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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

谷崎潤一郎全集全作品ミニレビュー 第七巻

谷崎潤一郎全集の全作品につき、ミニレビューをつけてご紹介しています。
使用している全集は、中央公論社昭和五十六年初版発行のものです。

マゾヒストにとって特に性的な刺激の強い作品については、チャートを設け、①スクビズム(下への願望)、②トリオリズム(三者関係)、③アルビニズム(白人崇拝)の三大要素につき、3点満点で、どれだけ刺激が強いかを表示します。また、その作品にどのような嗜好のマゾヒズムが登場するのかを、「属性」として表示します。

三大要素についてはこちらをご参照ください。



途上
初出:大正九年一月号「改造」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
東京・新橋、日本橋
登場人物
湯川勝太郎
安藤一郎(探偵)
久満子(湯川の妻)
筆子(湯川の先妻)

江戸川乱歩が日本の探偵小説の濫觴と称賛した作品。
病弱な妻の死亡リスクを少しずつ高めて、死に追い込んでいく湯川の陰湿な手口を、新橋から日本橋までの途上を歩きながら探偵:安藤が暴いていきます。

前年に発表した「呪われた戯曲」「或る少年の怯れ」と同じく、新しい女のために妻を殺す男の物語。
「呪われた戯曲」のレビューでも書きましたが、本作も紛れもなく、谷崎の、妻:千代に対する露骨な「殺意」を臆面もなく堂々と表明した作品です。
千代の妹:せい子に夢中になった谷崎は、とにかく千代が殺したいほど邪魔邪魔でしかたない。
でも、いくら小説家でも離縁の前にそれを作品にはしないですよね、なかなか。
谷崎は読者にとってはいい意味で、しかし周囲の人にとっては非常に悪い意味で異常なサイコパスで、特にこの時期はその傾向が顕著で、本巻にはその自覚をテーマにしている作品も複数収録されています。


検閲官
初出:大正九年一月号「大正日日新聞」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
登場人物
検閲官
K(作家)

大正8年、邦枝完二を舞台監督とする「創作劇場」が「恋を知る頃」の上演を考えますが、警視庁保安課から上演許可が下りず、上演は断念されました。
本作はその出来事に対する怒りを込めた反論。
検閲官と作家が上演禁止をめぐって論争するという形で展開します。
作品内では問題になっている脚本のタイトルが「初恋」、おきんがお才、伸太郎が信太郎に変わっています。
本作は反論の形でありながら、谷崎が自らの作品の意図を解説するという貴重な資料となりました。

「色情も芸術の材料にはなります。さうして其れが材料となつた場合には、その作品が与へる芸術的感興と云ふものも、色情を通しての感興でなければなりません。」
「私の方では、此の信太郎と云ふ少年が、恋する女の為に甘んじて殺されるところが主眼なのです。」
「僕の云ふのは、殺されて始めて此の少年の命は救はれる、――と云ふんです。此の少年は善人ですから、懲されるよりは救われなければなりません」
「信太郎と云う主人公が、十一二歳の子供でありながら召し使ひの女に恋する、その女には別に思い合つた男があつて、その男とぐるになつて信太郎を殺して家の財産を横領しようと企てゝ居る、それを知りつゝその女の手に甘んじて殺される、――殺されるのが何よりも嬉しい、――此の少年の心の中に燃えて居るものは、此の世の中の理屈では解釈の出来ないものです。(中略)一途に或る物に憧れて居る心持ち、死んでも猶なお憧れて已やまない心持ち」
「国家の為めや人類の為めに命を捨てられるほどえらい人はめつたにありません。(中略)若し凡人に、永遠の命――不朽の魂が存在することを刹那的にでも知らせるものがあるとすれば、それはたゞ恋愛の力だけです。」
「一度でもほんたうの恋を経験したことがある者は、誰しも人間の心の奥には肉欲以外の精神の快楽があることを、無窮の生命の泉があることを疑ふものはないからです。淫欲が激しく起これば起こるほど、その淫欲の蔭に却つて高潔なインスピレーションが湧き上がるのを覚えるからです。」




鮫人こうじん
初出:大正九年一月号‐十月号「中央公論」
形式:長編小説
時代設定:現代
舞台設定
服部の下宿(松葉町;現在の台東区松が谷)
浅草公園六区
梧桐の家(浅草諏訪町の河岸通り;現在の台東区駒形)
上海
登場人物
服部

南の父
林真珠
まゆずみかおる
梧桐ごとう寛治
総子ふさこ(梧桐夫人)
水木金之助(金公、パックさん)
井口昌吉
垂水清六
汪氏
林瑤娟
瑤娟の父

スクビズム★☆☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性美少女崇拝、悪女


前編のみで未完に終わったミステリーの大作。
鮫人こうじんとは、中国の人魚です。

1914年(大正3年)からはじまった第一次世界大戦が長期化し、その影響で日本は好景気に沸き、本格的な産業革命が進行しました。
東京にも近代的インフラが整備され、景観も大きくかわったようです。
まだまだ江戸時代の景観が残る明治19年に日本橋に生まれた谷崎には、この景観変化に我慢がならなかったようです。
そんななか、谷崎が東京のなかに辛うじて「美」を見いだした場所が浅草公園六区の歓楽街でした。
乱雑と混沌の街:浅草に谷崎は、大正7年に旅行した中国と共通するものを見いだします。
本作はその浅草の景観・風俗をふんだんに盛り込んだ意欲的なミステリー。

老若男女を問わず人を夢中にさせてしまう魔性の美少女:林真珠を中心に、浅草と上海で生まれた二つの「謎」に、魅力的なキャラクターたちが巻き込まれていきます。

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大正時代の浅草公園六区
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映画「浅草の灯」より、笠智衆と高峰三枝子


蘇東坡―或は「湖上の詩人」―
初出:大正九年八月号「改造」
形式:戯曲
時代設定:宋代(十一世紀)
舞台設定
杭州
登場人物
蘇東坡
毛澤民
朝雲
群芳

宋代の大文人:蘇軾の風流と仁徳を称賛する人情劇。


月の囁き
初出:大正十年一月号‐四月号「現代」
形式:映画劇
時代設定:現代
舞台設定
お茶の水
塩原温泉郷
山内家(麹町)
登場人物
野本章吉
山内綾子
池田輝男
綾子の母
藤子(綾子の姉)
原田

スクビズム★☆☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性女に殺される


谷崎は映画愛が高じてついにこの年、大正活映という映画会社の脚本部顧問となり、「アマチュア倶楽部」という映画の制作に関ります。
本作も大正活映で製作される予定でしたが、実現しませんでした。
心中するつもりで許婚を絞殺してしまい、心を病んだヒロイン:綾子の妖しい魅力を、映画的に映し出します。



初出:大正十年三月号「改造」
形式:短編小説
舞台:一高の寄宿舎

一人称語りでありながら、なんと「私」自身が犯人であるという内省的なミステリー。


不幸な母の話
初出:大正十年三月号「中央公論」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
自宅(新橋?)
小田原市国府津
登場人物



藤子(兄の妻)

船の座礁事故に際して生まれた母子の不信がテーマ。
後述するように、この時期に多数書かれた「善悪」の問題に取り組んだ作品のひとつ。


鶴悷かくれい
初出:大正十年七月号「中央公論」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
その町(小田原?)
登場人物


靖之助
しず子
照子
支那の女

「覗き見」から始まるミステリー。
中国に憧れ、中国に魅せられた男の異常な行動に、谷崎の中国文明崇拝が冷めやらぬことがうかがえます。


AとBの話
初出:大正十年八月号「改造」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
不明
登場人物
A
B
Aの母
S子(Aの妻)

同じ家で兄弟のようにして育った従兄弟の善人「A」と悪人「B」。
Aは、Bを溺愛した母のためにBを善の道に導こうとし、BはAの偽善を暴こうとします。

明治43年(1910年)、武者小路実篤、志賀直哉らが「白樺」を創刊し、ヒューマニズムが大正時代の文学を席巻します。
それに呼応するかのように、谷崎はこの時期、「私」「不幸な母の話」そして本作と、「善悪」をテーマにした作品をたてつづけに発表します。
共通するのは、「悪」をしないではいられない人間がいて、よって「善」は「悪」を救えない、だから「善」はすべて「偽善」である、という非常に捻くれた理論です。
その根底には(特にこの時期の)谷崎が「自分は「悪」をしないではいられない人間」である、という認識があるようです。
「異端者の悲しみ」にも書かれたように、この「悪」とは、「自分の欲望を満たすこと」以外の事象に一切まったく価値を見いだせない、ということです。
価値を見いだせない事象の中には道徳や愛国心や規範意識だけではなく、友情、家族愛、同情、恩義、罪悪感といった感情も含みます。
サイコパスなんですね。
白樺派のヒューマニズムは、そのような意識・感情が、誰の心にも眠っている、という前提に立っている。
谷崎はそこに強い違和感を抱いたのが感じられます。


廬山日記
初出:大正十年九月号「中央公論」
原題:「廬山日誌」
形式:紀行文
中国旅行中の大正7年10月10日から12日にかけて、江西省の名山:廬山を見物した際の日記。


生まれた家
初出:大正十年九月号「改造」
形式:随筆
舞台:日本橋蠣殻町の生家

幼少期の思い出。
祖父がキリスト教に帰依したため、離れ座敷にあったマリア像(絵画)の思い出が記されています。

天を仰いで合掌して居る神々しい聖女の眸は、頑是ない当時の私にも不思議な威厳と畏れとを感じさせた。私はその像を見に行くのが好きでもあり気味悪くもあった




或る調書の一節
初出:大正十年十一月号「中央公論」
形式:短編小説
登場人物
A(取調官)
B
菊栄
お杉
Bの女房

本作も悪事をしないでいられない生来の悪人の物語。
虐待されても健気に夫を改心させようとするBの女房は、谷崎の妻:千代を想起させます。
千代もこの頃になると、北原白秋の妻の示唆もあって谷崎とせい子の関係に気づいていますが、それでも夫に従順な千代が、谷崎にはいまいましくて仕方なかったんでしょうね。
実際佐藤春夫はこの時期、谷崎が千代をステッキで打っているところを目撃しています。
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タグ : 谷崎潤一郎マゾヒズム小説マゾヒズム白人崇拝

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