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開店休業状態の当ブログのいつもたくさんのコメントをくださり本当にありがとうございます。
白乃さま 丁寧にまとめてコメントを頂き有難うございました。
最初の中国と韓国のドミナの話ですが、たしかに中国の美女には、すっきりした清楚なお顔の美女が多いですね。神仙界の女性か、あるいは、神仙界と何か関係のある女性ではないかと思われるレベルの人がおられると思います。
韓国美女はもっと身近な感じm人間界に近いがします。
年下である女子中高生のドミナにお仕えする、容姿が自分と特に変わるわけでもない、同級生の女性にお仕えする、このパターンは、相手が複数の方がよさそうです。CFNMパーティとかだと思いました。
これは神に仕えるわけではないので、屈辱や被虐感なのだと思います。今、居る人間という位置から落ちる必要があります。
このようなパターンを希望する場合、理不尽に、身分を落とされたという状況を望む人と、自分の性癖が暴かれて、妥当な地位に移されたという状況を望む人がいるようです。後者のケースですが、妥当な地位に移されたならば、被虐感は本来は抱くはずはないのですが、抱いてしまう、これが罪悪感になるかもしれません。前者と後者では、後者の方がより複雑な感じがします。
これに対し、美しい白人女性、神仙のような中国女性に仕えるのは、
自分達より上位の存在に仕えるのですから、屈辱ではないですね。今、立っている人間という位置から横滑りで良いわけです。むしろ、周りの男性に対し、優越感を感じるかもしれません。ただ、このような優越感は周りからは理解されないでしょう。
そうですね、マゾヒストは自分より優越した存在に憧れるのが基本姿勢ですが、自分と対等、ないしなんらかの意味で目下の存在である相手に隷属するのは「転落のスリル」があって独特の味わいがあります。
谷崎潤一郎作品ですと「お才と巳之助」「恋を知る頃」という作品は、古い商家の確固たる身分秩序を背景にして下の身分の美男美女カップルに破滅させられる逆転が非常に味わい深い作品です。
谷崎は「春琴抄」「細雪」などの代表作からセルヴェリスト(貴婦人崇拝者)のイメージが強いですが逆転のモチーフを扱った名作も非常に多いです。
「転落」を「妥当な地位への復帰」と捉えるのも味わい深いですよね。
普段の地位に息苦しさを感じている人にはとても「癒し」を得られる考えだと思います。
少女が教師の性癖を見抜いて「妥当な地位」に墜とすシチュエーションなどは私も大好きです。
それに対して「高嶺の花」に対する隷属は「屈辱」よりも「光栄」という感情が伴うことになる。
一人の白人少女の前にたくさんの有色人種の男たちが平伏していて、気まぐれに少女が男の一人の頭頂部を蹴ったとして、その男はゆめゆめ「屈辱」などは感じないでしょう、「光栄」しか感じないのではないでしょうか。
周りの男たちもその男に対して羨望の感情を抱くでしょうね。
以前からこれを人種全体に拡張することを考えています。
「家畜人ヤプー」では日本人と黒人以外の有色人種を消滅させてしまいますが、もっと様々な人種が白人種に使用していただける「ニッチ」を争う状況にしたらどうでしょうか。
たとえば日本人、中国人、朝鮮人などの東洋人は「白い肌」に触れる繊維製品を全て手工業で生産する、それだけのために生存する人種とする。
白人が朝下着をつける際には必ず日本人製、中国人製、朝鮮人製の3種が用意されひとつを選んでつける。
選ばれなかった下着を作った職人はその下着とともにすぐさま「淘汰」される。
すべての衣服が同様なので計算上一人の白人はその日に身につけたものの2倍の数の職人を「淘汰」している。
(白人の使用済み衣類は「資源価値」がありすべて一度きりの使い捨て)
白人にとっては毎回何の気なしに選んでいるだけであるが、職人は1月ほどかけて文字通り命がけの「作品」として下着を作る。
半日ほどで使い捨てるとはいえ白人が身につける下着にはそのくらいの質が要求される。
白い肌にはそのくらいの価値があるのだから。
このようなことを妄想しています。
パリスの審判では、アルテミスは除外されていることについて詳しい解説をありがとうございます。
このことは自分も少しさらに考えてみました。
アルテミスは、狩人である男性に裸身を見られたため、その男性(悪気があったわけではなないと思われますが、もちろん、実際はわかりません)は殺されます。また、男性はうっかり、身体が性的に興奮したのか、していないのか、わかりません。心はおびえていたかもしれません。心身ともに欲情していたのか、心はおびえつつも、身体が欲情してしまったのか。
興奮したから殺されたのでしょうか。人の身でありながら、女神に欲情するとは不適切です。しかし、他の男性が、他の女神の裸身を見たとき、うっかり興奮することはないのか、そのようなケースがなかったのか気になります。必ず、興奮してしまうのならば、この男性は気の毒かもしれません。
興奮していなかったとしても、そのことを不快に感じ、殺されたかもしれません。自らの女性美についての強い自尊心を持っていた筈だから、きっとそうに違いないと思われます。ただ、女性美があれば必ず男性は欲情を催すと言えるのか、そうは実は思っていません。
結論を急ぎます。パリスは、どのように三美神を判断したのかです。もちろん、取引に応じたのだと思いますが。形の上では、三美神は、姿を、つまり裸身をパリスにさらして見せたのではないでしょうか。もしそうであるならば、女神アルテミスは、男性が欲情しようがしまいが、男性を殺してしまうのですから、パリスの審判には出てきては、パリスは殺害されるほかはないと思われます。そのように今は考えております。
自分は、「古来議論の的になった」というその議論は見てはおりません。容易に見ることができる文献でもあれば、ご紹介頂けると幸いです。
たしかに、3女神はパリスに自分の肌を見せていますね。
アルテミスはこれをよしとしない、だからパリスの審判には適さないのかもしれません。
>現生人類に共通してコーカソイドの身体的特徴を美の基準とする刷り込みが行われたとしたら、
>それはコーカソイドが登場した数万年前から、
>ユーラシア大陸の広範な地域で歴史が記録されるようになった数千年前までの間ということになります。
>先住の色黒で寸胴型で鼻の潰れた南方系種族に君臨したとしたら
歴史的な記憶(民族的記憶と呼ぶのでしょうか)が、世代を超えた記憶として刻印されたのではというご指摘ですね。
インドネシアでは、空から、黄色い人が降ってきて、白い人を追い出してくれるという神話があったそうです。白い人はオランダ人で、黄色い人は落下傘部隊の日本軍のように感じてしまいます。インドネシアでは、白人崇拝はないのでしょうか。
また、
話は飛びますが、東南アジアや、中国では、どうなのだろうと思いました。私の知る限り(調べたわけではないのですけれど)、東アジア、東南アジアでは、日本だけ、白人崇拝が目立ちます。中国人や韓国人に尋ねてみたいと思います。
この日本人の白人崇拝が、明治以来の日本の近代化のエネルギーとも通底するではないか、と思ってしまいました。白人崇拝は、白人女性への崇拝という副産物もあります。
さきほど、インドネシアの神話に触れました。そして、オランダ軍を日本軍が追放したという事実にも触れました。さて、インドネシアでは、白人崇拝や白人女性崇拝はあるのだろうか、また、日本人女性崇拝はあるのであろうか、と思う人もいらっしゃるかもしれません。しかし、日本女性が、支配者として、インドネシアに行ったわけでありませんし、また、インドネシアは敬虔なイスラム教徒の国ですから、女性崇拝という変態性欲的なことはありえないと私は今のところ強く思っています。
さて、ロシアですが、かつてモンゴル人が征服しました。この影響で、黄色人種崇拝があるのでしょうか、黄色人種ドミナという妄想があるのでしょすか、あまり聞かないです。実際はどうなのか、知りたいと思います。いまのところ、単に歴史的な記憶だけで決まるわけではないと思えます。白い肌、長身で寸胴ではない身体、高い鼻、碧眼等(緑眼もあるそうです)、金髪等(茶色や銀髪、赤毛)も、また、言葉の響きや、体臭など、関係があるのかもしれないと思っております。
支配民族としての歴史(正確には、支配された側での記憶)として、先日、駄文を連ねました、失礼いたしました。いろいろ思いますが、文化的な力が大きいのではないかと感じます。もうひとつは、見た目の美しさ、絢爛豪華さ、かと思います。
現代のロシアで、スラブ系男性がモンゴル系の女性を崇拝するようなもの、ロシアのマニアビデオであまり見かけないように思います。スラブ系の女性の美しいのは現在でも世界的に有名ですから、モンゴル系(東アジア系)の女性の入り込むスキがなかったのかもしれない、これは誰もが思うかもしれません。また、古代のスラブの貴族女性は豪華衣装や宝飾品を身に着けていますから、身軽を旨とする遊牧民では、その女性も貴族であろうとも、ロシア人からみれば質素すぎたのかもしれません。
それから、古代ロシアは伝統もあり、スラブ文化がモンゴル化したなどという話は聞きません。むしろ逆かと思われます。そして宗教の違いもあり、スラブ系男性が東洋系女性を崇拝するような、異民族崇拝はなかなかハードルが高かったと強く思います。
それと同様ですが、中国のマニアビデオ(女主とか呼ぶらしい)で、中国人男性が、いかにも遊牧民風の貴婦人女性に平伏しているようなビデオも見かけないですね。中国女性にも大変美しい人も多い、これも一因ですね、また、古代中国では、中国の貴人女性は美しく着飾り洗練されていたでしょうから、草原の勇猛果敢な民族の女性が、中国男性の歴史的な記憶に、崇拝対象として刻ませることはなかったのだろうと思いました。中国人は多種多様な人種の血が入っていると思います。中国文化は強力であり、支配民族の方が、中国化しまいがちという点も大きいと、この点は強く思います。
日本文化には、多民族を日本化してしまうような傾向はあるのだろうか、と思いました。黄河を発祥とする中国文化に対し、また、欧州のロシア文化やゲルマン文化を相手にして、はたして、日本には、相手をジワジワと日本化させてしまうような力があるかは疑問に思います。日本における、M男性による外国系女性崇拝は、こういう背景があるのかもしれないと思いました。
日本以外のアジア人でも白人崇拝はあると思いますし、それが白人女性に対するマゾヒズムに発展している人もいると思います。
以前このブログにコメントしてくださった中国人や韓国人の白人崇拝者もいらっしゃいました。
ただ、それが谷崎潤一郎や沼正三のような著名な文学にまで発展したのは日本だけでしょう。
モンゴルによる中国、ロシア支配はたしかにある程度長期間続きましたが、中国、ロシアの方が隷属している時代も文化的には優越感を保持していたと思われます。
日本人の文化的な自尊心は低いかもしれませんね。
最近隣国に対して実に幼稚な優越感を示す日本人が目につきますが、それも文化的な自尊心の低さの裏返しかもしれません。
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マゾヒズム→スクビズム
ここで、3柱の女神は、西洋絵画によると、裸身を晒しているわけですが、この裸身はなんであろうか、と改めて思いました。古代ギリシャでの解釈は、裸身を現したのかどうか、わからないのですが、とりあえず、裸身を現したということにしたいと思います。すると、女神は、性的な魅力を用いようとしたのか、どうか、というのが気になったところです。もちろん、最後はワイロですが。
ゼウスから審判者に選ばれたのが、パリスという若者(男性)であったわけです。もしも、女性を選んでおれば、性ということから離れた(性欲、情欲から離れた・・・それを公正と呼ぶべきか悩みますが)判断が得られたのではないか、とふと思いました。一般にはどう考えられているのでしょう。
また、パリスが欲情を感じたのかどうかも明らかではありません。
すこしマゾヒズムという話から離れてしまいましたが、申し訳ありません。
西欧人にとって、違う人種というのは、まずはアフリカニグロの方々なのだろう、と思います。
そして、白人エム男性にとり、異人種ミストレスというと、まず黒人なのだと思います。
このようなタイトルのビデオもあります。
Black Mistress pussy cleaned by her slave
黒人サド女性は、こういう趣味が存在することを知っていると思いますし、ビジネスにする人もいるし、個人の生活で楽しむために白人エム男性を募集することもあると思います。黒人サド女性に白人エム男性を楽しみたいという関心があるのか、わかりませんが。白人エム男性は、黒人ミストレスに向けて、なにか、啓蒙活動をしているのでしょうか。
日本人の白人崇拝(日本人男性の白人女性崇拝)が盛んですよ、といっても、白人サド女性は、日本人男性のことは意識には上っていないでしょう。知ったとして、日本エム男性を扱いたいと感じるかわかりません。白人エム男性の方がいいと思わないでしょうか。日本人エム男性として、白人エス女性のために、周知活動をしているのでしょうか。このサイトの英訳サイトが海外で出ているとよいと思います。
なお、白人サド女性も黒人サド女性もそんなに多くないと思います。個人の生活で、エム男性と付き合いたい人は多くないと思いました。
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マゾヒズムというのは、サディズムと対置されるものですが、そこに性欲という要素を伴うというのが、一般的なもののように思います。私は、性欲という要素が入らないような、マゾヒズム・サディズムもあり得る、あっても良い、と考えてしまうのですが、一般には、性欲を含んでいるものとして、あるいは、性欲そのもの、但し、変種の性欲として、話をすることが多いと思います。白野さまもそのようにお考えであると理解しております。
また、性欲という要素を考えるとき、仮に異性愛を前提とすれば、S女とM男、M女とS男という組み合わせになります。
ただ、マゾヒズム側の人間が、対象としてサディズムな性癖の異性を選択するか、また、サディズム側の人間が、対象として、マゾヒズムな性癖の異性を選択するか、必ずしもそうはならないと思います。
すると、
①M男性→S女性、
②M男性→M女性、
③M男性→SでもMでもない女性
④S男性→S女性
⑤S男性→M女性
⑥S男性→SでもMでもない女性
そして、
⑦M女性→S男性
⑧M女性→M男性
⑨M女性→SでもMでもない男性
⑩S女性→S男性
⑪S女性→M男性
⑫S女性→SでもMでもない男性
となってきます。
聞くところによると、
⑬M男性→「Sなカップル(S女性+男性)」
⑭M男性→「M女性→S男性」
⑮M男性→「ふつうのカップル(女性+男性)」
などなど、
複雑な、重層的な、形もあるようですが、混乱するので省きます。ちなみに、「トリオリズムは、⑬の中のひとつのパターンのようにも思えます)。
ここでの関心の対象は、
①M男性→S女性、
②M男性→M女性、
③M男性→SでもMでもない女性
という性欲(マゾヒズムな性欲)に限定されると思います。
また、マゾヒズムといっても、
相手の女性が
(A)至上の女性、神聖な女性であるか、
自分とは隔絶した存在なのか、
(B)上位の女性であるのか
(但し、ヘラのような意味で上位)
(但し、アテナイのような意味で上位)
(但し、ビーナスのような意味で上位)
(但し、アルテミスのような意味で上位)、
(C)ほぼ同列であった女性であるか、
(D)ほぼ同列である筈の女性であるのか、
(E)やや下位の女性であるのか、
そして、
(あ)面識のある女性なのか、
(い)行きずりの女性なのか、
それから、
(1)一時的に仕えるのか、
(2)永続的に仕えるのか、
により、M男性の持つマゾヒズム嗜好との組み合わせ
で、どのような性的悦楽がもたらされるのか変わってくると思います。