沼正三のスクビズム(3)―『手帖』第二八章「性的隷属の王侯たち」
一国の君主を美女が隷属させる……これほどロマンティックなことがあるでしょうか。
美女に心を支配されてしまった君主の財産は、国土は、臣民は、全て美女の所有物となってしまいます。
一挙手の労で君主を足下に跪かせることのできる美女にとって、その臣民の命など、自分の爪の垢ほどの価値も感じることはできないでしょう。
まさに「美の完全勝利」。
想像するだけで胸躍るそんな夢のような状況が、世界史を紐解くと、数多く実在していたんですね。
さて、沼は本章で「性的隷属」と「マゾヒズム」の違いを強調しています。
要するに、
性的隷属→相手の歓心を繋ぎとめるため、隷属する。
マゾヒズム→相手に隷属すること自体が目的。
ということです。
ところが、最初は性的隷属状態だったのが、次第にマゾヒズムに移行する場合があるといいます。
その心理状態は、クラフト・エビングの『病的性心理』を引用して説明されています。
誰でも性的隷属状態に長い間生活すると軽度のマゾヒズムを獲得し易い。愛人の専制を喜んで受け容れようとする愛情は、直接専制されるのを喜ぶ愛情に転化する。専制を耐え忍ぶ時の気持ちが愛人を慕う楽しさと結合することが長く続くと、この楽しさが
終 には専制そのものに結び付いてしまう。こうして倒錯への移行が完成する。このようにマゾヒズムが訓練教化によって獲得されることもあるのだ。
沼も、谷崎潤一郎も、この「性的隷属からマゾヒズムへ移行する」というストーリーが大好きです。私も大好きです。皆さんもお好きですよね?
ネット上に発表されているマゾヒズム小説も、このストーリーが多く、性的隷属からマゾヒズムへ移行する過程がうまく書かれているものほど、高く評価されている気がします。
先天的なマゾヒストなのに、ストーリーとしては、(顕在的には)マゾヒストではないところからスタートしたがるんですね。
なぜか。それは「堕ちていく快楽」を味わいたいからなんですね。
谷底の住人が、いったん崖の上まで上がってから、また谷底へ落っこちる快楽を何度も味わうようなものです。
思えばマゾヒストは、四六時中マゾヒストとしてふるまえるわけじゃないんですね。
ほとんどの時間は、獣畜たる本性を檻に閉じ込めて置かなければならない。
恋人に対してすら本性を隠し、ノーマルな恋愛関係を築いている人も多いでしょう。
「堕ちていく快楽」は、その抑圧された本性が解き放たれる疑似体験ができる快楽、と言えるかもしれません。
さて、王侯と美姫の話に戻りますと、単純な「性的隷属」状態であった王侯と美姫の例は、
・玄宗皇帝と楊貴妃(唐)
・アントニウスとクレオパトラ(古代ローマ)
が挙げられています。
一方、「性的隷属」状態から「マゾヒズム」に移行した例は、
・高宗と則天武后(唐)
・ベリサリウスとアントニナ(東ローマ帝国)
・ルイ十五世とデュバリ伯夫人(フランス)
・ルトヴィヒ一世とローラ・モンテス(バイエルン)
・アレキサンドル一世とドラガ王妃(セルビア)
が挙げられています。
また、伝説上の例として、
・ヘラクレスとオンファーレ(古代ギリシア)
・桀王と
・紂王と
・幽王と
が挙げられています。
この中から、いくつか事例を見てみましょう。
ベリサリウスとアントニナ


バンジャマン・コンスタン『コロッセオのテオドラ皇后』 ジャンナ・マリア・カナーレ扮するテオドラ皇后
六世紀前半、東ローマ帝国は、ユスティニアヌス帝の下で大きく発展し、一時的にかつてのローマ帝国の最大版図のほとんどを支配下に治めます。
この「再征服」に大貢献したのがベリサリウス将軍で、「史上最高の指揮官」と評す人もいます。
ところがこの大将軍が、元
アントニナは、将軍が恩義をかけた養子のテオドシウスという青年と不倫します。
将軍は妻と養子のが裸で抱き合っている現場を目撃しながら、それを責める事ができません。
また、皇帝が将軍を陥れて無実の罪を着せた際、アントニナの親友のテオドラ皇后が、「アントニナに免じて」と、将軍を恩赦します。
この際将軍は家に戻って妻の足下に平伏し、脚を抱き、足を舐め、今後は自分はもう夫としてではなく、恩を蒙った従順な奴隷として生きると誓約します。
アントニナとテオドラ皇后は、二人で協力して、将軍を次第次第に深い屈辱状態に追い落とし、理想的マゾヒストに仕込んで行ったようです。
ルイ十五世とデュバリ伯夫人

フランソワ・ブーシェ『ポンパドゥール夫人』

映画『デュバリ夫人』よりマルティーヌ・キャロル扮するデュバリ伯夫人
フランス国王ルイ十五世は三十五歳の時に、才色双絶で、驕慢かつ淫乱な
ポンパドゥール夫人の死から約三年の後、国王は最愛のドミナの面影をもつデュバリ伯夫人(当時二十六歳)に出会います。夫人はこの老いたマゾヒストを容易に奴僕とします。
夫人がベットからスリッパを蹴投げて「ほら、
ルートヴィヒ一世とローラ・モンテス


ヨーゼフ・スティーラー『ローラ・モンテス』
ロマンティックな近代西洋史の中でもひときわロマンティックなバイエルン王国史。
第二代国王のルートヴィヒ一世は、六十歳の時に英国生まれの
ローラは当時二十五歳。既に欧州各都市の社交界でアレクサンドル・デュマやフランツ・リストといった大芸術家・大資産家を迷わせてきた彼女にとっては、田舎の老君主など、容易に手玉に取ることができたのでしょう。
国王はローラの言いなり放題になって、平民出身で王国になんらの貢献もしていない外国人である彼女に、城と巨額の年金を与えた上、名門ランズフェルト伯爵家を嗣がせます。
国王は美貌の伯爵夫人から名前を呼び捨てにされながら、彼女の美しい足を手入れしたり、その靴を盃にして酒を飲んだり、彼女の臥ている寝台を支えたりするマゾ行為に及んだといいます。

珍画集『汉妆潋滟』より
末喜は夏を、妲己は殷を、褒姒は周を、それぞれ滅ぼす原因となったとされる「傾国の美姫」です。
いずれのエピソードも、非常によく似通っています。歴史的な真実性は薄いのですが、古代中国人が心理的真実を教えてくれている伝説です。
末喜は「美しいが徳は薄く、道を乱した。心は男丈夫のようで、剣を
夏の桀王はこの男装の美女に夢中になり、常にこの美姫を膝上に置いてその言うなりになりました。
(末喜は桀王の膝に横乗りに乗ったんでしょうか?末喜なら、もっと男らしく、桀王と体を平行に、桀王の体をクッションのようにして玉座に腰掛けたかも…なんて想像をしてしまいます。)
末喜は酒池を作って三千人の男女に牛のように池の酒を飲ませ、酔って溺死するのを見て笑い楽しんだといいます。

『梦回殷商 苏妲己』より


時代劇『封神演義』より、ルビー・リン扮する妲己
殷の紂王は寵妃妲己の望むことならなんでも叶え、そのために民に重税をかけました。妲己を誹謗する者は容赦なく殺しました。
妲己が好んだ処刑方法に、「
膏を塗った銅柱を炭火の上に構え、上を歩かせるというものです。
妲己はこれを見て声を上げて笑ったといいます。
仁の人で知られる人物が紂王を諌めると、妲己は「聖人には心に七つの穴が開いていると言われています、ほんとうかどうか調べてみては?」と紂王に耳打ちし、聖人の胸を切開させてしまいました。
妲己が好きだったゲームの一つは、妊婦を検分して胎児の性別を当てるというもの。もちろん分娩するまで結果を待ったりしません。その場で下腹部を切開して結果を確認してしまいます。

珍画集『汉妆潋滟』より
周の幽王は褒姒の冷たい美貌に夢中になります。
幽王は褒姒のめったに見せない笑顔を見るために、あらゆる手を尽くします。
高級な絹を裂く音を聞いた褒姒がフッと微か笑ったのを見て、幽王は全国から大量の絹を集めてそれを引き裂きます。それにあわせて褒姒が微かに笑うのですが、次第に笑わなくなります。
ある日、何かの手違いで烽火が上がり、諸侯が周の王宮に集まったときのこと、重臣たちの、間の抜けた顔が面白かったのか、そんなようすを見ていた褒姒が突然、笑い出します。そのときの花のような笑顔と鈴の音のような笑い声に歓喜した幽王は、その後もただ褒姒のを笑わせるためだけに、有事でもないのに何度も烽火を上げては諸侯を集め、諸侯の信頼を失っていきます。
さて、谷崎潤一郎は、沼以上にこれらの「傾国の美姫」を愛し、研究していたことが、諸作品から伺えます。
例えば『捨てられる迄』には、
其の世界に於いて、彼は先ず恋人に女王の宝冠を捧げた。さうして、其の宝冠に適しい絶対の権力と威厳と、勇気と、品位とを具備するやうに彼の女を導いた。バビロンや、
埃及 や、羅馬 や、支那や、―――さう云う古代の国々の伝説に、罪悪の花を咲かせて居る偉大な女王や后妃の性格を、彼は恋人の魂に打ち込まうと試みた。
とあります。まさに理想の女性像を古代の淫虐な美姫に見出しているようです。
末喜や妲己の伝説を、そのまんま小説にしたのが『麒麟』です。
春秋戦国時代、衛の君主:霊公とその妃:南子のもとを孔子一行が訪れるというマイナーな史実に基づいているんですが、本筋はほとんど末喜や妲己の伝説が使われています。
『ある夢想家の手帖から』全章ミニレビュー 第1巻「金髪のドミナ」
入手できた挿画、関連する画像を合わせて掲載します。
第一章
夢想のドミナ
マゾヒストにとっての理想の女性像を、ギリシア神話の女神を用いて考察します。
こちら↓をご参照ください。
谷崎と沼のヒロイン像


ヴィンターハルター画『エリーザベト皇后』 エギディウス・ザデラー『女の雄武』(女神アテネ)
第二章
馬上の令嬢
以降六章は「馬」について。
アルテミス(ダイアナ)型のドミナの一典型として、乗馬をたしなむ上流階級の令嬢を考察します。
第三章
愛の馬東西談
人間馬を扱った東西の古典説話を紹介します。
こちら↓をご参照ください。
沼正三のスクビズム(1)―『手帖』第三章「愛の馬東西談」~アリストテレスの馬
第四章
ナオミ騎乗図
谷崎潤一郎『痴人の愛』の人間馬場面を徹底考察。二次創作付きです。
第五章
侯爵令嬢の愛馬
エミール・ゾラ『一夜の情を求めて』を紹介。
ある公爵令嬢が二人の青年をそれぞれ馬と犬に馴致し、彼らを踏み台に幸せを掴むシンデレラ・ストーリー。
第六章
生きた玩具としての人間馬
『あるロシアの踊り子の回想』という小説を紹介。小公子小公女による、領民の子女を玩具とした雅な遊びをたっぷりと。「両脚型」の人間馬が登場します。
第七章
人間馬による競馬
L・ゴーテの『鞭打つ女たち』を紹介。欧州貴族が米大陸の奴隷に転落し、転々と売られ酷使されます。「補助車型」の人間馬が登場します。
第八章
転生願望と畸形願望
畜生への転身(変形)・転生(生れ変り)願望、その派生としての畸形(先天的な身体障害)願望について、三点の小説を紹介。

『ディアナの狩猟』作者不明。十六世紀末。
モデルはアンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエ。
第九章
生身堕在畜生道
ある大学生の投書を紹介。隣家の英国夫人の飼い犬になりたいという願望から、自ら不具(後天的な身体障害)となり、隣家夫婦に飼養され、奴隷、犬、便器と、ありとあらゆる願望をかなえる計画が綴られています。

グレース・ケリー
第一〇章
ある夢想家の哀願
あるドイツのマゾヒストが女主人に送った手紙を紹介。前章同様、「犬派」と「便器願望」の強い結びつきが示されています。
第一一章
西洋人への劣等感
以降一〇章が、「沼の沼たる所以」といえる部分。
①「西洋文明の絶対的優越」、それによる②「日本人の中の西洋文明への劣等感」、そしてそれによる③「日本人の白人の肉体への憧憬」を論証します。


女優:ブリジッド・バルドー 女優:ミレーヌ・ドモンジョ
第一二章
象徴としての皮膚の色
遠藤周作『アデンまで』を紹介。フランス女性と交際した日本人の主人公は、恋人と裸で抱き合っている姿を鏡に映した像を見たことにより、恋人の白い肌と自身の黄色い肌、その美醜の絶望的な隔絶に気づき、苦悩します。


グイド・レニ『ミカエル』 白人種の美少年がモンゴロイドの男を屈服させる構図は、 女優:ヴィルナ・リージ ※『手帖』掲載とは別の画像
ドイツで黄禍抑圧のシンボルとされた。
第一三章
ブロンドの優越
白人種の中でも、


ルーカス・クラナッハ『ユーディット』 パオロ・ヴェロネーゼ『ユーディト』
ヘブライ神話の女傑でありながら、ルネサンス絵画ではブロンド女性として描かれ、敗れた敵将は異人種として描かれている。
第一四章
白人崇拝
前三章で説いた日本人の白人に対する劣等感が、マゾヒズムと結びついた、「
第一五章
有色人種家畜観
視点を逆転させ、白人種が有色人種を潜在的に畜類視していることを論証。カルル・チャペクの『山椒魚戦争』を紹介。

ヴァン・ダイク「ニコラ・カッタネオ侯爵夫人エレーナ・グリマルディ」
第一六章
家畜化小説論
一対の男女が、どのような関係になっても、合意に基づくSMプレイの範囲内である。支配者または被支配者が複数になっても、小異に過ぎない。公然と陵辱されるためには、優劣二階級を設定し、劣等階級を奴隷、さらには人間家畜とする制度化空想こそ理想のマゾヒズム小説である、とします。そして、日本人マゾヒストにとって、有色人種を白人種の家畜とする空想小説こそ、最終最高の表現であると断言します。
第一七章
混血への妄想
敗戦後、日本が米国の属領となった妄想。日本人は土民として白人に徹底的に差別されますが、日本女性が白人男性に孕まされて生まれた混血児は、土民よりも優遇されます。このため、日本女性は積極的に白人男性の子種を宿そうとし、家族ぐるみでそれを手助けします。日本民族は、少しでも白い血を子孫の体内に交えることを、最大の目標にします。
この、白人崇拝と結びついた歪みきった願望が、沼の三者関係の特徴です。
第一八章
ある植民地的風景
ある日本人の女の子の作文を紹介。アメリカ人の男の子と一緒に遊ぼうとして「外人ハウス」に行ったところ、男の子小便をかけられたというもの。なぜこれに昂奮したのかを内省して解説。

ポンペイ壁画。イルカを鞭打って車を輓かせているキューピッド。
第一九章
輓奴車競争
L・ゴーテの『鞭令嬢』を紹介。奴隷制時代の米国南部の大農園で、大地主の令嬢がドイツ人青年の資産を奪い、奴隷に馴致します。奴隷に輓かせる馬車が登場。
第二〇章
人力車夫
植民地で生まれ、日本に輸入されて定着した人力車について。
第二一章
召使い願望と侍童願望
マゾヒストの変身願望について、精神医学者:ヒルシェフェルトが分類した五類型を紹介。
五類型については、こちら↓をご参照ください。
谷崎のスクビズム(3)―『捨てられる迄』論~堕ちていく快楽、委ねる快楽
この五類型うち、召使い(家内奴隷)願望(セルヴィリズム)が、マゾヒズムの「入門的段階」であるとします。さらに、セルヴィリズムから女主人との肉体的交渉を排除したものを、侍童(子供の召使)願望(パジズム)とします。
第二二章
奴隷志願
第二三章
ある派出夫会の設立案
第二四章
昔の嬶天下
男尊女卑の風潮の中、妻に従属して家事に従事する夫を揶揄した中世・近世欧州の詩を紹介。
第二五章
エプロン亭主
妻が外で働いて家計を支え、家事労働に励み、家内で妻に奉仕する、新しい夫婦像を描いた小説・詩を紹介。
第二六章
妻による夫の虐待
前章の仲睦まじい夫婦像とは異なり、妻が夫を苛烈に虐待し酷使する小説を紹介。
太宰治について、『男女同権』を紹介したうえで、「この詩人も紛うようのないマゾヒストである。」と断言。
第二七章
女のズボン
女権拡張の象徴として、男性的な精神を持ったアテネ型の女性への憧憬として、また中性的な美への愛慕として、女性の男装にマゾ的効果があることを指摘。
第二八章
性的隷属の王侯たち
傾国の美姫への君主の性的隷属現象について。
・東ローマ帝国の大将軍ベリサリウスと妻アントニナ
・仏王ルイ十五世とデュバリ伯夫人
・パバリア(バイエルン)王ルトヴィヒ一世とスペイン舞姫ローラ・モンテス
・セルビア王アレクサンドル一世とドラガ王妃
・唐の高宗と則天武后
・夏の桀王と末喜
・殷の紂王と妲己


ローラ・モンテス 若き日のドラガ王妃 ※『手帖』には掲載なし
第二九章
男性の衰微
男女同権が進み、あらゆる分野で女性が男性と同様の成果を挙げる状況を紹介。
第三〇章
女権国家の夢想
男女同権を通り越して、女性が支配する国家、世界を描いたSF作品を紹介。また、女性支配の正当性の根拠として、肉体的、精神的に男性よりも女性のほうが優れているとする説を紹介します。
さらに付記にて、「奇譚クラブ」に掲載された、田沼醜男による『タツノオトシゴ考』という小説を紹介。
日本が白人国家の属領となった世界で、日本人男性は妻に従属している。日本人男性は咽喉部を人工子宮に変える施術を受けており、妻が白人男性の種を宿したの受精卵を、夫の顔に跨り排卵することにより、夫は激烈な苦痛の末、妊娠する。従順な白人崇拝度の高い男性は、金髪女性の雪白の股に顔面騎乗され、白人夫婦の愛の結晶を口腔に下賜される恩典に浴すことができる。白人夫婦が堕胎するつもりの場合は、日本人男性が里親として白人子女を養育する。白人夫婦が自ら養育する場合は、妊娠後に四肢を切断され、眼を抉られ、耳や鼻をそぎ落とされ、「
箱 」と呼ばれ、生きた孵化器として玉のような白人の胎児を養育する。
沼は本作を絶賛し、「ボックス」が新生児の哺育器となって白人の乳児の排泄物いっさいを始末する…などと、妄想を膨らませています。
第三一章
鞭を忘るるな
二〇世紀初頭に活躍した女性運動家グレーテ・マイゼル=ヘスの説を紹介。第二四章以降の「妻が一家を支え、夫が家事に従事する」という夫婦像とは異なり、妻が支配的であっても労働はあくまで夫が行う、中世騎士道的夫婦像。
フリードリッヒ・ニーチェについて、求婚を拒絶されたルー・ザロメに対してマゾヒスティックな感情を抱いていた可能性を指摘しています。


左からルー・ザロメ、フリードリッヒ・カール・アンドレアス(後のザロメの夫)、 ルー・ザロメ※『手帖』には掲載なし
フリードリッヒ・ニーチェ。ニーチェの発意で撮影された。
谷崎潤一郎作品に出てくる食べ物
谷崎が一番好きなものは「若く美しい男女の容貌・肉体」ですが、二番目に好きなものはおそらく「旨い物」です。それから、「正午近くまでぐっすり寝ること」も好きです。本当にこの人は「文才のある豚」であるな、と思いますね。
『少年の記憶』
・
十歳 になつた正月、私は初めて、お節の煮〆 の中にある蒟蒻を喰つた。私はツルツルした蒟蒻の肌を珍しさうに舐めて見たり、口腔 へスポスポと吸ひ込んで舌に含んで見たりした。さうして、物体の形状から予め想像して居た通りの味である事を知った。人間の好む食物には味覚の快感を第一の条件とする物と、触覚の快感を第一の条件とする物と、二つの種類のあることも知つた。其れ以来、私は蒟蒻が大好きになつた。
・うに、塩辛、唐墨、納豆
『恋を知る頃』
・お萩
・お重の鰻
『熱風に吹かれて』
・鯉のあらひと水貝
・苺牛乳
二人は中央の桑のテーブルに寄りかヽつて、牛乳に苺の実を砕いた西洋皿を間に置きながら、洋銀の匙で薄桃色の汁をすヽつて居たが、湯上りの浴衣がけの姿と云ひ、周囲の色彩との調和と云ひ、何となく芝居の舞台のやうに水際立って、なまめいて見えた。
・氷水、アイスクリーム、苺、パイナツプル、夏
・
『お艶殺し』
・天ぷらそば
『華魁』
・こはだの鮨
由之助は
嘗 て同輩の一人から、こはだの鮨をお馳走になつたことがありました。
「どうだい由どん、此れは湊橋のあづまずしだが、やつぱり彼処 の物はうめえな。まあ此のこはだを喰つて見ねえ」
かう云つて其の同輩は頻りにあづまずしの美味な事を褒めました。
「さうかなあ、そんなに此れがおいしいかなあ。僕なんざあ、何処の鮨でも同じやうな味がする」
喰べてしまつてから、由之助がこんな返事をすると、同輩は肩を聳 やかして、
「ちょツ。味のわからねえ人間にうまい物を食わせても張り合ひがねえや」
と云いました。
・塩辛、うに、このわた、くわゐ、うど、にんじん
・牛肉、豚肉、鰻の蒲焼
『神童』
・ひじき
・
・鳥のそぼろ
・からすみ、うに、うるか、このわた
・
・沢庵、刻みずるめ
・おしるこ、うで小豆、すゐとんのお露、今川焼き
・新杵のカステラ、清寿軒の
・バナヽ、水蜜
・天ぷらそば
・アイスクリイム
・茶碗蒸し
或る時は又「此れも奥様のお余り」だと云う食ひ残りの茶碗蒸しを夕飯の膳に供せられた。どんな精巧な料理法で拵へたものか分からぬが、茶碗の中には春之助の大好きな鶏卵の濃い汁が、さもおいしさうにこつてりと凝り固まつて、底の方にはあなごだのくわゐだの蒲鉾だのが堆く密閉されて居る。それを一つ一つ箸で掘り出して汁と一緒に口の中に含んで見ると、あまりの美味に恍惚として、此のまゝ一と息に
嚥 み下すのが惜しいやうな心地さへする。全く彼は生まれてから一遍も、こんなにうまい卵の料理を味はつたことがなかつた。玉子焼やオムレツの味などは此の茶碗蒸しと云う物に比べると、到底もとにも及ばない。
・シュウクリイム
・
『鬼の面』
・ハムライス、カキフライ、カツレツ
・シュウマイ
・屋台の天麩羅
・ビフテキ
・おでんの信田巻
・冷や飯の茶漬け、
『或る男の半日』
・マンゴウ
・パイナツプル
『詩人のわかれ』
・豆腐
・鰻
・ライスカレ
・むつの子
・あひ鴨
・赤貝
・幕の内
『異端者の悲しみ』
・牛肉
『晩秋日記』
・
『女人神聖』
・甘泉堂の小豆
・大黒屋の鰻
・栄太楼のもなか
『襤褸の光』
・焼芋
・おでん
彼は女を誘つて、花屋敷の傍の屋台へ這入つた。二人とも一と串か二た串たべて止める積りで居たけれど、鍋の中から旨さうに煙の出て居る様子を見ると、飢ゑに迫られて居る二人は、とても我慢することが出来なかつた。がんもどきだの、こんにやくだの、焼き豆腐だの竹の串から落ちさうにしてとろとろ茹だつて居るものを、彼等は夢中で五つ六つづゝ頬張つた。
『金と銀』
・牛鍋
すると大川が「よし」と云つて早速ロースを一斤か、或ひは一斤半ぐらゐ注文する。水こんろの鉄鍋の上で、どろどろのセピア色に煮つまつた肉の塊を、温かい飯と一緒に舌へ載せながら、はつはつと馬のやうな息を吹き吹き、口の中がくちやくちやになるほど噛みしめたらどんなにうまいだらう。
・天どん
・資生堂のプレイン、ソオダ
・カフエ、ヰ゛エナのシユウクリーム
・ちん屋バアの洋食
・精養軒のアイスクリーム
『小さな王国』
・竹の皮に包んだ餅菓子
『嘆きの門』
・林檎、バナヽ、
が、少女は別段何とも思はなかつたらしく、平気で水蜜の喰ひかけを、飴を舐めるやうにビシヨビシヨとしやぶつて居る。果物の
實 の間から、清水の湧くやうに滾々 としたゝる汁が、繊麗な彼女の両手の指の股を傳 はつて、赤い血管の透いて見える生白い手の甲を、涙の如く流れて行つた。
『柳湯の事件』
・アイスクリーム
・蒟蒻、
『美食倶楽部』
・すつぽんの吸ひ物
・鯛茶漬、
・今川焼、
・蛤、蠣、絹ごし豆腐
・
・
・
『母を恋ふる記』
・御飯、おみおつけ、お魚
・天ぷら
『蘇州紀行』
・醋溜黄魚、炒山鶏、炒蝦仁、鍋鴨舌、冷菜、口蘑湯
『秋風』
・鮭の缶詰
・橡の實
お茶と一緒に黄な粉の附いた真黒な餅を出されたので、一つ摘まんで見ると普通の餅よりは柔かで味はもろこしに似て居るけれど、しかしやつぱりもろこしとも違つて居るらしい。「それは
橡 の實でございます。」と爺に云はれたが、橡の實を喰ふのは誰も生まれて始めてゞあつた。「うまい、うまい」と云いながら三人とも珍しさうに其れを頬張つて、折に一杯這入つて居た奴を見る見るうちにペロリと平げてしまつてから、
「さあ、行きませう。」
と、口の周りの黄な粉を拭きながらS子が真先に立ち上がつた。