父の車で 1/3
私は父の運転する車の助手席に乗っていた。
カーラジオは昼のニュースを伝えている。
内閣総理大臣は衆議院の解散を決断し、まもなく総選挙が行われるという。
が、総理大臣の名前になんとなく違和感を覚える。
ニュースはその後、今日のジャイアンツの先発予想は斎藤で、ドラゴンズは小松か今中だろうと伝えた。
これを聞いて私は、さてはこれは夢なのではないかと疑った。
しかし、私の胸は、まもなく訪れる陶酔への期待に、張り裂けそうになっていて、これが夢でもかまわないと思っていた。
おそらくそれは父も同じであったろう。
父はとある公園の前で車を停めた。
この公園のことはよく知っていた。
斜面に立地していて段差や階段が多く、全体が緑に覆われていて、かくれんぼをするのには絶好の公園だ。
そこそこの大きさのある市民公園である。
平日のためか、人気は少ない。
父と私は軍手をはめてゴミ袋を持ち、箒と塵取りを使ってせっせと公園の一角の掃除を始めた。
ちょうど段差の踊り場のようになっていて、藤棚とベンチと植栽がある、30㎡くらいのエリアである。
特段汚くはなかったが、それでも念入りに掃除をすれば、けっこう吸殻やゴミはあるものである。
ベンチは丁寧に拭いた。
母は綺麗好きで、掃除は念入りにするよう厳しく躾られた。
掃除の後は「綺麗にした証」として床を舐めることを習慣付けられていたので、最後にベンチや飛び石をペロペロ舐めた。
すっかり掃除を終えると、父と私は生い茂る植栽の影で服を全部脱いで全裸になり、藤棚の下のベンチの前に土下座して母を待った。
両手と顔面をしっかりと地面につけ、鼻で地面を掘るようにして顔面全体を土に埋め、強く押し付けた。
約束の時間の一時間以上前には、相手を迎える体勢で待機するというのが、母が教えてくれた礼儀だった。
「相手の見てる前でだけ土下座しようなんて、そんなの形だけの土下座じゃない?」という母の一言で、眼から鱗が落ちた父と私は、母がいない場所でも、母がいる方角に向かって土下座するのが習慣になってしまった。
離れた場所で、母は食事をしているだろうか、デートの最中だろうか、ぐっすり眠っているのだろうか、そう思うとき、母が目の前にいる時と同じように土下座すると、不思議と頭上に母を感じられた。
母が父と私をまったく忘れ去っている時間も、私と父は耐えず母を思慕し、母の足下に平伏しているときと同じ緊張を保つ。
これが本物の礼儀であり、たった一言で母は、父と私にそれを教えてくれたのだ。
母に会えなくなった今でも、私と父は一日に数回はいっしょに母が住む街の方に向かって土下座している。
母は父と私に土下座のやり方を細かくしつけたりはしなかった。
ただ、「形だけの土下座」を許さなかった。
母の前に土下座したとき、後頭部を踏んでくれたら土下座のまま待機、頭頂部を蹴ってくれたら手はついたまま、数㎝顔をあげ、命令を聞く姿勢の合図である。そこからさらに顔面を蹴ってもらえれば、立ち上がってよいという合図だ。
命じる用があるときにはすぐにこの合図(答礼)をかけてくれるのだが、そうでもないときにはなかなかいずれの合図もかけてくれない。
土下座が「不合格」ということだ。
母は単に答礼を忘れているのかもしれないし、気まぐれに省略したのかもしれないが、それは父と私が問題にすべきことではなかった。
あるとき母が「土下座がなってないときは何もしないから」と言ったこと(母は言ったことも忘れたかもしれないが)がすべてであり、答礼がない限りは礼を失した「形だけの土下座」をしているんだと猛烈に反省した。
父と私は母に対して相応しい土下座の仕方を追求した。
まず、母に答礼をしてもらおうとするのをやめた。
答礼をするかしないかは「母の世界」に属することで、父と私が考えたり望んだりしてはいけないことである。
そうではなくて、自分たちなりに母の恩義に対する感謝を土下座の形で精一杯示そうとおもった。
そう考えると、母が足を動かして自分の後頭部を踏んでくれない限り、どうやっても母の穿いているスリッパやサンダルよりも、自分の頭を下に置けないというのがどうにも無礼な感じがした。
本来なら自ら頭を相手の履き物の下に差し出すべきなのは明白だった。
そこで、せめて顔面をとにかく床や地面に強く押し付けることで、無礼を侘びようとおもった。
フローリングの床や舗装された地面の場合は、額と鼻骨がしっかり接地するまで顔を押し付けた。
絨毯や土の場合は、可能な限り顔面をめり込ませた。
父と私はその姿勢のまま母を待った。
あまりの期待感に動悸は高まりっぱなしだった。
このまま母がこなくても、一日中父とこうして母を思いながら土下座しているのも悪くないとおもった。
やがて人の足音が聞こえた。
懐かしい、母のサンダルの足音だ。
若い男性と楽しげに談笑する母の声は、何も変わっていなかった。
ペタペタという犬の足音も聞こえた。
どうしようもなく胸が高まった。
「そうそうそれでねー」
談笑したまま、父と私の頭頂部をサンダルの固い爪先で無造作に蹴ってくれた。
母のロングスカートの裾の、夏花のような、高貴な匂いとともに、懐かしい甘美な快感が頭頂部から脊髄に走った。
父と私は全裸だから、土下座の姿勢でも、その瞬間に二人が射精してしまったことは、上から見下ろして者からはまるわかりだったろう。
しかし、頭頂部を蹴ってくれたのはサーヴィスではなく、顔をあげろという合図である。
ただし、仰ぎ見ていいのは相手の膝から下までだ。
相手は全裸の自分たちの体を上から見下ろして、考えていることまで手に取るような分かるであろうに、自分たちは相手の体を畏れ多くて見上げることができない。
このスタンスも、「私は別にあなたたちが何を考えてるのか知りたくもないけど、知ってほしいんだったら、一目で分かるように、私の前では裸におなりなさいな。」
「私が何をしているか、何を考えてるかをあなたたちが知る必要があるかしら?それってすっごく不躾じゃない?あなたたちが知る必要があるのは私があなたたちに何をさせたいかだけでしょう?」
という言葉で母が父と私に教えてくれたものだ。
父と私は手をついたまま、ゆっくりと顔をあげた。
ストラップの白いサンダルを穿いた彫像のように美しい足、肌は白磁のように白く、これまた白地に淡い花柄のスカートの裾がふんわりと揺れて、懐かしい母の高貴な匂いが父と私の顔に降った。
母は自分が今なお、父と私を以前と同様に扱う権利を有する存在であることを父と私に思い知らせるには、足下を見せてやるだけで十分だということを心得ていた。
母の左には若い男性のシューズがあり、二人はベンチには腰かけず立っていた。
母の右には中型の犬が首輪をつけて座っていた。
父と私は改めて母の恋人に向かって地面に顔をめり込ませるあいさつをした。
「ねーしてあげてよ」
と、母が恋人に答礼を促してくれたが、母の恋人は父と私の頭を蹴るのをためらっているようだった。
「じゃーしてくれたら、(コショコショコショ)」
という囁きが聞こえた後、ゴム底のシューズの爪先が、父と私の頭頂部を蹴ってくれた。
「じゃー次はジョン」
という母の声によって、父と私は犬の方に向かって土下座した。
さすがに答礼はないかと思ったが、犬は父と私の頭の上を歩いてくれた。
「私の彼と友達には私にするのと同じ礼儀で接すること」というのは母がもっとも厳しく父と私にしつけた教えだったし、母の持ち物や身につけていた物に向かって土下座することもあったので、父と私にとっては、母の犬に土下座するのも踏まれるのも、まったく躊躇はなかった。
母は父より5歳若い。結婚前はモデルをしていたそうだが、結婚後もその美しさを保ち私を生んでしばらくしてからモデルに復帰した。
小さい頃から母は私に愛情を注がず、幼い私の世話はほとんどすべて父がしてくれた。
父は祖父の会社の役員として働きながら、母にはほとんど家事をさせず、すべて自分で引き受けた。
私も小さい頃から家事を手伝った。
父と私は朝早く起きて出来る限りの家事を済ませ、母のために朝食を作ってから眠っている母にあいさつをして会社と学校に行った。
母は朝食にはほとんど手をつけなかったが、たまーに一口二口食べてくれるのがうれしくて、毎朝作った。
母は昼頃に起き出して出かけ、だいたい夜遅くまで帰ってこなかった。
父と私は家事を済ませ、夕食を作ってどんなにおそくなっても先には食べず、風呂も絶対に母より先には入らなかった。
10時くらいになると二人で玄関に座って母を待った。
母が帰った気配がすると父と私はもううれしくてうれしくて、泣きそうになるのを我慢して母にあいさつをした。
家に帰ると母はだいたいすぐ風呂に入って寝室に行ってしまい、夕食もほとんどたべてくれなかったがたまにほんの少し食べてくれると、父も私もうれしくて、母の食べかけをデジカメにとったりした。
それを見た母は呆れて、歯磨きの泡をわざと床にたらして、「これも撮っておけば、残飯父子。」なんて言った。
続き
カーラジオは昼のニュースを伝えている。
内閣総理大臣は衆議院の解散を決断し、まもなく総選挙が行われるという。
が、総理大臣の名前になんとなく違和感を覚える。
ニュースはその後、今日のジャイアンツの先発予想は斎藤で、ドラゴンズは小松か今中だろうと伝えた。
これを聞いて私は、さてはこれは夢なのではないかと疑った。
しかし、私の胸は、まもなく訪れる陶酔への期待に、張り裂けそうになっていて、これが夢でもかまわないと思っていた。
おそらくそれは父も同じであったろう。
父はとある公園の前で車を停めた。
この公園のことはよく知っていた。
斜面に立地していて段差や階段が多く、全体が緑に覆われていて、かくれんぼをするのには絶好の公園だ。
そこそこの大きさのある市民公園である。
平日のためか、人気は少ない。
父と私は軍手をはめてゴミ袋を持ち、箒と塵取りを使ってせっせと公園の一角の掃除を始めた。
ちょうど段差の踊り場のようになっていて、藤棚とベンチと植栽がある、30㎡くらいのエリアである。
特段汚くはなかったが、それでも念入りに掃除をすれば、けっこう吸殻やゴミはあるものである。
ベンチは丁寧に拭いた。
母は綺麗好きで、掃除は念入りにするよう厳しく躾られた。
掃除の後は「綺麗にした証」として床を舐めることを習慣付けられていたので、最後にベンチや飛び石をペロペロ舐めた。
すっかり掃除を終えると、父と私は生い茂る植栽の影で服を全部脱いで全裸になり、藤棚の下のベンチの前に土下座して母を待った。
両手と顔面をしっかりと地面につけ、鼻で地面を掘るようにして顔面全体を土に埋め、強く押し付けた。
約束の時間の一時間以上前には、相手を迎える体勢で待機するというのが、母が教えてくれた礼儀だった。
「相手の見てる前でだけ土下座しようなんて、そんなの形だけの土下座じゃない?」という母の一言で、眼から鱗が落ちた父と私は、母がいない場所でも、母がいる方角に向かって土下座するのが習慣になってしまった。
離れた場所で、母は食事をしているだろうか、デートの最中だろうか、ぐっすり眠っているのだろうか、そう思うとき、母が目の前にいる時と同じように土下座すると、不思議と頭上に母を感じられた。
母が父と私をまったく忘れ去っている時間も、私と父は耐えず母を思慕し、母の足下に平伏しているときと同じ緊張を保つ。
これが本物の礼儀であり、たった一言で母は、父と私にそれを教えてくれたのだ。
母に会えなくなった今でも、私と父は一日に数回はいっしょに母が住む街の方に向かって土下座している。
母は父と私に土下座のやり方を細かくしつけたりはしなかった。
ただ、「形だけの土下座」を許さなかった。
母の前に土下座したとき、後頭部を踏んでくれたら土下座のまま待機、頭頂部を蹴ってくれたら手はついたまま、数㎝顔をあげ、命令を聞く姿勢の合図である。そこからさらに顔面を蹴ってもらえれば、立ち上がってよいという合図だ。
命じる用があるときにはすぐにこの合図(答礼)をかけてくれるのだが、そうでもないときにはなかなかいずれの合図もかけてくれない。
土下座が「不合格」ということだ。
母は単に答礼を忘れているのかもしれないし、気まぐれに省略したのかもしれないが、それは父と私が問題にすべきことではなかった。
あるとき母が「土下座がなってないときは何もしないから」と言ったこと(母は言ったことも忘れたかもしれないが)がすべてであり、答礼がない限りは礼を失した「形だけの土下座」をしているんだと猛烈に反省した。
父と私は母に対して相応しい土下座の仕方を追求した。
まず、母に答礼をしてもらおうとするのをやめた。
答礼をするかしないかは「母の世界」に属することで、父と私が考えたり望んだりしてはいけないことである。
そうではなくて、自分たちなりに母の恩義に対する感謝を土下座の形で精一杯示そうとおもった。
そう考えると、母が足を動かして自分の後頭部を踏んでくれない限り、どうやっても母の穿いているスリッパやサンダルよりも、自分の頭を下に置けないというのがどうにも無礼な感じがした。
本来なら自ら頭を相手の履き物の下に差し出すべきなのは明白だった。
そこで、せめて顔面をとにかく床や地面に強く押し付けることで、無礼を侘びようとおもった。
フローリングの床や舗装された地面の場合は、額と鼻骨がしっかり接地するまで顔を押し付けた。
絨毯や土の場合は、可能な限り顔面をめり込ませた。
父と私はその姿勢のまま母を待った。
あまりの期待感に動悸は高まりっぱなしだった。
このまま母がこなくても、一日中父とこうして母を思いながら土下座しているのも悪くないとおもった。
やがて人の足音が聞こえた。
懐かしい、母のサンダルの足音だ。
若い男性と楽しげに談笑する母の声は、何も変わっていなかった。
ペタペタという犬の足音も聞こえた。
どうしようもなく胸が高まった。
「そうそうそれでねー」
談笑したまま、父と私の頭頂部をサンダルの固い爪先で無造作に蹴ってくれた。
母のロングスカートの裾の、夏花のような、高貴な匂いとともに、懐かしい甘美な快感が頭頂部から脊髄に走った。
父と私は全裸だから、土下座の姿勢でも、その瞬間に二人が射精してしまったことは、上から見下ろして者からはまるわかりだったろう。
しかし、頭頂部を蹴ってくれたのはサーヴィスではなく、顔をあげろという合図である。
ただし、仰ぎ見ていいのは相手の膝から下までだ。
相手は全裸の自分たちの体を上から見下ろして、考えていることまで手に取るような分かるであろうに、自分たちは相手の体を畏れ多くて見上げることができない。
このスタンスも、「私は別にあなたたちが何を考えてるのか知りたくもないけど、知ってほしいんだったら、一目で分かるように、私の前では裸におなりなさいな。」
「私が何をしているか、何を考えてるかをあなたたちが知る必要があるかしら?それってすっごく不躾じゃない?あなたたちが知る必要があるのは私があなたたちに何をさせたいかだけでしょう?」
という言葉で母が父と私に教えてくれたものだ。
父と私は手をついたまま、ゆっくりと顔をあげた。
ストラップの白いサンダルを穿いた彫像のように美しい足、肌は白磁のように白く、これまた白地に淡い花柄のスカートの裾がふんわりと揺れて、懐かしい母の高貴な匂いが父と私の顔に降った。
母は自分が今なお、父と私を以前と同様に扱う権利を有する存在であることを父と私に思い知らせるには、足下を見せてやるだけで十分だということを心得ていた。
母の左には若い男性のシューズがあり、二人はベンチには腰かけず立っていた。
母の右には中型の犬が首輪をつけて座っていた。
父と私は改めて母の恋人に向かって地面に顔をめり込ませるあいさつをした。
「ねーしてあげてよ」
と、母が恋人に答礼を促してくれたが、母の恋人は父と私の頭を蹴るのをためらっているようだった。
「じゃーしてくれたら、(コショコショコショ)」
という囁きが聞こえた後、ゴム底のシューズの爪先が、父と私の頭頂部を蹴ってくれた。
「じゃー次はジョン」
という母の声によって、父と私は犬の方に向かって土下座した。
さすがに答礼はないかと思ったが、犬は父と私の頭の上を歩いてくれた。
「私の彼と友達には私にするのと同じ礼儀で接すること」というのは母がもっとも厳しく父と私にしつけた教えだったし、母の持ち物や身につけていた物に向かって土下座することもあったので、父と私にとっては、母の犬に土下座するのも踏まれるのも、まったく躊躇はなかった。
母は父より5歳若い。結婚前はモデルをしていたそうだが、結婚後もその美しさを保ち私を生んでしばらくしてからモデルに復帰した。
小さい頃から母は私に愛情を注がず、幼い私の世話はほとんどすべて父がしてくれた。
父は祖父の会社の役員として働きながら、母にはほとんど家事をさせず、すべて自分で引き受けた。
私も小さい頃から家事を手伝った。
父と私は朝早く起きて出来る限りの家事を済ませ、母のために朝食を作ってから眠っている母にあいさつをして会社と学校に行った。
母は朝食にはほとんど手をつけなかったが、たまーに一口二口食べてくれるのがうれしくて、毎朝作った。
母は昼頃に起き出して出かけ、だいたい夜遅くまで帰ってこなかった。
父と私は家事を済ませ、夕食を作ってどんなにおそくなっても先には食べず、風呂も絶対に母より先には入らなかった。
10時くらいになると二人で玄関に座って母を待った。
母が帰った気配がすると父と私はもううれしくてうれしくて、泣きそうになるのを我慢して母にあいさつをした。
家に帰ると母はだいたいすぐ風呂に入って寝室に行ってしまい、夕食もほとんどたべてくれなかったがたまにほんの少し食べてくれると、父も私もうれしくて、母の食べかけをデジカメにとったりした。
それを見た母は呆れて、歯磨きの泡をわざと床にたらして、「これも撮っておけば、残飯父子。」なんて言った。
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コメント
whiteさん
こんいちは。
いつもコメント本当にありがとうございます。
「母に捨てられる父と子」というテーマは前から書きたいと思っていましたが、書いているうちに結局いつものパターンになってしまった感じです。
さまざまな部分に共感してくださってうれしいです。
やっぱり土下座した頭部を踏まれる、というのはたまらなく好きですね。
トリオリズム、物化倒錯、存在無視、そして踏み台、サンダル…
様々な要素で共感できる方に出会えて本当にうれしいです。
それにしても日本語がお上手ですね、表現が絶妙というか…
またコメントください。
こんいちは。
いつもコメント本当にありがとうございます。
「母に捨てられる父と子」というテーマは前から書きたいと思っていましたが、書いているうちに結局いつものパターンになってしまった感じです。
さまざまな部分に共感してくださってうれしいです。
やっぱり土下座した頭部を踏まれる、というのはたまらなく好きですね。
トリオリズム、物化倒錯、存在無視、そして踏み台、サンダル…
様々な要素で共感できる方に出会えて本当にうれしいです。
それにしても日本語がお上手ですね、表現が絶妙というか…
またコメントください。
本当の日本人にほめられて恥ずかしいですね。
でもまだ勉強中だから翻訳プログラムを参照して頑張っています。
実際、コメントを作成するのにも相当の時間が掛るですので
長文のコメントはまだ無理ですが…(ㅠ ㅠ)
しかし同じ興味を覚える友人と疎通することは本当によかったですね!!
今後とも頑張ります!
소설 재밌게 읽었습니다.
한국에도 이런 블로그가 있다면 정말로 좋겠네요..
멀리에서나마 응원합니다.
でもまだ勉強中だから翻訳プログラムを参照して頑張っています。
実際、コメントを作成するのにも相当の時間が掛るですので
長文のコメントはまだ無理ですが…(ㅠ ㅠ)
しかし同じ興味を覚える友人と疎通することは本当によかったですね!!
今後とも頑張ります!
소설 재밌게 읽었습니다.
한국에도 이런 블로그가 있다면 정말로 좋겠네요..
멀리에서나마 응원합니다.
ありがとうございます!
감사합니다 !
감사합니다 !
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私、韓国のファンですが…もしご記憶ですか?
この作品は本当にすばらしいですね。
スクビズムの物化倒錯とトリオリズムに興味がある私には最高ですね! !
何より長編でありがとうございます。
今作は夫の生命価値を無視して財布や踏み石のように取り扱う妻と、
そんな事を当たり前に思って妻を神格化して若いでかっこいい男性と幸せになる事を喜ぶ夫の、
人間と道具の関係がとても美しかったです。
もちろんサンダルに踏まれるシーンの描写もよかったです。
私は重症、靴底フェティシだから…
白乃勝利さんはまるで第二の沼正三みたいですね。今後とも楽しみにしています。
翻訳プログラムでいつもありがたく読んでいます (^ ^)
- 韓国のファン 拝