私のグランマ
私の祖母は半年間だけ日本に住んだことがあるのですが、それ以降の30年間で日本猿たちから数千通ものファンレターを受け取ったそうです。祖母は日本で数回だけローカルな広告写真のモデルをしたそうです。そのとき祖母はすでに35歳を超えていて、結婚していました。にもかかわらず、それはそれはたくさんの雄猿が祖母の白い肌に夢中になり、崇拝的なファンレターが届くようになったんだそうです。日猿には滅多に本物の白人の白い肌を見る機会がありません。だから初めて見た白人女性を熱狂的に崇拝してしまうことが多いそうです。
祖母は滅多にファンレターを読みませんでした。たまに読むと、手紙にはびっしりと日猿たちの願望が書かれていました。祖母の所有物になりたいという願望です。多くの猿が、祖母の椅子や玄関マットになることを望みました。そのため我が家では椅子や玄関マットをふざけて「日猿」と呼ぶことがあります。「そろそろこの日猿もかなり汚れてきたから新しいのに変えましょう」、たとえば、こんな感じで。それからゴミ箱やカーペット、足拭きマット、踏み台、洗面台、床のタイル、庭の飛び石、砂利、車のシートやらペダルやら…。祖母はそれ以上話したがりませんが、祖父によると、実際に一番多かった日猿の願望はやはりトイレ周りだったそうです。一方祖母のペットになりたいと望む猿はほとんどいませんでした。みにくくきたならしい日本猿は、私たちのかわいいペットよりずっと劣等な存在だって、自分たちも知っているからです。
伯父(私の母の兄)が祖母に内緒で話してくれたことがあります。伯父は祖父母が日本に行ったとき10歳でした。伯父は祖母に、ファンサービスとして崇拝者たちに家庭ゴミを与えてはどうかと話しました。当時の日本では白人家庭や白人用レストランから出る生ゴミを煮込んだものが「栄養シチュー」などと呼ばれて闇市で大変な人気を呼んでいると知って思いついたのだそうです。祖母は「きりがないから」などと言って応じませんでした。祖母が鼻風邪をひいてティッシュを大量に使ったときは、祖父までもがふざけて使用済みティッシュを「宝の山だ」なんて言ったそうです。いたずら心を起こした伯父はそれを袋に入れて持ち出し、下僕にしていた近所の子猿たちを使って売り捌くことにしました。祖母の使用済みティッシュは隠し場所に保管し、数を数えて引換券を作成し、10枚揃えた者に1枚のティッシュを渡すことにして、引換券を小出しにかつ気まぐれに発行しました。すると、大の大人猿が我も我もと引換券を求めて殺到し、引換券は最高500ドルで売れました。30匹の子分猿にそれぞれ1週間1枚まで引換券の交付を認めたら、教師たちまでもが子分猿に土下座をして引換券を求めたそうです。大人が子分猿に圧力をかけた場合は伯父が不正入手と認定し引換券は容赦なく無効とされたので、大人たちは下手に出るしかありません。教師は一日中生徒を遊ばせ、自分は射的の的になったり芸を見せたりしてさんざん遊び道具になった挙句、生徒が帰ったあとは生徒一人一人の上履きの洗浄、早朝から教室の清掃、それらの出来を生徒に採点してもらって合格をもらう、これを1か月続けるとやっと引換券が1枚もらえる、といった具合でした。引換券を賞品にして大人たちに「運動会」をさせる遊びが子分猿たちの流行となります。1時間おきに校庭中にばら撒くゴムボールを四つん這いで追いかけ、口にくわえて持ってきてカゴに入れる、これを一日中やって一番多くボールを集めた犬に引換券1枚。こんな競技でも参加希望者が殺到したそうです。みなすべて祖母の使用済みティッシュほしさにやっていることです。賢い子猿は自分で引換券のさらなる分割引換券を発行しました。たとえばユウイチが発行する「ユウイチ券」を100枚集めれば引換券が1枚もらえる、としたら、ユウイチ券には数ドルの価値があり、ユウイチは駄菓子屋に行っても床屋に行ってもバスに乗ってもこれで支払うことができました。ほとんど通貨のように流通したのだそうです。日猿のあまりの浅ましさに呆れた伯父は1袋分のティッシュの兌換が終わるとこの遊びをやめ、引換券の発行を停止したのですが、その後も残った引換券は紙幣として流通したそうです。それほど祖母が鼻をかんだティッシュという「本位貨幣」に価値があったということです。祖母の使用済みティッシュを冗談で「宝の山」と言った祖父も、自分の妻の鼻紙の価値を低く見積もりすぎたのかもしれません。日猿にとって白人女性は価値の源泉なのです。
祖母は、とても慈悲深い人で、よく「功徳」という言葉を使います。最初に受け取った数通には「功徳」だと思って返事を書いたのだそうです。手紙が多くなると返事は書かなくとも読むのが「功徳」と思い、1日数十通を読んでいました。やがて読まなくても謝礼を受け取るのが「功徳」と思うようになったのだそうです。祖母に、返信した手紙の内容を覚えているか尋ねたらちゃんと覚えていて、「私に魔法が使えたらお前の望みを叶えてあげるのだけど、できないので残念です。代わりにうちの椅子をお前だと思って座ってみることにするので、せめてもの功徳になれば幸いです」と書いたのだそうです。「本当にいちいち椅子や玄関マットを日猿だ思って使ってるの?」と聞くと、「そうねぇ…今も座ってるけど、椅子は椅子だし、玄関マットは玄関マットだわね。でも、この椅子はたくさんの日猿がなりたくてなりたくて、絶対になれないってわかってるのにそれでもなりたいって気持ちを抑えられなくて毎日毎晩死ぬまでそればっかり祈ってた存在なのよね。たぶんこの瞬間に祈ってる日猿もたくさんいる。だから自然と自分が踏んだり腰掛けたりするものに日猿たちの「歓喜」や「熱狂」を感じるというのかしらね。そんなに意識的にじゃないのよ。普段は日猿のことなんて忘れてるし意識しないけど、そうやって日々椅子に座ったりマットを踏んだり、あとはそうねぇ、うがいをしたり、鼻をかんでティッシュをごみ箱に捨てたり、そういうときに意識のほんの片隅で歓喜や熱狂を感じてあげることが「功徳」になるのかなって思ってるわ、せめてものね」そう言っていました。祖母が一番日猿の歓喜や熱狂を感じるのは、トイレに行ったときなのかもしれません。
祖母が帰国した後も祖母の崇拝者たちは祖母にファンレターを送り続けました。手紙には必ず郵便為替で、最低でも100ドルくらいの謝礼が入っていました。祖母は謝礼だけ抜きとって手紙は捨てていました。それが月に100通以上、謝礼の総額は数万ドルにのぼりました。謝礼とは何の謝礼か、とお思いでしょうか。有色劣等人種にとっては、白人種の存在そのものが福音であり、恩寵なのです。たとえば一人の劣等人が別の劣等人に鼻を削ぎ落とされたら怒り狂ったり憎んだり恨んだりするでしょう。しかし同じことを白人にされたら、たとえば私の白い手で鼻を削ぎ落とされたら、多くの者が平伏して感謝するのではないでしょうか。傷口を自慢し、一生の誇りにするかもしれません。あるいは私に「自分で鼻を削ぎ落としなさい」と命じられたら、理由も尋ねることなく喜んで自ら鼻を削ぎ落とし、やはり平伏して感謝するでしょう。なぜか。私が白人だから、私の肌がの色が白いからです。感謝とは、行為や命令に対する感謝というより、相手が白人種であること、相手の肌の白さに対する感謝なのです。劣等人種にとって白人種とは、白い肌とはそのようなものです。
現在祖母は65歳を超えているのですが、今でもうちには祖母宛てのファンレターが毎日のように届きます。ある日私は、3万ドルもの謝礼が同封されたファンレターが目に止まり、読んでみました。送ったのは25歳の日猿でした。それによると彼の父猿と祖父猿は比較的裕福で地域の名士でしたが私の祖母の崇拝者となり、彼らの妻と離縁して財産の全てを祖母への手紙に同封する郵便為替に費やしてしまったそうです。そこでこの若猿は自分は絶対に白人崇拝者にはならないと決意してこれまで生きてきたのですが、ある日、父猿が「神棚」に祀っておいた古い広告チラシを見てしまったのです。昔祖母がモデルをした写真が載ったものでした。祖母が今は65歳の女性だということはわかっていながら、若猿は写真の中の祖母の白い肌に魅惑されてしまいます。神棚にはさらに漆塗の箱があり、開けるとビニール袋で厳重にパックされた、丸まった使用済みのティッシュが入っていたのです。伯父がばら撒いたものがどうかはわかりませんが、これが誰の鼻紙なのかが瞬時にわかった若猿に、もはや抗う力はありませんでした。思い知った若猿は父猿や祖父猿とまったく同じことをすることになったというわけです。これが色のついた劣等人種の逃れられない宿命であり、劣等人種に対して白い肌が持つが持つ「力」なのです。白い肌の持ち主として生まれた女性は、望むと望まざるとに関わらず、生きているだけで、本人も知らないうちにたくさんの劣等人種にこの「力」を行使しているのです。祖母の椅子や便器や玄関マットになりたいと望み続けた父猿も祖父猿もかなり前に死んだとのこと。祖母の血を引いた孫娘として、それを読んだ日は椅子に腰掛けても玄関マットを踏んでも、私の白い足や 白いお尻 の下に、彼らの歓喜と熱狂を感じたような気がしました。
祖母は滅多にファンレターを読みませんでした。たまに読むと、手紙にはびっしりと日猿たちの願望が書かれていました。祖母の所有物になりたいという願望です。多くの猿が、祖母の椅子や玄関マットになることを望みました。そのため我が家では椅子や玄関マットをふざけて「日猿」と呼ぶことがあります。「そろそろこの日猿もかなり汚れてきたから新しいのに変えましょう」、たとえば、こんな感じで。それからゴミ箱やカーペット、足拭きマット、踏み台、洗面台、床のタイル、庭の飛び石、砂利、車のシートやらペダルやら…。祖母はそれ以上話したがりませんが、祖父によると、実際に一番多かった日猿の願望はやはりトイレ周りだったそうです。一方祖母のペットになりたいと望む猿はほとんどいませんでした。みにくくきたならしい日本猿は、私たちのかわいいペットよりずっと劣等な存在だって、自分たちも知っているからです。
伯父(私の母の兄)が祖母に内緒で話してくれたことがあります。伯父は祖父母が日本に行ったとき10歳でした。伯父は祖母に、ファンサービスとして崇拝者たちに家庭ゴミを与えてはどうかと話しました。当時の日本では白人家庭や白人用レストランから出る生ゴミを煮込んだものが「栄養シチュー」などと呼ばれて闇市で大変な人気を呼んでいると知って思いついたのだそうです。祖母は「きりがないから」などと言って応じませんでした。祖母が鼻風邪をひいてティッシュを大量に使ったときは、祖父までもがふざけて使用済みティッシュを「宝の山だ」なんて言ったそうです。いたずら心を起こした伯父はそれを袋に入れて持ち出し、下僕にしていた近所の子猿たちを使って売り捌くことにしました。祖母の使用済みティッシュは隠し場所に保管し、数を数えて引換券を作成し、10枚揃えた者に1枚のティッシュを渡すことにして、引換券を小出しにかつ気まぐれに発行しました。すると、大の大人猿が我も我もと引換券を求めて殺到し、引換券は最高500ドルで売れました。30匹の子分猿にそれぞれ1週間1枚まで引換券の交付を認めたら、教師たちまでもが子分猿に土下座をして引換券を求めたそうです。大人が子分猿に圧力をかけた場合は伯父が不正入手と認定し引換券は容赦なく無効とされたので、大人たちは下手に出るしかありません。教師は一日中生徒を遊ばせ、自分は射的の的になったり芸を見せたりしてさんざん遊び道具になった挙句、生徒が帰ったあとは生徒一人一人の上履きの洗浄、早朝から教室の清掃、それらの出来を生徒に採点してもらって合格をもらう、これを1か月続けるとやっと引換券が1枚もらえる、といった具合でした。引換券を賞品にして大人たちに「運動会」をさせる遊びが子分猿たちの流行となります。1時間おきに校庭中にばら撒くゴムボールを四つん這いで追いかけ、口にくわえて持ってきてカゴに入れる、これを一日中やって一番多くボールを集めた犬に引換券1枚。こんな競技でも参加希望者が殺到したそうです。みなすべて祖母の使用済みティッシュほしさにやっていることです。賢い子猿は自分で引換券のさらなる分割引換券を発行しました。たとえばユウイチが発行する「ユウイチ券」を100枚集めれば引換券が1枚もらえる、としたら、ユウイチ券には数ドルの価値があり、ユウイチは駄菓子屋に行っても床屋に行ってもバスに乗ってもこれで支払うことができました。ほとんど通貨のように流通したのだそうです。日猿のあまりの浅ましさに呆れた伯父は1袋分のティッシュの兌換が終わるとこの遊びをやめ、引換券の発行を停止したのですが、その後も残った引換券は紙幣として流通したそうです。それほど祖母が鼻をかんだティッシュという「本位貨幣」に価値があったということです。祖母の使用済みティッシュを冗談で「宝の山」と言った祖父も、自分の妻の鼻紙の価値を低く見積もりすぎたのかもしれません。日猿にとって白人女性は価値の源泉なのです。
祖母は、とても慈悲深い人で、よく「功徳」という言葉を使います。最初に受け取った数通には「功徳」だと思って返事を書いたのだそうです。手紙が多くなると返事は書かなくとも読むのが「功徳」と思い、1日数十通を読んでいました。やがて読まなくても謝礼を受け取るのが「功徳」と思うようになったのだそうです。祖母に、返信した手紙の内容を覚えているか尋ねたらちゃんと覚えていて、「私に魔法が使えたらお前の望みを叶えてあげるのだけど、できないので残念です。代わりにうちの椅子をお前だと思って座ってみることにするので、せめてもの功徳になれば幸いです」と書いたのだそうです。「本当にいちいち椅子や玄関マットを日猿だ思って使ってるの?」と聞くと、「そうねぇ…今も座ってるけど、椅子は椅子だし、玄関マットは玄関マットだわね。でも、この椅子はたくさんの日猿がなりたくてなりたくて、絶対になれないってわかってるのにそれでもなりたいって気持ちを抑えられなくて毎日毎晩死ぬまでそればっかり祈ってた存在なのよね。たぶんこの瞬間に祈ってる日猿もたくさんいる。だから自然と自分が踏んだり腰掛けたりするものに日猿たちの「歓喜」や「熱狂」を感じるというのかしらね。そんなに意識的にじゃないのよ。普段は日猿のことなんて忘れてるし意識しないけど、そうやって日々椅子に座ったりマットを踏んだり、あとはそうねぇ、うがいをしたり、鼻をかんでティッシュをごみ箱に捨てたり、そういうときに意識のほんの片隅で歓喜や熱狂を感じてあげることが「功徳」になるのかなって思ってるわ、せめてものね」そう言っていました。祖母が一番日猿の歓喜や熱狂を感じるのは、トイレに行ったときなのかもしれません。
祖母が帰国した後も祖母の崇拝者たちは祖母にファンレターを送り続けました。手紙には必ず郵便為替で、最低でも100ドルくらいの謝礼が入っていました。祖母は謝礼だけ抜きとって手紙は捨てていました。それが月に100通以上、謝礼の総額は数万ドルにのぼりました。謝礼とは何の謝礼か、とお思いでしょうか。有色劣等人種にとっては、白人種の存在そのものが福音であり、恩寵なのです。たとえば一人の劣等人が別の劣等人に鼻を削ぎ落とされたら怒り狂ったり憎んだり恨んだりするでしょう。しかし同じことを白人にされたら、たとえば私の白い手で鼻を削ぎ落とされたら、多くの者が平伏して感謝するのではないでしょうか。傷口を自慢し、一生の誇りにするかもしれません。あるいは私に「自分で鼻を削ぎ落としなさい」と命じられたら、理由も尋ねることなく喜んで自ら鼻を削ぎ落とし、やはり平伏して感謝するでしょう。なぜか。私が白人だから、私の肌がの色が白いからです。感謝とは、行為や命令に対する感謝というより、相手が白人種であること、相手の肌の白さに対する感謝なのです。劣等人種にとって白人種とは、白い肌とはそのようなものです。
現在祖母は65歳を超えているのですが、今でもうちには祖母宛てのファンレターが毎日のように届きます。ある日私は、3万ドルもの謝礼が同封されたファンレターが目に止まり、読んでみました。送ったのは25歳の日猿でした。それによると彼の父猿と祖父猿は比較的裕福で地域の名士でしたが私の祖母の崇拝者となり、彼らの妻と離縁して財産の全てを祖母への手紙に同封する郵便為替に費やしてしまったそうです。そこでこの若猿は自分は絶対に白人崇拝者にはならないと決意してこれまで生きてきたのですが、ある日、父猿が「神棚」に祀っておいた古い広告チラシを見てしまったのです。昔祖母がモデルをした写真が載ったものでした。祖母が今は65歳の女性だということはわかっていながら、若猿は写真の中の祖母の白い肌に魅惑されてしまいます。神棚にはさらに漆塗の箱があり、開けるとビニール袋で厳重にパックされた、丸まった使用済みのティッシュが入っていたのです。伯父がばら撒いたものがどうかはわかりませんが、これが誰の鼻紙なのかが瞬時にわかった若猿に、もはや抗う力はありませんでした。思い知った若猿は父猿や祖父猿とまったく同じことをすることになったというわけです。これが色のついた劣等人種の逃れられない宿命であり、劣等人種に対して白い肌が持つが持つ「力」なのです。白い肌の持ち主として生まれた女性は、望むと望まざるとに関わらず、生きているだけで、本人も知らないうちにたくさんの劣等人種にこの「力」を行使しているのです。祖母の椅子や便器や玄関マットになりたいと望み続けた父猿も祖父猿もかなり前に死んだとのこと。祖母の血を引いた孫娘として、それを読んだ日は椅子に腰掛けても玄関マットを踏んでも、私の白い足や 白いお尻 の下に、彼らの歓喜と熱狂を感じたような気がしました。
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