた様のやうな、すぐれて美しい御相みそうを、菩薩の仮形けぎょうし給ふものと、崇め信ずるのみでござります。し美しい人が居らずば、仏を信ずるよすがとてはござりませぬ。


あなた様と一つ時代に生れ来て、幻ならぬ菩薩の色身しきしんを仰ぎ視る、今の世の人は皆仕合せでござりまする。


しかし定雲の師、定朝は阿弥陀如来の姿をなかなかうまく彫ることができません。
叡山の高僧:院源律師に言わせると、それは人間のモデルがいないからなんですね。

諸仏諸菩薩の妙相みょうそうは、果してどのやうに尊いやら、凡夫ぼんぷの肉眼に映つた例のあらう筈もなく、たゞ美しい人間の姿を選び出して、わづかに其れになぞらえるより外はないのぢゃ。


御仏の美しさを拝んだことのないわれわれに、などてまことの菩薩の相が刻まれようぞ。たゞ人間の美しさを借りて、かりに菩薩と名づくるまでぢゃ。


院源律師が紹介した美僧の良円を一目見ただけで定朝はインスパイアされ、創作意欲を取り戻し、素晴らしい如来像を彫り上げます。
人は、美男美女の肉体を通じてのみ、真実の美を感じることができる。
だから芸術は、美男美女の肉体の模倣でなくてはならない。
これが谷崎独特の「イデア論」です。
図示すると、こんな感じです。
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お才と巳之助みのすけ
初出:大正四年九月号「中央公論」
形式:長編小説
時代設定:江戸時代
舞台設定
吉原
上州屋(吾妻橋近辺)
お才の実家(両国)
隠居所(今戸の河岸縁)
逆井橋近辺
登場人物
巳之助(上州屋の若旦那)
お才(上州屋の女中)
卯三郎うさぶろう(上州屋の手代)
お露(巳之助の妹)
上州屋善兵衛(上州屋の主人、巳之助とお露の兄)
お鶴(巳之助とお露の母)
スクビズム★★☆
トリオリズム★★★
アルビニズム☆☆☆
属性寝取られ、美男美女崇拝、地位逆転、裏切り、財産貢ぎ、家族を犠牲にする


トリオリズムの決定的名作。

豪商の若旦那、巳之助は女中のお才に、令嬢のお露は手代の卯三郎に、徹底的に騙され、弄ばれ、陵辱され、破滅させられます。
もちろんお才と卯三郎は恋人同士で、共謀しています。
醜い主人の兄妹は、美しい使用人のカップルに、さんざんに騙され、辱められても、恋心を忘れられず、その足元に縋り付きます。

「美しい者が正義であり勝者、醜い者は存在自体悪であり常に敗者でなければならない。」

とは、『ブサ彦物語』の作者:カップルの足奴隷さんが以前、寄せてくださったコメントですが、本作もまさにそんな世界です。


獨探どくたん
初出:大正四年十一月号「新小説」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
G氏の下宿(本郷、森川町)
「私」の下宿(向島)
浅草「みくに座」
新橋の停車場
軽井沢
銀座の"Russian Bar"
登場人物
「私」
G氏
淺川
スクビズム★☆☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム★★★
属性西洋崇拝、ブロンド崇拝

私は人間が神を仰ぐやうに西洋を見ずには居られなくなつた。


此の国の貴族として生きるよりは、まだしも彼の国の奴隷として育つ方がどのくらゐ幸福であらう。


これまでにも芸術論などでちらちらと現れていた谷崎潤一郎の西洋崇拝がいよいよ爆発期に入ることを告げる作品。

谷崎潤一郎の西洋崇拝は、もちろん単に西洋文明の優越性を認めているだけではありません。
白人女性の肉体。その圧倒的で絶対的な、完璧に完全な美しさへの強烈な憧れ。これが谷崎潤一郎の西洋崇拝の核です。

或る時私はふと気がつくと、十人ばかりの若々しい、金髪碧眼の白皙な婦人の一団に包囲されて、自分がまんなかにぽつりと一人立つて居るのを発見した。私の神経は何故か不思議なおののきを覚えた。むつくりと健康らしい筋肉の張り切つた、ゆたかに浄らかな乳房のあたりへぴつたりまとはつて居る派手な羅衣うすももの夏服の下から、貴く美しい婦人たちの胸の喘ぎの迫るやうなのを聞いた時、私は遠い異境の花園に迷ひ入つて、刺激の強い、しく怪しい Exotic perfume に魂を浸されて行くのを感じた。私は名状しがたい、云はゞ命が吸い尽され掻き消されてしまいさうな不安に襲はれて、あわてゝ婦人たちを掻きのけながら包囲の外へ飛び出した。丁度一匹の野蛮が獣が人間に取り巻かれたやうな、又は無智な人間が神々に囲繞いじょうされた時のやうな、恐ろしさと心細さが突然私を捕らえたのであつた。


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「なぜ異人種である西洋人がこんなに美しく見えてしまうのか?」
沼正三は、『ある夢想家の手帖から』でこの点を追究していますが、谷崎潤一郎はそんなことはまったく追究しません。
「自分の目に美しく見えているものは絶対的に美しい。」という審美眼に対する絶対的な自信があるからなんですね。つまり西洋人は「美しく見える」とかじゃなくて「美しい」のです。
そしてそれを「美尊醜卑」の価値基準に当てはめれば当然西洋人は優越人種ということになり、ゆえに西洋人が築いた文明や西洋人の作り出す芸術が優れているのもまた当たり前、ということになるのです。

なお、「獨探」とはドイツのスパイのことだそうです。(第一次世界大戦ではドイツは日本の敵国でした。)


神童
初出:大正五年一月号「中央公論」
形式:中編小説
時代設定:現代(明治末期)
舞台設定
春之助の実家(両国の薬研堀、現在の墨田区両国)
小学校(久松橋の袂)
古本屋(神田小川町)
井上邸(小舟町、現在の中央区日本橋小舟町)
芳町(現在の中央区人形町)
登場人物
瀬川春之助
欽三郎(春之助の父)
お牧(春之助の母)
お幸(春之助の妹)
井上吉兵衛(住み込み先の主人)
お町(井上夫人)
鈴子(井上家の令嬢)
玄一(井上家の令息)
お久(女中頭)
お辰(女中)
スクビズム★★☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性侍童願望、書生、貴婦人崇拝、令嬢崇拝、残飯、自慰

本作については『鬼の面』と合わせて作品論↓を書きましたので、ぜひお読みください。

谷崎潤一郎のスクビズム(4)―『神童』『鬼の面』論~自慰と妄想の青春


鬼の面
初出:大正五年一月―五月「東京朝日新聞」
形式:長編小説
時代設定:現代(明治末期)
舞台設定
津村邸(駿河台、現在の千代田区神田駿河台)
壺井の実家(小島町、現在の台東区小島))
澤田先生の家(三田聖坂)
芝口の停車場
津村家の別荘(鎌倉由比ガ浜)
歌舞伎座
浅草公園六区
お君の下宿(両国柳町)
澤田先生の新居(千駄谷)
新聞社(銀座尾張町)
待合「光月」(築地)
登場人物
壺井耕作
禄三郎(壺井の父)
お朝(壺井の母)
お春(壺井の妹)
津村賢吉(住み込み先の主人)
倉子(津村夫人)
藍子(津村家の令嬢)
荘之助(津村家の令息)
江藤(藍子の恋人)
お玉(女中頭)
お君(女中)
澤田弘道先生
拝島浩堂(新聞主筆)
芳川
金弥(芸者)
スクビズム★★☆
トリオリズム★★☆
アルビニズム☆☆☆
属性侍童願望、書生、貴婦人崇拝、令嬢崇拝、美男美女カップル崇拝、手紙の受け渡し、自慰

本作については『神童』と合わせて作品論↓を書きましたので、ぜひお読みください。

谷崎潤一郎のスクビズム(4)―『神童』『鬼の面』論~自慰と妄想の青春

付録の解説で河野多恵子が、谷崎潤一郎は「虚構の作家」であって、『神童』『鬼の面』は例外的に自伝的作品である、としていますが、これも甚だ疑問。
確かに歴史劇など虚構を作り上げる作品も目立ちますが、全集収録作の三分の一程度は自伝的作品だと思います。


谷崎潤一郎全集全作品ミニレビュー 第二巻(旧版)

谷崎潤一郎全集の全作品につき、ミニレビューをつけてご紹介しています。
使用している全集は、中央公論社昭和五十六年初版発行のものです。

マゾヒストにとって特に性的な刺激の強い作品については、チャートを儲け、①スクビズム(下への願望)、②トリオリズム(三者関係)、③アルビニズム(白人崇拝)の三大要素につき、3点満点で、どれだけ刺激が強いかを表示します。また、その作品にどのような嗜好のマゾヒズムが登場するのかを、「属性」として表示します。

三大要素についてはこちらをご参照ください。



恐怖
初出:大正二年一月「大阪毎日新聞」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定:京都
神経衰弱と徴兵検査の経験を元にしたもの。
なお、徴兵検査は無事、不合格となっています。


少年の記憶
初出:大正二年四月「大阪毎日新聞」
形式:短編小説
時代設定:明治二十年代
舞台設定:谷崎の生家(日本橋蛎殻町)他
少年期の他愛のない思い出を綴ったもの。


恋を知る頃
初出:大正二年五月号「中央公論」
形式:戯曲
時代設定:明治二十年頃
舞台設定
待合香川(一種の売春斡旋所、浅草代地)
下総屋(日本橋馬喰町)
登場人物
伸太郎
おきん
利三郎
伸太郎・おきんの父:下総屋三右衛門
おきんの母:おすみ(三右衛門の妾)
伸太郎の母:お政(三右衛門の正妻)
伸太郎の乳母:おしげ
スクビズム★★★
トリオリズム★★★
アルビニズム☆☆☆
属性男児と年上の少女、侍童願望(お使い)、悪女、足、血、殺人、死体陵辱、人間椅子、カップルへの奉仕、カップルの幸福の犠牲になる

これは「過激度」でいえば谷崎作品の中でもベスト5には入る作品。超危険です。
個人的にも大好きな作品。
ポイントは二つ。

一つは、十二三歳の少年、伸太郎の、異母姉:おきんに対するあまりにも純粋な思慕と、自分が幸福を掴むために伸太郎を殺害するおきんの冷酷さ、この見事な対比です。
思春期にさしかかる直前の少年が、ハイティーンの美少女を見上げ、密かに憧れる気持ち。男にとって最初の絶対者である母がなんだか疎ましくなり、代わりに心を支配する若く美しい新たな絶対者。この初恋の純粋な想いが、あらゆる人間の感情の中で一番美しいものかもしれません。
伸太郎は、おきんが恋人の利三郎と共謀して、自分を殺そうと計画していることを知っているんですね。どの時点で知ったかは定かではないんですが、殺される前までには確実に知っている。それでもなお変わらずおきんを慕って、「僕はお前が死ねと云へば、何時でも死ぬよ。」なんて言うんですね。「いじらしい」なんてレベルじゃありません。
一方のおきんは、そんな弟の気持ちを知っていながら、淡々と殺害を計画し実行します。そこには、愛情や同情はおろか、憎悪も、加虐願望サディズムもないんですね。ただ、妾の娘である自分が下総屋の令嬢として扱われ、利三郎と幸せになる、そのためには正妻の子である弟が邪魔だから殺すだけなんですね。落ちている物をどかす、積もっている埃を吹き払うような感覚です。おきんにとっては伸太郎はプラスの感情もマイナスの感情もない、まったく無価値の「物」なですね。
この完全に完璧な感情のワンサイド・ゲーム。危険なほどに美しい片恋物語です。

もう一つのポイントは、上位者のカップルが睦んでいる最中に下位者が下から奉仕する、トリオリスムとスクビズムの絶妙なミックスです。これをやらせたら谷崎の右に出るものは絶対にいません。
三つの場面を紹介します。
①おきんが利三郎と「内緒話」をしている最中、怪我をして出血したおきんの足の手当てを伸太郎がするんですね(沼正三の分類で言えば、スクビズム第二類型+第四類型)。伸太郎の切ないときめきがぐっと胸に迫ってくるような場面です。さて、このとき、おきんと利三郎は何の話をしているんでしょうか?どう考えても、足元に跪いている少年の殺害計画を話し合っているとしか思えない…。やばい、やばすぎる…。
②おきんが伸太郎に、利三郎へ手紙を渡す「お使い」を命じ、それを受け取った利三郎は、折り返しおきんへの返事を届けるようにまた伸太郎に命じます(スクビズム第五類型)。おきんと利三郎が日常的に伸太郎を侍童として使っていることがうかがわれる場面です。「ラブレターを届けさせる」というアイデアは、ザッヘル・マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』にも登場しますよね。さて、このとき、手紙には何が書いてあったんでしょうか?どう考えても、手紙を運ばせた少年の殺害計画が書いてあるんですね。やばいでしょう、やばすぎるでしょう…。
③最後の場面。おきんと利三郎が伸太郎を殺害した後、死体を行李こうり(旅行鞄のようなもの)に詰めるんですが、その後、ほっと一息ついて行李の上に二人して座るんですね(スクビズム第一類型)。おきんは利三郎に寄り添って、「こんな悪事をしたからには、一生私を見捨てないでおくれ。」なんていって甘えるんです。…もう何もいえません。
三つの場面に共通するんですが、おきんと利三郎が伸太郎の人格、尊厳を徹底的に無視しているんですね。最後の場面も、あえて死体を陵辱しようという意図はない。ただ、腰を掛けるのに行李がちょうどよかったから腰掛けた、本当にただの椅子なんですね。ここにこそ、戦慄するほどの切ない快楽を感じます。

それにしても、こんなやばい戯曲、上演されたことがあるんでしょうか…。


熱風に吹かれて
初出:大正二年九月号「中央公論」
形式:中編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
京都・先斗町ぽんとちょう
春江の家(神田同朋町)
小田原早川の宿
大田原の家(築地本願寺近辺)
登場人物
玉置輝雄
梅龍
春江
齋藤
英子
小田原早川の人々(藤田夫妻、鈴木夫妻、末松)
スクビズム★★☆
トリオリズム★★☆
アルビニズム☆☆☆
属性逆ハーレム、愚弄、巨女、寝取られ

主な舞台は海を目前にした小田原早川の宿。季節は夏。めずらしく健康的な強い日差しの下で繰り広げられる物語です。
この小田原早川の宿に、駆け落ちした齋藤と英子のカップルが暮らしているんですが、美しくて天真爛漫な英子の周りには、いつも彼女の崇拝者ファンが取り巻いているんですね。その輪の中に、主人公の輝雄が加わるんですが、この構図はおそらくツルゲーネフの『はつ恋』をモチーフにしてるんじゃないかと思います。『はつ恋』のジナイーダ・アレクサンドロヴナ・ゼセーキナ公爵令嬢、みなさん大好きだと思いますが(分かってますよ、私には)、本作の大田原英子嬢も、それに負けず、自分に媚びる崇拝者ファンたちをみくびって玩具にして無邪気に遊ぶ、夏の太陽のような魅力的なヒロインです。
ちょっとだけ引用します。

「ふん、驚いたわねえ。」と、英子は首を縮めて、あごの下へてのひらを持ってきて、よだれを受けるような真似をした。此れは彼の女が人を冷やかす時に、よく用いる癖であった。


さて、本作の結末は輝雄が齋藤から英子を奪い、結婚の約束を取り付けたところで終わっています。
…しかし、この後、英子が齋藤ときっぱり別れて、輝雄と結婚して幸せに暮らしました…となるんでしょうか。どうも私にはそうは思えない。小田原早川の宿で、英子と齋藤が夜な夜なしていた相談、これが怪しいんだよなぁ。それから輝雄に齋藤から英子を奪うようにけしかけた末松。こいつも怪しい。だいたいなんで最後、齋藤を捨てると決めたはずの英子があんなに急いで小田原早川の宿に戻る必要があったのか。なんか怪しい。もしかして英子と齋藤は輝雄をだまして輝雄の家の財産を手に入れようとしてるんじゃないか、末松はその手先なんじゃないか、と勘ぐってしまいます。
そう勘ぐりたくなるような、こんな伏線も張ってあるんですね。
輝雄がいよいよ結婚の談判に照子の家に行く時、鏡で自分の容貌を見た輝雄の感想です。

団栗どんぐりのように円い、濁った眼、ところどころに紅い斑点の出来た黄色い頬、無頼漢ごろつき染みた太い頸筋けいきん――鏡に映るすべてが、野卑で、凡庸で、到底瀟洒しょうしゃとした齋藤の美しさに及ばない事を発見したとき、彼は今更自分の肉体を呪いたい程に口惜しかった。


輝雄はここに至るまでにさんざん齋藤の頭の悪さ、生活能力のなさを馬鹿にし、「なんであんな奴が英子と」と思っているんですが、いざ、という時に、自分と齋藤との間に存在する決して越えることのできない壁に気づいてしまうんですね。確かに輝雄の家には財産もあり、将来も洋々としている。しかし、本当に英子に愛される資格があるの誰なのか。このときに輝雄自身が気づいてしまった、そんな気がしてしまうのです。


捨てられるまで
初出:大正三年一月号「中央公論」
形式:長編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
銀座
芝浦
幸吉の下宿(神田駿河台)
三千子の家(芝)
登場人物
山本幸吉
三千子
杉村
三千子の義姉
スクビズム★★★
トリオリズム★★☆
アルビニズム☆☆☆
属性女性化願望、召使願望、幼 児退行願望、寝取られ

本作と『熱風に吹かれて』はまるで対をなすかのようです。
舞台は夏の小田原と対照的な冬の東京。
そして太陽のようなヒロイン、英子と対照的に、本作のヒロイン三千子は月のように清らかで上品な美しさです。
本作については、作品論を書きましたので、ぜひお読みください。

谷崎のスクビズム(3)―『捨てられる迄』論~堕ちていく快楽、委ねる快楽



憎念
初出:大正三年三月「いらか
形式:短編小説
時代設定:明治二十年代
舞台設定:谷崎の生家(日本橋蛎殻町)
登場人物

安太郎(丁稚)
善兵衛(手代)
これは、谷崎が少年時代を回想する非常に短い短編なんですが、谷崎のマゾヒズムを考える上で極めて重要な作品ですね。
幼い「私」は、醜い丁稚の安太郎を、ただ醜いという理由だけで、それはそれは恐ろしく陰湿な方法で虐待して楽しみ、悪びれもしません。
この作品でいう「憎しみ」「憎悪」とは、「醜いものに対する生理的嫌悪」およびそれに起因する「加虐願望」なんですね。
少し大きくなると、「私」は、新参の女中をかわいがる一方、古参の女中を虐待したりします。これはもう『恋を知る頃』の世界そのまんまです。
谷崎の価値観は徹底した「美尊醜卑」の秩序に基づいていますが、もしかしたら、「美しいものへの憧れ」よりも先に、「醜いものへの嫌悪」が先にあったのかもしれません。そのときにはまだ自己認識が未発達で、「醜いもの」といえばもっぱら安太郎のような他者だった。そのため、他者への加虐願望=サディズムが発露したのでしょう。
それがやがて思春期にさしかかり、異性の美しさと、自己の醜さを意識するようになり、自己への加虐願望=マゾヒズムへと変化していったのではないでしょうか。


春の海辺
初出:大正三年四月号「中央公論」
形式:戯曲
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定:鎌倉長谷海岸の別荘
登場人物
三枝春雄
梅子(春雄の妻)
静子(春雄の娘)
千代子(春雄の妹)
雪子(梅子の母)
吉川
スクビズム★★☆
トリオリズム★★★
アルビニズム☆☆☆
属性寝取られ(不倫)

不倫をゲームのように楽しむ梅子と吉川。妻の機嫌を損ねるのを恐れ、それを黙認する春雄。華やかな勝者と惨めな敗者の対比が見事です。春雄の梅子に対するいじらしい服従宣言を聞いてあげてください。

おれは自分の為めにお前の行動を束縛したり、干渉したりする気はないんだよ。己はお前を心の底から信用して愛して居るよ。お前に不満足を与へたり、不自由を与へたりすれば、己だってやっぱり好い気持ちはしないんだ。お前がしたいと思ふ事は何でもするがいヽ。好きな人ならいくらでも交際するがいヽ。ただ己がどのくらゐお前を愛して居るか、それさへ解ってくれヽば、別に何も云ふ事はない。
己を幸福にするのも、不仕合はせにするのも、みんなお前の心一つにあるんだ。お前は己を殺す事も生かす事も出来るんだ。


春雄の妹:千代子は、梅子の不貞を執拗に追及するんですが、上記の春雄の口上を立ち聞きして、追及をぱったりとやめてしまうんですね。この千代子の態度の変化は、せっかく自分が兄のために憤慨しているのに、あくまで妻に頭をたれる兄に呆れた、あるいは兄を見捨てた、ともとれるんですが、もしかしたら、兄の「本当の幸せ」がなんなのかを悟り、それを尊重することにした、ということなのかもしれません。


饒太郎じょうたろう
初出:大正三年九月号「中央公論」
形式:長編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
饒太郎の家(江東区深川)
信託会社(中央区八重洲)
帝国劇場(千代田区丸の内)
蔵座敷(中央区築地)
松村の待合(中央区日本橋浜町)
饒太郎の実家(台東区浅草鳥越)
登場人物
泉饒太郎
庄司
松村
蘭子
ぬい
スクビズム★★★
トリオリズム★★★
アルビニズム★☆☆
属性奴隷願望、殺人、愚弄、貴婦人崇拝、ビンタ、CFNM、緊縛、鞭、鎖、足、麻酔、放置、羞恥、悪女、財産貢ぎ、年下美男美女カップルへの奉仕、寝取られ、捨てられ、西洋崇拝

彼は生来の完全な立派な、さうしてすこぶる猛烈なMasochistenなのである。


…だそうです。「いや…知ってますけど?」って感じですよね。
こんなことも書いてますよ。

彼の所謂いわゆる文学なるものは、奇怪なる彼の性癖に基因する病的な快楽の記録に過ぎない。


私がこのブログで伝えたいこと、あっさり自分で書いちゃってますね。本作は本当にすごいです。絶対にこれは読んでほしい。到底ここでは語りつくせないので、いずれ近いうちに作品論を書かなければと思っています。
これは谷崎が自分のマゾヒズムをほとんど余すところなくぶちまけている告白の書です。内容は概ね「理論編」と「実践編」に分かれていて、「実践編」の時間進行に絡めて、「理論編」が語られます。

この「理論編」がとにかくすごいんです。被虐願望の自覚、幼少期から思春期いたるまでに耽った様々な妄想、「クラフトヱビング」を読んだときの衝撃、自らの性癖を文学にするという立志、そして、当時の日本における「実践」の難しさ。すでに文壇に地位を確立した人が、よくぞここまで書いたと思います。

「実践編」では、驕慢な未亡人の蘭子を、暴君的な女性に仕立て上げようとしますが、しだいに蘭子の従順な性質が現れてきて失敗します。そこで今度は、待合から紹介された不良少女のお縫を標的にします。これが大成功。饒太郎の見込んだとおり、お縫は饒太郎の願望どおりの女性だったのです。饒太郎は自宅の西洋館で毎日毎日お縫に虐待されることで、願望をかなえます。
ところが、これでは終わらない。お縫は恋人の庄司(豪商の跡取りで美青年、饒太郎の後輩)を、饒太郎との関係に引き込んでしまいます。かくして、饒太郎は、「理論編」では語られなかった、まったく新しい快楽、トリオリズムの扉を開けてしまうのです。

饒太郎はふと眼を覚ました。彼はいつもの通り自分の四肢を縛られて、仰向けにかされて居る事に心付いた。我に復った一二分間、しきりにぱちぱちと眼をまたたいて居たが、やがてぱっちり瞳を据ゑると、ほとんど自分の顔の真上に二つの顔があるのを見た。あの青年と娘が、むつまじさうにソオフアへ腰掛けて、自分達の足元に打ち倒された彼の姿を眺めて居る。


本作を読むと、一言一句があまりにも私の思考と一致しているので、ついこんな傲慢なことを考えてしまいます。
「今まで谷崎作品に本格的に触れた人が何万人いたか知らないが、私以上に本当の意味でこの作家を正しく理解した人がいるんだろうか。」
これ、結構本当の本気で思っています。ネットスラングでいう「お前は俺か」という感覚ですね。


金色こんじきの死
初出:大正三年十二月号「東京朝日新聞」
形式:中編小説
時代設定:現代(大正初期)
舞台設定
第一高等学校(本郷)
岡村の邸(箱根)
登場人物
「私」
岡村
スクビズム★★☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム★★☆
属性美尊醜卑、馬、生体家具(人間池、人間寝台)、女神崇拝、人魚、ファンタジー、西洋崇拝、ブロンド崇拝

谷崎作品では、外界から遮断された空間が創られ、その中でマゾヒスト男性の願望がかなえられる、というパターンが非常に多いです。『少年』の「塙の屋敷」、『饒太郎』の「西洋館」、『富美子の足』の「塚越の家」と「七里ガ浜の別荘」などなど。男の願望を邪魔する法令や常識などの外界の秩序が入り込まないこの空間を、私は「スクビズムの楽園」と呼んでいます。この空間の中では、「醜いものは美しいものに絶対服従する」という外界とはまったく異なる秩序が形成されています。この空間に入れるのはこの秩序に従うもののみ。そして、空間内にいるのは決して一対の男女だけとは限らず、三人以上で小さな小さな「社会」が作られているケースも多いです。
この谷崎の「閉じた楽園」は、全人類・全宇宙を組み込んだ「開かれた楽園」=「百太陽帝国EHS」を創り出してしまった沼正三との、最も対照的な特色といえるのではないでしょうか。
しかし。私は、谷崎の頭の中には、「開かれた楽園」のイメージがあったのではないか、ただ、時代状況が許さなかったために、描くにはいたらなかっただけなのではないか、と考えています。というのも、一部の作品に、「開かれた楽園」の一端が垣間見えるのです。本作もその一つです。

本作に登場する「私」と岡村は、それぞれ谷崎の「現実」と「理想」を体現しています。「私」は文筆業で地道に成功します。一方、美青年で、ナルシストで、美意識が高く、富豪の息子である岡村は、とうてい常人では思いつかない芸術を創作します。岡村の創作は、箱根の盆地に二万坪の土地を購入し、全財産を投じてそこに建設した楽園です。これは、別に人に見せる目的はありませんので、非公開です(つまり、一応一般社会とは隔絶している)。
そこには、豪華絢爛な建築庭園に古今の有名な彫刻が建てられています。そして、女神や、人魚や、「ニムフ」や、「ケンタウル」や、「半羊神フオオン」や、「羅漢菩薩らかんぼさつ」や、「悪鬼羅刹あっきらせつ」が闊歩しています。それらは皆美男美女が扮しており、もちろん女神や人魚や「ニムフ」の役は、金髪碧眼の白人女性です。こんな描写もありますよ。

最後に私達は、人間の肉体を以って一杯に埋まっている「地獄の池」の前に出ました。
「さあ、此上を渡って行くんだ。構わないから僕の後へ付いて来たまへ。」
かう云って、岡村君は私の手を引いて、一団の肉塊の上を踏んで行きました。


此の宮殿の女王と云はれる一婦人が、錦繍きんしゅうとばりの奥に、四人の男を肉柱とした寝台に横たはって居る有様も見せられました。


私はこの「岡村の楽園」、あまりにも『家畜人ヤプー』のイメージに近くて少し笑ってしまいます。(谷崎が沼に与えた影響を否定する人はいないでしょうが、私は、「沼正三の構成要素の80%は谷崎潤一郎、20%が敗戦・占領体験」くらいに考えています。)


つや殺し
初出:大正四年一月号「中央公論」
形式:中編小説
時代設定:江戸時代
舞台設定
駿河屋(橘町)
清次の船宿(深川)
川長(料理屋、柳川)
大川端
金蔵の家(業平町)
尾花屋(深川)
鳶屋(お艶の新居、深川)
芹澤の邸(向島)
登場人物
お艶(染吉)→
新助
清次→
清次の妻→
三太→
金蔵
徳兵衛→
芹澤(旗本)
スクビズム★★☆
トリオリズム★★☆
アルビニズム☆☆☆
属性悪女、殺人、死体陵辱、寝取られ

江戸時代末期、どんどん退廃的になった江戸文化のなかで、女が男を騙し、翻弄して、駆落ち、売春、殺人、などを繰り返す「毒婦もの」と呼ばれる歌舞伎講談が流行したようです。本作はそれをイメージしたものと思われます。谷崎は西洋的、貴族的な舞台設定を好む一方で、こういう退廃的な江戸文化も愛していました。
ヒロインのお艶は、周囲の男性を魅了して、破滅させながら成功をつかんでいくシンデレラストーリー…にも見えるし、豪商の令嬢だった境遇から状況に流されて堕落していく物語、見方によってどちらのようにもの見えるんですね。谷崎はたぶんどちらも好きなんだと思います。ただ、結末…お艶は旗本の美男子:芹澤と共謀して新助を殺し、旗本の妻として幸せに暮らしましたとさ…でいいじゃん!


懺悔話
初出:大正四年一月号「大阪朝日新聞」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正初期)
高貴な未亡人との一晩の思い出。『秘密』に出てくる未亡人や、『饒太郎』の蘭子とそっくりです。モデルがいるのかな?

それにしても、本巻だけでトリオリズムの星が15個!まさに大正初期は谷崎にとってトリオリズムの時代といっていいでしょう。


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