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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

H家の人々

あなたが初めて谷崎を読んだのはいつ頃ですか?
私は中学生の時に文学全集で「刺青」を読んだのが初めてでした。
その後すぐに「少年」を読んで、それからは「谷崎の子」となって今に至っています。
小説を読んだ人は、登場人物や舞台を自分の記憶にある人や場所を基にイメージします。
実際に会った人、行った場所ではなくて映像や写真でみた記憶を基にする場合もあるでしょう。
私は「少年」を読んだ時に、主人公の同級で良家の子息の塙信一という人物と、舞台になっている塙家の屋敷を、容易にイメージできました。
基になる「記憶」があったのです。
今回はその「記憶」にまつわる話をしようとおもいます。

私の生家の近くに、医師の一家の大きな屋敷がありました。
住んでいたのは医師のご主人と奥様、坊ちゃん、ご主人のご両親の5人家族でした。
仮にH家とします。
奥様は大きな医療法人の理事長の令嬢で、ご主人は奥様の父上のの後継ぎとなっていたようです。
私の3つ下の弟が坊ちゃんの同級生で、親友でした。
精神年齢が低く自分の同級生と遊ぶのが嫌だった私は、小学4年生くらいから毎日弟と屋敷に行って坊ちゃんと3人で遊んでいました。
屋敷は庭付き、2階建てで坊ちゃんの個室を含めたたくさんの部屋があり、トイレは上下階に1つづつありました。
本当に毎日行っていてカードゲームをしたりマンガを読んだりして5時ごろに帰宅しました。
リビングでもキッチンでも坊ちゃんの部屋でも廊下でも庭でも自分の家のように自由に出入りしていましたので、間取りから椅子や机、ゴミ箱の位置までいまでもよく記憶しています。
私は学校で優等生としてある程度知られていて、乱暴なこともしないので奥様に気に入られていました。
私が来ていると坊ちゃんに気を配る必要がなくて安心していたようです。
行くといつも歓迎されていたので、屋敷で遠慮したり気を遣うようなことはありませんでした。
奥様は本当に令嬢らしいおっとりした浮世離れした人で、家事もほとんどお手伝いさんに任せていました。
何度か奥様といっしょに料理をいっしょにさせてもらったこともあります。
ご主人は威厳のある人で、屋敷にご主人がいると少し緊張しました。
当然坊ちゃんも育ちがよくおっとりしているけど、子供らしい無邪気なかわいさのある少年でした。
坊ちゃんはご主人を「お父様」、奥様を「お母様」、ご主人のご両親を「おじい様」「おばあ様」と呼んでいました。

さすがに私は6年生になった頃から屋敷には行かなくなり、中学生になって「少年」を読み、坊ちゃんと屋敷をイメージに援用し、自慰を繰り返しました。
屋敷には光子のような令嬢はいませんでしたが、そこはいくらでも理想の少女を持ってくることができます。
それよりも塙家の屋敷という舞台のイメージの基になる記憶が詳細に頭に入っていたのは大きかったですね。
「少年」を契機とする妄想は果てしもなく続いていきますが、その妄想の舞台は常に家の目の前にある、今は訪問することもないあの屋敷でした。
次第に、「少年」の設定と直結する妄想とは別に、もっと私の「記憶」に直接関わる妄想が生まれてきました。
まだ生家に住んでいたので、目の前に屋敷はあり、ご一家もそこに住んでいました。
直接そのH家の人々を妄想の対象にしたのです。
妄想の中で私は、懐かしい屋敷の床に這い、懐かしいご一家に傅いて奉仕していました。
弟といっしょに「おもちゃ」としてご主人と奥様からの坊ちゃんへの誕生日プレゼントにされる妄想。
一日中の玄関の土間に這って靴や床タイルを磨き続けたり、トイレの中で便器にへばりついて一心不乱に磨き続ける妄想では、例によって主人一家の前でぴったりと顔面を床につける土下座と後頭部や項に靴やスリッパで踏みつけてもらう妄想が付随しました。
H家が我が家に莫大な債権を有しており、利子免除に変えて一家総出でH家に恒常的に奉仕しているなんていう設定もありました。
奥様に気に入られている私だけがご主人と奥様の寝室への入室を許され、夫婦のベッドの下に侍るという不敬極まりない妄想もしました。
物化妄想にしても、今日はあそこに置いてあった、奥様がティッシュをよく捨てるゴミ箱になろうとか、親子三人で腰かけるリビングのソファーになろうとか、洗面所の足ふきマットになろうとか、よくぞと思うほど詳細に覚えている記憶が妄想の助けになりました。

その中で、とりわけリアルな「記憶」に基づいた妄想を詳しくご紹介したいと思います。
まずは現実の「記憶」の話ですが、ある日坊ちゃんの部屋で「鬼」がおもちゃを隠して他の2人がそれを探すという宝探しごっこをしていたとき、弟が箪笥の引出しを開けて坊ちゃんのパンツがしまってある場所を見つけ、
「あ、パンツ!」なんて言った、それだけの記憶です。
私も真っ白なブリーフがきれいにたたまれて入っているのをチラッと見ただけでした。
その時は。
しかし、後年毎日毎日坊ちゃんを自慰行為の対象にするうち、その記憶が強烈なイメージとして私の妄想を刺激しました。
次のようなものです。
私と弟は3人で遊んでいるうち坊ちゃんのパンツの収納場所を見つけます。
坊ちゃんがトイレに行った隙に、2人は真っ白なブリーフを一枚ずつ取り出して顔に擦りつけ、一生懸命に匂いを嗅ぎ、坊ちゃんが帰ってくる前にたたんで箪笥に戻しました。
もちろんパンツは洗濯してあるものですから、匂いはほとんど残っていません。
それでも坊ちゃんが直に履いた下着だという事実は、甘い感覚をもたらします。
そのときから2人はもう坊ちゃんのパンツに夢中になり、坊ちゃんがトイレなどで席を外すたびにブリーフの匂いと感触を楽しみます。
あるときから2人は坊ちゃんのパンツを顔に被ることによって、それまでとは比較にならない、包み込まれるような不思議な心地よさを発見します。
坊ちゃんの股間やお尻を何度となく覆った真っ白く滑らかな布が、今は自分の顔を覆っているありがたさは、天にも昇るような心地でした。
ある日、坊ちゃんが予想外に早く部屋に戻ってきたので、2人は不意を打たれて、パンツを被っているところを見つかってしまいます。
坊ちゃんは驚いて「何やってるの?」と聞いてきます。
私はもう開き直って「Kちゃんのパンツいい匂いだから…Kちゃんの匂い」と言ってしまいました。
坊ちゃんはあきれたように「ふーん…お母様たちに見つからないようにね」と釘をさしましたが、奥様に言いつけることも、やめさせることもせず、その日はそのまま2人に自分のパンツを被らせてくれていました。
パンツの持主、履き主の坊ちゃんと、その目の前でその人のパンツを被っている兄弟の3人はその後もマンガを読んだりして過ごしましたが、私と弟はほとんどマンガなど頭に入っておらず、くんくんと鼻を鳴らしながら坊ちゃんのパンツの匂いと感触を確かめながら、呆けたように坊ちゃんを見ていました。
下着を履いて脱いでを繰り返すだけで、こんなに甘美な気持ちにさせてくれる。
股間やお尻を布で覆うだけで、こんなに魅惑的なものを作り出せる。
それを感じながら見る坊ちゃんは、今までよりはるかに偉く、ありがたく、尊い存在に見えてきます。
5時になって帰るとき、私と弟はパンツを畳んで返し、「ありがとう…ございました」といって初めて敬語で坊ちゃんにお礼を言いました。
「うん」と言って受け取りながら、自分のパンツが小一時間の間に目の前の兄弟にもたらした「変化」に感心したようでした。
私たちは坊ちゃんのパンツに初めて「礼儀」を教わったのです。
次の日はもう、私たちは屋敷に行くやすぐさまパンツを被らせてもらうように坊ちゃんにお願いしました。
2人で考えた「礼儀」は、坊ちゃんの前に正座して手をつき、お辞儀をして、まずは「昨日はパンツを被らせていただき、ありがとうございました」と改めてお礼を言い、「今日もどうかKちゃんのパンツを被らせてください」とお願いするものです。
坊ちゃんはもったいつけることもなく優しく「はい」と言って、床に顔をつけた2人の頭の上にふんわりと真っ白なブリーフのパンツを乗せてくれました。
坊ちゃんは私たちにパンツを被らせてあげれば、その分だけ私たちが従順な召使になっていくことを理解したようでした。
ある日坊ちゃんは洗濯かごの中から、昨日履いていた洗濯する前のパンツをこっそり持ってきて、弟に被らせました。
その「効果」を「実験」してみたかったのでしょう。
憧れに焦がれた坊ちゃんの「汚れもの」のパンツ。
弟は感激で体をのたうち回らせながら坊ちゃんの足もとに両手をつきお礼の言葉なのか「あうああうおあいあう!」などと声を上げながら、パンツで覆われた顔面をフローリングの床に一心不乱に擦りつけていました。
弟はこのとき精通前ながら初めて性的な絶頂に達したようです。
私はいつものように箪笥から出した洗ったパンツを被らせてもらっていたのですが、その感謝も忘れ、弟がうらやましくてうらやましくて唇を噛みました。
その様子を見た坊ちゃんは「返して」と言って私に手を差し伸べました。
後悔と戦慄。
感謝を忘れた私の不遜で不敬な態度が坊ちゃんの機嫌を損ねたのだと思い、全身が震えました。
泣きそうになりながら私は被っていたパンツを剝ぎとり、畳んで坊ちゃんの白い手に載せました。
「下向いてて」という坊ちゃんの言葉で、お礼も忘れていた非礼に気づき、あわててへばりつくように床に這いました。
自分を呪いながら涙声で必死にお礼を述べたつもりでしたが、まともな言葉にはなっていなかったことでしょう。
すると、あうあうという私たち兄弟の奇声のなかに布のすれる音が聞こえ、坊ちゃんは「そのままね」と釘を刺しました。
何事か、期待感が胸に湧き上がります。
しばらくして、顔をぴったっりと床につけた頭にふんわりと温かくやわらかな布が置かれました。
坊ちゃんは弟だけに「汚れもの」のパンツを与えるのは不公平だと私を憐れんで、その場で私の被っていたパンツに穿きかえ、まさに今穿いていたパンツを私に与えたのでした。
このときほど自分の存在の小ささ、坊ちゃんの存在の大きさを感じたことはありません。
坊ちゃんの温もりと匂いに包まれながら、私も絶頂感に体をのたうち回らせながら平伏し、ひたすらに感謝を表しました。

こんな妄想で自慰を繰り返しても、H家は相変わらず自分が住んでいる家の目の前にあります。
マゾヒストは元より崇拝の対象にしている人を自慰の対象にするのですが、自慰と妄想を繰り返すうちに、本当にその人の前に何度も土下座し、頭を踏まれ、便器の代わりになったかのような感覚が生まれ、崇拝感情がさらに高まっていくことがあります。
もうH家を訪問することはなくなりましたが、やはりH家のご一家とはよく顔を合わせます。
奥様と久々にあいさつを交わした日は奥様の用便のあとのトイレ掃除の妄想で自慰をするし、ご一家が車で出て行かれるのを見た日はその車で轢かれることすら妄想しました。
そしてまだ小学生の坊ちゃまを見た日には決まって、あの真っ白なブリーフの夢のような妄想に耽るのでした
崇拝する人々のすぐそばで生活する、これほど幸せな青春があるでしょうか。

今は実家から離れて暮らしていますが、今でもよくH家の屋敷での妄想をしては、懐かしい感覚に襲われます。
H家の人々は私が死ぬまで私の妄想の中で私の後頭部を踏みつける存在でい続けてくれることでしょう。
今あの屋敷にはご主人と奥様だけが住まわれているそうです。
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