エムサイズさん「椅子になった勇者」の感想
今回は、同人イラスト・ゲームサークル:エムサイズさんのフリーゲーム、「椅子になった勇者」をご紹介します。
※無料でダウンロードしてプレイできますが、残念ながら、18歳未満の方は購入できません。
エムサイズは、マゾヒズム(Mシチュ)を扱ったサークルの中でも歴史ある老舗で、足、尻、排泄物などのスクビズム諸類型を網羅する正統派にして過激派のサークルです。
フリーゲームということで本作をプレイしてみたのですが、これが本当にすばらしかった。
久々に蕩けるような性的快感を味わいました。
マゾ性器が擦り切れるくらい楽しませていただきました。
名作だと思います。
変形的なキルケ伝説
作品世界は「ドラゴンクエスト」のようなファンタジー世界です。
主人公は「勇者」という非常に幼い少年です。
勇者は魔物を退治する冒険の途中で、グレモリーゼという妖魔の棲む森に迷い込んで、椅子に変えられてしまいます。
物語のパターンとしては、ホメロスの「オデュッセイア」にある「キルケ伝説」がベースにあるのだと思います。
冒険者が迷い込んだ地で魔女によって畜生に変身させられるが、間一髪助かって脱出するというのが、「キルケ伝説」のパターンです。
泉鏡花の「高野聖」も、典型的なキルケ伝説をベースにした物語です。
しかし、本作がキルケ伝説とは下記の二点が、決定的に違います。
①主人公は脱出できない。器物として妖魔の館に置かれるまま物語は終わる。
②主人公が変えられるのは畜生ではなく、椅子という器物である。
①に関しては、マゾヒストの望む物語構成としては必然というべきもので、「家畜人ヤプー」や、谷崎潤一郎の「少年」「痴人の愛」の結末でもとられている「隷属の固定・永続」の実現という結末がとられています。
②に関しては、変身願望の典型として畜生ではなく、あえて器物を選んでいる、というのが本作の大きな特性だと思います。
まあそれがタイトルにも現れているんですが。
器物への転生
美しい妖魔に椅子という器物に変えられるというアイデアは、やはり「家畜人ヤプー」を連想させます。
「崇拝対象の腰掛ける椅子になりたい」というのは、スクビズム第一類型として、マゾヒストには非常にポピュラーな願望です。
その願望の具現化として、「家畜人ヤプー」では「肉椅子ヤプー」というアイデアが登場します。
例によって人間が人間の肉体を持ったまま、金属パイプと組み合わされて椅子にされているものです。
本作ではこれと異なり、勇者は妖魔に、魔術で肉体をそっくり木製の椅子に変えられます。
このとき、勇者の精神はそのまま、椅子の中に残されます。
これは、谷崎の「魔術師」で描かれたアイデアに近いのですが、「魔術師」では、器物に変えられた者の内心は詳らかに描かれていません。ただ、次のように描かれているのみです。
この「無限の悦楽と歓喜」が、本作では見事に描かれています。
器物への転生願望が、奴隷願望や畜化願望と違い特殊な味わいを持つのは、自己存在が徹底的に「手段化」されるという点です。
奴隷や家畜のように調教されたり、懲罰を受けたりする余地すら残りません。
唯一持ち主との接点は、持ち主の利便に資する、ある一つの目的のために使用されることのみです。
椅子であれば、座ってもらうこと。
では、使用されていないときはどうなるか。
当然、「モノ」ですから、しかるべき場所に置いておかれるだけです。
再びいつ使用してもらえるかもわからない器物側の不安をよそに、持ち主は器物を使用する用ができるまでは、器物が存在していることすらほとんど忘れています。
この放置されている期間の器物の、持ち主が再び使用しに来てくれることだけを唯一つの希望としてひたすらに祈り続ける切ない心理と、その反動として祈りが届いて(…というのは錯覚で、使用者はただ器物を使用する用ができただけですが)持ち主が使用しに来てくれたときの光栄と喜悦が、本作には見事に描かれています。
マザー・コンプレックスと幼児退行願望
椅子になった勇者は、世界とつながる感覚は、視覚、嗅覚、そして椅子として座った者の尻の感触を味わう触覚が残されています。
勇者は椅子として暗闇の中に放置されるため、見えるのは、時折椅子に座りにやってくるグレモリーゼの姿のみ、座ってくれるのはグレモリーゼだけなため、感触を味わえるのはグレモリーゼのお尻の滑らかさ、柔らかさ、暖かさのみ、勇者の嗅覚を包み込むのは、グレモリーゼのお尻のにおいのみです。
そして、コミュニケーションは、妖魔グレモリーゼとのみ、テレパシーでつながっています。
つまり、椅子になった勇者にとっては、知覚できる世界のすべてが、グレモリーゼなのです。
椅子になった勇者にとってのグレモリーゼは、あたかも乳幼児にとっての母のようです。
暗闇に何十日も放置され、グレモリーゼが座りに来てくれるのを一途に待ち続ける勇者の心理は、置き去りにされ途方にくれながらも母の帰りを待ちわびる幼児の受動的心理に似ています。
そして、グレモリーゼが座りに来てくれたときに、暖かく柔らかな双球にむしゃぶりつき、むさぼるように味わう能動性は、母の乳房をしゃぶる乳児のようです。
実母から離れ、自立した存在として世界に放り出される少年。
やがて大人になるにつれてやっかいな、重苦しい「使命」や「責任」を課され、気づくと美しかった母は老いていきます。
少年が妖魔に器物に転生させられるというのは、男が若き日の母のように美しい女を新たな母に見たて、それまでに積み上げてきた人生をすべて捨て、女によって新しく生まれ直したいという願望の現われのように見えます。
すべての男にとって最初の絶対者である母に対するコプレックスと幼児退行願望が、マゾヒズムの快楽の根源に大きくかかわっていることがうかがえる作品です。
このようなすばらしい作品を制作してくださり、フリーで配布してくださったエムサイズさんに敬意を表し、感謝したいと思います。
まだダウンロードできますので、ご興味がおありの方はぜひプレイしてみてください。
※無料でダウンロードしてプレイできますが、残念ながら、18歳未満の方は購入できません。
エムサイズは、マゾヒズム(Mシチュ)を扱ったサークルの中でも歴史ある老舗で、足、尻、排泄物などのスクビズム諸類型を網羅する正統派にして過激派のサークルです。
フリーゲームということで本作をプレイしてみたのですが、これが本当にすばらしかった。
久々に蕩けるような性的快感を味わいました。
マゾ性器が擦り切れるくらい楽しませていただきました。
名作だと思います。
変形的なキルケ伝説
作品世界は「ドラゴンクエスト」のようなファンタジー世界です。
主人公は「勇者」という非常に幼い少年です。
勇者は魔物を退治する冒険の途中で、グレモリーゼという妖魔の棲む森に迷い込んで、椅子に変えられてしまいます。
物語のパターンとしては、ホメロスの「オデュッセイア」にある「キルケ伝説」がベースにあるのだと思います。
冒険者が迷い込んだ地で魔女によって畜生に変身させられるが、間一髪助かって脱出するというのが、「キルケ伝説」のパターンです。
泉鏡花の「高野聖」も、典型的なキルケ伝説をベースにした物語です。
しかし、本作がキルケ伝説とは下記の二点が、決定的に違います。
①主人公は脱出できない。器物として妖魔の館に置かれるまま物語は終わる。
②主人公が変えられるのは畜生ではなく、椅子という器物である。
①に関しては、マゾヒストの望む物語構成としては必然というべきもので、「家畜人ヤプー」や、谷崎潤一郎の「少年」「痴人の愛」の結末でもとられている「隷属の固定・永続」の実現という結末がとられています。
②に関しては、変身願望の典型として畜生ではなく、あえて器物を選んでいる、というのが本作の大きな特性だと思います。
まあそれがタイトルにも現れているんですが。
器物への転生
美しい妖魔に椅子という器物に変えられるというアイデアは、やはり「家畜人ヤプー」を連想させます。
「崇拝対象の腰掛ける椅子になりたい」というのは、スクビズム第一類型として、マゾヒストには非常にポピュラーな願望です。
その願望の具現化として、「家畜人ヤプー」では「肉椅子ヤプー」というアイデアが登場します。
例によって人間が人間の肉体を持ったまま、金属パイプと組み合わされて椅子にされているものです。
本作ではこれと異なり、勇者は妖魔に、魔術で肉体をそっくり木製の椅子に変えられます。
このとき、勇者の精神はそのまま、椅子の中に残されます。
これは、谷崎の「魔術師」で描かれたアイデアに近いのですが、「魔術師」では、器物に変えられた者の内心は詳らかに描かれていません。ただ、次のように描かれているのみです。
彼等の胸の中には、あなた方の夢にも知らない、無限の悦楽と歓喜とが
溢 れ漲 って居るのです。
この「無限の悦楽と歓喜」が、本作では見事に描かれています。
器物への転生願望が、奴隷願望や畜化願望と違い特殊な味わいを持つのは、自己存在が徹底的に「手段化」されるという点です。
奴隷や家畜のように調教されたり、懲罰を受けたりする余地すら残りません。
唯一持ち主との接点は、持ち主の利便に資する、ある一つの目的のために使用されることのみです。
椅子であれば、座ってもらうこと。
では、使用されていないときはどうなるか。
当然、「モノ」ですから、しかるべき場所に置いておかれるだけです。
再びいつ使用してもらえるかもわからない器物側の不安をよそに、持ち主は器物を使用する用ができるまでは、器物が存在していることすらほとんど忘れています。
この放置されている期間の器物の、持ち主が再び使用しに来てくれることだけを唯一つの希望としてひたすらに祈り続ける切ない心理と、その反動として祈りが届いて(…というのは錯覚で、使用者はただ器物を使用する用ができただけですが)持ち主が使用しに来てくれたときの光栄と喜悦が、本作には見事に描かれています。
………来た、来てくれた…………!
また座って貰えるんだ………!! あのきれいなお尻で…………!!!
マザー・コンプレックスと幼児退行願望
椅子になった勇者は、世界とつながる感覚は、視覚、嗅覚、そして椅子として座った者の尻の感触を味わう触覚が残されています。
勇者は椅子として暗闇の中に放置されるため、見えるのは、時折椅子に座りにやってくるグレモリーゼの姿のみ、座ってくれるのはグレモリーゼだけなため、感触を味わえるのはグレモリーゼのお尻の滑らかさ、柔らかさ、暖かさのみ、勇者の嗅覚を包み込むのは、グレモリーゼのお尻のにおいのみです。
そして、コミュニケーションは、妖魔グレモリーゼとのみ、テレパシーでつながっています。
今の貴方と会話出来るのは、世界で唯一私だけなの。
つまり、椅子になった勇者にとっては、知覚できる世界のすべてが、グレモリーゼなのです。
椅子になった勇者にとってのグレモリーゼは、あたかも乳幼児にとっての母のようです。
暗闇に何十日も放置され、グレモリーゼが座りに来てくれるのを一途に待ち続ける勇者の心理は、置き去りにされ途方にくれながらも母の帰りを待ちわびる幼児の受動的心理に似ています。
そして、グレモリーゼが座りに来てくれたときに、暖かく柔らかな双球にむしゃぶりつき、むさぼるように味わう能動性は、母の乳房をしゃぶる乳児のようです。
そう、グレモリーゼ様のお尻だけが、僕の世界の全て。
グレモリーゼ様のお尻の下で悶え続けることこそ、僕の本当の使命だったのだ。
グレモリーゼ様に座って貰う事が、僕の唯一にして最大の悦び。
実母から離れ、自立した存在として世界に放り出される少年。
やがて大人になるにつれてやっかいな、重苦しい「使命」や「責任」を課され、気づくと美しかった母は老いていきます。
少年が妖魔に器物に転生させられるというのは、男が若き日の母のように美しい女を新たな母に見たて、それまでに積み上げてきた人生をすべて捨て、女によって新しく生まれ直したいという願望の現われのように見えます。
すべての男にとって最初の絶対者である母に対するコプレックスと幼児退行願望が、マゾヒズムの快楽の根源に大きくかかわっていることがうかがえる作品です。
このようなすばらしい作品を制作してくださり、フリーで配布してくださったエムサイズさんに敬意を表し、感謝したいと思います。
まだダウンロードできますので、ご興味がおありの方はぜひプレイしてみてください。
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白野さん、無料ゲームのご紹介ありがとうございます。多くの時間をかけていただいたであろう作者さんにもこの場を借りて感謝です。女性に敗北したいという動機でゲームを始めるわけですが、その通り勝負にならず愚弄されながら敗北する悦び。そして日々ひたすら征服者に座ってもらうことだけを渇望して生きる運命。母親が絶対者であった幼児体験とマゾヒズムの相性がいいのはおっしゃる通りですね。
鳥尾さん
いつもコメントありがとうございます。
プレイしていただいて私もうれしいです。
葛藤→崩壊→諦念の三相も、それぞれ見事に描かれていたと思います。
いつもコメントありがとうございます。
プレイしていただいて私もうれしいです。
葛藤→崩壊→諦念の三相も、それぞれ見事に描かれていたと思います。
このフリーゲームの存在は知っておりましたが、白乃さんの解説にかかるとここまで深く詳しく掘り下げられるのですね。エムサイズさんの作品は一つだけプレイしたことがありますが、素晴らしい被虐作品でした。おそらく同人においては随一、商業と比しても屈指ではないかというマゾヒズム系クリエイターさんだと思います。是非ともトリオリズムも書いて頂きたいものです。
Mmさん
この作品は本当に驚愕でしたね。
思い出しただけでもゾクゾクキュン!としてしまいます。
この作品は本当に驚愕でしたね。
思い出しただけでもゾクゾクキュン!としてしまいます。
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