谷崎潤一郎歳時記
年譜、作品から日付、季節の分かっている出来事を記載していきます。(常時追加)
一月
二月
旧暦の初卯(二月の中旬から下旬) (『お才と巳之介』)卯三郎とお才の密通が発覚。翌日、卯三郎がとお才が上州屋から放逐される。
三月
四月
九日 (『神童』)春之助が小舟町の井上邸に挨拶に訪問。四五日後から、春之助は井上邸に家庭教師として住み込む。
恐らく春之助はあの晩の事を、父の欽三郎に手を曳かれて初めて小舟町の主人の別邸を訪れた四月九日の夕ぐれの事を、少年時代の最も印象の深かつた日の一日として、長く記憶に存して居るであらう。
五月
六月
七月
旧暦五月二十八日(六月下旬から七月上旬) (『お才と巳之介』)両国の川開き。お才と巳之介は両国のお才の実家で
短い夏の夜は次第に更けていくけれど、往来の賑ひはまだ一向に衰へない。仰向けに臥ころんで居るお才の眼には、打ち続く人家の屋根の火の見から、相変わらず「玉や」「鍵屋」と叫んで居る男女の影が悠長に映って居た。
二十四日 (年譜)明治十九年、東京市日本橋区蛎殻町に生る。父谷崎倉五郎、母関の長男。
三十日 (年譜)昭和四十年、腎不全に心不全を併発して79歳にて死去。戒名は安楽寿院功誉文林徳潤居士。
八月
上旬 (『鬼の面』)壺井、荘之助、藍子、お玉が津村家の別荘に居留する。
「今日は私も濱辺の方へ出かけて見ます。」
かう云って、壺井は或る日昼飯を済ませると、直ぐに麻草履を穿いて桜のステツキを曳きながら、松林の中の細道を歩いて行つた。ちゃうど真夏の太陽は紺青に晴れ渡つた大空のまん中に懸り、足下の砂地がやすりのやうにきらめいて居る日盛りであつた。壺井は烈日の反射を受けて、暫くの間ぐらぐらと眼の暗みさうな不安を覚えたが、由井が濱を瞰望する沙丘の絶頂に達すると、壮快な海は一面にざわざわと白い歯を露はして笑ひどよめきつゝ彼を迎えた。爽やかな汐風が彼の耳朶にばたばたと唸りを発して居た。
九月
中旬 (『鬼の面』)壺井は教科書代を使い込んで遊ぶ。
「三田行」「上野行」「両国行」、―――どの車台にも晴れ着を着飾つた遊山の客らしい男や女が乗つて居る。打ち続く家々の屋根の上にはかつきりと晴れた青空がうらゝかな秋日和を示して、果から果へ鮮やかに冴え返つて居る。路を行く人の衣服までが暖かい光線を一杯に吸ひ込んで、ぽかぽかと火照つて居るやうなのどかな天気である。
「あゝ、こんな陽気の日に、金を沢山懐へ入れて、立派な衣装を身に着けて、若い美しい女を連れて遊び歩いたら、どんなに人生が楽しく感ぜられるだらう。」
十月
十一月
十二月
年末 (『鬼の面』)壺井は新聞社の面接に失敗し、街をさまよう。
こんな思案に耽りながら、ぼんやり歩いて居るうちに、彼はいつしか尾張町の大時計の下へやつて来た。空には雪を含んだ雲が、一面の鼠色に折り重なつて、夕ぐれの市街の上に蔽ひ被さつて居る。「歳末大売出し」と書いた広告の旗がところどころに翻つて、もう新年の装ひを凝らした大通りの両側を、人々はまだ年の暮の忙しさに追はれつゝ、あわたゞしげな足取りで往つたり来たりして居る。
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