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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

韓国崇拝論

白人崇拝マゾヒズムの衰退と新たな被支配幻想
世界には様々なマゾヒズムがあり、その中には人種や民族に関わるものが多種多様にあるようで、英語では"race play"という言葉がポピュラーになっているようです。
その中でも文学にまで発展したのは明治以来の「日本人による白人崇拝」しかないと思いますが、それが今の日本では見る影もないほどに衰退しています。
谷崎潤一郎作品に現れるように、日本人が本格的に西洋人と接触した明治時代から白人崇拝マゾヒズムは日本人マゾヒストの中に大きな位置を占めていたと考えられ、それは白人国家に敗戦し、白人中心の軍隊に占領された体験を経て、1950-60年代に最盛期を迎え「奇譚クラブ」などの風俗雑誌でも強烈な白人崇拝マゾヒズムを表明する数多くの傑作が掲載され、ついには「家畜人ヤプー」がベストセラーになります。
それが今では、馬仙人によると日本人マゾヒスト男性の中で白人崇拝思想の持ち主は「百人に一人よりは少ないが、さすがに千人に一人よりは多い」という現状だということです。
この歴史は、日本人一般の欧米に対する鬱屈した劣等感と、経済発展によるその払拭の歴史とおおむね符合しています。
日本人の白人に対する劣等感は今でもまだまだ残っていると思いますが、明治・大正・昭和という「近代」(=白人の時代)を生きた日本人のそれは、こんなものではなかったのでしょう。

日本人の白人に対する劣等感が弱まるとともに、必然的に白人崇拝マゾヒズムが衰退した。
そうなると、日本人マゾヒスト男性によるマゾヒズム幻想の中に、ぽっかりとした一つの空白が生まれます。
80年代以降アダルトビデオやマンガ・アニメの普及によりSM文化もマルチメディア化(オタク化、サブカル化)し、発展していくのですが、そこに描かれるのはあくまでも個人の合意に基づく「プレイ」としてのSMが基本。
これに飽き足らないマゾヒストたちが、白人崇拝マゾヒズムのような自己存在を支える人種・民族を凌辱されるダイナミズム、集団対集団の固定化・制度化した優劣関係・主従関係、極めれば「家畜人ヤプー」のような「家畜化」妄想にも繋がりうる新たな被支配幻想を、マゾヒストたちが求めるのは必然ではないでしょうか。

では、白人崇拝マゾヒズムに代わってその「空白」を埋めるような、日本人のマゾヒズム男性がある程度共有できる被支配幻想はいつ、どのような形で現れるのでしょうか。
それは当然、今の日本人の深層心理に潜むコンプレックスと、深い関係にあるものになるはずです。
今ようやく、その萌芽と思われる被支配幻想が、インターネットの中に非常に歪んだグロテスクな形であらわれてきたように思えます。
それが「韓国崇拝マゾヒズム」です。

韓国崇拝マゾヒズムの出現とその特徴
韓国崇拝マゾヒズムを主題としたサイトや掲示板は10年ほど前から出現したように思われます。
1990年代後半の小林よしのりの「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」や「新しい歴史教科書をつくる会」の活動を契機とするナショナリズムの高まりが、一部で「嫌韓」の機運に変質していくとともに、ドラマ「冬のソナタ」を契機とする韓流ブームが盛り上がり、日本人の中に韓国人に対する複雑なコンプレックスが醸成されていく時期と符合しています。
韓国崇拝マゾヒズムはその後急速に発展し、現在は実際に韓国人と交流できるSNSでも韓国崇拝マゾヒズム関連のアカウントが多数出現しています。
その願望の特徴は以下のようなものです。
①韓国人を優等民族、日本人(チョッパリ)を劣等民族と位置づける。
②美しい韓国人女性を崇拝し、凌辱される。
③美しく逞しい韓国人男性に日本人女性を寝取られ、凌辱され、性奴隷(慰安婦)にされる。(トリオリズムM第2形式)
④美しく逞しい韓国人男性に夢中になった日本人女性は軟弱な日本人男性との接触を拒み、韓国人に代わって日本人男性を間接支配する。(トリオリズムM第3形式)
⑤日本が韓国によって(竹島=独島のように)実効支配される。
要するに、特徴をみると、白人崇拝マゾヒズムにおいて白人が担っていた役割を、韓国人にほとんどそのまま入れ替えた、というかっこうです。
トリオリズムが絡んだ③④が極めて強く現れる、というのが特徴におけるおおきな違いでしょうか。
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チョン・ジヒョン

韓国崇拝マゾヒズムの利点
それにしてもなぜ、数ある異民族のなかで白人に代わって韓国人が「起用」され、韓国崇拝マゾヒズムがここまで隆盛したのでしょうか。
明治以来の白人崇拝マゾヒズムにおいてなぜ支配民族が白人でなければならなかったか、他の民族に比べてどのような「利点」があったのかについては、「白人崇拝論 」にて詳述しましたが、概要は以下のような点です。
①人種の違いによる容姿の大きな差異→対象神格化が容易に
②生活・美意識の西洋化により、一般に白人が美しく感じられる→美尊醜卑
③白人文明の優越・世界支配の実績→優越的存在としてのリアリティあり
この3つの利点はいずれも、日本人と同人種の隣人であり、支配種族としての実績はほとんどなく、むしろ日本に35年間植民地支配された韓国人にはあてはまりません。

では、なぜ現代の日本人マゾヒストに韓国人が「起用」されたのか、他の民族に比べて韓国人にどのような「利点」があったのでしょうか。
それは、以下のようなものではないかと見ています。
①植民地支配と積年の差別に対する贖罪意識の満足
②韓国人の反日感情を日本人に対するサディズムに変換
③韓流ブーム、スポーツでの劣勢、体格差、男らしさなどによる韓国人男性に対する劣等感
④内心の嫌韓・差別感情がもたらす逆転の屈辱感
以下1点ずつ簡単に述べます。
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ソン・イェジン

①植民地支配と積年の差別に対する贖罪意識の満足
日本は20世紀初頭から朝鮮の主権を順次奪い、1910年の日韓併合以降35年間にわたって朝鮮半島を植民地支配して朝鮮民族の自決権と朝鮮人民の人権を蹂躙し続けました。
この間に200万人以上の朝鮮人が日本本土に渡りましたが、日本人は朝鮮人移民に激烈な差別を続け、1923年の関東大震災に際しては朝鮮人に対する大量虐殺が行われました。
1945年に植民地支配が終わった後も、60万人の朝鮮人が日本に残りましたが、日本人は在日朝鮮人に対する差別を続けました。
この記憶は、満州事変以降の侵略戦争の被害国に対するものと並び、加害意識、罪悪感として日本人の心に深く刻まれています。
私の親は1950年代生まれですが、子供のころ「朝鮮人はかわいそ、豚しょって逃げろ」と歌った記憶を、深い罪悪感の吐露とともに何度も語っていました。
罰を受けることによって罪悪感から解放されようとする贖罪意識は、マゾヒズトにとっては被虐的妄想と容易に結びつきます。
沼正三は「ある夢想家の手帖から」65章「愛国心か情欲か」付記第二において、「奇譚クラブ」に掲載された出久信男「捕虜の洗礼」に描かれる、日中戦争中に中国共産党ゲリラ部隊(八路軍)の女性隊長によって日本人捕虜が凌辱されるシーンを引用しています。
朱慧蘭という女性隊長は日本人捕虜を民衆の前で抗日演説をする際の腰掛にすることで「公開処刑」で罰するのですが、その宣告をする際、捕虜に次のように諭します。
「お前たち日本人が罪もない中国人をどれだけ虐げたか、お前も知ってるだろう。お前はこれから日本兵を代表して中国人のアタシの手で罪の贖いをするのです。もちろん皆の面前でするのです。お前はその機会を当えられたのを光栄とすべきです。わかったわネ」
無題
同作挿絵
沼は白人崇拝者である自分が中国美女・朱慧蘭隊長に対して「白人女性に対すると同様の被虐的感興をおぼえる」理由を考察し、その1つとして、「日本人として感じている「中国人への贖罪の必要」」を挙げています。
そして日中国交正常化の前に、「日本政府は日本人民を代表して一度中国人民に土下座して謝るべきなのだ」としています。
韓国崇拝マゾヒズムも、ここで沼も表明している贖罪マゾヒズムが大きな要素を占めているのは間違いないと思います。

②韓国人の反日感情を日本人に対するサディズムに変換
2000年代(ゼロ年代)後半、「嫌韓」機運の高まりの中で、日本国内では韓国は反日国家であり、韓国人は激烈な反日感情を持っていて、官民をあげて反日活動をしている、と宣伝されるようになりました。
実際には、韓国政府は日本との友好関係を重視する一方で国益上必要な範囲で日本に言うべきことを言っているに過ぎず、韓国国民も普通のナショナリズムを持っているだけで、少なくとも日本の「嫌韓」本のように日本を口汚く罵る本が書店に並ぶような状況ではないようです。
「反日の韓国」は日本人側の韓国コンプレックスによるいわば被害妄想にすぎないわけですが、ごく一部の韓国人による反日パフォーマンスをことさらにフォーカスした報道、拡散により、多くの日本人に、韓国人の反日感情、反日活動のイメージがショックをともなって心に刻まれてしまっています。
このイメージは、常に凌辱を求めるマゾヒストにとっては、被虐的妄想と容易に結びつきます。
日本人を口汚く罵ったり、国旗を踏みつけたりしているごく一部の韓国人の行動原理を、嗜虐的なサディズムに読み替えることで、韓国人を理想的な支配者・崇拝対象としてしまうのは必然と言えるでしょう。
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キム・テヒ

③韓流ブーム、スポーツでの劣勢、体格差、男らしさなどによる韓国人男性に対する劣等感
韓流ブーム以降、ペ・ヨンジュン、チャン・ドンゴン、イ・ビョンホンを皮切りに美しく逞しい、男らしくて優しいイメージの韓国人男性スターが日本人女性に大人気になります。
このスターたちのイメージは、徴兵制があり、「男は家族を守り、国を守る」という認識が残る韓国人の男性は、一般的に女性が本能的に求める男らしさを備えているというイメージに発展していきます。
これは当然、日本人女性の抱く、軟弱で頼りない日本人男性に対する不満と表裏一体になったものです。
日本人男性からすると、目の前の同胞女性が隣国の男性に夢中になり、自分と「比較」してそちらに軍配を上げ、ときに揶揄、嘲笑するという非常に屈辱的な状況になるわけです。
実に幼稚なマインドですが、日本人男性に「嫌韓」が広まったのも、この劣等感、屈辱感によるものが大きいのではないでしょうか。
さらに幼稚なことに、「嫌韓」が広まった契機の1つとして、韓国が4位に躍進した一方日本はベスト16に終わった2002年のサッカーワールドカップがあったと言われ、野球やサッカーなどのスポーツにおける日本代表の韓国代表に対する劣勢も、日本人男性の劣等感、屈辱感を刺激しているようです。
この同性である韓国人男性に対する「男として」の劣等感、屈辱感、敗北感は、マゾヒストにとっては当然、被虐的妄想、特に同胞女性を寝取られることを望む民族的トリオリズムと容易に結びつきます。

④内心の嫌韓・差別感情がもたらす逆転の屈辱感
上記のように、韓国崇拝マゾヒズムは、内心の嫌韓・差別感情と表裏一体となっていると思われます。
ここが白人崇拝マゾヒズムと大きく違うところで、外見も文化的・歴史的属性も「雲の上」の存在と考えやすい白人と違い、外見は大差なく、文化的・歴史的属性は対等ないし内心見下している存在である韓国人に凌辱されたり、支配されたりする屈辱感は、白人崇拝マゾヒズムでは味わえない独特のものがあります。

かく言う私ですが、最初に韓国崇拝マゾヒズムを主題としたサイトや掲示板を目にしたときは白人崇拝者として、これは邪道かな、と思ったものです。
しかし、そういう抵抗感が強いものほど、マゾヒストとしては「快楽の扉」を開けてしまいたくなるものかもしれません。
白人崇拝ほど深くはまったわけではありませんが、韓国崇拝マゾヒズムの世界の入り口に立ったところで、読者の皆様にも紹介しました。
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ソン・ヘギョ
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